つれづれプラモ製作記

マイペースで作っているプラモデルのブログです

タグ:神雷部隊

完成1

 先日完成した一式陸攻は、桜と搭乗員を別々に添えるという形で完成させた。

 濃緑色はこんな感じ。実際の色に近い写真が撮れた。昭和20年4月、鹿屋基地。

完成3

 わざと別々の土台に載せてみた。搭乗員と飛行機の距離、あまり近いのも変な気がした。わりと近くの地面にあぐらを組んで座ってるような写真はよくあるからそういう情景なら自然かもしれない。
 私は、二人の搭乗員が物思いにふけるようなイメージなので、少し遠くから眺めている様子にしたかった。彼らは実際には飛行機のそばにはいなかったかもしれない。

完成6

 たとえばこんなふうに、いろんな配置ができる。料理の皿を配置する感じで。人形はハセガワの海軍搭乗員セット(プチ改造してます)。桜は紙創り。

完成8

 飛行場には桜の木なんかなかっただろうから、向こうに見えているのは幻の桜・・・懐かしい故郷の桜の幻影という設定。正面から見ちゃダメよ、の作品になっちゃったのが悔しいけど皆様は気を付けて組み立ててください。飛行機の基本だよなぁ・・・翼の角度。

完成5

 桜に別れを告げる。故郷を懐かしく思わなかった人がいただろうか。母を思い出さない人がいただろうか。
 
 「特攻 この地より」(南日本新聞社)には、4月12日出撃の神雷部隊・一式陸攻の電信員だった菅野善次郎さんという方の証言がある。装置の不具合で電動で切り離すことができなかった桜花を、菅野さんが手動で切り離した。桜花搭乗員は土肥三郎中尉。

 この日撃沈した駆逐艦「マンナートLエーブル」が、この大戦中唯一の桜花の戦果であった。 

人形2

 神雷部隊隊員。ちょっと近くで見るのは辛い出来だけど、遠目にはまあまあ。立ってる人の背丈は2.2センチですからね。老眼鏡の上にハヅキルーペかけて塗装した。あとは裸眼で修正する予定。
 しかしまぁ~人形の塗装も難しい。すべてファレホで塗装してます。ただ、つや消し塗料なので、帽子は革製品らしくテカテカしてる感じにしたくてラッカー塗装してる。

 今読んでる本にはこういう特攻隊員たちの写真がいっぱい掲載されていて、どの顔もみな、ヤンチャ盛りの若者たちです。それだけに胸が痛い。
 よく「いまどきの若者は当時の若者みたいに勇敢に戦えないだろう」と言う人がいますが、私は全くそうは思わない。教育、まわりの風潮、すべてが当時と同じなら全く同じ行動をとると思う。

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 こちらはおおよその透明部品を接着して半艶クリヤを吹いているところ。いろいろうまくいってないけど、もういいや。デカールがシルバリングしませんように。
 写真ではえらく明るい色に見えるけど実際はもう少し濃緑色です。

 よきお盆を過ごしていますか? お盆は死んだ人の魂が帰ってくるんだよね。この考え方はけっこう世界的にみても珍しいらしい。日本人にとってはいちばん大切な祝祭じゃないだろうか。祖先を拝むという宗教ですよね。あまりにも生活密着しすぎてて誰も宗教だとは思わないような・・・。
 私ね、終戦記念日がお盆ってのは狙ってそうしたんじゃないかと思うんだよね。そしたら必ず毎年間違いなく戦死者の魂が帰ってきて供養もできるでしょう? きっとそこまで天皇陛下は考えてたんじゃないかな。
 それ言うと聞いた人から必ずバカにされるんだけどね。

1

 宇佐市民図書館にて、「人間爆弾「桜花」と神雷部隊の若者たち」という企画展が行われていることを知り、地元のモデラー・九七氏に頼んで連れていってもらった。
 桜花の設計者、三木忠直氏の自筆原稿・設計図なども公開されており(珍しいと思う)、小さいけれど密度の濃い展示だった。入場無料。
 桜花がなぜ計画されたのか、どういう機体だったのか。そして、それを運用した神雷部隊とは。

 神雷部隊の「隊員」ではなく、「若者たち」というタイトルにもこの展示の意図が現れているように思う。遺書や写真などを見ていると、かすかな声だけれど何か過去から語り掛けてくるのが聞こえるような気がした。6月9日まで開催。

 ちなみに、この渡綱ギャラリーというのは、地元の名士・渡辺綱雄氏(宇佐市の農業振興に尽くした)の寄付で作られたもので、図書館自体も人口5万4千人のまちにしては、なかなか立派に感じた。
 https://www.asahi.com/articles/ASM4V51BKM4VTPJB00G.html?iref=pc_rellink ←朝日新聞デジタルの記事

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 さてお次は、宇佐市平和資料館へ。名前は立派だけど、ようするに倉庫みたいな建物で、エアコンがぜんぜん効かなくて暑かった。職員の方々は大変だろうな。ここも入場無料。

 普段ここに置いてある桜花の排気管とか照準ガラスとかは現在図書館の桜花展に行ってます。こちらには、桜花と零戦のレプリカ(“永遠の0”で使用されたもの)がおいてある。よくできていて(巨大なプラモデル的)迫力十分でしょ!!
 九七氏はしきりと「桜花ってこんなに大きかったかな」とつぶやいていたが、6メートルくらいあったらしいから結構大きいよ。あ、桜花のレプリカの写真なくてすみません。

 下に置いてある茶色い枠組みみたいなものは、エンジン架。

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 「永遠の0」撮影で使われたコクピットが置いてある。実はこの資料館、悪い男が何も知らない女性を連れて行って、棒状のモノを握らせるための施設として有名である。

 零戦21型「俺のも握ってくれよ・・・」
 きらら「ふん、レプリカのくせに」
 零戦21型「うぅぅぅぅ(泣」

 このコクピット、静岡ホビーショーのとき置いてあったら盛り上がりそうだよなあ。

パンフ

 いただいたパンフ類。けっこう力はいってるのがわかるでしょ。こういうのも資料としてありがたい。

 写真にはないけど、割と最近できた「宇佐空の郷(さと)」という、戦跡めぐりの拠点施設にも行ってみた。ここは航空隊の正門があった場所。建物の外には門柱のモニュメントがあり、部屋の中には本物の門柱が保存されている。入場無料。

 ここには案内のおじさんが一人配置されていて市に雇われてるってことでした。パンフをもらったり、トイレ休憩できるし、レンタサイクル(有料)を借りたりもできる。家族連れなどには特にありがたいよね。そして、なんとパンフみたら「平和ミュージアム」ができる予定って!! すごい。おじさんの説明によると二年後に完成予定とのこと。九七艦攻のレプリカも置かれる予定。くーっ、やるじゃん宇佐市。

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 お次は、落下傘整備所(と言われている建物)

 実は2007年にも一度ここに来たことがあるんだけど、そのときは草ボウボウだったのが、まわりはコンクリートで固められ、案内板が整備されてる!! 感涙。
 なんか前衛芸術ぽい不思議な建物でしょ。私はこういう古い建物が大好き。レンガをモルタルで固めた頑丈そうな建物だから空襲にも耐えて残ったんだろうね。無数の機銃掃射の跡が残る。

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 ここ、あたしの穴・・・もとい、機銃掃射の穴です。

 実際にこうやって触ると、感動するよ。なんとも言えない気分。

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 さて、最後の目的地、掩体壕へ。

 この道路は、当時の滑走路だった場所に作られている。道路わきにはモニュメントが並んで、今もここから飛んで還らなかった若者たちを悼んでいる。
 はっきり言わせてもらうけど、ここを通って何か感じないようなヤツは飛行機作らんでもいいよ・・・

 田園地帯だったところに航空隊ができたんだけど、現在は再び平和な農村の風景に戻っている。

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 大分県内の人ならテレビでお馴染み、城井(じょうい)一号掩体壕。
 公園みたいに整備されている。実はこのまわりには掩体壕がいくつもあって、それらのうちのほとんどは農家の庭先で農具倉庫や物置として使われている。それもまたほほえましいというか。

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 2007年に初めて見たときはもっと大きく感じたのにな、こんなに小さかったっけ。あれから私は静岡に行くようになり、スケビにコラムの連載が始まり、ハセガワの人たちとお近づきになり、信じられないくらいたくさんの人と模型飛行機に出会った。

 この日は五月とは思えないくらい暑かったけど、掩体壕の中はひんやりして気持ちよかった(奥に小さな穴が開いていて、そこから風が入ってくるのだった)

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 別府湾で引き揚げられた栄エンジン。スピナーの部分、赤い輪みたいになってるのは、スピナの架台みたいなものじゃないでしょうか? この上にスピナーを取り付けるのでは? 違うかな。

 見ていると面白くて見飽きない。できたらコーヒーでも淹れてしばらくここに座っていられたら。

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 さっきの「宇佐空の郷」の案内人が、154名の特攻隊員の名前が刻まれているから見て行ってください、と教えてくれた慰霊碑。掩体壕の近くに立っている。

 慰霊碑の背景、整地された場所の向こうが上の写真にある現在の道路、つまり当時の滑走路。
 そして整地されているところが平和ミュージアム予定地。

 九七氏は「それでもまだこんなに立派な慰霊碑をに名前を刻んでもらえる特攻隊の戦死者は幸せかもしれない。インパールやガダルカナル、輸送船が沈没して・・・どこで死んだかもわからない戦死者たちに比べたら」確かにそうです。私たちにできることは限られている。絶望的に無力。でもだからこそ、せめて模型を作って当時を偲びたい。
 

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