つれづれプラモ製作記

自称飛行機モデラー・きららのプラモ製作とプラモの活動記録

天領プラモデル大会

戦線離脱!?(天プラ20年その4)

2007_2二回目フィールドキッチン

 (私の)天領プラモデル大会の二十年を振り返る、第二期(フィールドキッチンの様子)

 2007年はついに私が飛行機模型専門誌・スケールアビエーション(現SA)にコラムを書きはじめた年。まさかの模型誌デビューで夢のよう。アートボックスの人が私のHPを読んでいて「コイツに書かせたら面白いんじゃないか」と思ってくれたらしい。当時の編集長は梅村弘氏、フィンランド関係の訳書は私も何冊か持っていて、憧れの人物だった。そのご本人からじきじきにお話があったんだから、天にも昇る気分でしたよ。

 しかしそんな私をまわりの人はどう思っていたのか。すごいね、と褒めてくれる人もいたけれど、「こんな田舎の飛行機のこと何も知らない主婦がスケビに書くなんてケシカラン」と思われているのではないかと、それが(実は今でも)いちばんの心配だったし、まあ多分そう思われていただろう。

2008

 第八回。当時フィンランドものをよく作っていた。(1/48 ハセガワBf109G)

2008_2

 相変わらず参加者でにぎわう展示会。

 コラムなんか大したもんでもないのに、けっこう嫉妬されてひどい言葉を浴びせかけられたこともある。〇ちゃんねるで中傷もされた。まさか自分が・・・って思いましたね。あの嫌な気分は書かれた人間じゃないとわからんね。「なにキモいオバサンw」みたいな書き込みね。
 さらに、静岡などで有名モデラーに会って交流すると、ほんと九州のモデラーがつまんなく思えて、話があわないわ、という気分になるから余計浮いてくる。このころの写真見てると、自分の作品の写真はほとんどないし、作品の撮り方もいい加減で、自分の精神状態を表してる。

2009

 第九回。いよいよ心とクラブが乖離していた時代・・・って写真見たらなんか男共に暗く囲まれてますが、なんなんですかね、この写真。完全にヤバい人たちの集まりですね。

 そんなわけで、自分の求めるものがクラブにない(自分より年上で自分より腕のいい飛行機モデラーがいない、他県の展示会などに遠征する人がいない)、大分県の人とつきあっていても自分が向上できない(大阪JMCを三年続けて見学に行ってハセガワの人たちなどと知り合いになって急速に天狗状態)、さらにこれ以上いたらサークルクラッシャー(男性と問題を起こしてサークルを瓦解させる迷惑な女のこと)になるかもしれんという危惧から、クラブをやめることにした。ただし、展示会は大好きだし実際さほどトラブってたわけでもないので、展示会にはその後もずっと参加した。

2009_3

 確か、このあたりからコーヒーをいれて持って行っていた。衝立で仕切った休憩所があり、季節柄寒いので暖かいコーヒーは好評だった。何もせず参加するのもあれだし・・・という気持ちもあった。
 ハセガワの流星改。左翼の前縁、合わせ目が浮き出てるやん!! きれいに消してたつもりなのに・・・けっこう頑張って作った作品のつもりです。
 2008年末に長谷川勝人社長(当時常務)に大阪JMCでインタビュー、そのご縁でお知り合いの一人に加えていただいた。「なんでスケビにコラム書くくらいで嫉妬されなきゃいけないんですか」とこぼすと「スケビに書くってすごいことなんですよ!!」と励まされた。いい人やん(感涙 もう一生この人についていく・・・と思ったかどうか忘れましたが←おい!! その後、生き方などさまざまなことを教えていただくことになった。

2010_3

 第10回、2010年、一区切り。あの頃は楽しかったなあ。40代最後の日々。

2011

 第11回。自分のフィールドは72なんだと自覚し始めた頃。単に逃げで小さいものを作るのではなく、小さいものが好きだから作る。それは全然違う。大山さんのヘリが見えてますね。かねてより好きだったヘリを作ろうという気持ちになった頃です。

2011_3

 この展示会の良いところは、オールジャンルなんだけど、どのジャンルもわりと均等に数が揃っていること。艦船が年によって差が大きかったけれど、スケールもまだまだ頑張っていて、キャラクターものが主流になっている全国的な趨勢の中では、まだ頑張ってるほうだと思う。見学する人も、きっとそのせいで楽しいと思う。 

2012

 2012年。この年は自分の至らなさから、大変なトラブルに見舞われた。ネット、模型の仲間・・・色んなものを失った。12年間大切に積み上げてきたHPも閉鎖。信頼も仲間を失う危機にあったけれど、ひとつ失い、ひとつ得るということもあった。静岡のフィン空クラブは分解し、本当に辛い年だった。

 それでも模型はなくならなかった!! 展示会に来てみんなの顔を見るとホッとした。一年一度会うだけなのに、この居心地の良さはなんだろうね。
 自分にとって本当に大事なものは何なのか・・・頭を冷やせと模型の神様が与えてくれた試練かもしれない。

 つづく。

青春は突然に(天領プラモデル大会20年その2)

Bf109E_2

 零戦を完成させたあと、次はメッサーシュミット(Bf109のことね。当時はメッサーシュミットという名前だと思っていた)を作ることに決めていた。本屋で「プラモの作り方」というような名前のサブカル本を買うと、いちばん最初にタミヤのBf109Eが掲載されていた。これはカッチョいい、これを作ろう!!と決めた。玩具屋に探しに行ったけれどあいにく置いていない、これはもう模型屋に行くしかない・・・(上の写真は、当時撮影したもの。けっこう写真の撮り方も上手いじゃん私、このキャノピーの開け方がしびれるくらいカッチョええと思ったものです)

 ドキドキしながら木製の引き戸を開けた。あの瞬間から引き返せない旅が始まった。

 模型屋にときどき行くようになって一年以上が過ぎた頃だろうか、「今度クラブを立ち上げることになったんですよ、〇日に飲み会があるからきららさんも来ませんか」と模型屋から誘われた。メンバーと言っても、模型屋さん以外は知らない人たち。でも不思議と遠慮する気持ちは起きなかった。行ってみようと思った。実はすでにインターネット上でHPを作ったりはしていたけれど、まだまだ知り合いは少なく情報にも飢えていた。模型の話ができるならうれしい。

 あの日、初めて参加した飲み会から夜道を歩いて帰りながら(寒い季節だった)、結婚して誰も知り合いのいない町に来て8年以上たっていたけれど、家族でどこに出かけることもない、何も楽しいことをするでもない、子育てだけをして家にこもってじっと我慢している日々、大げさにいうと、女として人生もう終わっている気がしていた。その中に、ふっと明るい灯がともった。20代の頃の楽しさがよみがえってくる予感がした。

 20代の頃は、男友達とか彼氏とか含めて、常に多くの男性と親しく交流していた。それが普通だったのに、当時ネットもないこともあったし、そのすべてを断ち切って結婚するしかなかった。その寂しさ。やっぱ私にはこっちが向いてるんだ。魚は水の中でしか生きられない。

 そして年が明け、大分のクラブとの合同展示会という話が舞い込んでくるのです。いよいよ天領プラモデル大会の誕生です。

 クラブの創設、そして展示会の開催準備。やったことのある人はわかると思うけど、こんなに胸のわくわくすることはありません。11月の展示会に向けて、その夏頃には何度も話し合いをもちました。文化祭の準備をするような、あのノリ・・・そう「青春!!」てやつ!? ひゃー。
 恥ずかしながら、若い頃いまひとつ燃焼し切れていなかった私には、これが人生で巡ってきた本当の青春でした。

展示会前夜(天領プラモデル大会20年その1)

インスト

 今年で私の所属するクラブの展示会は20周年を迎えます。この20年、色んなことがありましたが、たぶん読者の中にはごく最近の私しか知らない人も多いと思うので、少し過去の涙と笑いの模型生活(地元の展示会を中心に)を振り返ってみたいと思います。

 息子が小学校の一年生に上がった頃(1998年頃)、少し自分の時間ができてインターネットを始めたんですが、ネットでいろいろ調べていたらプラモデルというものがこの世にあり、しかもかなり精密にできてることがわかりました。

 ちょうどうまい具合に夫が玩具屋の安売りで買ってきた戦車と零戦が置いてあったので「これ作っていい?」と聞くといいというので迷わず飛行機を手に取りました(戦車には興味なかった)。夫は子供の頃を懐かしんで買ってきたものの、精密すぎて手に負えなかったらしい(その後も夫は私の趣味に全く興味を示すこともなく、スルー)

 私はインスト通り、タミヤのアクリル塗料を買ってきて(ただし薄めることを知らなかった)筆塗りで完成させました。そう、48の零戦21型です。タミヤの解説書を隅から隅まで読みました。この解説書って素晴らしくて、主脚の塗装が大きく別に書いてあるんです(写真左下)。そして「プレーキ・パイプをエナメル線等で作ると実感がでます」と書いてあるんです!! これは、やらずにいられない。ビーズ手芸に使ってた細い針金に塗装して黒くして(図では黒だったので)みたけど、はじいて上手く塗れないんですよね(プライマーなんか知りませんから)でも、見よう見まねで取り付けてみて、ものすごく満足したのを覚えています。いきなりのディテールアップですよ!! エンジンはギヤーケースとプッシュロッドはフラットアルミ、なんて書いてある。これもまたマニアックな言葉が並んでいて、グッとくるものがありました。何のことかわからんけど、カッコいい。
 初心者とか子供には簡単なモノがいいと思ってませんか? むしろ逆です。いかにも「専門用語」みたいのが心を鷲掴みにするんですよ。「すげぇ~俺もこれわかるようになりたい、作れるようになりたい」って激しく思うんですよ。昔、お兄ちゃんとかお父さんがやってる工作などを尊敬のまなざしで見てたでしょう? それと同じテイストがこのインストにあったんです。

 完成させると、まるで自分が作ったとは思えない「精密模型」らしきものがそこにありました。あのときの感動は忘れられない。ごうごうと風の吹きすさぶ昭和16年12月8日真珠湾へと、一瞬のうちに心は飛んでいきました。特定の時間、特定の場所、特定の搭乗員が乗った飛行機を再現するんだ!! すごい!! 
 胸が熱くなりました。「単なる子供だましのオモチャの零戦」ではないんですよ。歴史の再現、実はそれが最初に私の心をとらえたのだと思います。たまたま作った零戦でしたが、ここから一気にスケールものの世界にダイブしていきました(そして今日に至る)。

 でもそこにひとつの障害がたちはだかりました。それまではオモチャ屋で我慢してたんですが、本格的に作るには「模型屋」というものに行かねばならない・・・それは私には限りなく高いハードルに思えました。つづく。
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