つれづれプラモ製作記

マイペースで作っているプラモデルのブログです

カテゴリ:1/48飛行機 > ファインモールド1/48彗星四三型



 駐機していた彗星の後ろから西日が当たっていたはずである。ということで、そういう感じに塗装していってるつもり。
 ああー、やっぱキャノピーが完璧にズレてる。こうやって写真に撮って何度も見るのもいやになるな。

 私の持っている「私兵特攻」(松下竜一著/新潮社)によると、昭和20年8月15日の午後四時過ぎ(実際は五時近かった)、その時刻に大分海軍航空基地を離陸した11機の彗星がどの方向に向かって離陸したかが書いてある。
 当時、不発弾の場所を示す赤旗だらけの飛行場の赤旗を避けるようにして、北西に向かった直線約1000メートルが辛うじて離陸可能な滑走路であったという。

 ということは、ほとんど前方から西日が当たってることになる・・・・って、ああっ、逆方向から当たってるような塗装にしてしまってた。あーもう、どっちが前か後ろかいつも間違える←おい!!
 いかんいかん、後ろからじゃなくて前から西日が当たってたんだよね。やれやれ。

 海軍機はいわゆる「青々とした濃緑色」なんだろうけれど、私は色褪せたグリーンじゃないといやなんです。
 この大きさに凝縮したとき、たんにベタッと濃緑色に塗装するだけじゃ面白くない。もっとたくさんのいろいろな色を重ねていきたい。

 「八百キロ爆弾の重量だけでもこの穴だらけの滑走路で揚がるだろうかという不安があって、二村は三人乗りの一番機が砂塵を巻き上げて滑走路を疾走して行く様を、眼を凝らして見守った。フワッと別府湾をかすめるようにして一番機が浮揚した・・・」(同書より)

 ところで、「帽振れ」ってありますよね、あれは黙って振っていたって知ってました?
 海軍では、黙って見送るというしきたりだったそうです(「遥かなる宇佐海軍航空隊」(今戸公徳著/光人社NF文庫)より)

 戦場写真集などで写真はよく見るけれど、沈黙のうちに帽子を振っていたのか、エンジンの音だけがごうごうと聞こえていたのかと思うと、また何とも言えない気分になる。



 やり直したけど・・・あんまり変わってないか。いちばん後ろのほうが少し右側にズレてる。

 徒労感、疲労感にガックリくる。
 もういいや。見なかったことにしてください。

 下手なんだよなあ。いつまでたっても。

 「ちょっとだけよ」の、ハインドE。

 キャノピーのすり合わせが、これまた超へたくそで汚いけど、これもいい加減完成させたい。なぜかハインドのキットがあと二個増えてしまったし(汗 ここで停滞してるわけにいかん、というわけでデカール貼り始めた。

 虎模様が勇ましいでしょ? なんせ寅年ですからね私。虎アイテムは外せません。
 デカールはハセガワのよりは若干厚い感じかなあ。もうちょい薄くてもいいんじゃないかな。なーんて、いやだなあ、そこらのうるさいオッサンみたいになってるね私ったら。

 そういやー、昨日は別府でいかにも女子が好きそうな可愛いパン屋さんに行って一人ランチしたんだけど、何か妙に落ち着かなかった。味そのものはよかったんですが・・・外に出てふと「やっぱ昼は蕎麦屋か寿司屋でビール飲んだほうがいいな」と一瞬考えてしまった・・・ってやっぱオッサンやわ。


  Oh Lord tell me that I'm wrong
 I've wanted her so long
 little Robin's gone
 Oh Lord tell me I'm not right
 I wanted her tonight
 Little Robin's gone 

 神よ、教えてください、俺が悪かったのか
 ずっと俺だけのものでいてほしかったのに
 あいつは行ってしまった
 神よ、俺は間違ってたんだろうか
 今夜も、こんなにあいつを欲しいと思う
 もういないのに (“Blue Robin”/PARIS)


 昔聴いた曲がふっと頭によみがえってくるのはなぜなのか、自分でもよくわからない。
 「Big Towne 2061/PARIS」の一曲目。元フリートウッドマックのボブウェルチのバンドで、レッドツェッペリンを都会的にしたようなサウンドでめちゃくちゃカッチョいい。でもこの曲は悲しい。

 実はよみがえってきたのは「1 in ten」のほうなんだけど、CDを買って聞いてみたら一曲目で、うわーこりゃたまりません。この旋律、このシンバル。涙が出そうになった。
 こういう歌詞は、若いころは何とも思わなかったんだけど、今はもう、切々と心に響く。切なすぎる。

 悲しい、あるいは哀しい、ということが本当にわかるにはいろいろ人生経験を積まないといけないんだね。
 Blue Robin というのは、かなしきロビンとでもいう感じだろうか。人生はいつもブルー。悲しきすり合わせ。
 
 



 やっぱりハミ出してるのが気になったので剥がして、やり直し。

 キャノピーの透明パーツは一番先頭の第一風防のみが別で、あとは全部くっついている。
 このほうが初心者なんかは楽といえば楽なんだけど、すり合わせを考えると少し別になってるほうがいいような気がする。

 あと、この一体化した透明パーツを切ることを躊躇したのは、第二は後ろにずらして開けるのは当然として、第四風防は前に開けるようになってるようなんだよね。つまり、第三風防のところで、第二、第四風防すべてが重なるの。
 こりゃちょっと相当に薄く削らないと難しいのではないか!?と思ってやめた。

 あの8月15日の特攻前の写真みたいに、すべて開いてる状態を作りたかったんだけどね・・・ほかのディテールアップパーツなんかいらないから、この透明パーツを薄くしてバラバラのやつ作ってほしい。なーんて、どっかのワガママ言いたい放題オヤジ的なこと言い出したね。あたしも所詮ただのオッサンモデラーか。
 でもほんと、たまに思うよ。透明パーツの金型っていったいいくらするんだろう。500万円くらい? せいぜいそんなものかも。だったらこんなとこにグチャグチャ書いてないで、「じゃ、このお金で風防作って頂戴」なーんてポンと出してあげたら格好いいんだろうなぁ!! そういうのを本当の女って言うんだよね。でもできない。勇気ない。



 再びプラ用接着剤で接着し一晩置いて、木工用ボンドを隙間に詰め込んでまた一晩。
 こういう足踏みが辛い。

 時間の限られる日曜モデラーの方々は時間配分をもっとよく考えて作ってるんだろうな。いつも思うけど模型製作はけっこう段取りが大事だよね。
 私は時間配分考えずに、つい他のキットに手を付けて余計泥沼にはまる。

 とはいえ、少し反省したもんね、ずいぶんご無沙汰だったけどレベルのハインドEのキャノピーすり合わせを再開。プラバンはさんだりしてみたら、まあまあいい線いったと思う。
 正直楽しい工程じゃないけど、これも避けて通れぬ道。キャノピーのすり合わせ。これがもっとうまくなれば、どんなキットも作れるようになりそう(ハインドの製作記はまた別に書きます)。

 さて、一昨日、別府からの帰り、いつものように「特急ゆふ」に乗って本を読みふけっていた。
 「次の停車駅は天ヶ瀬」というアナウンスを聞いて「そろそろトイレに行っておこうか」と思い立ち上がって後ろに向かって歩こうとした瞬間、「あれ!! 私だけ!?」
 先頭車輛・四号車の乗客は私一人だった。

 確か湯布院までは四人くらいは乗ってたよな、湯布院でみんな降りてしまって誰も乗ってこなかったのか・・・ということは湯布院から1時間くらい、私、一人だったんだ・・・・。
 トイレに行きながらそのことに気づいた瞬間、何か背筋がぞーっとしてきて、怖くなってきた。

 というのも、久大線沿線って駅のまわりこそ少し明かりがあるけれど、途中ほとんど真っ暗。一体どこを走ってるのかまったくわからなくなる。トイレから帰るときがまた余計に怖かった。私の座席に「かおなし」が座ってたらどうしよう!! 先頭車輛だから運転士はいるけど、もしかして「のっぺらぼう」かもしれない!!

 ようやく日田についたときにはホッとした。天ヶ瀬から日田までの15分間の長かったこと。
 もしも全然違う世界に到着したらどうしようかと思ったよ。

 

 



 はい、尾灯のできあがりー。
 いつもクリア化を忘れるんだよね。初めて自作した気がする。



 いつもキャノピーは最後に接着するんだけど、今回は接着しておいてから塗装することにしてみた。
 右側はまあまあなんだけど、ちょっと塗装してから左側見たら・・・ありゃ、だいぶんズレてるのがよくわかる・・・許容範囲とか言ってたけど、やっぱ許容できないか!?
 もう少しぎゅっと押し付けて接着すればよかったかも。あるいはやはり胴体側を削ったほうがよかったか。最近どんどん手抜きになってる気がする。ま、ファインモールドのせいってことにしとこう←おい!!



 上面の色を塗装始めた。様子を見ながらいろいろな色で塗装していく。こういうのを格好よく言うと「情報量を増やす」とか言うんだよね。ただしいい感じになるかどうか全く見通しはたっていない。青っぽいグリーンが嫌いなのでまた海軍機らしからぬ色になっていくかも。

 この一か月あまり、一日あるいは二日置きくらいに別府へ行くので、往復四時間の車中は得難い読書タイムとなっている。

 きらら「あのさー、キトウってどういう意味か知ってた?」
 彗星四三型「何だって? キトウ? ふふふ・・・それはピストン運動に関係するモノだな」
 きらら「ああーもう違うってば。すぐにそっちに話持っていくんだから」
 彗星四三型「えっ? シリンダー(気筒)の話だろ? なんの話だと思ったんだよ(にやにや」
 きらら「もう~バカっ!! そうじゃなくて帰投だってば。帰港投錨って意味なんだってね。帰るはわかるとしても、なんで「投げる」なんだろうって確かに不思議だったのよね」
 彗星四三型「そうだ。ということは地上基地には帰投できないことになる・・・ははぁ、さては渡辺洋二さんの本を読んだな?」

 帰投には単にリターントゥベース以外の意味があったんですね。カッチョいいね。
 
 



 で、少し磨いてみましたが、あんまり綺麗じゃねぇな(汗
 実は左翼はかなり綺麗にできてます。やり直すか・・・と一瞬思ったけど、まあいいや。中津留大尉は優しいから許してくれるだろう←おい!!

 この宇垣長官特攻機の操縦は大分県出身の中津留大尉でした。上司にしたい男ナンバー1、みたいな人だったらしいです。
 悲しい歴史ではあるけれど、大分県人だったというところが誇らしくもあり、また因縁を感じる。



 というわけで上面塗装をするためのマスキングをした。

 あっ、ここ尾灯だよね? 翼端灯作ったんだからここもクリア化だよね? できるよね? 
 あーあ、なんで先に気が付かないのかなあ。
 と、お尻をガリガリ削ってクリアパーツのカケラを差し込む。痛そう。

 えっ? 垂直尾翼の付け根が汚いって?・・・そこはまぁ大人の対応で見て見ぬふりお願いします(汗)


 咲いた花なら 散るのは覚悟
 見事散りましょ 国のため  (同期の桜) 


 母のこと、実家の解体のこと、いずれも気持ちの沈むことばかり。桜を見ていてふっと胸に浮かんだのはこの歌だった。
 軍歌は嫌いな人も多いかもしれませんが、私には懐かしい。父が働き盛りの頃、飲んで気持ちよくなるとよく歌っていた。ハモニカを吹くこともあった。昭和四年生まれの父は当然、軍国少年だったのだろう。

 母の病室を見舞った帰り、父の入所している施設にも立ち寄った。
 デイサービスでほかの老人に交じって座っていた父は私を見つけると笑顔で迎えてくれるが、私が誰なのか名前などはもうわからない。話しかけると「うん、うん」とうなずくだけ。
 しばらくして私が「帰るからね」と立ち上がり、部屋から出ようとして振り返ると、うつむいている父の姿があった。けっして私を見ようとしないのは、やはり寂しいのだろうか。おそらく施設にいるのは父も寂しいのだろうけれど、それをどうすることもできないのも事実で、その父の胸のうちを思うと一層切なく悲しくなるのだった。



 主脚のブレーキパイプはいつものように伸ばしランナー。
 この大きさなら金属線のほうが質感としても良いのでは?と思うかもしれませんが、私はプラ用接着剤で接着できるほうが扱いやすくて好き。

 いつものようにハセガワのボイジャーのランナー(黒いので)を伸ばしたやつ。このランナーが無くなったらどうしよう。意外と黒いランナーって見当たらない。レベルのを伸ばしたら裂けてしまってうまくいかなかった。

 これをこんなふうに少しずつ曲げる。



 写真がいまいち鮮明でなくてすみません。

 実機写真見ながら接着し、部分的に銀色のところを塗装した。この写真の機体が果たして当時の状況そのままかどうかわからないけど、とりあえずアクセントになるので。



 で、翼端灯はガシガシ削ってどうにかツライチに近くなった。まだ少しはみ出てるか!?
 こうすると綺麗な翼端灯になるんだよねー。特に飛燕なんかはとても大きいので、やる効果が大きい。彗星はそんなに大きくないけど。それでも満足感大。

 This can't be love because I feel so well
 No songs,no sorrows,no sighs
 (中略)
 My heart dose not stand still
 Just hear it beat
 This is too sweet to be love

 これって恋? なんだか素敵な気分だから
 とりあえず、悩みも悲しみもため息もない

 でもとにかく心はじっとしていない
 とりあえず、ドキドキしてる
 これって、恋と呼ぶにはなんだか心地良すぎるの (This can't be love/Nat King Cole)


 心地よすぎても恋と思えない、でも辛すぎるともう続けられない・・・じゃどうすりゃいいんですか。
 どんな恋がいいんですか。っていうか、それって恋ですか?・・・・

 とってもしゃれた、これぞジャズ!!って感じの曲
 私はパットモランカルテットで聴いてます(ボーカルが女性なのでおすすめ)。
 いつものように意訳ですので、間違ってるかも。でも朝出がけに、この曲聴くと元気になる。

 恋にしろ、自分の好きなものは意外なくらい言葉にするのは難しい。なんで恋をするの、なんで模型を作るの・・・・
 そんな質問には答えられないよね。



 
 彗星四三型の続き。
 依然として二日置きくらいに母の病院通いが続いているので結構忙しいけど、そのかわり家にいるときは模型作れてうれしい・・・ということに気がついた。「普通の生活」のなんと素晴らしいことよ。

 きらら「はぁ~つかれた!!」
 彗星四三型「突かれた!? 誰に突かれたんか!? ええ?? 三笠か!? ハインドか!? ハリアーIIか!?」
 きらら「うぁぁ~思い出させんでよ・・・もう忘れてたのに。特にハリアー(汗」

 さて爆弾などに色を塗りました。800kg爆弾はニュートラルグレー(あ、まだ塗り分けが残ってた)、推進ロケットは軍艦色。
 あ、実は合わせ目とかきれいに消えてないところあるんだけど、写真には写らないようにしてる(汗

 脚はこれからブレーキパイプを這わせます。
 定番工作のピトー管はキットのパーツを参考にして、0.8ミリの真鍮パイプに0.5ミリの真鍮線を差し込んで再現。



 忘れそうになっていた翼端灯を作る。最近は透明パーツになってるキットが多いけれど、これは透明化されていない。けど、こういうパーツは飛ばしてなくす可能性もあるし、むしろ自分で作るほうが確実かもね、と、やせ我慢だ。

 赤と青の透明ランナーがどこかにあったはず・・・と押し入れの中をごそごそ。こういうときはガンプラが頼り。
 息子の在庫がほんの十個くらい残っているのを箱を開けて探してみたら、接着剤やニッパと一緒に作りかけが入ってるのとかいろいろあった。
 いつの日かオッサンになったら、こういうの発見して「俺も昔こういうの作ってたよなあ・・・」とか感慨にふけるのだろうか。そう思うと、あまりまじまじ見ていてはいけない気がして、そそくさと箱を閉めた。

 すべてのパーツが透明の手つかずキットがあり、そこから赤と青のパーツを拝借。悪い母だ。

 こんなふうに翼端にくっつけて整形して磨けばきれいな翼端灯ができあがるはず。ずいぶん前に飛燕作ったときにやったから、今回もできると思う。

 終戦後の特攻に対する思い入れは深いけど、模型製作はかなり浅く(汗、とにかくまず第一に完成を目指していきます。



 脚や爆弾などを作っておかねば。整形したりするのが案外面倒なんだよね。

 爆弾はなんと800kg爆弾。戦闘機は250kg爆弾までだよね? さすが艦爆、力持ち。
 いやほんと、男の人が重いものを「ひょい」と持つのはいつ見てもびっくりするし、ホレますね。

 脚カバーはキットがすでに端の部分を削ったような感じになってるんだけど、それをさらに削って薄くした。
 実機みると脚カバーってペラペラなので、その感じに少しでも近づけたい。
 小さい爆弾みたいのは推進用ロケット。写真でこの機体を見ると、推進用ロケットがついてるかどうか定かではないんだけど、まあよく見えないってことにしよう←おい!!



 日の丸と敵味方識別帯をマスキングして裏側の明灰白色を塗装。
 裏側はリベット打ってないのでなんとなく寂しい。

 日の丸まわりの赤い色がなかなか隠ぺいされないので少し焦る。先に黒でも吹けばよかったのかな
 今回は先に銀色は塗装せず、剥がれはあとから筆で描くことにしている。というのも、この機体はそんなに派手に剥がれていない気がするので。

 以前もご紹介した「私兵特攻」(新潮社)で知ったんだけど、1845年8月15日にこの彗星以下11機のほかに、8月16日に三機の一式陸攻も大分飛行場から飛び立っているんだよね(うち二機未帰還)。終戦後の出撃だったから特攻とも戦死とも扱われず(後日、戦死と認定)、歴史の闇に葬り去られている(ほとんどの乗員の名前は不明だという)。無念と言わずしてなんと言おう。なんかこの一式陸攻も作りたくなってきた。

 特攻のことを知れば知るほどその理不尽さ、その悲しさに胸がふさがるけれども、こういう機体がキット化されてるのが何より私たちの幸せってことかもしれないよね。同時に人間の営みの恐ろしいまでの理不尽さというかわけのわからなさ・・・吉村昭氏はそういう人間の不条理な営みを「武蔵」という戦艦を通じて描いたと書いていましたが、ほんとにそうだと思う。

 そしてそれこそが「戦争」というものが人を惹きつけてやまない理由なんだろうね。変な言い方だけど、私達は「戦争」が好きなんだよね。



 で、マスキングしました。
 やってみると早いんだけど、やるまでが時間かかる。人生そういうことが多い。ああーこんなことなら早くやればよかったということが。

 48だから簡単・・・と思ってやったけど、なんか写真撮るとがっくり。

 黄色いセロテープです。縦横どちらもスパッと切れるから気持ちいい。透明パーツにいきなり刃を当てる方法。ドキドキもんですよ。ふふふ。女って意外と大胆というか大雑把というか緻密さのカケラもない。

 透明パーツがものすごく厚いので、切り離して削って磨いたら完璧かもしれない。
 でもなー・・・とまたウジウジ考え始める。ああーダメじゃん、やってみると早いって今言ったばかりなのに。



 1945年8月15日午後四時過ぎ大分航空隊の西日の当たった日の丸、を塗装する。

 ・・・ってなんじゃそら?意味不明・・・と思うでしょうが、こういう設定が大事なんです。それがないとただの彗星になっちゃう。これはそこらにある彗星とは違うという思い込みが大事なんです。

 しかしそうなるとやっぱりキャノピーは開いてるほうがいいんだよなあ。やっぱ切り離してみるか!? でも薄く削るのは大変かもね・・・ムスタング作ったときに何度も磨いてるうちにキャノピーが薄くなっちゃったという事件はありましたが(汗、そもそも透明パーツとはあまり相性がよくないしね私。やめとこう。

 翼端灯だけは作るつもり(透明パーツ化されていない)。とはいえ久しぶりだから上手く入るか・・・もとい、うまく作れるかわかんないけど。あ、なかなか入らないと焦る人がいますが、あれは全然焦らなくていいんですよ。何度もやり直せばいい。模型と同じですね。

 というわけでゆっくり、すり合わせていきましょう。



 恐る恐る、透明パーツを置いてみる。
 不思議なもので仮組のときはなんとかなったのに、実際に胴体を接着するとなぜか胴体が太って合わなくなることもあるので。

 少し胴体の幅のほうが(透明パーツより)広い気がするけど、まあ押さえつけて接着すれば何とかなるんじゃないかな。私には許容範囲のような気がする。
 ふふふ、ファインモールド恐るるに足らず、ですわよ。

 あ、キャノピーのマスキングをしなくちゃだった(汗 あーあ面倒くさい。キャノピーと小物作りを平行してやっとくのが飛行機モデルをさくさく作るコツですね、とか言ってまだやってねぇよ私。毎度毎度同じことやってるのにちっとも学習してない。

 3/23の11時半頃、うちの上空にやってきたUH-60。

 私のカメラではこれが限界。曇ってるせいか?わりと低空を飛んでいた気がする。三回くらい私の上を旋回して帰っていった。ありがとう。大村か佐世保あたりの機体か?
 
 あまり楽しくないことは書きたくないんだけど、書かないとわからないこともあるので書きますが、今月に入って一日おきくらいに別府に行ってますが(特急で片道2時間かけて行き病院で5時間母のそばで過ごし、そのままトンボ帰り)、母の容態はだいぶん落ち着いてきた様子とはいえ、一日のほとんどはベッドで寝ていて身動きはできない(両手拘束されてるのを見るのは辛いけどどうしようもない)。もともと両親は老人施設入所しており母は介護度2だったんだけど、今後リハビリを続けても果たして同じ施設で生活できるかどうかは微妙かもしれない。そうなると新しい施設を探す必要がある。また、去年から実家の始末をはじめており、そちらも大変なんだよ。古い空き家は近所の人に迷惑もかけるので頭が痛い。去年の地震で瓦がずれてその瓦が隣家に飛んでいって・・・何度も謝りに行ったり。
 実は先週の日曜日くらいだったっけ、なんか急にどっと疲れが出てきて「こりゃイカン」と思った。一日おきに行くのはいったんやめて、もう少し間隔をあけようと思った。メンタルが弱いもので・・・。

 この先どうなるか、まだ見通しがつきません。今年はいったいこれからどうなるのか。不安もいっぱいだけど、こんなときこそ模型で気分転換だぁ!! と思って、例のパンダモデルの危険度120%の箱を開けてしまった。ま、いいさいいさ、安いもんです。

 こっちも大事な気分転換ツール。

 実は去年の秋から体調悪くてあまりお酒を飲んでいない。
 いまも体調を崩すと悪いのであまり飲まないようにしているけど、少しずつ復活したい。私のささやかな楽しみだから。
 エピス新製品をチェック。でもやはり香りのついたのはあまり好きじゃないな私。まー大して味がわからんってことだね。やっぱスーパードライでいいや。

 タミヤのグラスはきれいな泡ができて美味しい。ハセガワにもグラスを作ってもらいたいな・・・。

このページのトップヘ