空母赤城、三段甲板(昭和2年~9年、初期型)ようやく完成したぞ!!
キットのデカールを利用して、お手軽に銘板的なものを作りました。これだけでそれなりに見えるでしょ?
他人のやり方をどうこう言う気はないけど、私はウォーターラインには海がないと気に入らないので、自分なりの海を作ってみた。
赤城データ : 基準排水量 26,900t、全長260.67m、最大幅29m、平均吃水8.08m、速力31.0kt、出力131,200馬力、武装(20cm連装砲×2基、20cm単装砲×6門、12cm連装高角砲×6基)、搭載機常用60機、乗員1,297名(インストより) 排水量とか言ってもよくわかんねぇですが、「排水」だからね、なんかスゲーですよ。
この時代の搭載機は、九○艦戦と十三式二号艦上攻撃機。
複葉機なので長い滑走路は必要なく、こういう形の甲板が可能でした。
甲板はマスキングを繰り返しながら塗装、しかし最終的に色合いが気に入らず油絵具で体当たり攻撃的ウォッシングをしてみたら、案外いい色になってくれた。ほっ。
船体もウォッシングしてるけど、実際どれくらい汚れていたかはよくわからない。とにかくグレー一色だしマーキングとかもないし(船名は艦尾に書いてあったらしい、でもすごく地味)、何か模型的にアクセントつけるとなると・・・手すりと張り線なのでしょうか・・・手すりはエッチチングを買ってはみたもののどこにつけていいかがわからず、結局つけませんでした。
空母作るのは二度目、それでなくてもアホ頭で手順が悪いことこの上ない。でもパーツをひとつひとつ丁寧に整形しながら接着していけばきれいにできるキットだと思います。私はあちこちスキマできたりしてますが。何を作るときも結局基本は同じなんだよね。
マスト?にアンテナ線なのかな、伸ばしランナーを張ってみました。ボートをくくりつける白い「バッテン」もつけてみたけど、どういうふうについているのかイマイチわからず適当です。それが「ナンデアルカ」わからないままの意味不明デッチアップです。
最下段の甲板。こんなところから飛べたなんて。
甲板の優美なラインが美しい。
もともと巡洋艦として生まれた赤城は、大正10年のワシントン軍縮会議で戦艦の保有数が制限されたため、あわや廃棄されるところを空母に改造され、三段空母として大正14年に進水。その後昭和9年~10年の小改修を経て、昭和13年には全通甲板となる。
ご存じのとおり昭和16年12月、第一航空艦隊の旗艦として真珠湾攻撃に参加し華々しい活躍をするが、その後ミッドウェイ海戦で沈没するまでわずか半年とは。
艦歴を読んでいると、ひとりの人間の人生を見ているようでもあり、心にずっしりと響くものがあります。
下向きの煙突から海水を混ぜた排気(着艦する飛行機に邪魔にならぬように)が出てるとこを想像してみてください。上向きの煙突は航行中しか使用しなかったそうです。海の表現は笑止千万かもしれぬが、自分では気に入っている。
資料は持っていないし、あんまり研究する気もなし・・・モデルアートと、この本を見たくらいです。(日本の航空母艦/グランプリ出版)
この本、ずいぶん昔に買ったんだけど、けっこうマニアック・・・航空母艦ってこーゆーふうになってるよ、っていうメカニズムの説明。戦史ではありません。買っただけでほとんど読んだことはなかった。
でも空母のいろんなディテールが解説されていて、今回改めて読んだら面白かった。まー私なんて読んでどうするわけでもありませんが・・・赤城に関連したとこなどを拾い読みしたくらい。赤城特有の煙突についてとか、艦橋の位置とか・・・一口に日本の空母といってもカタチはいろいろだったんですねぇ。雲龍型とか相撲みたいだな。
さあ、なんとか完成したので「おおいたんモデラーズ展示会」(大分市にて、7/11,12開催)に持って行けるぞぉ~。梱包しようっと。ああー慌ただしい。ちょっとその前に祝杯。