つれづれプラモ製作記

自称飛行機モデラー・きららのプラモ製作とプラモの活動記録

実機・実物

Xデー(久大本線花月川鉄橋復旧工事だより)

鉄橋19

 そして本日。夕方5時40分頃、私が駆けつけたときには何もかも終わった後だった(汗

 申し訳ありません、決定的瞬間を見逃しました。
 やっぱり、ダメだね・・・私。さすがに今日は落ち込んだ。こんなに悔しかったのは生まれて初めてかもしれない。何とか二枚写真撮って、へなへなとその場に座り込んでしまいそうだった。
 そうだよねえ、先週の状態考えたら、今日がXデーでしょう。明日は雨だというし。

 ほんとバカな私。今日は休みだったので、買い物したり家事をしたりする合間にダイソーに行って土台の材料買ってきて、いい気になって作っていたのだ。で、珍しく夕方フェイスブックを見たら(普段、フェイスブックは朝に一度だけ見ることにしている)、誰かが「鉄橋の橋桁かかりました」と写真をアップしているではないか!? 三時間前、とか書いてある。嗚呼!! 
 慌ててカメラをひっつかみ、自転車に飛び乗って現場に急行するが、すでに何もかも終わって、工事関係者も帰ったあと・・・。ああ、この数か月は一体何だったのだろう。

 ご期待に沿えずすみません。え? 誰も期待してないって? まっ確かにそうか・・・

ビール3
 あまりのショックに愕然としたが、とりあえず祝杯←そこはきちんとやる

 久大線復旧もあと少し。五月の静岡ホビーショーには間に合わないけど、まあJR九州も頑張ってくれてるから、良しとしよう←上から目線

 今年は大雨が降りませんように。

7


 こっち(マクロス VF-25Fメサイア 1/72ハセガワ)もどんどん進んでます。全体にツヤ黒を吹いたところ。
 尾翼にライトがついてるので、切り欠いて、瞬間接着剤を盛って一晩おいたら、瞬間接着剤が蒸発?してなくなっていた(汗 瞬間接着剤でライト作るのってどうやるんだろう。もしかして硬化剤を使うのかな。
 今夜もう一度トライしよう。あと、翼端灯も作らねば。このへんは手抜きできない。

 この可変翼なんだけど、胴体組んでから差し込むようになっている。ほんとに大丈夫なのかなあ・・・とドキドキした。カチっとはまったときにはホッとした。でも、左右一緒に動かさないとすぐに取れます(汗


花月川鉄橋復旧現場だより

鉄橋14
 昨日(4/20)の、久大本線花月川工事現場(昨年の九州北部豪雨で流された鉄橋復旧工事)。

 おおおっ!! ついに巨大なクレーンが橋桁を吊り上げる準備をしているのか・・・。Xデーはいつなのだろう。

鉄橋15
 同じクレーンを別の角度から。

 なかなかカッチョいいね。

鉄橋16

 こちらは、先日から「のり面」の工事をしている。これが終わらないと橋桁は載せられないのかな。ショベルカーにはハイブリッドと書いてあるということは、ガソリンと電気と両方使うということでしょうか。こういう大きなものも電気で動くのか!?

 昨日は(今日も)ものすごく暑く、写真撮ったのは午後二時過ぎでしたが、橋の上に立っているとじりじりと焼けるように熱かった。それでも風はまだ涼しく、夏に比べたらずっと楽ですが・・・夏が思いやられるなあ。

鉄橋17
 橋の上の見物人。たぶん近所の住人のおじさん達。「いやぁ、楽しみですねぇ」などとのんびり話している。
 まったくヒマな連中ですね・・・って、私がいちばんヒマか(汗

 働いてる人たちを眺めているのも申し訳ない気がして、慌ててうちに帰ってマクロスの続きを作った←それかい!!

鉄橋18
 面白い重機。

 上に一人乗って運転している。かなり激しく揺れながら川を渡っている。

 あとここに自衛隊も参加してると面白いのになあ←おい!!

6


 VF-25Fメサイアの続き。
 川崎重工なら、やっぱ銃身は長くないと(意味不明、少し長くした。真鍮パイプ。

 え? 先端が少し曲がってる? いやぁ~気のせいでしょう(汗
 キットは銃身が五個ついてるんだけど、うまく穴を開けられず、三本になってしまった。ま、そのへんは柔軟に対応する(汗

橋桁が姿を現す(閑話休題)

鉄橋11

 4/7の鉄橋工事現場(久大本線花月川・去年の九州北部豪雨で流された鉄橋の復旧工事)。この日は、寒の戻りでものすごく寒かった。でも寒いとなぜか鉄橋が気になって、じっとしていられない、変なヤツ。

 おおおっ、数日見ないうちに橋桁らしいものがスタンバイしてるっ!!(仮橋の上の黒っぽい物体)
 あれを橋脚の上に乗せるんだな、きっと。
 載せる瞬間を見てみたいけど・・・

鉄橋12
 今日は、ショベルカーで玉掛けしていた。いろんなものを使って玉掛けするんだね!!

 見てると、ショベルカーの運転してる人と、下で作業する三人がピタリと息が合ってるんだよね、さすが。あちこち動かしてみて、このやり方でいいか確認している様子。
 しかし毎度、他人の仕事してるのを勝手に写真撮ったりして、申し訳ないなあ・・・

鉄橋13
 風を防ぐ壁みたいなのが立っていて、そこの間から写真撮った。
 橋桁と思われる物体の内側。こんなふうになっている。

 もう少し上から撮れるとよかったんだけど。

80


 ハセガワ新版は、D-9とのコンボだったので、三年前に作ったD-9と並べて写真撮ろうと思い引っ張り出してみると・・・。あれっ、昔のほうが上手く作ってるやん!! ショック。

 アンテナ類とかちゃんと針金で作ってるじゃないですか私。
 昔の自分に負けるわけにはいかん、というわけで慌ててアンテナ類を作っているところ。
 あ、部品請求のキャノピーは昨日届いたので、塗装中。

 明日には出来上がる予定だけど、大丈夫かなあ。

全線復旧!!

鉄橋8
 本日朝刊(大分合同新聞)。
 久大線全線復旧の文字が目に飛び込んできた。7/14を信じていいんですね!?
 去年は7月6日でしたっけ、大雨が降ったのは。今年は降らないことを祈るのみ。

 というわけで、現場を見に行ってみよう。

鉄橋9

 新聞に写真が載ってたけど、一応自分の目で見ないとね。

 新聞の解説によると、これまでの五本の橋脚を二本にして、流れを阻害する割合を1/3にした。またレールはロングレールと言われるものになるとのこと(騒音低減のため)。
 確かになーたったこれだけの橋脚で大丈夫だとはねえ。今までのやつを覚えているから、これはかなり間があいてる気がする。

鉄橋10

 で、工事やってるのと反対の上流側では最近こんな工事が進行中。
 黒田の軍勢に備えるための陣地作り・・・かと思ったよ。川幅を狭くしたら余計水が激しく流れそうな気がするんだけど、大丈夫なのだろうか。一体なにをしているのか私にはさっぱりわかりません。

中の島公園

 ここをご覧の方々も花見はしたかもしれませんが、私も今年は地元のクラブに返り咲いたおかげで。10年ぶりかなあ。

 もちろん花見は先週末で、今日はもう誰もいない。でもこういう寂しさが私は好き。あえてにぎやかな当日は写真撮っていない。
 外で飲むビールは最高に美味しかった。そして、風が吹くたびに舞い散る桜。

 悔しいけれど、私のいない8年の間に新しいメンバーも増えて、ますます良いクラブになっていた。もちろんバーベキューを指揮するのは、“シェフ”ヤナピー軍曹、それを支えるのは二等兵、途中で肉が足りなくなると、オートバイ部隊の若い者が即座に唐揚げを買い出しに行くなど、連携が見事なのであった。ほんと私は「タダ乗り野郎」で申し訳ない気分。これからは真面目にクラブのために働かねば、とは思ってみたが、ビールを飲んでいるとすべてはもうどうでもいいような気がしてくるのだった。
 Yさん「男からみるとね、女の人ってのはもうだいたい全部、イイ♪わけです。でも男に対しては厳しいけどね(笑」
 私「あ、私もそうですよ、女にはメチャ点が辛いけどね、男の人はまあだいたいイイですよ・・・」
 Yさん「えっ、それちょっと女の人が言うと問題ありませんか!?(汗・笑」
 私「うーん、そういえばそうかー・・・まぁでもそうじゃないとこういう趣味できませんよ、たはは」

日隈城2

 今回は、久々に会ったKさんの案内で、日隈城(亀山公園)も見てきた。花見をしていた公園のすぐ近くなので。
 もちろんKさんはクラブのモデラーで、城については素人ではありますが、自分で資料を集めたり現地で観察したりして、独自の推論をたてていました。推論が正しいかどうか、もちろん私にはわからないけれど、日隈城はいまだ考古学的な調査は行われたことがないようなので、誰も本当のことは知らないと言ってよいのではないかと思う。
 自分の調べたことをもとに推論を立て、あれこれ考えてみる。スケールモデル製作にもちょっと通じるね。

日隈城1

 城というのは要塞であるから、最初は山のてっぺんに築かれたり、その後も海や川のそばなどに築かれることが多かった。自然の要害ってやつである。さらに、ここは敷地の中に大きな岩が多く、崖みたいになっている部分も多い。地形をうまく利用した城に見える。築城するには立地条件がかなり大事だったのではなかろうか、それを見抜く力がすごいよねと、Kさんと話した。

 さて、先日から石垣の写真ばかりですみません。というか、土木工事マニアか!? しかしあと少し辛抱して、中央をよくご覧ください。
 石が手前から奥にまっすぐに並んでいるでしょ? 手前はかなり土に埋もれているけれど、奥に行くにしたがって・・・ほら、見えてきませんか。これは石垣だったのではないか!! 落ち葉と土がものすごく堆積しているけど。
 私の知識では、これが築城したときの石垣かどうかもわかりませんが、なんとなくそうなんじゃないかなって感じがして・・・そう考えるだけでもわくわくする。

 こんなふうにあちこち探してみると、埋もれた石垣があちこちにみられるの!! 最近何度も来ては探し回ってたりして。掘り返してみたらきっと石垣が姿を現すんだろうなあ・・・掘ってみたいなあ!!

藪椿2

 藪椿。

 野山を歩くと、こんな椿に出会ったことはありませんか。一重で小ぶりの花がじつに清楚で、いいでしょ。古来よりお茶人が好む花です。

 写真撮っていたら、散歩のじい様が「何の写真を撮っているのか」と聞いてきた。「椿の写真撮ってるんです」と答えると(さすがに石垣の写真とは言えなかった) 「椿ね・・・もうすぐすると、ヘビが出てくるよ。で、冬が近くなると皮を脱ぐから皮が木の枝に引っかかってるよ」と説明してくれた。
 げげーっ、ヘビっ!? これからの季節は気をつけなくちゃ。石垣にはヘビに棲んでると思って間違いないよね。じい様に感謝して山を下りた。

 そういえば、「亀山(きざん)」の名前のもとになった昔話・・・その昔、この近くの寺に参詣する見慣れぬ老爺がいたが、実は亀の化身であったと・・・あのじい様もそうだったのかもしれない。

城春にしてサクラ咲く(府内城)

城3

 お城に桜。

 本日、野暮用にて帰省するついでに大分市の府内城に立ち寄った。

 写真中央に見えるのが、江戸時代の現存する建築物の人質櫓(と言っても一度火事で焼失し幕末の再建)。全国でも現存する人質櫓はこれだけだそうです。現在外壁の修復?か調査?か何かやってるようで足場が組まれている。

 ちなみに、こちら側は府内城の裏側になるんだけど、私はこのへんからの眺めがいちばん気に入っている。

城1

 廊下橋から人質櫓を望む。

 堀というのは、もちろん当時は軍事的な意味合いで作ったものだけれど、今となってはこんな大がかりな建造物は、作ろうたってなかなか作れないだろう。ありがたいことである。

城2

 廊下橋を外側から見ると、こんな感じ。

 廊下橋は平成に入って復元再建された。橋のこちら側には神社がたっているけれど、当時は月見をしたり能などを催したりと、殿様の趣味的空間だったらしい。いやー贅沢ですね。
 逆にいえば、ソメイヨシノは江戸時代にはまだなかったと思う。植えていたとしてもヤマザクラか・・・。殿はどんな花見をしていたのだろう。

 府内城のはどうだか知らないけれど、廊下橋って、いざというときには切って落として敵が渡れないようにするものもあるとか。

城4
 石垣は、正直言ってそんなに素晴らしい感じがしない。熊本城とか見て目が肥えたせいか。

 野面積みといって、石を切らずにそのまま積んでいる(角にあたる部分だけはきれいに整形した石で組んである)。こないだ見た日田の月隈城のほうがセンス良かったなあ。

 でも観察してると、こんなモノが石垣から突き出してたりして。いや~ん。
 雨どいというか、雨水を逃がすためなんでしょうね。うふん。

城5

 平日ではあるけど、けっこうたくさんの人々が花見をしていた。
 こちらはストイックに石垣の写真なんか撮ってるのに、善男善女の方々は楽しそうに弁当なんか食べている。あーなんか他人の弁当を見ていたらお腹が減ってきた。

 府内城は残念ながら天守閣が失われたまま再建(復元)されておらず、石垣の見栄えも(私にとっては)イマイチで、あまりパッとしない印象。それでも貴重な文化遺産であり市民の憩いの場であります。

 国破れてプラモあり、城春にしてサクラ咲く。

 その昔、米軍の焼夷弾はこの城の周りの市街地を火の海にし、櫓も焼けたという・・・そんな歴史を思うと、眠たくなるようなこの平和がありがたい。

赤レンガ館2

 最近リニューアルされた「赤レンガ館」に行ってみた。城からは歩いて10分もかからないくらい。

 ここは1913年(大正2年)、当時二十三銀行本店として建てられたそうです。東京駅などの設計をした辰野金吾氏による設計で、文化財にも指定されてます。現在は大分銀行になっている。
 なんだか入口のアーチが遊び心というか、洒落てるね。私は読んでないけど「海賊と呼ばれた男」にもこの建物の出てくるシーンがあるそうです。

赤レンガ館1
 中には大分県産品を扱うお洒落なショップとカフェが入っている。

 こんなふうに、もともとの柱を生かして、内装をリニューアルしている。柱の存在感がハンパない。
 しゃれたパッケージで県産品を生かした美味しいものや木工品などが売られている。私は佐伯の紅茶を買ってみました。

 大分銀行の取引先的なおじさんも多数来店していた。中には銀翼会の毛利さんに似たオジサマもいて、おもわず二度見してしまいましたよ。しかし、彼らは美女(注:私のことね)には目もくれず、すぐに帰ってしまうのだった。
 コーヒーでもご一緒しませんか、とか言うような男はおらんかねぇ。ああ~大分県の男って、つまらんわ。

ラテアート
 じゃーん、人生初ラテアート体験(汗 ・・・ってどんだけ流行ものに乗り遅れてるんかい!! 周回遅れどころの騒ぎではないですな。 
 で、口をつけたらすぐにこの「絵」が崩れてしまうんだろうとタカをくくっていたら、最後まで崩れないんだね!! これは驚き←へんなところで感動するヤツ

 この大きなサンドイッチですが、パンがフワフワなのでうれしかった。最近カタイものを噛むのが苦手・・・って、どんだけ歯が弱いんかい!! すごく美味しかったよ。

 去年のスタバもそうだったけど、店員の感じのいいお兄さんが「カプチーノがオススメですよ」と言ってくれたもんだから「あ、それにしてください」とすぐに陥落する私。あーあ、若い娘に弱いオッサンと全く同じで情けない。

 でも、最近は「おすすめ」を教えてくれる店が多いのは助かるね。こういう若い人の行くような店に行くと、何頼んでいいかわかんないんだもん←おい!! 酒の銘柄なら迷わないんだけどね。あ、やっぱオッサンと同じか。

史跡永山城跡 災害復旧工事現場説明会

1

 大分県日田市豆田町の模型屋・アカシ文具店を出てほんの数分歩いて花月川にかかる橋を渡ると、昔の代官所のあったとかいう場所の近くを過ぎ、日田林工高校(昔は甲子園にけっこう出場しているので覚えている方もあるでしょう)のそばの白い壁と堀のある場所に出る。観光客向けの駐車場にもなっている。
 ここが、月隈(つきくま)城こと史跡永山城址である(この白壁はいつ頃作られたかは知らない)。
 1601年に、小川光氏という大名が築いた城で、その後1639年に代官が着任し廃城となったと思われる。しかし、幕府(代官所)が管理していたため、荒廃するということはなかったのが幸いだった。

 ただ、天守閣をはじめ、建築物はいつのまにか失われ、現在では石垣を残すのみ。

2
 ふもとは月隈公園という憩いの場になっており、城は小さな丘の上にある。

 石垣は一昨年の熊本地震で崩落。近所の人は崩れる音を聞いたとか。恐ろしかっただろうなあ。

9
 例の鉄橋復旧現場からも徒歩15分くらいかな。全部私の生活圏であります。
 ただ、ここ一年以上復旧工事のため月隈城の上までは登れない状態になってたんだよね。それがもうすぐ工事が完了するというので、今日「災害復旧工事現場説明会」が行われると聞き、石垣マニアとしてはわくわくしてやってきたわけです。災害転じて福となす。めったに見られないモノを見られるんだから。

8
 さて、こんな説明板も用意されていて、集まった市民は60人くらいいたかな。一日二回開催される予定で、私は午前の部に行った。説明板の後ろの青い屋根は日田林工の剣道場。
 工事は、日田の田中建設株式会社が施工、株式会社埋蔵文化財サポートシステム大分支店が施工管理。もちろん大分県からの補助金で実施している。

 受付で全員にヘルメットが配られ、A3用紙の裏表に印刷された資料を受けとる。(今回の私の文章の多くはこの資料から引用させてもらってます。あくまで私の理解で書いているので、勘違い等もあるかもしれないと思います、きちんと知りたい方は、別の資料をご自分で調べてください。)

2
 文化財課の方から永山城の説明などを受け、一同ぞろぞろと登りはじめる。写真上のほうに足場が組まれているのが現場の石垣。遠くからも見えるんだけど、これまではずっとブルーシートがかかってる状態だった。

 重機を登らせるために石段が埋められているので、足元は少々歩きにくい。天気がよかったのが幸い。
 下に見える穴は、古墳時代の横穴墓。大戦中は防空壕としても使われ、また昭和の時代は近所の子供たちの遊び場にもなっていた(模型屋のアカシさん証言)。

4
 登るのは10分もかからないくらいの小さな丘で、下から見えた足場の組まれた石垣のところに到着。石垣のすぐそばが崖になってるけど、ここの崖にも半分埋まった石垣が見える。
 担当の人によると、ここは9万年前の阿蘇の大噴火のときの凝灰岩の崖だそうで・・・・

 えええ~っ、阿蘇が爆発してここまで溶岩が流れてきたっちゅうことかい!? 信じられんわー。
 すごいですね、阿蘇山。スケールが違う。変なところで感動する私。

 で、この崖は切り立っているらしいんだけど、恐らく古墳時代の人が削ってそこにあの横穴を彫ったのではないかというんですよ。古墳時代の人も、なかなかやるのう。

3

 ここが大手石垣と言われている部分で、大手門がこの左側にあったといわれている。左側部分の土の中にも石垣が埋まっているらしく・・・できればそれらもすべて発掘して復元してほしいものだ、と妄想が広がる。

 左隅の石などは明らかに割ってまっすぐに整形した石だけど、あとは川原石をそのまま使ったものも多く、それが特徴なのだという。もちろん、すぐ近くの花月川の石だろうね。地産地消。
 野面積みというんだと思う。味わいあるでしょ?

 この石垣の上に櫓があったのではないだろうか、という雰囲気するよね。しかし、今回発掘調査したけど、残念ながら建物の遺構は出てこなかったそうです。

5

 というのも、この石垣、400年間に数回にわたって崩れて積みなおした跡があるそうで、当然櫓なんかも倒壊したでしょう・・・日本は地震多いんだなあ。

 大手石垣の上に登ったところ。これが今回の白眉で、こういう場所を見られることは普通ないんです。やったー!! って感じ。わくわくする。
 城の石垣って、表側から見える大きな石の裏に、小さい石をこんなふうに詰めるんだけど、これを裏込め石といいます。一昨年、熊本城の石垣が崩壊しているのを見学したけど、そのときも裏込め石が中から出てきているのが見えた。

 で、もともと入ってた石は丸い石でしかもけっこう乱雑に入っていて、間に土が詰まっていたそうな。そうすると水が通らなくなって石垣が崩壊しやすくなるそうです。だから今回は、こんなふうに石と石がかみ合うような形状のものを使い、また、丸い比較的大きな石(もともと裏込め石だったものの中から大きなものを選んだそう)を間に少し並べているのがおわかりでしょうか。これらは唐津城や福岡城などのやり方を参考にしているそうです。石は手を使って丁寧に詰め込まれています。こういうふうに違う大きさの石を並べることで地震などの衝撃を和らげるらしい。

6
 こんなふうに、人間の手作業で細かく詰め込まれている。
 しかしこれで絶対に崩れないとは言い切れないそうで(計算することが難しいとのこと)、とにかく最善の策をとっているそうです。
 ちなみに、線路にも石を置いてあるのは、やはり衝撃を吸収するためだそうです。へぇ~すごいぞ、石!!

7
 担当の人が説明してくれているところ。説明はとてもわかりやすく、上手だった。
 こちらの石垣は大手石垣ではなく、天守台(天守閣が建てられている場所)だったといわれている石垣。

 石に番号が書いてあるのは崩れた石と、その隣の石で、それらは一度取り除いて出来得る限り元通りに積みなおしたんだそうです。元あったとおりに復元するというのが基本なんだろうね。一昨年の飛燕の復元もそうだった。今回も、昔の工法で、なるべく昔のやり方で復元している。
 でもなー、昔の工法ってすごいよねぇ!! コンピューターとか機械とか何もなかったのに、どうやってそんな優れた工法を発見できたんだろう。
 石の間に小さな石を詰めているのももちろん強度のためです。

 実はこの永山城が史跡に指定されたのは、なんと一昨年の2月、熊本地震の二か月前なのである。ギリギリセーフ!?で指定され、これもまた不幸中の幸い。史跡だから今回の復元費用の予算が大分県から出たのではないかしら。
 私も含めて、何人かの熱心なオジサン共が担当者を質問攻めにしながら、ふもとに降りた。
 名残惜しかったけれど、担当者に御礼を言ってその場をあとにした。

 石垣ロマンに浸った、興味深い素晴らしい見学会だった。

ご苦労さんよ(九州鉄道記念館訪問記)

2

 2017年10月28日、銀翼会の展示会に行く前に、門司港へと足を延ばした。
 小倉駅から少し走ると線路はふたつに分かれ、ひとつは関門トンネルへ、ひとつは終着駅・門司港へ。

 構内に巨大な車輪が展示してあった。すごい存在感。8620型上記機関車の車輪だそうです。いきなり圧倒される。

1
 門司港駅は大変古い駅舎で有名で、現在は修復工事を行っている。

3
 駅構内の洗面所やトイレが、大正時代からのものでなんともいえぬレトロな趣。トイレなどは現在もそのまま使っている。

 この水道は「帰り水」というそうだ。
 復員や引き揚げした人たちが門司港に上陸してはじめて口にした水・・・やがて「帰り水」と言われるようになった、と説明板に書いてあった。
 復員兵や引揚者でごったがえす門司港の情景、誰か作りませんか。

19

 いよいよ、九州鉄道記念館に到着・・・って門司港駅の目と鼻の先だけど。
 本日は、地元の飛行機モデラー・零観さん(56歳)に案内してもらった。子供の頃SLの線路にバケツを置いて叱られたとかいうわけのわからんイタズラしてた年代の人だ(汗 SLが急停車してこっぴどく叱られたとか・・・

 入口、写真右側が料金所なんだけど、昔国鉄で車掌してたような格好いい爺ぃなんかが切符切ってくれると雰囲気出るのになあ。

4

 で、私たちを出迎えてくれる蒸気機関車。キュウロクこと9600型機関車。

 あれっ、豊後森の機関庫においてあるやつと同じだ。この機関車に縁があるなあ。そう思いながら案内板を見ると・・・

5
 ごくろうさんよ。(車体番号 59634)

 おお~!! 昔の人もそういう語呂合わせで呼んでいたのか。
 いいナンバーだね。なんか、いきなり胸が熱くなったりする。

6

 逞しい足回り。いやーホレます。

 大きくて黒くて強くて・・・

7

 私の身長は155センチくらいだから小さいんだけど、それにしても車輪が大きい(こちらはC59の足回り)。

 油でギトギトの車輪。鉄だから油いっぱいつけてないとサビてしまうんだろうね。
 私考えたんだけど蒸気機関車ってたぶん蒸気の力でピストン動かして車輪を回してるんでしょ。
 てことは、飛行機やクルマの場合はガソリンを爆発させているけど、蒸気機関車は何も爆発してないんだよね、石炭と水だけなんだよね。それだけでこんな大きなモノが動くなんて信じられないよ。

9

 これは豊後森と(肥後)小国の間を走ってた汽車。え? そんな路線あった? 知らなかった。宮原線っていうんだね。

 列車にはキハとか書いてあるけど、キは気動車のキなんだってね。最近知りました。「ゆふ」にも書いてあるなあといつも思ってた。

10

 ステキな客車でしょ? なんともいえずいい色合い。
 展示会レポートのいちばん最初で私が乗車していたのがこれですよ。
 キハ0741、宮原線で走ってたんだけど、昭和44年に引退したそうです。知らなかった。

 私、昭和37年生まれですが、37~39年北九州市、39~45神戸市、45年~48年仙台市というように、生まれてからほぼ九州以外に住んでたので、オホホ。九州のことはあんまり存じませんのことよ。
 ただ、帰省や転勤のたびに乗る列車や船などの乗り物には子供心に強い印象があり、それがなんとなく今の自分につながってる気がする。

11

 同車両の運転席。シンプルだなあ。コクピットっていってもこれだけ?

12

 お次は・・・おっ、にちりん!!(日豊本線、小倉~宮崎間を運行)
 これはたぶん乗ったことあるよ。でも先頭車両こんなかっこいい形のあったかなあ←ウロ覚え

13
 わっ、懐かしい車内。

 この座席・・・じっと見ているとなんだか気持ちが20代の頃の自分に戻っていく。あ、ヤバイ私・・・なんとなく気分が落ち着かなくなってきた・・・

14

 そして、次は、ああっ、なんと富士!!

 東京行くには富士で行ってたよ。寝台列車好きだった。
 これでかえってきて、そのまま仕事に行ったこともある(東京から朝帰りっす

17
 嗚呼、B寝台。

15

 そうそう。これだった。見ただけで胸がいっぱいになる。

 零観さんは寝台車に乗ったことがないという。
 零観「ええっ、まさかここに他人同士が寝るんですか」
 きらら「そうですよ、まあカーテンはありますが」
 零観「オッサンのいびきで寝られないとか」
 きらら「いびきというより、列車のガタンガタンって音がすごくて、今思うとよくこんな中で熟睡できたなあと」
 零観「にしても、隣に女性が乗ってたりするわけですよね!?」
 きらら「そうですよ、カーテンの陰で着替えしてたりして、ウフフ♪」
 零観「おおっ・・・・(妄想中)」

16
 この情景見たとき、ちょっと心の中が怪しい感じになってきた。胸がいっぱい。そう、こんな通路だった。右側がベッドで。

 左側の窓の下あたりに折り畳み式の椅子があって、それに腰かけて外を眺めたりしたっけ。
 いっぺんに20代の頃の自分にタイムスリップする・・・しかしそれはもう、動かない車両であるという事実に胸が締め付けられる。あの日々はどこにいったのだろう。
 なんていうか、沈んだタイタニック号の中に迷い込んだらこんな感じなのだろうか。

 もしあなたの懐かしい電車や汽車があればぜひ(ここに限らないけど)鉄道博物館においでになることをおすすめします。できたら一人で。涙が出ますから。

 隣には資料館があり、お土産なども買うことができます。
 ただし鉄道関係の本があるかと期待してきたんだけど、ぜんぜん売ってなくてがっくり。いかに本が売れないかということなんだろうな。福岡空港にも本屋ってないよね。そう思うとインターネットって本屋の敵か。
 この「富士」の中を本屋にして、ここで本が読めたらなあ。とか思う。

 動かなくてもね、たまにこの隣の引き込み線に現役の「有明」とかが入ってくるんだよ。いい所だよここは。落ち着くね。

冬の遠足(日出城址編)



 さて回天基地をあとにして、昼食を取り(地元の割烹でちらし寿司を食べたらこれがもう食べきれんくらいのてんこ盛り~すべて新鮮な魚で久しぶりにこんなおいしいもの食べて生き返った。ちなみに日出町は城下カレイと言ってすぐそばでカレイが取れるので有名。これがまたものすごく美味しい、ただし旬は五月頃)、次は日出町中心部にある日出城見学へ。

 まるで西方浄土につながっているのではないかと思うような、言葉を失うほど美しい別府湾の眺め。
 回天搭乗員に思いを馳せたあとだったので、思わず手を合わせたくなる。

 正面左端の山は高崎山、その左側が大分市、高崎山の右側は別府市という位置関係になります。
 別府湾は見事に丸い湾になっていて、まるで湖のよう。
 日出城大手門跡。
 現在は日出小学校になっている。そう、本丸に小学校が建っているのである。恐れ多い。
 城跡が学校だなんて、うらやましいなあ。

 城の平面図が書いてある。

 「築城:慶長六年(1961年)、縄張:細川忠興、城主:木下延俊」

 ええ~っ、細川忠興って有名な人やん!? 確か細川ガラシャのダンナさんでしょ!?←そこかい
 マジすか!? むしろ城主の木下延俊さんのほうをよく知らんわー。

 縄張、というのは城全体の設計図のこと。地面に縄を張ったり、模型を作ったりして設計したという。
 現在日出城は、天守以下ほとんどの土塀や櫓や門などは失われており、石垣のみが残っている。

 あ、先日滝廉太郎の「荒城の月」は豊後竹田の岡城だと書いたけれど、実は日出城だったという説もあるそうな。そもそも瀧家は日出藩の家老だそう(木下延俊さんにも仕えた、廉太郎自身は東京の生まれ)。県内のこともいろいろ知らんことが多いなあ。

 天守台だと思われる石垣。

 実際の建物がないのでツマンナイと思う人もいるかもしれないけど、私はこの状態がまた大好きなんです。
 「ない」と「在りし日」の想像が膨らむでしょ?

 「ない」ことで、逆に「もともとあったもの」の存在が強く感じられるというのは不思議な現象だと思う。
 そんなふうに感じる人とそうでない人といるかもしれないけど、人が遺跡に惹かれるのはそういうことじゃないかな。

 崩れたり失われたりすることの中に物語を感じる。

 おやっ、石垣の石がひとつ外れてる!!
 やだなあ~すぐそういうところに目が行っちゃうのはモデラーのサガでしょうか。ここうまくできてないよって、つい指摘したりして。

 細川忠興公に「お前ら嫌な性格やのう」と言われそうですね、すみません。
 ちなみに、忠興公は木下延俊さんの義理の兄にあたり、その関係から縄張をしてもらったんだろうね。また、木下延俊さんは北政所の甥にあたるのだ、これも驚き。

 石垣の内側には、裏込石という小さい石が入ってるのがわかる。去年、地震で崩れた熊本城の石垣を見に行ったら、この裏込石が大量に出ていた。小さい石と言っても、小さめの漬物石くらいのもあって、これらを運ぶのもなかなか大変だったと思う。

 穴の上の石にはゴジラの歯型みたいのがついてるけど、あれは石を割るときのノミの跡。
 石垣見てるとけっこうあちこちに残っていて面白い。
 ちなみに、石垣は当時から災害等で壊れることは当然あって、それを常に修復しながら維持してきたという。そう考えると、熊本城の被害だって驚くには値しない、つねに修復しながら保存するのは日本人の歴史なんだと言ってもいいんじゃないかな。



 内堀の様子。

 石垣は有名な穴太衆(あのうしゅう)が工事を担当(忠興公の家臣)、野面積み(のづらづみ)で、乱積み(石を不規則に並べる)と布積み(石を横に並べて横目地を通す)の中間の布目崩し積みだそうです。
 石は鹿鳴越(日出の背後の険しい山)から運んだのだという。そうだよねえ、大きな岩ってどこにでも転がってるわけじゃないもん。

 おそらく築城技術は大変な高度な技術だろうから、誰でも彼でもできるわけじゃない、縄張りの構築もそうです。
 長い実戦経験を積んだ忠興公だからこそできたんでしょう。

 ちなみに当時、忠興公は中津城にいて鷹狩と称してときどき工事の進捗を見に来ていた、と書いてありましたが、その気持ち、なんかわかる気がするなぁ!!
 自分が設計した城を満足げに眺めてる姿が目に浮かぶ。ついでに城下カレイでも食ってくか・・・みたいな?

 ウィキペディアでちょっと忠興公のことを読んだけど、激動の人生だよね。ほんと戦国時代って面白いね。魅力的な人間を輩出してる。今の時代も戦国時代を取り入れたらいいのかなあと思う。緊張感が出るよね。ボヤボヤしてたら熊本県から攻められて滅ぼされるかもしれん(汗、とか。



 復元された鬼門櫓。
 鬼門方向がカドを取ってあります。実は現在は鬼門(東北隅)に建っていない(汗
 先日の松江城作ったときに書いたけど、下見板張りという壁です。真っ黒とはいえないのがわかるでしょ? 板にスミを塗装してる感じ。石の色も参考になります。
 こうした「櫓」と言われる建物が城のカドなどに建ってるのを見たことがあると思うけど、これは当然ながら戦争に備えた施設であります。

 明治維新で城の建物は競売にかけられ、失われていったが(材木として使われたのかなあ)、鬼門櫓だけは持ち主がどうにかそのまま保存していたのを(それでもかなりぼろぼろになっていた)、2008年に日出町に寄付され8000万円以上かけて復元されている。

 櫓の中は靴を脱いで上がって見学できる。

 戦国時代にタイムスリップしたような気分になる、「突き上げ戸」
 竹の棒で板戸の下部分を「ぎぎぎー」と押して上に開く。
 板一枚だから、防御的には若干弱いけれど、簡単な仕組みで外がよく見える。

 内堀と本丸の小学校が見えた。
 美しい景色。

 石垣と私。

 お城の空間・・・空気感というのかな、すごく気持ちが落ち着くんだよね・・・大好き。
 今、「城のつくり方図典」というものすごく面白い本を読んでいるんだけど、そのおかげでニワカお城マニアと化した私、石垣ひとつ取っても「おおー、本に書いてた通りだー」等、見ていると飽きないの。

 石垣だけの日出城址で一時間以上見てましたね。よくそんなに見るとこあるなーと思うでしょうが。実はまだ立ち去りがたいくらいだったけれど、汽車の時間が迫ってきた。

 冬枯れの古城のたたずまいは実にいい感じでした。これからもまた、あちこち行きたいと思います。
 というわけで、今回の旅はここまでです。

冬の遠足(回天神社編)

 大分県速見郡日出(ひじ)町に、回天(旧日本軍の人間魚雷)の基地があったことは、今はもう知る人も少ないかもしれない。

 大神(おおが)訓練基地があり、回天神社とかいうものがあるそうな・・・ということを知ったのは私も模型を作るようになってから、それも数年前のことだったような気がする。もちろん戦史に詳しい人は以前からご存じだとは思いますが。

 日出町製作の立派なパンフレット。回天の歴史から基地の説明、回天のメカニズムまで、わかりやすく書いてある。
 お金かけてますねー日出町。偉いと思います。

 大分市からは高速道路を使うと30分くらい? 
 今回もモデラー共と大分駅で集合し、大人の遠足に出発する。

 神社の参道には立派な立札が立っていた。



 回天神社。回天の部品三種がご神体として奉納されている。
 大戦中から回天神社として隊員の心のよりどころであり基地の別の場所にあったが、戦後この神社(住吉神社)の境内に移されたという。

 回天にたずさわって殉職、戦死した1073柱の合祀もされている。
 元隊員とその家族が大神回天会を結成して神社を守ってきたが、今では高齢化が進み、地元の方々が守っていくことになったとのこと。
 なかなか、伝えてゆくことは大変なんですよね。たまに訪れて眺めてるだけの観光客は気楽なもんだけど。

 

 九三式酸素魚雷3型(実物)が展示されている。

 確か同じものを呉の大和ミュージアムで見た記憶があります。
 後ろに置いてあるのは、回天の1/3模型。

 「甲標的搭乗員の黒木博司中尉と仁科関夫少尉は、兵器庫に何百本と眠っていた九三式魚雷を改造して自らが操縦して体当たりする魚雷を提唱しました。「必死」を前提とする兵器は採用できないと一度は却下されましたが、二人の熱意により脱出装置のないまま、正式な兵器として採用され(以下略)」(日出町作成のパンフレットより)

 戦局悪化に伴い、魚雷を利用して作った特攻兵器ということでしょうか。
 回天は終戦までに28回の出撃をしているそうです。
 ちなみに黒木大尉は訓練中に殉職したが、事故のおきた回天の中で状況を今後の実戦に生かすために冷静に分析し記録しました。またもう一人の仁科少尉はウルシー環礁出撃で戦死しています。

 

同魚雷の二重反転ペラ部分。小さいですよね。



 説明板

 
 神社は小高い丘にあり、穏やかな別府湾に面した回天の基地を見下ろす。

 画面中央くらいに黒い物体がありますが、回天の実物大模型です。今からあそこに行ってみます。

 神社下にあった、酸素圧縮ポンプ室。防空壕みたいな穴。

 中にはコンクリート製の構築物が残っており、何とも不気味。

 中に入っていく勇気はありません(いや入らなくていいです



 立派な1/1模型。
 結構巨大で驚いた。模型では見たことがある気がするけど。やはり実物(の大きさの模型)を見ると迫力がある。

 ここの基地からは1945年8月3日に出撃がありますが、戦死した人はありません。



 上面のハッチ。カギがかかっていて見られませんが、見学できるときもあるのかも。



 回天横には魚雷調整プールというコンクリート造りの水槽があった。

 駐車場とトイレも備えてあり、小さな公園のように整備されている。
 戦跡を残していこうという心意気はうれしい。

 誰かがやらないと残っていかないよね。お金のいることだから大変でしょうけれど。
 これらの見学は無料です。回天神社にお賽銭をするくらいですね。

 私と九三式魚雷。笑ってる場合じゃないんだが。

 回天なんて、特攻機と同じく、考えるのすら嫌悪感を感じていた。
 だけど、目をそらしていっていいんだろうか。見て見ぬふりするのは恥ずかしい行為じゃないだろうか。
 歴史を知ることがまず第一で、見たことをお伝えすることが(ほんのわずかな)私の任務。と、最近思う。

 朝、私の住む盆地を出発するときは深い霧に覆われて震えていましたが、重装備でやってきた日出町はご覧の通り冬というのに素晴らしいお天気で気が抜けるほど明るい陽射し。身も心も温かくほどけていくのでありました。

 明日に続く。

秋の遠足(その2 大分航空隊跡ほか)



 さて、大人の遠足の続き、かねてより訪れてみたいと思っていた大分航空隊跡地に行く前に、護国神社のパネル展に立ち寄ることにした。クルマだとこういう寄り道も簡単にできるのがありがたい。

 JR日豊線・高城駅からもほど近い、小高い丘の上に護国神社は建っている。
 眼下、右側のグラウンドの上辺をJRの線路が通っており、戦時中この線路のすぐそばに高城発動機工場があった。

 正面に見える煙突群は新日鉄住友金属大分工場、その手前に緑地がまっすぐ横に連なっているの見えると思いますが、この緑地の左半分くらいにほぼ沿うようにして当時の大分航空隊の滑走路があった。

 当時、ここからは連日訓練に飛び立つ零戦が見えたことだろう・・・と思ってたら
 「ここからそんなもん見てたら、憲兵隊に捕まえられますわ」と同行のモデラーに叱られた(汗
 護国神社の境内。

 本殿からは神主の厳かな祝詞が聞こえ・・・ちょうど七五三のお参りに来ているかわいい後姿が見えた。息子にもこんなときがあったなあ。

 平和を享受する21世紀生まれのこども達と、このパネル展はあまりにも対照的。
 しかし、七五三の家族が参詣のあと、こちらを見学されていたのはうれしかった。
 本殿横の「言霊館」にて。



 入口においてあった、九六陸攻二三型のエンジン、三菱金星51型のプロペラ。



 裏側のディテール。結構分厚いですね。



 パネル展示。
 最後の特攻の日、宇垣長官の訓示、彗星に乗り込む、中津留大尉(操縦)と遠藤飛曹長と宇垣長官の写真・・・など。

 神立尚紀著「特攻の真意」の中からの抜粋がパネルにありましたが、「玉音放送」は国民に終戦を告げるものであり、停戦命令ではなかった、という。軍隊に停戦命令が出たのは、翌日16日の午後だった。
 私も先日「指揮官たちの特攻」を読んだときは、そりゃあもう「宇垣長官一人で特攻に行けばよかったのに」と思いましたが、よくよく考えてみると、そんな単純なものだろうか。という気がしてきた。
 七〇一空は、たまたま終戦時ここ大分航空隊に一部が派遣されてきていたんです。なぜかという第五航空艦隊司令部が鹿屋から大分に移された(宇垣長官はそういうわけで大分にいた)ことに伴って護衛のために派遣されてきていたらしい。
 つまりはそのために偶然、最後の特攻隊となったわけで・・・まさしく運命のめぐりあわせというほかない。
 しかしまあ、鹿屋にいてもその可能性はあったかもしれないが。

 現在手元に「私兵特攻」(松下竜一著)がありますので読んでみようかと思います。


 私がいちばん興味をひかれたのは、こちら。

 言霊館の前に大きな屋根をわざわざこのために築いて置かれていた巨大な鉄扉。

 さきほど説明した高城発動機工場の門扉である。
 米軍による激しい空襲を受け、多くの機銃掃射の跡が残っている。

 巨大な鉄扉と真ん中のは防音壁。

 1942年に発動機工場として生産を始めたらしいが、戦後は酒造メーカーの酒蔵として使われ、現在は取り壊され、この鉄扉のみが保存されたという。せめてこれだけでも残してもらえてよかった。

 大分航空隊をしのぶ遺構は、もうほかに残されていないから。



 機銃掃射の跡。
 弾痕を見てみたいと願っていたので、実際に本物を見るとことができてうれしかった。

 同。



 私の身長は154センチくらいですが、鉄扉の巨大さがわかりますね。

 もの言わぬ歴史の証人。巨大な鉄扉は私たちに無言で何かを伝えようとしている。

 さて次はいよいよ、以前から行ってみたいと思っていた、近くて遠い「大分航空隊跡」

 とうとう来ました。
 このあたりが滑走路跡になると思う(大分市裏川沿い)んだけど、現在では一部が大洲運動公園になっており、まあ宅地などになるよりはこういう使われ方もいいのかなあと思う。
 テニスコートがいくつもあって、いかにも平和で健康的な情景からは大分航空隊があったことを想像もできない。
 クルマを降りて歩いていくと、目に染みるような美しい紅葉。

 しかし11月とは思えない暖かい日でした。
 九七氏の持ってきた地図を頼りに、どのへんで宇垣長官が最後の訓示をしたんだろうね、などと話しながら、石碑を探す。



 ついに到着。
 芝生の広場のようなところの片隅に、ひっそりと目立たぬその石碑は建っていた。大分県人でもこれを知らぬ人は多いのでは。
 私もつい十数年前まではそうでした。興味を持ったのは模型のおかげ。

 九七氏が準備してきてくれた花を手向け、一同合掌。



 石碑の裏側。昭和五十一年建立とある。1976年。それまでは石碑すらなかったのか。
 戦後というのはむごいことをしたもんだなあ。

 でも、いまそんな批判するのは簡単だけど、実際戦後は生きていくだけでみんな精一杯だったのだと思う。
 正直、あの戦争のことなんか早く忘れて、とにかく今は頑張って働いてよい暮らしをしたい。庶民の思いはそんなところだったでしょう。
 私も過去を批判するんじゃなくて、微力ながら少しでも過去のことを伝えていかなくちゃと思う。今、堂々と過去のことを話してもいい時代になった。こんなところに何を書いても許される時代になった。そのことの幸せをかみしめる。この幸せは重いんだね、実は。



 ふと見上げれば素晴らしい青空。
 あの蒼空の果て、旅立った飛行機乗りたちのことを思う・・・

 それにしても何もかも、自然は美しく出会う人は優しく風景は平和すぎる。



 というわけで大人の遠足、ここまで昼食の時間入れても5時間くらい? ゆっくり回れる良いコースでした。
 大分県内あるいは隣県の方は日帰りドライブがてら、いかがでしょうか。

 なんだかいろいろ感動したらコーヒー飲みたくなってきたなあ、できたらアップルパイ付きがいいな・・・とは思うが、オッサン共に言い出す勇気はない、それどころか・・

 カ号氏「“紙創り”の近くだから、ちょっと寄ってみませんか」と誘惑の一言。
 「紙創り」というのはブランド名で会社は「和巧」で建築模型の製作を専門としています。特にAFVモデラーならばすでにご存じの方も多いと思うけれど、1/35などの精密な草木や1/48、1/72のシートベルト、大きなところでは格納庫やドックなどを紙をレーザー加工することにより製品化している。私もシートベルトや花は使ったことがあるよ。

 写真の中にもそういった商品が写ってますが、静岡ホビーショーにもここのところ続けて出店されているので見覚えのある人もいるのでは。

 数年前に、某モデラーにここに連れてきてもらったこともあるけど、ずいぶん久しぶり。この会社が大分航空隊跡のそばにあるというのは何かの縁かもしれない・・・というか、ここも航空隊の敷地内になるのでは!? まさに因縁を感じる。

 社長のハクション大魔王こと堀さんも気さくな良い人で、モデラー同士、話し出すと話が次から次へと止まらない。
 きらら「あっ、そろそろ行かないと汽車の時間ですぅ~(泣」

 あっというまに楽しい時間は過ぎ、去りがたい思いで和巧さんを後にし、大分駅のコンビニに駆け込んでようやく紙コップ入りのコーヒーを手に、帰りの「ゆふ」に乗り込んだのだった。

 ああ、そのコーヒーの美味しかったこと!!

最新コメント
人気ブログランキング
忍者admax
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ