つれづれプラモ製作記

自称飛行機モデラー・きららのプラモ製作とプラモの活動記録

ハセガワ

全て、戦う者を(JMCの思い出)



 成田空港の美しい夕暮れ(Mさん撮影、7月頃の撮影)。この夕暮れの中を飛び立つのはどんな気分だろう。
 人は死ぬと、その魂はどこか遠くに飛んでいくのだろうか。


 全ての男が向かい合わねばならぬ、深い闇に向かえ
 だがこの世界で与えられる時間はあまりにも短い
 愛と人生、そのすべてが今、試される

 戦う者の名誉を照らせ
 恐怖から守り、怒りを解き放て
 暗闇と痛みを貫き 照らせ
 戦う者を
 激しい風と雨を貫き 照らせ
 戦う者を


 Into the darkness that all men must face,
 Within the brief hours, of your life here on earth.
 His love and his life, they put him through the test.
 Shine on, shine on, in all of your glory.
 Shield all your fears, release all your fury.
 Shine, shine on, through the darkness and the pain.
 Shine, shine on, Warrior.
 Shine, shine on, through the wind and the rain.
 Shine, shine on, Warrior.  (“Warrior”/Riot)


 先週、ハセガワの前社長の訃報に接した。夕暮れ、線香に火をともし手を合わせ、冷蔵庫からキリッと冷えた白ワイン(甲州)を取り出し開けて自分だけの儀式を済ませる。
 一人ハセガワファンクラブとしては喪に服して、しばらくナイフを手にするのは控えようかとずいぶん迷った。でも結局普段通り模型は作ることにした。

 私自身は残念ながら前社長とは面識はなく、長谷川社長を通じて「お父様」ということでお話をチラっと聞いたりした程度。あとは「静岡模型全史」などの中のインタビューでお人柄を知るくらい。

 初めて私がハセガワのJMC会場に行ったのは2007年のことでしたが(そのとき、長谷川常務(当時)にインタビューさせてもらったのがそもそもすべての始まりだった。インタビューと言っても支離滅裂だったけど(恥)、素敵なお父様と息子だなあと思った記憶がある。
 プラモデルメーカーの経営者っていうと、勝手に町工場のオッサンみたいな庶民的な人を想像していたが、全然違っていた。
 お二人とも、とても上品で知的な雰囲気。江戸時代から続く伝統工芸品か何かを作ってる会社の人っていう感じ!!

 ある意味オタクの猥雑なイメージのあるこういった趣味とは少しかけ離れたものを感じた。
 しかも常務は芸大出、お洒落なアート関係の仕事してるほうが似合ってるような男で、ランナーの削りかすの浮遊するような空間じゃなくて、どっか都会のお洒落なショットバーにでもいるほうがいいような外見だしね(しかし話してみると間違いなくオタクなのだったが・汗)

 ともかく、JMCが懐かしい。いつか必ず再開してほしいな。
 写真は2010年の大阪会場、こんなふうに新製品の発表とかもあったんですよ。楽しかったです。(GENさん撮影)

 32の零戦52型丙がリニューアルされるという。

 えええええ!! うれしいけど、ちょっと待ってくれよ。私この古いほうをまだ作ってないのに。早く作らなくちゃ。ああ焦る。
 でもよく考えたら、両方作って作り比べすればいいんだな。よーし。

 頑固親父とドラ息子みたいな組み合わせで楽しいかもしれない。ははは。
 ・・・こんなジョーク飛ばしてて不謹慎だよね、でもそれが私のサガなんだと思う。そういうふうにしか生きられない。


ハセガワのひみつ(2015静岡ホビーショー番外編)

 ハセガワのひみつを大公開~!! こんな話が読めるのは、拙ブログだけですよ~ふっふっふ。

 2011年から、毎年静岡ホビーショーの業者日(金曜)の朝からハセガワブースに体当たり攻撃を試みていますが、なんせ知識不足、経験不足のため、質問するのも一苦労。
 今年のレポートから読んだ方は、コイツずいぶんハセガワの人たちと馴れ馴れしく話してるな、と思うかもしれませんが、2011年に行ったときは緊張でめまいがしました。あのとき初めて専務とお弁当を一緒に食べたんだけど、緊張して喉を通らなかった。
 そもそも男性の目の前でご飯食べるのは緊張しますね。しかも白昼堂々と、口にものを入れるところを見られるのって・・・ああ~んダメぇ~恥ずかしすぎるぅ(意味不明

 話がそれましたが(汗、私こう見えて知らない人に話しかけるのは苦手で、そもそもハセガワのキットをまだ数えるくらいしか作っていないのに、設計の方々に何をどう聞いていいものか・・・。でも、ええい、ままよ、ここまで来たんだし・・・。

 ということで、今年も久保山さんにご挨拶。48のAH-64Dアパッチを作って感動しましたが、飛行機で言いますと48のセイバーとか72のF-14、32のドーラやBf109Gなどを設計されています。
 「ジェット機の分割って複雑ですよね」と話を切り出させてもらって
 「F/A-18C作ったんですが、尾翼の下あたりに変な分割があるでしょう」
 あ、シマッタ、変な分割とかつい本音を言っちゃった、どうしよう、でも一度言ったことは引っ込みつかないよ、思い切って言うしかない。

 「こーんなカタチの」
 「ああーこういうカタチ(クランクみたいなカタチ)になってるとこですね」
 「私、あそこをうまく整形できなくて捨てちゃったんですぅ!!すみません~」
 「ハハハハハ」

 ああーよかったぁ。しかもクールな久保山さんを笑わせたのが、何気に満足←おい!!

 最近、久保山さん設計の飛行機がないのが残念ですが(もう若い人を指導する立場らしいです)、アパッチみたいな凄いのを作ってほしいなあ。
 プラモデルももちろん作るそうです。今は自分の設計したホンダNSRを作ってるとか。あ、ちなみにどうでもいい情報ですが、私と一つ違いなんですよね。

 さて、ハセガワといえばジャンクパーツ市です。写真は一般公開日二日目の午後でかなり人も減ってるほうだと思うんですが、カゴ一杯買ってる人がいるなあ。今回いちばん聞いてみたかった質問を長谷川専務にしてみた。

 「あのー、ハセガワってどんだけジャンクパーツが多いんですかってモデラー仲間で話が出るんですが(他のメーカーはあんまりしてないですよね)、部品品請求とかで中途半端になったキットなんですか?」
 「それもあるけど、箱がつぶれたとかで返品されるものがあるんですよ、そういうのをバラしてジャンクパーツとして売ってるんです」
 「なるほどー。いつもすごくお客が多いですよね」
 「そうですねぇ、あの人また来てるなーとかって思います(ふふふ)」
 「いつ頃からしてるんですか」
 「うーん、もうとても昔からやってますね」

 フルハルモデルの赤城。1/700
 実はプラモ作りはじめた頃、ウォーターラインってすごく違和感があった。船の下のほうが無いなんて!! と思いましたよ。やっぱり今でも船はこっちのほうがいいと思うんだけどなあ。唯一、そこはどうも納得いかない。

 もうひとつ、以前から疑問だった点を専務にさらに聞いてみる。
 「ハセガワのキットって、たいていデカールはムキダシで入ってますよね、あれはなぜですか?」
 「えっ!? それは・・・どうしてだろう。考えたことなかったです」
 「別に剥き出しだと悪いってことはないんですが、いつも箱開けたときに何となくドキっとするんですよね。盗難防止かと思ってましたが」
 「考えたことなかったですね」

 いや~ん、何もかぶせないでムキダシのほうが好きなんですね、とか、文章だと幾らでも書けるんですがまさかあの場で専務にそんなこと言えるわけがない。

 1/72「しんかい」 ディテールアップバージョン。

 もうひとつ、今回はちょっと鋭い質問を。
 「ハセガワのキットはとても繊細なスジ彫りが魅力ですけど、運河彫りだと金型は安く作れるのですか!?」

 「最近は放電加工という方法で金型を作るのが一般的ですが(バンダイやタミヤはそれだと思います・筆者注)、ハセガワでは飛行機の主翼など特に繊細なパネルラインが必要なものは圧力鋳造加工と言ってベリリウム合金でマスターを型取りして金型を作ります。
 放電加工よりも少し高価ですが、非常に繊細な表現ができます。」

 ということでした。ベリリウム合金なんて、なんか秘密兵器みたいな名前でイイね。
 知るとうれしくなりませんか? 私はうれしくなります。
 ハセガワのキットはそういう特別な方法で作ってるからこんなに繊細なモールドなんだな、とか。大人のプラモデルはそういうところまで楽しみたいです。



 某ブースに置いてあった戸部さんの作品。

 戸部さんはハセガワの見本をほとんど一人で作っている人ですが、今回は私の顔を見るなり「太った?」
 一瞬、腹が立つというよりショックで奈落の底に落とされた気がしましたが(汗、気を取り直してまた色々お話してきました。

 仕事でプラモデルを山のように作っているのに、趣味でプラモデルを作るんだからすごい。
 一般公開日、企業ブースで話していたら、私をご自分の作品のところに連れて行ってくれました。うれしかったです。
 このことは書かずにおこうかなあとずいぶん迷ったんですが、きれいな作品だし見てほしくて。

 戸部さんのハセガワ愛はとても強いです。いつか長谷川専務のことを茶化したら、本気で怒られそうになりました。ごめんなさい。
 たぶん、単に見本を作ってるだけの人、プラモ作りの技術が上手いだけの人、ではないんだと思います。

 ファインとタミヤとハセガワの72零戦を作り比べてみたんですよと話しますと、
 「ハセガワのキットは、実機に忠実に作ってるんだよ」って教えてくれました。そんなの聞かなくてわかってる、と聞き逃すような言葉かもしれないですが、そこに自信とプライドを感じます。「実機を取材して」ではないんですよね、「実機に忠実に」なんです。
 やはりそこは、作って作って作って・・・その先にようやくわかってくるのかなあ。私も少しだけわかってきたような気がするんですけれども。

 合同展にて(さるおうさん撮影)

 JMCについてもハセガワのブースでお話少ししましたが、もうハセガワにとって過去のことの雰囲気になっていたら悲しいなと思ってたんですが、そんなことは全然なくて、結構社員の方々も「こういうふうにして開催したらいいかも」なんていろいろ話してましたから、まだこの先に希望が見える気がしました。

 というわけで、新製品の話でなくてガッカリした人もいるかもしれませんが、そんなマトモな記事は私には書けません模型雑誌を見てください・・・そもそも九五式水偵とか知らんし(汗←言っていいのか!?

 では明日からは通常の製作記に戻ります。

Does It Really Happen?(夢の出来事)

 まさかもう年末年始休みに入ってるとかいう方も・・・いるのでしょうね。ノンビリした年末の日曜日だから昨日の続きの話でも。

 今朝は八時から仕事(と言っても1時間だけど)だったので六時半に起きて、寝ぼけたまま着替えしながら「昨日の事は夢だったんだろうか?」と思って枕元を見ると「紫電改」と「零戦」の箱があったので、やっぱり夢じゃなかったんだな・・・ボンヤリ喜びに浸った。

 気になるのはこの零戦はいつごろ発売されたか? ということ。
 まずは、今年ゆーぼうさんから頂いた、1973年版ハセガワカタログを開く。これにはすでに掲載されている。ということは、1973年以前に発売されたということになる。
 で、偶然持っている(古本屋で買ったのか誰かに頂いたのか忘れてしまった)1972年2月号の航空ファンを開く。

 新製品紹介のコーナーにイキナリ発見~!!

 この前のページにはエアフィックス1/24のBf109Eが二ページに渡って紹介されていて、こちらの零戦はわりと地味な紹介である。ちなみに右側のページはタミヤの疾風(1/48) 確か48の零戦21型や雷電なんかもこの時代なのでは。48の大戦機を作るのはタミヤのほうが早かったのでしょうか。

 この紹介文の中に「第二風防の天井に縦のわくがついているのは良い」と書いてあるけど、縦の「わく」って・・・えっ、昔はそれがついてなかったの? 当時はそんなものだったんだねー。

 それと、カウリングにスジ彫がないことを残念だと書いてあるけど・・・私もカウリング見て「ノッペラボー」なのでびっくり。一発抜き(いやーん)というのかな? カウリングはまるごと成型してあるんだけど、当時はスライド金型ではなかったからスジ彫りができなかったのでは? と推理してみた。違うかなあ。
 そのかわりエンジンの再現が素晴らしい、と褒めている。どうなのでしょうか、なんかドキドキしてきたぞ。作ってみてのお楽しみだ。
 実はタミヤの52型(もちろん32)も持っているので楽しい作り比べができそう。

 掲載されていたハセガワの広告。

 こんな飛行艇知らないなー。今ではもう絶版なのかな? 展示会でも見たことがないような気がする。当時は飛行艇とか水上機とか人気があったようですね。私と同年代の方々は今でも好きみたいだけど。
 それにしても、当時はものすごくたくさんのメーカーがあったんだね!! それに飛行機ってモノグラム、レベル、エアフィックスなどなど、外国のメーカーのが半分以上を占めている感じ。そういうメーカーがむしろ主流で、日本のメーカーはそれを追いかけていたような感じだったのかな?

 ついでに、こちらはモデルアート1973年8月号。残念ながらハセガワの新製品作例はこの号には載っていない。

 ただ、水中翼船(トミーアクションモデル)とかホバークラフト(ナカムラ)のキットがあって、驚き。
 水中翼船は60年代の終わりに乗ったことがあるよ。瀬戸内海の家島に行くときだったと思う。ホバークラフトは、大分市から国東空港まで、つい最近まで運航していた。
 プラモデルは時代を映しているのですね。

 裏表紙の広告。

 32のコメートは700円。ちなみにモデルアートは330円。当時の330円はやはり子供には高かっただろうな。

 私も作った1/32のムスタングを読者が投稿していた。北海道の長谷川公義さんて方の作品。

 モノクロ写真だからわかりにくいですが、銀塗装がいい感じです。チェッカー模様も塗装しているように見える。
 今でこそ安くていい塗料があるけど、当時の銀色ってどうだったんだろう。苦労して塗装してたんだろうなあ。

 キットのことならハセガワの人に聞いてみれば?と思うかもしれませんが、1972年といえば長谷川専務でもまだ13歳、中坊真っ盛り。商品の特徴とかラインナップのことは知っていても、そのキットが発売された当時のこと・・・どういう経緯で開発したか、誰が木型を作ったか、金型代はどれくらいでどんな苦労があって、売れ行きはどうだったか・・・を知っている人は、もうハゼカワの中にも少ないのでは、と邪推します。

 そういえば、女性の友人に60年代や70年代初頭のキットがまだ売られていて、じゅうぶん作って楽しめるんだよと話したら「ええええーーーっ」と驚いていた。
 確かに、ほかのモノだととっくの昔にリニューアルされてるのかもしれない。
 人間だって、まだ硬くて食べられない木の実だったような少女が、熟しすぎて枝から落ちて怪しい芳香を放つ中年になっているのですから。


 (「Does It Relly Happen?(夢の出来事)」/イエス) 最近じゃあ、プログレなんてもうないんだろうなあ・・・プログレって、プログレッシブロックの略です。久しぶりに思い出したよ、そんな言葉。 

クリスマスプレゼント

 25,26日の二日間帰省していました。訪問してくれた方々には申し訳ないです。でも私も疲れました。

 25日の夜、親子連れや高校生などで満員のファミレスで友人としゃべりながら「そっかぁ、今夜はクリスマスか」と気づく。
 去年の25日は歯の検査でMRI撮ったりしたんだっけ・・・そして今年は両親の老人ホームと通院リハビリの往復・・・。

 すみませぬ、またまたグチが始まりそうなのでやめとくね。
 で、昨晩何も考える余裕のない状態でうちに帰ると郵便受けに宅急便の不在票が入っていた。

 送り主は「ハセガワ」と買いてある。なんだろう、部品請求した覚えはないけど。

 で、本日再度配達してもらったら・・・なんかやたらと箱が大きい(驚愕
 おそるおそる開けてみると、大きなプラモ(1/32)が二個も入っていた。
 新しいキットと古いキットという組み合わせが憎い。

 早速お礼のメールを書き始めて気が付く、そうだ、こういうときは電話すればいいんだ。
 というわけで、ハセガワは今日までの営業のようでしたが、どうにか電話は間に合いました。

 昨日の疲れが残ってぐったりしていたけれど、プラモを眺めていると心が和んでくる。ほんと、人生って悪いことばかりじゃないよ。

早くしてほしいのに



 10月18日の夜、晩御飯を食べながらテレビを見ていたら目が画面に釘付けになった。
 「三菱のMRJお披露目」
 なんと綺麗な飛行機だなあ。国産の旅客機はYS-11以来ですって。ん? ホンダジェットは旅客機じゃないのかな(たぶん三菱の旅客機は、という意味だったのでしょう)。
 最近読んだ「零式戦闘機」を思い出す。MRJはもう、牛車が引いてはいなかったよ。

 これプラモで作りたいなあ。ハセガワがキット化してくれないかな。いや多分もう発売が決まってるのかも。

 そう思っていたらモデラー共から「それはファインモールドが全日本ホビーショーで1/200製品化発表してたでしょ」と軽くいなされてしまった。
 ・・・知らなかったよ(汗
 ここだけの話、ハセガワ以外のメーカーの新製品ってほとんどチェックしていないんです。すみません。

 ファインモールドのキットが嫌だというわけじゃないけど、私はハセガワ製品を作りたい。
 よく調べてみると、ファインモールド製は試作1号機らしい。なるほどね。

 きっとハセガワにはハセガワの考えがあるのだろう。わざと時間をおいて・・・もっと大きいの♪を作ってくれるのかもしれない。モデラーは、じらされるほうが好きだもん。
 でなきゃそもそも、こんなわざとバラバラにした製品を苦労して組み立てるなんて趣味を続けられるわけがない。
 冷静に考えると、プラモデルってかなり変ですよ。

 などと話をわずかにそらしてみたりしたけど、ああーやっぱり悔しいな。ここ数か月でいちばん悔しかった。
 なんでファインモールドが先に・・・って思わずにはいられない。どんなキットにせよ一番乗りには間違いないから。
 鈴木社長に今度会ったら、いじめてやろうっと。ふふふ。

ひとりハセガワファンクラブ

 なんで私がハセガワの回し者と呼ばれるようになったか知りたい方も多いと思う・・・え? 別にどうだっていい? 
 まぁ確かにどうでもいい話ですが、この世はどうだっていい話から成り立っているともいえる。
 
 実は私、回し者というよりは、一人ファンクラブというほうが正しい。或いはただ単に長谷川専務のファンなんじゃないかと言われることもあるけど、まあそれも当たらずとも遠からず。いろいろな側面があるんです。
 回し者というのは普通頼まれてやってるし色々便宜をはかってもらってたりするイメージがあるけど、私は何ももらってないです。あ、熊野筆は頂いたことがあるけど、あれは元々が化粧筆だったので女性に使ってみてもらってはどうか・・・ということだったらしい。あ、エプロンも頂いたけどそれは、●エプロンをさせてみたいという妄想があったのだろうと思う(意味不明  

 さて、初めてハセガワのJMC大阪会場に出掛けてみたのは2007年の12月。
 中央に小さく見えるのがJMCの看板です。大阪城ホールといって、大阪城の敷地内にあるんですよ。懐かしいなあ。

 2007年に初めて静岡ホビーショーに参加したり、スケビのコラムが始まったりはしてましたがまだまだモデラーの知り合いも少なく、当然メーカーの方なんか話したこともなく、WINDSの方々を頼りにドキドキしながら会場に出かけました。

 で、このときいきなり「長谷川常務(当時)に体当たりせよ」という指令がアートボックスから出ていたんですよね。
 今だから言うけど、この時点でハセガワキットを二個しか作っていなかった(72のコルセアと48の流星改)。そんな人間に何インタビューさせるっていうんですか。もぅ無茶苦茶な作戦です。250kg爆弾くくり付けられて片道燃料です。思い出しても冷や汗びっしょり。

 この写真は新製品発表とか質疑応答とかやってる最中なんですが、「一体なにやってるのかよくわからず」隣の部屋から写真撮ってた私(汗

 だけど初めてのJMCはとても楽しかったです。わからないなりに、素晴らしい作品を拝見するということは楽しいことでした。いいものを見るというのは大事なことだなぁと感じました。

 衝撃のインタビューはサッパリうまくいきませんでしたが、おかげさまで長谷川専務とメールでやりとりするという大変な役得をえまして、そのメールの中で「俺さぁ~パンツァーグラフ(現在休刊)」にエッセイ書いてるんだよ~」と教えていただきました。

 冷や汗がまた出たのは、当時パンツァーグラフを一冊手元に持ってたんですが、長谷川専務のエッセイは読んでいなかったんです(汗
 あー、私のバカバカっ。なんて失礼なんでしょう。
 急いで読んでみるとこれがとても面白く、物書きとしての才能もお持ちなんだなと、正直、嫉妬も感じました。

 ハセガワ製品のこともハセガワというメーカーのこともまだよくわかっていませんでしたが、このエッセイが私にとっては決定的なものでした。

 ふつう模型メーカーの人が模型雑誌に何か書くって言うと、半分くらいは自社製品のこととか自社の歴史とか書いてお茶を濁しそうなもんでしょ。
 でもこのエッセイにはそういうの一切なし、宣伝なし、手抜きなし。これは格好ええ~!!と感じ入りました。

 ほかの号のエッセイも読みたくなって「原稿をメールで送っていただけませんか」と思い切って頼むと
 「金子辰也さん(編集長)には絶対に秘密にしてください」ということで全部送ってくださいました。金子さんには秘密という律儀さにまたホレた(バラしてすみません)。

 (私にとって二回目のJMC・2008年)

 同じく、2008年JMCにて。

 東京も含めて四度でかけたJMC会場で、専務からJMCに対する熱い思いを聞いたこともあり、去年のJMC中止は大変残念に思った。それを言ってもはじまらないけれど、何か私のできることをしたいなあと思ってやってみたのが「なんちゃってJMC」

 エッセイ読んだくらいでどういう人間かわかるのか? 経営者というのは経営手腕で評価されるべきだろ? という意見ももっともだと思いますが、私はエッセイやメールのやりとり等で、人柄をうかがい知ることはできると思っています。
 その行間に感じられる人間性は、その後静岡ホビーショーなどで社員の方々とも話しているうちにより一層感じられるようになりました。

 なんで私がハセガワにご縁を感じているか、少しわかっていただけたかと思います。
 まあその後も、じわじわと色々ありまして、そうして今日があるんです。
 偶然といえば偶然、飛行機モデルが好きならばいつかはハセガワ製品と出会っていたことは間違いないのですが、それでもあのときJMCに行かなかったら、あるいはローガン梅本さんがインタビューを取り計らってくれなかったら・・・・

 人生はたくさんの偶然が積み重なってできているんですよね。

息子が帰ってきた。

 息子が半年ぶりに帰ってきた。

 県外の大学に行っているうえに、ラグビーの練習やバイトで忙しく、滅多に帰ってこない。そしてたまに帰ってきてもせいぜい三日くらいしかいない。 息子っていうのはマボロシのようなもんだね。

 ビールで乾杯する。
 息子と飲もうと思って買っておいたアサヒドライプレミアムを飲んでみた。
 おっ!! なんかすっごく美味しいような気がする。500mlの缶を開けて、二人で飲む。私はほんの一杯、残りは息子が飲んでくれた。
 息子のついでくれるお酒は、好きな男のついでくれる男とは違うレベルで美味しい。

 で、せっかくなので普段聞いてみたかった質問をしてみた。

 私「ハセガワのシリーズでサイエンスものがあるんだけど、第一弾が「しんかい」で、第二弾は「ボイジャー」だったんよ」
 息子「うん」
 私「で、次に製品化するとしたら、何がいいと思う? 最先端のメカとかって何が好き? 若い人が欲しいものってなんだろう」
 息子「メイドロボット。人型ロボット」
 私「えっ、そんなもんがほしいの? でもまだそれは実現化されてないし・・・」
 息子「はやぶさ2とかは?」
 私「アオシマが作るだろうなあ・・・リニアモーターカーとかはどう?」
 息子「それはバンダイが作るやろ」
 私「うっ・・・・」
 息子「ハセガワは飛行機作ってりゃいいんだよ」
 私「ひっどーい・・・(涙」

 一体誰がこんな人間に育てたんかい!!
 ・・・・・私です(汗。


 (注:息子は中学一年の頃までガンプラを作るモデラーだった。だからホビージャパンや電撃ホビーの読者だったし模型話もできるし、地元のモデラーの名前も少し覚えていて、けっこう楽しい話ができる)

風雪よじれ旅 その7(ハセガワ編)

 ついに、たどり着いた。あっ、屋上にマルヨンが見えてる。
 淡々と書いてるけど私、実は昨晩はよく眠れなかった。

 勢いでここまで来ちゃったけど、じゃあハセガワに行って何するの? どうすりゃいいの? 仕事しているところに厚かましく入っていって、ものすごく迷惑だよね?・・・ドキドキ。偉そうなこと言ってるけど、会社勤めの経験も満足になく(バイト程度)、社会に関わるということをあまりしたことのない私は、ようするに「世間知らずのオバハン」そのもの。

 気後れする気持ちがどんどん膨れ上がり、焼津に近づくにつれどんどん気持ちが重くなってくる。
 あんなに行きたくて仕方なかったのに。どうしてなんだろう。
 JR焼津駅でタクシーに乗って「プラモデル作ってるハセガワさんとこへお願いします」と言うと運転手は「ああ長谷川模型ね」と、すぐに連れて行ってくれた。
 メーターは一度も上がらなかったと思う、えっ、もう着いた!? 早すぎるぅ。

 でも私、今回来るにあたり、絶対に自分一人で行くことに決めていた。
 誰かに頼んで連れて行ってもらうことはしない。それだけを決めていた。
 単独行することに意味がある。何となくそんな気がした。

 今回のハセガワ訪問は、取材ではありません。
 会社に対しての訪問だから自動的に公式ってことになるのかもしれないけれど、お知り合いに会社を見せていただいた。そんなふうな訪問です。

 綺麗に掃除された玄関をええいままよ!!と入ってゆき、受付の女性に
 「おはようございます、あのあのあの・・・・専務と約束をしているのですが・・・・」
 「はい」と微笑んで私を促す女性社員の顔を見て、あっそうだと気が付き、慌てて自分の名前を告げる。

 そのまま、二階の会議室に通された。
 えっ、まるで本物のお客様みたい。どうしよう。冷や汗。
 数分もしないうちに長谷川専務が現れ、「こんなところで二人っきりになっていいのか状態」になるけど、たぶん専務も少々居心地悪かったのでしょう、すぐに腰をあげて「じゃ行きましょう」

 まず案内されたのは、ハセガワの見本製作をほとんど一人でこなしている戸部さんの工作室。
 ああ、この扉の向こうに入ることができたなんて。
 夢みたいです。

 ここまでやってくるまでの長い道のり・・・今回の旅、そしてこの数年のこと。
 2007年のJMC大阪会場に初めて見学に行き、何も知らないド素人が専務(当時は常務でした)に突撃インタビュー(汗、一応スケビに書きました)、あのとき会場に来ていた嘴頼さんやプラ子さんにも初めてお会いした。
 あれから・・・静岡ホビーショーやJMCで、専務をはじめハセガワの社員の方々ともお話するようになり、ご縁を感じるようになったこと。専務や社員の方々の人柄などに触れるにつけ、どんどんその魅力に虜になっていった。

 なぜ来たのかと言われると、変な答えと思われるかもしれないね、でもハセガワの人達は普段どんなところで仕事してるんだろう・・・と思ったんです。それを見てみたかった。

 戸部さんのデスク。つまり作業場。

 あんまり綺麗に片づけられているので思わず
 「残念~デカール貼ってるとこを見たかったです」と言うと、
 「ちょっと遅かったね、今朝ひとつ仕上げたんだけど」と見せてくれたのは、「モーレツ宇宙海賊弁天丸」の痛いデカール替え!?
 私よくわかんないアイテムですみません。

 たぶん私が来るのできれいに片づけてしまったのでしょう。
 テストショットが転がってたらもらってこようなんて甘い考えは、簡単に打ち砕かれた・・・

 工作室は結構広いスペースで、ここがどういう場所なのかは説明されなくてもわかる。たぶん、「見本を製作する人」はハセガワでも特別な人なんじゃないかと思う。

 呼ばれて部屋に入ってきた、熊野筆などツール担当の人と四人で話していると、何となくリラックスした気分になる。ついついタメ口をききそうな自分を抑える。
 戸部さんがこれまでに作った見本はすべて保管してあるそうです。この部屋だけでもものすごい数。
 写真の残骸は、零戦の破片。どのへんかわかるかな?

 持参した72のF-104J(フィンランドの架空塗装)を見てもらう。またまた冷や汗。でもハセガワに行くのだったら、作品持参しないわけにはいかないでしょ。
 「置いていってよ」と言われ、びっくり。「ホビーショーのときにでも持っていくからさ」と、戸部さんはこともなげに言うけれど・・・
 「あとでじっくり見させてもらうからさ~わはは!!」

 ああ~ますます冷や汗。恥ずかしいけど、せっかくなので置いていくことにした。

 スジ彫り復活はどうやってしているのですか、と聞くと見せてくれた道具。

 Pカッターを自分で削ったもののようです。
 ガイドはモデラーズの伸びるマスキングテープ(私も持ってるけど、ガイドとしては使ったことがない)。

 ちなみに、戸部さんが使っているからといって、ハセガワではみんなこの方法でやってるわけではなく、それぞれやり方は違うようです。
 金属の物差しなども使うそうです。あともちろん、金属のテンプレートも。
 カッターマットの古びた感じが、何気なしに貫禄。

 私「あのぅ、デカール貼るときは、手で貼るんですか?」
 戸部さん「手で貼らないで、どうやって貼るの!?」

 一同、爆笑・・・・
 私「だからその、手というか、指に水つけて動かしたりするんですか? ハセガワのインストにはそう書いてあるけど」
 戸部さん「そうだよ」
 いつも思うんだけど、上手な人は何でも簡単そうに説明するんだけど、こっちがそれをやろうとすると上手くいかないのはどうしてだ!?
 工作机など見ていたら、なんだか私も作業場が恋しくなってきた。おおっ、モデラーだねぇ。

 戸部さんの在庫。そんなの写真撮っちゃだめだよ、と言われたけど。

 職場に在庫があるって、面白い職場だよな~って思っちゃう。
 隣の部屋にも工作室があり、就業時間後の社員が、そこで好きなものを作ったりしているそうです。

 私が帰ろうとして別れの挨拶を告げたとき、戸部さんは零戦らしきものをいじっていた。何か遊んでいるようでした・・・

 専務の机。

 写真は撮っていませんが、設計や箱絵のデザインしたりデカール作ったりしているところも拝見しました。
 そして念願の、AH-64Dの設計者にもご挨拶しましたっ!!
 実は今年の静岡ホビーショーでもお会いしていたんですが、そのときはまだその人の設計したものを何も作っていなかったのです・・・。そしたらたまたま最近作ったアパッチがその方の設計したキットだったのです!!

 「パーツが多かったでしょう」と微笑みながら言われました。
 「確かに多かったけど、すごく達成感ありました。ローターのとことかすっごくよかったです!!」とお伝えしました。
 「ヘリはあまり売れないんでしょうか」とお聞きしますと
 「72は結構売れるのですけどね」ということでした。そういえば痛コブラとかも出てたよね。

 なんか風邪気味みたいで、今回も喉が痛そうでしたが・・・実はここだけの話、風邪気味の男ってセクシーなんだよね。ふふ。
 私、高校生の頃気が付いたんだけど、もうたまらないんです。ああ、ヤバイ。それに私、あなたの設計したアパッチを作りながら、イケナイことばかり考えていたんですぅ・・・なんて、頭の片隅で思い始めると、なんかますますヤバイっ!!
 周りの人は静かに仕事してるのに、ほんとにもう。

 お話した時間はほんの少しでしたが、お会いできてうれしかった。
 というわけで、また来なくちゃいけないな、と思った私でした。今度来たときは焼津に泊まって、それからぁ、うふふ・・・

 ほかにもいろいろ、美女にしか見せていただけないモノとか見せていただきまして(謎)、楽しい訪問は終わりました。

 それから、専務とお昼をご一緒させてもらいました(写真は専務の在庫・汗)。
 静岡ホビーショーでお弁当を一緒に食べるのとはまた違って、とっても楽しかったです。焼津のマグロですよ。

 私がまだ半分しか食べていないのに、専務はあっというまに全部食べてしまいました。
 「食べるの速くてすみません」←律儀に謝る専務

 いやいや、いいんです、私が遅いだけですから。その食べっぷりなら、ハセガワも安泰ですね。
 男はちゃんと食べないと、戦えないでしょ。

 何となく、はるばる九州から孫に会いに来たばあちゃん、みたいな気持ちになりました。
 「お前も、立派になったねぇ」なんて。

 女ってみんなそうかどうかわかりませんが、一緒に食べた相手が、どれだけ食べるか、どう食べるか、ということを結構観察してしまうものなのです。そんな何気ないことから色んなことがわかったりするんだよ。

 新製品のこととかハセガワの今後の展開とか、私には難しいことは何も聞けませんでした。
 ただ、ひとつだけ、そう「九州のばあちゃん」ですら気になってることはありました。
 JMCです。

 「開催時期は未定であるが、再開したいと思っている」

 ということでした。必ず再出発したいと言われました。
 それ聞いて、ばあちゃんは安心したよ。じゃあね、お前も元気でね。体に気を付けて・・・・・

 ・・・誰がばぁちゃんですかい!?

 というわけで、お忙しい中、私を快く迎えてくださったハセガワの方々に感謝いたします。
 素晴らしい思い出をいただきました。

今年のJMCは

 今年のハセガワJMCが中止になったそうです。

 公式HPよりも先に、JMC会員にまずお知らせの手紙が行ったようで、そこがハセガワらしいなあと思いました。
 私は4回、JMC会場に見学に行きましたが、まだ参加したことはありません。
 今年こそは・・・と思ってキットを買っておいたのに!!

 実は、今年は岩国航空祭(フレンドシップデー)も宿の予約までしていたのですが、中止ということで諦めました。
 飛行機モデラーならホンモノの米軍見なくちゃ、とは長い間思ってましたが、その混み具合などを聞くと二の足を踏んでたのが正直な話(人の多いところ苦手なんだよね)。
 これからますます年齢も重ねていくし、もういよいよ行くのがしんどくなりそうです。

 ←初めて作ったハセガワ製品(1/72 F4U 1999年ごろ) 残念ながらこの写真しか残っていない。現物も捨ててしまった(涙

 2007年の12月、初めてJMC大阪会場へ行ったのはスケビのコラムを書き始めた頃でした。JMC見学に行くんですがとローガン梅本さんに言うと「それなら長谷川常務(※当時)にJMCについて話聞いて書いてみろ」と勝手に私に250キロ爆弾をくくりつけ、片道燃料で送り出してしまったのです。
 当時の私はハセガワのキットなんか三個くらいしか作ったことがなくて(汗)、飛燕・・・いや、隼でB29に体当たりしろって言うようなもんでした。もう決死の体当たり攻撃。

 しかし、あのときがないと、今はないわけで、本当に懐かしい。私にとってのJMC体験はそこから始まったのでした。何となくハセガワにご縁ができたのもそのとき以来です。

 実は、JMCについての話を専務に伺ったとき、半分以上はオフレコで色々と面白い話を聞いたのですが・・・それは雑誌には書けずに悔しかった。
 今後のJMCはどうなるかわからないけれど、みんなで焼津に押しかけて行ってハセガワの人とお酒を飲んで話をするくらいのことはしてもいいような気がする。

 とかなんとか、腱鞘炎もまだ怪しくて夜になると少し痛かったりするのですが、少しずつ模型も作っています。
 模型作りそのものはそんなに指には負担にならないみたいで、一番負担になるのは塗料瓶のフタを開けるとき・・・くくぅ~なんでどれもこれも固まっているんだよ!!

 えーと、イタレリのAH-1Tなんですが、どこまで写真を公開したか、もう忘れてしまった(汗
 大したことはやってませんが、コクピットを少しだけ作りました。
 結局前席のコンソールは中に納まらなくて捨てましたが(汗)、シートベルト作るだけでも格好よくなるね。
 オモリも入れました(板鉛)。ヘリは尾部が重いもんね(実際に尻もちつくかどうかはわかんないけど)
 

 

 

 

花はどこへ行ったの?

 ハセガワの近くに咲いている桜(Tさん撮影、2013年4月4日)

 それでもまだ、花が残っているのがわかります。

 今日、ほかの方からいただいたメールでも、川の水面を流れる桜の花びらを見ましたよ、とありました。
 私もうちの近くの水路で流れている花びらを見ました。

 こちらは、河津桜のさくらんぼ。

 食べられないことはないでしょうが、酸っぱいだろうな~
 さくらんぼというと、仙台に住んだとき生まれて初めて食べましたが、この世にこんな美味しいものがあるなんてと思いました。
 山形から小さなトラックに乗って、農家の人が売りに来ていました。「天童のさくらんぼー」とか言って。

 桜のアーチもこれで見納めです。今年の桜だよりはこれにてお終いとのこと。

 来年はまた、どんな桜が見られるでしょうか。


 「花はどこへ行ったの?」 どこへも行かないよ、行ってしまうのは人間だけ。
 これからまた、花は来年咲く準備を始めるんでしょう。けなげですよね。

 先週、滅多にかからない電話が息子からかかってきたのでドキドキしながら電話に出ると、「留年するかもしれん、ヤバイ」。
 ああもう。高い授業料払ってるのに←すぐにそこに行く自分が哀しい
 何とか、今日進級できたということがわかり、ほっと胸をなでおろす。

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