ここのところ、天気のいい日はガンマのカウルなどにクリアをかけていた。クリアを薄めすぎているのかもしれないけど、四回吹いてようやくかなり厚くなってきた感じ。でも本当はもう少し吹いてもよかったかもしれない。クリアはかなり厚いほうがいいんじゃないかと思う。
今日の午後はこないだ買ったラブロスで磨いてその後ハセガワのコンパウンドとポリマーで仕上げ。まだ研ぎ出し一年生だからこんなもんだと思ってください。
写真、下側のふたつのカウルの凹んだ部分(三角形みたいな形)、そこもデカールが分割されて入ってるんだけど、ここは塗装したほうがきれいにできそう。私は貼ったけど押し付けているうちに割れたりしてうまくいかなかった。
タンクといちばん前の風防は塗装したので色が全然違う。なんでデカールのところと塗装のところとあるんだよ!! と先日から文句言ってますが、たぶん実車もタンクと風防は塗装で、この下側カウルはシールなんじゃないか!? それを表現しようとしてるのか!? わかんねえけど、そういう理屈かも。
「敷設艇「怒和島」」(白石良/光人社NF文庫)
本屋で平積みされてるのを見つけて何となく手に取った。一度第七駆逐隊の話も読んで面白かったし、これも面白い・・・興味深かった。戦艦だの空母だのの話読むと、上官から殴られたとかイジメられたって話ばかりでイヤになるけど、この本には全くそんな話がなくてむしろ愉快痛快。著者はライターで怒和島とは特に関係はない人。だから客観的に書けたかもしれない。生存者からの聞き書きなどから構成してある。
何より、怒和島は佐伯を母港としていたことに親しみを覚えた。佐伯はもちろん、海軍佐伯航空隊のあったところで大分県内である。ここから、船団護衛(主に豊後水道)、機雷敷設、掃海などに奮戦した。
いろんな話があるけど、艇長の久保大尉が操艦の名手であり、港に入るときなどはほかのフネが苦労してるのをしり目にピタリと一発で接岸する鮮やかさ、それを乗組員も「どや!!」と見ている痛快さ。戦闘とは関係ないけど、カッコいいってのは大事なことだよね。
久保大尉は戦後も数々の民間航路の船長や水先案内人で活躍されたという。また彼の弟は芸大卒業後陸軍に入り中国で戦死、作品数点は「無言館」(長野県)に展示されているとか。見たくなった。それと怒和島のプラモデルもタミヤから出てるんだね(小艦艇セット) 一瞬作ろうかと思っちゃったよ、てへへ。