若戸大橋

 父の部屋(老人ホーム)を片付けに行った。片付けと言っても残しておきたいものを選り分ける作業。

 父はまだ生きているんだけど、もう病院から老人ホームに戻ることはないと思われるので、契約解除することにした(そのままにしておくと家賃だけがかかる)

 老人ホームなんて言葉、自分の両親には関係ないと思っていた。何となく、いつまでもいつまでも元気で、ある日急に亡くなるんじゃないかと、そう思っていた。でも実際のシナリオは全然違っていた。

 人生は、まわりで起きることに自分が合わせていかなくちゃならないことが多いと、ようやくこの歳になって知る。

 父の部屋のものはほとんど処分するつもりだけれど、いざとなると、処分するということはもうじき亡くなるということが前提だよね・・・そう思うと複雑な気持ちになる。
 死んだときにお棺の中に入れてあげる服を選ぶ。こんな作業、誰もしたくないですよ。長女や長男になんかなるもんじゃないね。一時間近くかけて、父の持ち物をゆっくりと見ていくと体がずっしりと疲れていた。
 箪笥の引き出しのいちばん奥から、愛用のハーモニカが出てきたときは、思わずどきりとした。

 酔っぱらっていい気持ちになったときなど、たまに父はハーモニカを吹いてくれた。
 たいてい軍歌だった。物悲しいそのメロディーが父の青春時代を象徴しているのだろうと子供心に思っていた。ハーモニカはうちにもって帰ることにしよう。それとも父に見せようか。昔を思い出すかもしれない。

 父の部屋に置いてあった写真を一枚持って帰った。若戸大橋の上で私を抱いている父。こうしてみるとモノクロの写真っていいですね。こういう思い出の写真に色はいらないね。
 1963年頃だと思う、私が二歳になる前のようだから。父は34歳。今調べてみたら若戸大橋は私と同じ1962年に完成している。できたばかりの橋を渡りに行ってみたのだろう(当時、北九州市戸畑区に住んでいた) 

 なんか今日は泣きそうになっているので、プラモの話はまた明日。