アンテナ線

 先週、家を出発するとき、こんなふうに注意書きを書いていった(主脚の接着中)

 帰ってきて、やれやれと手を出した瞬間アンテナ線を切る・・・っていう失敗は、過去に数限りなくやってきたので、予防のため。こうしとけば、注意するだろうよ、この私でも。

 で、今この場所に帰ってきたというわけです。
 完成してるので、あとは写真撮るだけ。と思って写真撮り始めて気が付いた、ハゲチョロ忘れてた・・・嗚呼、完成したようで完成していない。
 今日も風が涼しいので、心地よくハゲチョロを描くことができた。

泡
 母の一周忌で帰省した妹と話していたら、やや左寄りの妹とは今回も大激論。

 妹は「武器とは人殺しの道具であり、その武器を愛好するのは理解できん」と言う、確かにその通りではあるが・・・・私が、しどろもどろで「機能や技術がすごいとか、美しいとかいうこともあるんよ」と反論すると「この世にはほかに美しいものはいくらでもあるでしょう、あえて武器を愛好する気持ちがわからない」という。「いやいや、女のハダカを愛好するのも機関銃を愛好するのも似たようなものなのよ」と変な反論をすると「女のハダカは人殺しの道具とは全く次元が違う。機関銃と一緒にしてほしくない」という。確かにそうなのだが・・・。

 なぜ飛行機は美しいのか、それも民間機ではなく軍用機が美しいと感じるのか。

 「そもそも戦闘機を作ったのはなぜかというと、それは戦争のためなんだけど、戦争は政治や歴史の流れの中で起きたことであって、人殺しのために零戦を作ったというふうに単純に言えないと思うんよね」としどろもどろで反論するけど、私の旗色は悪い。
 普段、軍用機や武器の模型を作りながら、それが単純な人殺しの道具であるとは意識していなかった部分がある(正確にいうと、武器と兵器は違うものだが)

 一方的にまくしたてる妹の意見を聞きながら、「なるほど、それで彼女は今まで私の作る模型に興味を全く示さなかったんだな、嫌悪感を感じていたんだな」ということに初めて気が付いた。

 戦争や兵器を憎む人に、戦闘機の良さを説明するのは、ほとんど不可能なのだろうか。布団に入ってからも、「人殺しの道具」という言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。嫌な言葉だ。私の作ってるプラモはそんなもんじゃないと思っていた。人類の歴史、戦場にはドラマがあり、それを知るのが私たちの楽しみだと思うんだけど。うまく説明できなかった。敗北である。

 というわけで、とりあえずビール飲んだ←それかい