つれづれプラモ製作記

自称飛行機モデラー・きららのプラモ製作とプラモの活動記録

模型展示会

古巣に戻る(天プラ20年その5)

2013

 「おぅお前、さっさと人形塗らねぇと生きて帰れんぞ!!」
 「へぃ旦那方、もう少しお待ちを・・・」

 オッサンたちの腕組みが恐い。(たっぴんさんによる、人形の塗装実演 2013年第13回)
 20年間で「張り線」「スミ入れ」「ウォッシング」「ペーパーかけ」「リベット打ち」「紙創りさんによるヒマワリ組み立て」など、さまざまな実演を行った。主にクラブ員による実演です。

2014

 2014年第14回。ハセガワ1/32 P-51D。これ本当に古いけど楽しいキットだった。このあたりから、ハセガワのキットやヘリを作りたい等、自分の作りたいものがどんどん見えてきた。

 実はこの年の夏、熊本トムキャッツの展示会に一人で出かけた。これまでは誰かに連れて行ってもらったりしてたけど、自分で行かないとダメだと気が付いた。誰かのツレだと思われるのはもうたくさん。自分は自分だ。
 そう思うと何か少しふっきれてきた。来場者全員と話さなくちゃ、などという意味のない強迫観念からは解放され、自分の作品もそこそこアピールし、話したい人と話したいことを話して楽しむようになった。そう、展示会の大事なところは他人の作品を拝見することと、自分の作品を見ていただくことのバランスなのだよ。
 
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 この年は両親を施設入所させたり、バタバタと忙しかった。体調もよくなかったけれど、そういうときこその趣味だと思う。この後、19年に父が亡くなるまで、両親の見舞い等で心の休まるときはなかった。県外の展示会も見送ったものもある。
 会場「文化センター」が改装するため、この場所での展示会はこの年までになった。少し古かったけれど居心地のいい広さで、私は大好きだった。なんといっても第一回からの思い出がいっぱいだから。そのことを思うと少し涙が出たりする。

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 2015年、第15回。新しい大きな会場「パトリア日田」立派過ぎて広すぎて歩くと疲れる(笑

2015

 長い間には、色んな人が来ましたよ(この写真とは関係ありません)
 1.数十個の作品を持ち込んだ人 2.勝手に商売をした人 3.“プラモデル大会”と銘打ってるのに完全スクラッチ作品を持ってくる人 4.私とずっと話していたためにストーカー疑惑がもたれた人 など、今となっては笑うしかないですが、いろいろいましたね。

 会場が変わってからは「プラモデル大会」ではなく「プラものづくり大会」という名前に変わりました(これでスクラッチもいいわけです)

2016

 2016年第16回。この年は母が入院して容態が悪かったので別府まで見舞いに行っており、初日は三時くらいにようやく会場に到着。・・・仕方ない、こういう年もあるさ。展示会そのものは盛況。

 本当に不思議なくらい、以前は「上から目線」の話をしていた人が、この前後から変化してきた。私が多少腕をあげたせいか。

2017

 第17回。この年は6月に母が亡くなり、静岡にも行けず、鉄橋が落ちたりいろいろ大変な年だったけれども、逆に人生がすっきりとしてきた気分。AFVのキットや資料を処分して、模型部屋をあらたに構築しなおしスリム化。

 ここまで十年以上やってきて、なかなか地元で飛行機モデラーの仲間ができず焦っていたんだけど、もう地元にこだわらず大分県内ってことで飛行機のクラブを作りたい。私の念願だった。そしてできればKPMSを大分県でやりたい。
 2017年夏のKPMS福岡で勝手に手をあげて、さてできるのか自分!?(汗 しかしじょじょに仲間も作り始めた頃。そして、もうだいぶほとぼりも冷めたことだしな、ということでこの年末、ついにクラブに出戻りを決めた。ま、展示会には参加してたし何の変化もない気もしますが・・・。

2018

 18回は会場の予約が取れず、近くの別の会場になった。ここはやや狭いけど決して悪くなかった。やはり私はこじんまりしてるほうが落ち着くなあ。あと、照明が明るいのがいい。

 久々にクラブ員に戻ったので展示会の日も朝から会場作り参加。なんかうれしいねえ。この学園祭のノリ!! そうですよ、これでなくっちゃ!! これぞ展示会。これぞ青春。おじさん達の肩の力の抜け加減が気持ちいい。

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 クラブやって思ったのは、男共のヒエラルキー。まずは会長の言うことには全員文句なく従う。陰で悪口言ったりはしない。もちろん若い男はいちばん身分が下で、パシリをさせられたりしている。女である私も下というか、まったく外というか・・・だからか、若い人は私を「友達」と思ってるらしい・・・ま、いいか。いいですよ。息子のことは知ってる人がいて「どうしてますか」と聞かれることもたまにあるけど、それ以外、何か私に聞いてくる人はいない。その心地よさ。

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 そして、2019年。ほんの半年前だけど、ずいぶん前のような気がするなあ。

 あなたがどういう人で何をしている人なのか一切関係なく受け入れて、好きな模型の話だけ二日間できる場所を提供してきた私たちは、誇りにしていいと思う。これまでに多くの人たちから「とても参加しやすい、雰囲気のいい展示会だ」と、お褒めいただいたのが何よりの宝。その言葉を胸に、これからも歩けるところまで歩いていきたい。

 そして記念すべき20周年、今年は11月の28,29日で予定されてるけど、なんせこの状況だからどうなるかわかりません。でもまぁ模型の神様がいいように取り計らってくれるだろうから、余計な心配はせずに好きなものを心行くまで作る喜びだけを味わいながら、当日を待ちましょう。今年もたくさんの方々にお会いできますように。ちなみにテーマは「ザク」です。あちゃ~。

戦線離脱!?(天プラ20年その4)

2007_2二回目フィールドキッチン

 (私の)天領プラモデル大会の二十年を振り返る、第二期(フィールドキッチンの様子)

 2007年はついに私が飛行機模型専門誌・スケールアビエーション(現SA)にコラムを書きはじめた年。まさかの模型誌デビューで夢のよう。アートボックスの人が私のHPを読んでいて「コイツに書かせたら面白いんじゃないか」と思ってくれたらしい。当時の編集長は梅村弘氏、フィンランド関係の訳書は私も何冊か持っていて、憧れの人物だった。そのご本人からじきじきにお話があったんだから、天にも昇る気分でしたよ。

 しかしそんな私をまわりの人はどう思っていたのか。すごいね、と褒めてくれる人もいたけれど、「こんな田舎の飛行機のこと何も知らない主婦がスケビに書くなんてケシカラン」と思われているのではないかと、それが(実は今でも)いちばんの心配だったし、まあ多分そう思われていただろう。

2008

 第八回。当時フィンランドものをよく作っていた。(1/48 ハセガワBf109G)

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 相変わらず参加者でにぎわう展示会。

 コラムなんか大したもんでもないのに、けっこう嫉妬されてひどい言葉を浴びせかけられたこともある。〇ちゃんねるで中傷もされた。まさか自分が・・・って思いましたね。あの嫌な気分は書かれた人間じゃないとわからんね。「なにキモいオバサンw」みたいな書き込みね。
 さらに、静岡などで有名モデラーに会って交流すると、ほんと九州のモデラーがつまんなく思えて、話があわないわ、という気分になるから余計浮いてくる。このころの写真見てると、自分の作品の写真はほとんどないし、作品の撮り方もいい加減で、自分の精神状態を表してる。

2009

 第九回。いよいよ心とクラブが乖離していた時代・・・って写真見たらなんか男共に暗く囲まれてますが、なんなんですかね、この写真。完全にヤバい人たちの集まりですね。

 そんなわけで、自分の求めるものがクラブにない(自分より年上で自分より腕のいい飛行機モデラーがいない、他県の展示会などに遠征する人がいない)、大分県の人とつきあっていても自分が向上できない(大阪JMCを三年続けて見学に行ってハセガワの人たちなどと知り合いになって急速に天狗状態)、さらにこれ以上いたらサークルクラッシャー(男性と問題を起こしてサークルを瓦解させる迷惑な女のこと)になるかもしれんという危惧から、クラブをやめることにした。ただし、展示会は大好きだし実際さほどトラブってたわけでもないので、展示会にはその後もずっと参加した。

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 確か、このあたりからコーヒーをいれて持って行っていた。衝立で仕切った休憩所があり、季節柄寒いので暖かいコーヒーは好評だった。何もせず参加するのもあれだし・・・という気持ちもあった。
 ハセガワの流星改。左翼の前縁、合わせ目が浮き出てるやん!! きれいに消してたつもりなのに・・・けっこう頑張って作った作品のつもりです。
 2008年末に長谷川勝人社長(当時常務)に大阪JMCでインタビュー、そのご縁でお知り合いの一人に加えていただいた。「なんでスケビにコラム書くくらいで嫉妬されなきゃいけないんですか」とこぼすと「スケビに書くってすごいことなんですよ!!」と励まされた。いい人やん(感涙 もう一生この人についていく・・・と思ったかどうか忘れましたが←おい!! その後、生き方などさまざまなことを教えていただくことになった。

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 第10回、2010年、一区切り。あの頃は楽しかったなあ。40代最後の日々。

2011

 第11回。自分のフィールドは72なんだと自覚し始めた頃。単に逃げで小さいものを作るのではなく、小さいものが好きだから作る。それは全然違う。大山さんのヘリが見えてますね。かねてより好きだったヘリを作ろうという気持ちになった頃です。

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 この展示会の良いところは、オールジャンルなんだけど、どのジャンルもわりと均等に数が揃っていること。艦船が年によって差が大きかったけれど、スケールもまだまだ頑張っていて、キャラクターものが主流になっている全国的な趨勢の中では、まだ頑張ってるほうだと思う。見学する人も、きっとそのせいで楽しいと思う。 

2012

 2012年。この年は自分の至らなさから、大変なトラブルに見舞われた。ネット、模型の仲間・・・色んなものを失った。12年間大切に積み上げてきたHPも閉鎖。信頼も仲間を失う危機にあったけれど、ひとつ失い、ひとつ得るということもあった。静岡のフィン空クラブは分解し、本当に辛い年だった。

 それでも模型はなくならなかった!! 展示会に来てみんなの顔を見るとホッとした。一年一度会うだけなのに、この居心地の良さはなんだろうね。
 自分にとって本当に大事なものは何なのか・・・頭を冷やせと模型の神様が与えてくれた試練かもしれない。

 つづく。

長い始まり(天プラ20年その3)

2001
 天領プラモデル大会(現・天領プラものづくり大会)の20年を三回に分けて振り返る。

 2001年の11月10日、記念すべき第一回「日田HIC・大分我流会合同展示会」が始まった。
 全国的に見ても、合同展示会というのは珍しいと思う。複数のクラブが合同で何かをやるのは難しい。世話をしたことのある人ならわかると思うけど意見のすり合わせ、調整が大変です。たかが趣味、されど趣味。人間てのはこんなに意見が異なるものか。この後しばらくは例会でいつもケンケンガクガク。ただ、人間関係でもクラブでも、その時期を乗り越えないと信頼関係って生まれないんだよね。

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 今見るとみんな若いなあ・・・笑

2002

 2002年第二回。私のHPでのお知り合いと一緒に作ったアルデンヌのミニ情景。私以外は遠くに住む人ばかりで誰も来られなかったけれど、作品を送っていただいて土台にまとめた。よくこんな世話なんかやったよなあ、あの頃は若かった。
 
 この年からプラモコンテストも始まった。今思うとあの頃は「子供たちがまだまだプラモ作ってる最後の世代」だった気がする。もう子供たちの遊びの世界はゲーム機器に飲み込まれそうになっていた。 

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 ネットの知り合いが何人も来てくれて、有頂天だった私。

 自分の撮った写真見ているとわかるけれど、全体に暗く、まさに「病んでる」感じ。当時どんどん体重が減って、辛い時期だった。模型作りも四年目くらいにさしかかって、少し自分の実力がわかって曲がり角だった。展示会では、良い作品を見て勉強になる部分と、自分のスタイルがハッキリしてないモデラーは他人の良い作品を見て凹んでしまうということがある。こういう話は他モデラーともしたことがあるんだけど、展示会の功罪というべきか。「あー、自分にはとてもあんなの作れないや」と無力感に陥ってしまうんですよね。

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 さて2003年第三回、会場の様子から、少し洗練されてきつつあるのがおわかりだろうか。私たちも展示の仕方など多少考えるようになった。

 飯塚リバーサイド、長崎プラモクレージーからも参加者が来てくれるようになり、九州の飛行機モデラーが多く訪れる展示会への胎動が感じられた頃。私だけの力ではないが、私のHPでの宣伝は大きかったと自負している。人との交流は増え、達人と知り合いになると自分も偉くなったような気分になるという錯覚。恐いですね。アホですね

2003

 懐かしい、クルスクの戦い・巨大ジオラマ。タミヤの「パチッコンテスト」にも出したんですよ。当時の「戦友」と記念撮影。私は土台作りをしていて自分で自分の指を切って幾針か縫うという痛い経験も。このころは飛行機に完全に行き詰っていて、まともな作品はなく逆に戦車を作るのが楽しかった。

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 第四回。相変わらず展示会は楽しくてしょうがなったけれど、実はこのころはいちばんのスランプだった。やめてもいいかな、ともずいぶん思った。いよいよ体重が減って一時期40キロを割りそうになったときは焦った。趣味は楽しいけれども人生はちっとも楽しくなかった。

 ただし、この年の夏には熊本で開催の「KPMS熊本」という飛行機モデルだけの展示会を見学、これは忘れられない思い出になると同時に、九州の飛行機モデラーとの本格的な交流の始まりとなった。

 また、実はこのOH-6(ドラゴン1/35)を作り上げた頃だった。けっこう頑張ったんですよ、というかヘリ自体は今のほうが上手く作れると思うけど、人形を作るのはもう無理かも。手足の角度とかめっちゃ頑張って合わせた。ほんと、このままヘリ系に突っ走っていけばよかった。

2004

 コンテスト表彰式の後で記念撮影してる子供達。

 模型屋の声掛けなどもあってけっこう作品も集まっていた。でも店でコンテストに出してねと声掛けすると「あなたの店は子供に模型を押し売りするんですか」とクレームがついた、と模型屋がこぼしていたのを思い出す。あの頃世の中がどんどん世知辛くなっていった気がする。いやだねぇ。

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 第五回、2005年。息子も中学校に入り、私も落ち着いてきたはずなのに、最悪の曲がり角を迎えていた。
 展示会では「私のような下手くそは、せめてお客様のホスト役としてすべての人とお話するようにしよう」という少しおかしな考え方で人と接していた。確かに参加者と話すことは大事だけれども、自虐的になって自分の作品そっちのけ(写真をまともに撮っていない)、というのは本末転倒もはなはだしい。
 
2005

 素晴らしき40代。あの頃に帰りたい(笑

2006

 第六回2006年。この年のはじめには神戸のUAMCにも大分県組として参加、多少は度胸がついた。
 しかし同時に、外に出れば出るほど大分県の中だけで模型活動している仲間たちがつまらなく思えるようになってきた。趣味につまるもつまらないもないのに。どこで何を作ろうが、それぞれなのに。

 展示会そのものは、すっかり地元に定着してきた。

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 この前年に加入したヤナピーさんが元シェフということで、本格的フレンチのフィールドキッチンが始まった。これは現在まで、できる範囲内で彼の好意で続いており、わが展示会の名物となっている。みんなで食べることの楽しみ。

 つづく。 
 

青春は突然に(天領プラモデル大会20年その2)

Bf109E_2

 零戦を完成させたあと、次はメッサーシュミット(Bf109のことね。当時はメッサーシュミットという名前だと思っていた)を作ることに決めていた。本屋で「プラモの作り方」というような名前のサブカル本を買うと、いちばん最初にタミヤのBf109Eが掲載されていた。これはカッチョいい、これを作ろう!!と決めた。玩具屋に探しに行ったけれどあいにく置いていない、これはもう模型屋に行くしかない・・・(上の写真は、当時撮影したもの。けっこう写真の撮り方も上手いじゃん私、このキャノピーの開け方がしびれるくらいカッチョええと思ったものです)

 ドキドキしながら木製の引き戸を開けた。あの瞬間から引き返せない旅が始まった。

 模型屋にときどき行くようになって一年以上が過ぎた頃だろうか、「今度クラブを立ち上げることになったんですよ、〇日に飲み会があるからきららさんも来ませんか」と模型屋から誘われた。メンバーと言っても、模型屋さん以外は知らない人たち。でも不思議と遠慮する気持ちは起きなかった。行ってみようと思った。実はすでにインターネット上でHPを作ったりはしていたけれど、まだまだ知り合いは少なく情報にも飢えていた。模型の話ができるならうれしい。

 あの日、初めて参加した飲み会から夜道を歩いて帰りながら(寒い季節だった)、結婚して誰も知り合いのいない町に来て8年以上たっていたけれど、家族でどこに出かけることもない、何も楽しいことをするでもない、子育てだけをして家にこもってじっと我慢している日々、大げさにいうと、女として人生もう終わっている気がしていた。その中に、ふっと明るい灯がともった。20代の頃の楽しさがよみがえってくる予感がした。

 20代の頃は、男友達とか彼氏とか含めて、常に多くの男性と親しく交流していた。それが普通だったのに、当時ネットもないこともあったし、そのすべてを断ち切って結婚するしかなかった。その寂しさ。やっぱ私にはこっちが向いてるんだ。魚は水の中でしか生きられない。

 そして年が明け、大分のクラブとの合同展示会という話が舞い込んでくるのです。いよいよ天領プラモデル大会の誕生です。

 クラブの創設、そして展示会の開催準備。やったことのある人はわかると思うけど、こんなに胸のわくわくすることはありません。11月の展示会に向けて、その夏頃には何度も話し合いをもちました。文化祭の準備をするような、あのノリ・・・そう「青春!!」てやつ!? ひゃー。
 恥ずかしながら、若い頃いまひとつ燃焼し切れていなかった私には、これが人生で巡ってきた本当の青春でした。

展示会前夜(天領プラモデル大会20年その1)

インスト

 今年で私の所属するクラブの展示会は20周年を迎えます。この20年、色んなことがありましたが、たぶん読者の中にはごく最近の私しか知らない人も多いと思うので、少し過去の涙と笑いの模型生活(地元の展示会を中心に)を振り返ってみたいと思います。

 息子が小学校の一年生に上がった頃(1998年頃)、少し自分の時間ができてインターネットを始めたんですが、ネットでいろいろ調べていたらプラモデルというものがこの世にあり、しかもかなり精密にできてることがわかりました。

 ちょうどうまい具合に夫が玩具屋の安売りで買ってきた戦車と零戦が置いてあったので「これ作っていい?」と聞くといいというので迷わず飛行機を手に取りました(戦車には興味なかった)。夫は子供の頃を懐かしんで買ってきたものの、精密すぎて手に負えなかったらしい(その後も夫は私の趣味に全く興味を示すこともなく、スルー)

 私はインスト通り、タミヤのアクリル塗料を買ってきて(ただし薄めることを知らなかった)筆塗りで完成させました。そう、48の零戦21型です。タミヤの解説書を隅から隅まで読みました。この解説書って素晴らしくて、主脚の塗装が大きく別に書いてあるんです(写真左下)。そして「プレーキ・パイプをエナメル線等で作ると実感がでます」と書いてあるんです!! これは、やらずにいられない。ビーズ手芸に使ってた細い針金に塗装して黒くして(図では黒だったので)みたけど、はじいて上手く塗れないんですよね(プライマーなんか知りませんから)でも、見よう見まねで取り付けてみて、ものすごく満足したのを覚えています。いきなりのディテールアップですよ!! エンジンはギヤーケースとプッシュロッドはフラットアルミ、なんて書いてある。これもまたマニアックな言葉が並んでいて、グッとくるものがありました。何のことかわからんけど、カッコいい。
 初心者とか子供には簡単なモノがいいと思ってませんか? むしろ逆です。いかにも「専門用語」みたいのが心を鷲掴みにするんですよ。「すげぇ~俺もこれわかるようになりたい、作れるようになりたい」って激しく思うんですよ。昔、お兄ちゃんとかお父さんがやってる工作などを尊敬のまなざしで見てたでしょう? それと同じテイストがこのインストにあったんです。

 完成させると、まるで自分が作ったとは思えない「精密模型」らしきものがそこにありました。あのときの感動は忘れられない。ごうごうと風の吹きすさぶ昭和16年12月8日真珠湾へと、一瞬のうちに心は飛んでいきました。特定の時間、特定の場所、特定の搭乗員が乗った飛行機を再現するんだ!! すごい!! 
 胸が熱くなりました。「単なる子供だましのオモチャの零戦」ではないんですよ。歴史の再現、実はそれが最初に私の心をとらえたのだと思います。たまたま作った零戦でしたが、ここから一気にスケールものの世界にダイブしていきました(そして今日に至る)。

 でもそこにひとつの障害がたちはだかりました。それまではオモチャ屋で我慢してたんですが、本格的に作るには「模型屋」というものに行かねばならない・・・それは私には限りなく高いハードルに思えました。つづく。

戦いすんで日は暮れて(オタ空報告4)

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 松山モデラーズクラブの木下さん作品。これ見たかった!! 眼福!! Su-33 フランカーD キネティック1/48

 私とベクトルが同じ・・・って、どんだけ広いベクトルかい!! しかもイイ男だから天下無敵。
 ハッチを単に開けて作りこむだけじゃなくて、すべてのハッチがきれいにぴたっと閉まるのが気持ちいい。開けただけで、中になんちゃって臓物つくって喜んでるうちは、素人だね。

 しかし機首がこんなふうに開くとは・・・知らなかった。

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 翼は畳めます。その動きがまた滑らかで、本物みたい。つなぎ目は、一体何個でしたっけ、すごい数のワッカのようなものでつながっている。これはさすがに作るのが嫌になったそうです。

 エンジンがぐちゃぐちゃと作りこんであって、見てるだけでイキそう。たまりません。
 ほかにもOH-6とか、48のシーホークとか持ってきてくれてて楽しいひと時。一日見てても飽きないね。へへへ、シーホークは見せてやんないよっ、見たかったら松山まで行きなはれ。

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 第13飛行教育団模型同好会のトミーさん作品、ホビークラフト1/48 CF-105

 カナダ空軍の試作戦闘機で政治的理由で計画中止になったとか。
 いつも白い機体などを確実に仕上げてられます。去年の天プラでしゃべくってる間に写真撮るの忘れてた作品。今回はバッチリ撮れてよかった。

 これなんですか、と聞いてくるモデラーもいたので、さすがの飛行機好きも知らない機体ってあるのねー(なんか安心する)

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 銀翼会の片山さん作品。RSモデル 1/72 エアスピード エンボイ なんとなく童話に出てきそうなカワイイ飛行機ですね。木製だそうです。

 で、F-105を見ていると、隣で「CF-105は・・・云々」となんか話している人達がいるじゃないですか。よく見ると銀翼会の片山さんと伊村さんだった(汗 やはりこういうの、当然知ってるんですね。
 去年は父の容態が悪いときだったので銀翼会の展示会に行けなかったので、今回は皆さんで来てくださってうれしかった。よく考えたら、泣く子も黙る老舗クラブの方々が、こうして立ち上げたばかりのクラブの展示会に大勢で来ていただくなんて、夢のような話だよね。どう? うらやましかろうが!!

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 伊村さんのモノグラム 1/48 B-17G

 今回伊村さんは10時前には会場に到着されて(開場は12時から)、もう大恐縮ですよ。ほんと縮みあがりました。あ、縮みあがるモノ持ってないけど。

 ちなみに「サハルナ」札は、当会あおまきさんの作品。

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 去年の「おおいたんモデラーズ展示会」ではじめてお会いした、岩田さん作品。ハセガワ1/48 のスーパーホーネット。大分市内の方ではないので、オタ空には来てくれるかなあ、どうかなあと思ってたら、ひょっこり日曜日に現れて、うれしかった。

 普段、むさ苦しいオッサンには慣れてるんだけど、若くてイケメンの人には慣れてないから、めちゃくちゃ緊張する私。いやはや。大分県の未来は明るい。

 岩国で購入したVFA-102の絵がまたいいねぇ!! 搭乗員にサインもらったそうで、うれしそうに説明してくれました。男の子の夢だよね、いくつになっても・・・そういうとこに女は弱いんですよ。

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 銀翼会の中川さん作品。レベル1/32 RF-4B ファントム偵察機型(キットはRF-4C)

 タミヤのファントムのボディラインが気に入らないそうです。やはりこっちのセクシーなヤツじゃないと!!と力説されてました。確かに胴体背中なんかずいぶん大きさやカタチが違いますね。

 写真では残念ながらわからないんですが、尾翼の金属がむき出しになってる部分、洋白板を貼ってられます。やはり金属には勝てないって感じ、すごくいい感じでした。

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 熊本トムキャッツの石崎会長作品。ホンコンモデル 1/32 Do336-B6

 いったいどうすればこんなに綺麗に塗装できるんでしょうと、みんなで話していたら本人がそばに来て、「たまには失敗してリカバリしますよ」と言われてました。
 でもこの網目模様みたいな胴体・・・あ、そうか、網タイツ好きだから? と聞いたら、その通りでした。網目模様に対する執念だそうです。くびれと網タイツ。そして夜戦。なるほど。

 アンテナは、石崎さんお得意の工作です。

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 下関巌流会マッキさんの作品群(I-16を除く) 1/32のメッサー群。

 このうちの三機がハセガワって言ってたっけ。何より驚いたのは、今回持ってくるにあたって、手を入れてお化粧しなおしたそうです。すごいなあ。これぞ愛。

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 このサンダーボルトは48? いえ、72です。銀翼会の毛利会長のタミヤ 1/72 P-47D-30-RE

 オイルクーラー排気口は洋白板で置き換え、写真でわかるとおり、ラダーが動きます。
 驚くべきことに、今年すでに10機製作したとかで・・・凄すぎる。

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 今回、四国から海を渡ってたくさん来てくれました。松山エアモデラーズクラブの藤岡会長の作品。赤とんぼワークス 1/72 X-19

 これは知らなかった。NASAの実験機だそうです。
 松山以外に香川進空会からもお二人。私が数年前に一度お邪魔したからでしょうか。藤岡会長は、「海を挟んでいますけど、隣ですから」と言われ、確かにそうだよね愛媛県と大分県。

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 熊本トムキャッツの趣味人さんのアパッチ1/32 レベル

 久しぶりに見せてもらったけど、やっぱすごい。32だから迫力あるけど、息詰まるような迫真のデテールアップ。趣味人さんには、「零戦いいじゃありませんか」と声かけていただいた。ほかの方々も「写真でみるよりずっといい」「思ったほどひどくない」等、微妙な、いや勇気の出る言葉をかけてもらいありがとうございました。あたくし、実際に寝たら思いのほかいいって昔から言われてるんですのよ、ホホホ。

3

 みんなが帰って行ったあと、残ったメンバーで机を片付けていると、
 トミーさん「手伝いましょうか」
 ハスラーがががっち「いやいや結構ですよ」
 きらら「あっ助かります、手伝ってください」←おい!!

 というわけで、我々とトミーさんの四人で机を片付け、倉庫で来場者からの土産の菓子を頬張りながらコーヒーを飲んだ。そのインスタントコーヒーの美味しかったこと!! この世界中のどんなカフェよりも、素晴らしい味だった。

 というわけで、今回の報告はこれでおしまい。来場の皆様、読んでくれた皆様、ありがとう。
 (コーヒーも美味しかったけど、帰りの汽車で飲んだビールも旨し)

会員紹介(オタ空報告3)

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 今回の作品展のテーマは「1/32」小さな展示会のくせに、いきなり大風呂敷を広げてみた。

 左側は当会会員・ハスラーがががっちさんのモスキート。これも作るのが大変そう。でも彼は手が速いのでなんでもさっさと作ってしまう。

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 当会・こっそり工房さんの鍾馗。ハセガワ1/32。去年も天プラで見ていたけど、やっぱ鍾馗いいねぇ~。こっそり工房さんは、会場探しから始まって懇親会の幹事に至るまで奔走してくれた。会員の中では最年長なのでその知恵と経験をフルに生かして(最年長って私と半年くらいしか違いませんが・汗)。

 この箱絵がお気に入りとのこと。説明するまでもなく、小池繁夫さんならではの、繊細な航空機の絵と、背景のピンク色に輝く雲。夕暮れの空をたまには見てください。まるで鍾馗や飛燕が飛んできそうな色の雲が見えてドキっとするよ。

 工作はさらっと終えて、あとは塗装で頑張る・・・という、ハセガワキットのコンセプトを楽しんだそうです。
 隼、疾風、そして鍾馗と中島飛行機製が並んだけど、見てると前進翼に見えないこともない、中島の主翼・・・なんか高性能っぽくてイイよね。三菱の設計もすごいんだろうけど、こちらもそそられる。

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 こちらは、一週間前に入会した亀田さんの「大分海軍航空隊ブース」

 一週間前ってのがスリリングですが、これはツイッターのご縁らしい。私は実は実際に会ってなくてこの展示会が初対面だった。弱冠20代で海軍大分航空隊について取材されているという、若き戦史研究家。たった一週間で大分航空隊についての年表を作ってくれて、作品とともに展示することになった。連山などのごく一部の飛行機を除いて、ほとんどの飛行機が大分航空隊に在籍していたんだそうな。
 このブースは目玉として入口付近に置いてたんだけど、高齢のお客様などが興味深そうに見ているのが印象的だった。

 残念ながら、大分に海軍航空隊があったことは私も模型を趣味にするまで知らず、恐らく多くの大分県人にも忘れ去られている事実だと思う。というのも資料館や記念碑、残された掩体壕などもひとつもない(佐伯と宇佐にはあるのに)。宇垣中将の最後の特攻記念碑だけはあるけれど、それもどれだけの人が知っているか・・・。今後、私らは「大分航空隊」の名に恥じないよう、少しでも歴史を伝えていけるような展示をしていけたらという夢がふくらむ。っていうか、その前に「オタ」マーキングの機体を作らんとね私。

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 陸軍第六戦隊整備兵だった川津正人氏の製作された、ニチモ1/48 九九式襲撃機

 カットモデルにされてます。川津氏は大分県中津市の出身で、亀田さんは実際にお会いして作品を譲り受けたそうです。ご本人は健在だそうで、展示会の報告もしてもらえそうです。

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 エレベーターの上り口その他必要なところにポスターを掲示した。ポスター(チラシ)、オタ空ロゴなどの担当はあおまきさん。なんちゃってJMCのデザインでもお世話になっている。誰でもできる仕事ではないので本当にありがたい。

 ツイッターも担当してもらっている。ツイッターは若い人には絶大な告知力がありますね。

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 展示会のごく一部ですが、私の撮った写真の中からまともにピントがあってたものだけをご紹介(今回はほとんど写真は撮れなかった)

 別府の模型店・メカドールの店長さん作品。F-117 タミヤ1/48 
 美しい塗装ですねー。土台にもモミジがあってステルスになってるわけです。

 二次会で行った店のマスター(飛行機好き)が「今日展示会を見に行ったけど、あのモミジの描かれたステルス機凄かった、どうやって塗装してるんですかねえ」としきりと不思議がっていた。ちなみに黄色いほうから順に塗装したそうですよ。

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 同じくメカドールご一行様(模型店の常連さん)の小野さん作品、ハセガワ1/48 VF-1

 美しく塗装されてて遠くから見ても目につく作品。溜息が出ました。
 こんなふうに作れたらいいな。VF-1大好きです。

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 飯塚リバーサイド(福岡県のクラブ)の三好さん作品。故人なんだけど、絵富代さんが譲り受けた作品だとのこと。最近亡くなったらしいので、私もどこかでお会いしたことがあるのかもしれない。
 どことなくお洒落なセンスの感じられる作品。ご本人もそんな人だったのかも。

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 広島乱流会の伊藤さん作品。タミヤ1/32 コルセア。

 「タミヤ様の言う通りしなかったらひどい目にあいました・・・・」と泣きながら話してました。部品が多いキットはしばしばそういうことがあるようですね。フフフ。
 槙野会長と二人での参加、遠く広島からありがとうございました。小倉からは銀翼会と合流してこられたようですが、御大・毛利会長に運転させるとは、とんでもない連中ですわ!!

 全部の作品は、蛇の目オヤジさんのご厚意で、熊本トムキャッツ掲示板にてご覧ください。
 明日に続く。

展示会をつくる(オタ空報告2)

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 会場のふだんの様子。大分市コンパルホール2F市民ギャラリー。市の公共施設なので利用料は安いけれど半年前からしか申し込みができないのが少しドキドキだった。

 吹き抜け部分で廊下の一部ということでドアは無し。使用していないときは、こんなシャッターが閉まっている。この向かい側(写真撮ってる人の背後)には喫茶室があり、安価なランチなどが利用できる。左手すぐに階段とエレベーターがあり、荷物を運ぶにも便利。地下に駐車場、近所にも一日500円程度の駐車場がある。大分駅、大分中心部の繁華街からは徒歩10分程度とアクセス良し。

 展示会というのは、まずは会場探しから始まる。いやその前に仲間探しか・・・私の場合、展示会をしようという話を初めてからやはり二年以上はかかったかな。クラブ名も「大分航空隊」と決まり正式に立ち上がったのは去年の7月。

 最初は雲をつかむような話で、本当にできるのだろうという不安もあった。それが少しずつカタチになっていく。プラモと同じかもしれない。大分在住の会員が動いてくれたからできたけど、現役で忙しい職業の人ばかりだとこういうイベントは大変だろう。

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 普通の長机以外に丸いテーブルが7個ほどあって、360度から作品を見ることができて、案外好評だった。絵画展などをできるように白い壁になっているんだけど、私たちは掲示物を作るところまで頭がまわらず、スペース的にはちょっともったいなかったかもしれない。若干照明が暗いのが不安だったけど、まあどうにか我慢できた。

 模型雑誌やタミヤHP、模型店などに告知を頼んで参加者を募ることにし、私のメルアドを書いておいたけれど、連絡をくれた人は一人。あとは連絡なしで直接来た人が数名、そして大多数はこれまでの展示会訪問で知り合った九州や四国のモデラーたち。ありがたいことである。

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 こちらは、当会会員・ハスラーがががっちさんが関わっている、大分市の和巧(紙製エッチングパーツのブランドが“紙創り”)さんのブース。格納庫やシートベルトの見本を展示していただいた。

 私も和巧(紙創り)さん事務所へは訪問したことがあるけど、あの辺は、まさに大分海軍航空隊の敷地内だと思う。紙創りさんの本業は、博物館などに置くジオラマやレプリカを作る会社。私、ああいうの子供の頃から大好きなんだよね。

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 現在は製造してないらしいけど、紙創りの格納庫を使った作例。堀社長作品。モデラーとしてもなかなかの腕前。アオシマ 1/72 紫電改。ああー紫電改カッチョええなー。次作るかなーもちろんハセガワですよ。

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 ところで、熊本トムキャッツから参加の蛇の目オヤジさんが、クラブの掲示板で的確なコメントをいれた展示会作品レポを書き始めているので、そちらの写真を見ていただきたい。→熊本トムキャッツ掲示板

 これだけ写真を撮ってアップロードするのは大変な労力がいるのは私にはよくわかることなので、とても感謝している。当会にて写真はすべて撮ってアップロードすべきところ、大変申し訳なく思う。
 写真は蛇の目オヤジさん作品。ドイツ側になって戦っていたルーマニア空軍機。美しく整形されています。

 ふだんとちょっと違う、展示会報告は明日に続く。

満員御礼(オタ空報告1)

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 2/8,9、大分市コンパルホールにて開催された、大分航空隊初の展示会「第一回オタ空」にご来場の皆様ありがとうございました。作品参加してくれた方々、見学に来てくれた皆様に御礼申し上げます。

 クラブを立ち上げ、場所を探し、どういった展示会にし、いつ頃開催するか等、さまざまな壁をクリアし、そして肝心のテーマ展示に向けた製作に泣きながら、ようやく迎えたこの日。うれしさと不安の混じったなんとも言えない気持ちで会場に向かいました。

 テーブルの配置ひとつとっても試行錯誤です。これは展示会を主催した人にしかわからない苦労。でもやってみる価値はある苦労、かもしれません。

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 いきなりタミヤ1/32零戦がバッティングする之図。しかもマーキングまで全く同じやん。

 左側は利光さん作品、右側は私の。同じキットを作っても全然違う作品になるというよい見本。

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 美女には目もくれず、模型談義に夢中な人たちが写り込んでます(毛利さん撮影)

 今回は残念ながら、展示会レポートといえるものはできません。すみません。実際やってみるとわかると思いますが、接客しているうちに一日が終わりますので、写真をゆっくり撮ってるヒマがないのです。
 レポートというのは、よその展示会にお邪魔したときに初めて成立するものなんだなと改めて思いました。地元の展示会ではレポートしてるやんけ、と言われるかと思いますが、地元はクラブ員が10名以上いて完全に仕事が分担されてますし、事務局がちゃんとやってくれてるから、末端の私なんか大してすることもないんですが、今回は五人ですべてやらないといけないし、クラブとしてはできたてのほやほやだし、展示会も初体験。まあ初体験のときを思い出していただければわかると思いますが、とりあえず入れるだけで必死なわけですよ(意味不明

 必死な二日間、こちらから見た何かを少しでもお伝えしようと思います。明日に続く。
 

T-4!T-4!T-4!(2019天領プラものづくり大会その4)

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 第13飛行教育団模型同好会のトミーさん作品(左側) ハセガワの1/72 T-4

 仕事柄飛行機にはお詳しいので、いろんなことを教えてもらった。
 二日目、過去作のT-4を並べさせてもらった。当然のことながら、どこに手を入れているかはパッと見てわかってくれるから、うれしい。いやーこういうのは展示会の醍醐味。

 でもこうやって写真撮ると、ピカピカに作ってるトミーさんのT-4のほうがやっぱ綺麗でいいなあ・・・とか思ってしまうね。こちらは飛行教育団の塗装だと思う←おい!! どこ見てたんかい

 先日から、「飛行機メカニズム図鑑」(出射忠明著/グランプリ出版)を読み直していたので、お話聞きながら、「おおー、おんなじこと言ってる(当たり前ですが)」と驚いた。
 たとえば、飛行機の設計で安定性というのは大事だけれど、戦闘機はあんまり安定性がよいとアクロバティックな機動がやりにくいので、わざと安定性を悪くする、とかね。T-4もパイロンつけると安定がよくなりすぎるそうです。
 ほかにも色々面白い話があったけど、たぶん軍事機密だと思うのでここには書けません。

 トミーさんの作品は、ほかにもコンコルドとかいろいろと良いものがあったのに、話ばかりして全然写真撮っていなかった。すみません。

 全体的に今回は、撮った写真見てると「元気ないな」というのが自分でわかる。せっかくの良い作品を見ても、肝心の自分自身が受け入れる心の余裕がなかったというか。来場の皆さんとお話して、ようやく心が癒えて来たという感じ・・・。

新製品

 展示会の翌日、ある方からこんな写真いただいた。ハセガワの新製品?じゃなくて、ナガラガワ?の新製品、TPC(飛行開発実験団)の記念塗装機です。

 おー、いいねグッドタイミング。魂は呼び合うのでしょうか。
 ニセガワ精神というか、こういうパロディって大好き。

t4_2

 ちょうど私らがT-4話に興じている頃、岐阜基地航空祭が行われていたそうで、この写真もいいですね。作りたくなりますね!! 
 もちろん、ブルーインパルスも好きなんだけど、私はやはり訓練機としてのT-4に興味があります。

 飛行開発実験団というのもカッチョいいな。

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 こちらは、いつもデカいものを大量に作ってる齋藤さん。タミヤの1/32ファントム群。どんどん買ってどんどん作る、モデラーのかがみですね。

 退職後、奥様の郷里である九州に帰ってこられて、日田のクラブに入会したのがもう7年くらい前になるでしょうか。最初はまさに出戻りそのものの作風だったのが、だんだん腕を上げてられます。今回は、デカールを入手できなかったマーキングなどはかなり手書きで頑張ってます。

 こういう他人の頑張ってる姿を見て元気をもらうのも模型クラブの良さ。お互い切磋琢磨であります。

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 わがヘリ軍団が展開中。まわりは、最近結成した「大分航空隊」のメンバーの作品。来年二月のオタ空の宣伝もさせてもらった。詳しくは→大分航空隊公式ブログ

 なんとかハボックも間に合ってよかった。たっぴんさんには「いい色やん」と言われていい気分。
 シーキングは「よく作りましたね」と毛利さんから花マルもらって有頂天。あの場では言わなかったけど、なんとなく亡くなった川野御大も一緒に来てくれてたような気がするんですよ。きっと見てくれてたんじゃないかな。

 別府の模型店メカドールの店長さんは、娘さん夫婦を会場に送り込んでくれまして、丁寧にご挨拶いただきました。こういうところ、気が利くねぇ。うれしいですよ。

 タカタカさんも駆けつけてくれました、ありがとう。作品の写真がなくてごめんね。拙作をじっくり見ていただき感謝です。
 熊本トムキャッツのアグレッサーさんがミラージュとクフィルの関係を講義してくれて思わぬ楽しいひとときがあったよね。クフィルは米国製のエンジンを載せて性能よくなったとか。アグレッサーさんといえば、第一回の展示会に来てくれて、スミ入れ実演をしてくれたのを覚えてる。

会場風景3
 さて、そんなわけで今年も楽しい展示会が終わった。ああ~、いつも展示会の帰りはなんともいえず寂しい(毛利さん撮影、バッチリ目をつぶってるけどまわりの会場風景を見てね)

 そして、来年、ついにこの展示会は20周年を迎えるのです。
 20年間に起きた、アホなこと腹立ったこと泣いたこと笑ったこと、いろいろあったけれど、来年は少し20年間のことを書きたいと思います。「ここでしか読めない天プラの裏の裏」 お楽しみに。

 では来年また、日田でお会いしましょう。
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