つれづれプラモ製作記

マイペースで作っているプラモデルのブログです

タグ:掩体壕

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 最近封切られたゴジラ映画の撮影に使われた震電は、大刀洗平和記念館に収蔵された震電なのだった。大刀洗は東洋一といわれた陸軍飛行場があったところ。米軍の爆撃で壊滅したが、面影を残す遺跡もわずかに残っている。

 私はここに来るのは6回目、震電見るのも三回目、でも何度見ても見飽きることはない。普段はすいてる駐車場もほぼ満車!! おおー!! うれしいなー!! 震電のためにこんなにたくさんの人が・・・いやゴジラのためか。ま、いい、何でもいいいから大戦機を一人でも多くの人が見てくれたら。

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 ぽつねんとたたずむ九七戦。ここには震電(レプリカ)と零戦32型(復元機)があるけれど、この九七戦が記念館のいちばんの古顔です。私が生まれて初めて見た大戦機がこれ。正直ポンコツの古い機体に見えた、よくこんなのに乗って戦ったよなあという衝撃を受けた。しかし今見ると、震電はよくできたレプリカ、零戦32型はなんかイマイチの復元外観、だがこちらは塗装こそ失われているが九七戦そのものじゃないか!? 「おおーよくそこわかってくれたなヨシヨシ、でも72のワシのプラモ捨てたんはお前じゃなかったか?」ハハーっ、私でございます(汗

 このプロペラのカタチもいいな。ようやく私も九七戦の格好良さのわかる年齢になったってことか。
 ちなみに、展示飛行機三機は撮影できます。ほかには赤とんぼのエンジン、別室には鹿児島錦江湾で引き揚げられた零戦21型の残骸もあり、こちらも必見。

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 二階で特別展「異端の翼 震電」開催中。何となくモデラーっぽいオジサマたちが多い(自分もその一人やろ!!) 映画製作中写真もあったけど、これは映画に興味のない私も楽しめた。
 中村泰三さん監修の計器盤を拝みました。私もそこまで計器盤に詳しくないのでわかりませんが見る人が見れば凄さがわかるのでしょう。中村さんは「日本海軍機の塗装、ソコは何色?」の著者で大戦機を修復展示している方です。この本すごく目からウロコというか、ああーそうだったのかの連続で興奮する、やや高価なのも納得。アホな本10冊買うよりこれ一冊。ちなみにミュージアムショップにもあるよ。

 模型展示会もいいけど、こういうところで展示を見ながら実機のこと模型のこと過去の歴史、あれこれ話すのはすごく楽しい!! おすすめですよ。

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 最後にお楽しみのミュージアムショップ。小さな記念館なのに結構充実してて楽しい。グッズも定番Tシャツやピンバッヂからマグカップ、ハセガワのキット、ここでしか買えない出版物もあり、規模では小さいけど呉の大和ミュージアムにも負けてない気がする。

 自分に買ったお土産の数々。右上の飛行機の絵が描かれている箱は零戦サブレ、その下は手ぬぐい、「日本の爆撃機」(光人社)はたぶん持ってる本と同じやつの改訂版だろうと思ったけど違う写真もあるかもしれないのでゲット(やはりそうだった)、その下はマウスパッド。
 掩体壕保存の寄付をしようと思ってレジの人に声をかけると「担当の者を呼びますのでお待ちください」
 教員を定年になりました的な白髪頭のオッサンが出てくるだろうと想像してたら、働き盛りの感じのよい女性、いやはや、失礼な思い込みでした、こういうのをジェンダーっていうんだろうな。
 それと以前から大刀洗町と思ってたけど、記念館は筑前町立でした。ごめんなさい。大刀洗飛行場は広大だったので、今の大刀洗町、筑前町、朝倉市にまたがっていたのですね。

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 記念館からクルマで五分くらいだろうか、保存される予定の掩体壕がある。
 現在はまだ、正面からは近づくことができず、裏側からしか見られない。でもかなり大きな構造物で、屠龍などが入ることができたのではと思われる。
 古いコンクリートが何ともいえない。あちこち石が顔を出していた。裏側に木を並べたような跡が見えるのは、木材で型を作ってその上にコンクリを乗せていったからではないかと一緒に行ったモデラーが推測する。

 古いものを残す気運が全国的に生まれている。特に戦争遺跡、産業遺跡という言葉もよく聞くようになった。心から嬉しく思う。感涙←やたらと涙もろい

日没

 うちに帰りつくと慌ただしく日没。古い資料や飛行機やコンクリートが無言なる饒舌でいろいろと語り掛けてきたもんだから、心地よい疲れを感じる。
 今回も連れて行ってくれたモデラーに感謝。私はクルマを運転しないので誰かに連れて行ってもらうしかない。ほんと無能の人なんだけど、助けてくれる人がいるのがありがたい。

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 宇佐市民図書館にて、「人間爆弾「桜花」と神雷部隊の若者たち」という企画展が行われていることを知り、地元のモデラー・九七氏に頼んで連れていってもらった。
 桜花の設計者、三木忠直氏の自筆原稿・設計図なども公開されており(珍しいと思う)、小さいけれど密度の濃い展示だった。入場無料。
 桜花がなぜ計画されたのか、どういう機体だったのか。そして、それを運用した神雷部隊とは。

 神雷部隊の「隊員」ではなく、「若者たち」というタイトルにもこの展示の意図が現れているように思う。遺書や写真などを見ていると、かすかな声だけれど何か過去から語り掛けてくるのが聞こえるような気がした。6月9日まで開催。

 ちなみに、この渡綱ギャラリーというのは、地元の名士・渡辺綱雄氏(宇佐市の農業振興に尽くした)の寄付で作られたもので、図書館自体も人口5万4千人のまちにしては、なかなか立派に感じた。
 https://www.asahi.com/articles/ASM4V51BKM4VTPJB00G.html?iref=pc_rellink ←朝日新聞デジタルの記事

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 さてお次は、宇佐市平和資料館へ。名前は立派だけど、ようするに倉庫みたいな建物で、エアコンがぜんぜん効かなくて暑かった。職員の方々は大変だろうな。ここも入場無料。

 普段ここに置いてある桜花の排気管とか照準ガラスとかは現在図書館の桜花展に行ってます。こちらには、桜花と零戦のレプリカ(“永遠の0”で使用されたもの)がおいてある。よくできていて(巨大なプラモデル的)迫力十分でしょ!!
 九七氏はしきりと「桜花ってこんなに大きかったかな」とつぶやいていたが、6メートルくらいあったらしいから結構大きいよ。あ、桜花のレプリカの写真なくてすみません。

 下に置いてある茶色い枠組みみたいなものは、エンジン架。

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 「永遠の0」撮影で使われたコクピットが置いてある。実はこの資料館、悪い男が何も知らない女性を連れて行って、棒状のモノを握らせるための施設として有名である。

 零戦21型「俺のも握ってくれよ・・・」
 きらら「ふん、レプリカのくせに」
 零戦21型「うぅぅぅぅ(泣」

 このコクピット、静岡ホビーショーのとき置いてあったら盛り上がりそうだよなあ。

パンフ

 いただいたパンフ類。けっこう力はいってるのがわかるでしょ。こういうのも資料としてありがたい。

 写真にはないけど、割と最近できた「宇佐空の郷(さと)」という、戦跡めぐりの拠点施設にも行ってみた。ここは航空隊の正門があった場所。建物の外には門柱のモニュメントがあり、部屋の中には本物の門柱が保存されている。入場無料。

 ここには案内のおじさんが一人配置されていて市に雇われてるってことでした。パンフをもらったり、トイレ休憩できるし、レンタサイクル(有料)を借りたりもできる。家族連れなどには特にありがたいよね。そして、なんとパンフみたら「平和ミュージアム」ができる予定って!! すごい。おじさんの説明によると二年後に完成予定とのこと。九七艦攻のレプリカも置かれる予定。くーっ、やるじゃん宇佐市。

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 お次は、落下傘整備所(と言われている建物)

 実は2007年にも一度ここに来たことがあるんだけど、そのときは草ボウボウだったのが、まわりはコンクリートで固められ、案内板が整備されてる!! 感涙。
 なんか前衛芸術ぽい不思議な建物でしょ。私はこういう古い建物が大好き。レンガをモルタルで固めた頑丈そうな建物だから空襲にも耐えて残ったんだろうね。無数の機銃掃射の跡が残る。

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 ここ、あたしの穴・・・もとい、機銃掃射の穴です。

 実際にこうやって触ると、感動するよ。なんとも言えない気分。

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 さて、最後の目的地、掩体壕へ。

 この道路は、当時の滑走路だった場所に作られている。道路わきにはモニュメントが並んで、今もここから飛んで還らなかった若者たちを悼んでいる。
 はっきり言わせてもらうけど、ここを通って何か感じないようなヤツは飛行機作らんでもいいよ・・・

 田園地帯だったところに航空隊ができたんだけど、現在は再び平和な農村の風景に戻っている。

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 大分県内の人ならテレビでお馴染み、城井(じょうい)一号掩体壕。
 公園みたいに整備されている。実はこのまわりには掩体壕がいくつもあって、それらのうちのほとんどは農家の庭先で農具倉庫や物置として使われている。それもまたほほえましいというか。

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 2007年に初めて見たときはもっと大きく感じたのにな、こんなに小さかったっけ。あれから私は静岡に行くようになり、スケビにコラムの連載が始まり、ハセガワの人たちとお近づきになり、信じられないくらいたくさんの人と模型飛行機に出会った。

 この日は五月とは思えないくらい暑かったけど、掩体壕の中はひんやりして気持ちよかった(奥に小さな穴が開いていて、そこから風が入ってくるのだった)

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 別府湾で引き揚げられた栄エンジン。スピナーの部分、赤い輪みたいになってるのは、スピナの架台みたいなものじゃないでしょうか? この上にスピナーを取り付けるのでは? 違うかな。

 見ていると面白くて見飽きない。できたらコーヒーでも淹れてしばらくここに座っていられたら。

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 さっきの「宇佐空の郷」の案内人が、154名の特攻隊員の名前が刻まれているから見て行ってください、と教えてくれた慰霊碑。掩体壕の近くに立っている。

 慰霊碑の背景、整地された場所の向こうが上の写真にある現在の道路、つまり当時の滑走路。
 そして整地されているところが平和ミュージアム予定地。

 九七氏は「それでもまだこんなに立派な慰霊碑をに名前を刻んでもらえる特攻隊の戦死者は幸せかもしれない。インパールやガダルカナル、輸送船が沈没して・・・どこで死んだかもわからない戦死者たちに比べたら」確かにそうです。私たちにできることは限られている。絶望的に無力。でもだからこそ、せめて模型を作って当時を偲びたい。
 

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