つれづれプラモ製作記

自称飛行機モデラー・きららのプラモ製作とプラモの活動記録

実機・実物

松江城訪問

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 さて、話は先週の土曜日の朝にさかのぼる。朝九時に私を迎えにきてくれたのは、忙しい主催者でもあるくりさん。
 今日はこれから往復六時間近い運転をしてもらい、念願の松江城を見に行くのだ。

 こちらは、北西からの眺め(乾櫓跡から)、ここからの眺めもなかなか良し。
 天守の入母屋屋根がよくわかる。この巨大な屋根のうえに望楼が乗っているものを望楼型とよび、いわゆる天守と言われるもののいわば“初期型”である。このカタチを初めて作ったのが織田信長なのである。

 城内は散りゆく桜が美しかった。

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 到着したのはすでに昼近く、とりあえず念願の出雲そばをいただき、すっかり満足して、搦手(からめて)虎口(こぐち)から入る。散る桜が美しい。なんともいえずのんびりした、春の午後。右手に堀があって、船頭さんの乗っている小さな舟が周遊していた。

 搦手とは裏口のことで虎口とは曲輪(くるわ。〇の丸とかいうやつね)の入り口のこと。虎口には門があり、たいていは軍事的理由から折れ曲がっている(矢を射かけたりするため)。

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 馬洗池。

 水道のない時代は、水のあるところは大事な場所だっただろう。城内にはもちろん井戸が何か所かあった。

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 歩いていくと、おおっ、天守が見えてきた!! 興奮する。

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 夢にまで見た天守にご対面。城の規模としては、こじんまりしているし、天守の建物もコンパクトではある。しかし・・・黒くてカッチョいい。 

 この黒い板を張っているのは下見板張りと言って、質実剛健な雰囲気がするけど実際白漆喰よりも持ちがよくてコストがかからないそうです。

 天守の前にひとつ櫓がくっついていて、鉄の入り口が開いているのがおわかりだと思う。
 これを付け櫓といって、入口の部分であります。天守の建物は巨大な天守台という石の土台の上に載っているので、一階部分はかなり上、つまり入口入ったところは地下(実際は地上)ということになる。

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 付け櫓入口。あまりの喜びに、石垣にスリスリする私。とにかくうれしい。

 ここから靴を脱いで中に入る。陽気なおじさんが入口に座っていて、観光客に靴を入れる袋を配っていた。写真撮影は自由ですよ、とも。

 中に入ると、井戸があった。籠城のときに備えているのだろう。

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 突き上げ戸。窓はこれだけだから、内部はさぞかし暗かっただろうなあ。
 四角い穴に戸をつけたようなものが三個並んでいるけど、たぶん矢狭間とか鉄砲狭間とかいうものだと思う。

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 突き上げ戸から外を見る。いい感じの眺め。

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 後藤又兵衛所用と伝えられる甲冑。

 後藤又兵衛は豊臣秀頼に仕えた武将で、大阪夏の陣で戦死したが、後藤家の親戚にあたる松江藩士の家にこの甲冑が伝えられたという。
 甲冑にはまったく詳しくないけど、実にシブいですね。戦国時代の甲冑は、恐らく戦場で実際に使われただろうから、汗と血がしみ込んでいるのではないか・・・そう思うと余計にね。

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 内部は、5階建てになっていて、階段はどれも激しく急こう配。当然、敵が楽に上がって来られないようになってるわけだが、観光客も転がり落ちそうで難儀する(おまけに人がたくさん通ってるからつるつるになっている)。

 松江城は現存天守(数年前に国宝に指定)であり、当時のまま(床など摩耗の激しいところは部分的には張りなおしたりしてるところもあるかもしれないが少なくとも柱や梁は当時のまま)で、味気ないコンクリートの復元天守なんかと違って、魂がこもっている感じがして、厳かな気分になる。

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 最上階に登ると、窓のない吹き抜けの望楼であり、宍道湖が見渡せる。いやー絶景哉。

 たまたま数日前にノートルダム寺院で火災が発生したけれど、松江城でも内部に耐震?工事がされているようだった(工事資材が隅に置いてあった) 地震や火災が、今や文化財の最大の敵である。

 国宝に指定されてるおかげで、天守内部には変な張り紙やわけのわからん展示物がないのも城好きにはうれしい(前出の甲冑みたいな本当に大切な展示だけあって、それがまたうれしい)

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 帰りは、逆に大手門に下る。
 途中、二の門跡。木の標識の下にある大きな礎石、これの上に門が建っていたんですね。

 残念ながら門はない。大手門も失われている。資料が出てきたら復元されるという。うーん、資料が出てくることを祈ろう。
 ただ、門がなければないで、想像できるから私はそれでもいいんです。礎石フェチというか。

プラモ

 帰り際に土産屋で童友社の松江城をゲット。冬バージョンの箱絵はここにしかないと聞いてたから。一度作ったけど、今度はもっと上手く作れそうな気がする。

 さて、旅行記はもう少し続く。 

D51と、はやぶさ2(Alone Together)

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 実は、私の住んでいる町にも、D51(デコイチ)はひっそりと保存されている。

 久大線日田駅の裏手、線路ぞいの駐車場となっている場所の一角に置置かれている。数年前までは近くの公園に置かれていた。その頃は確か触り放題乗り放題だった。息子が幼いころに遊びに行った覚えがある。
 その後、公園がなくなり、こちらに引っ越したわけだが、久大線の線路脇なのでデコイチにとってはこちらのほうが安息の地といえるかもしれない。

 ときどき、ここに来て眺めている。たいてい誰もいないので、D51とふたりっきりの時間を過ごすことができる。

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 左側の木造の建物は鉄道構内の建物。

 写真を撮っているとき、ちょうど下り「ゆふ」が到着した。
 今は動かぬ蒸気機関車のすぐ近くを現役の汽車が通り過ぎる。

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 中にはいって触ってみたいけど、柵があるので入れない。
 でも、柵がないとイタズラをする不届きものが必ずいるので、これでいいのだ。

 D51 176  製造所 日立製作所笠戸工場(山口県下松市)、 製造年月日 昭和14年1月19日

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 ベンチに座って全体を眺める。D51と私。二人きり(D51とその向こう側のビルの間に久大線の線路がある)

 “alone together”・・・一緒に孤独、ってどういうことかと思ってたけど、「二人きり」っていう意味なんだね!!
 先日ネットで読んだけど、日本語の「孤独」というのと「alone」はちょっと違うらしい。寂しい孤独じゃなくて、「ほかの場所から離れている」、積極的に離れている感じ。
 日本語の「孤独」は「Lonely」のほうに近いという。

 日本語には寂しくない孤独っていう言葉がない気がする。日本で孤独というと、さみしくて悲しい響きがある。
 それにしても、こんな鉄のカタマリのそばにいて心が安らぐって、我ながら不思議だ。昔もわりと乗り物は好きだったけど、模型を作るようになって一層こういった乗り物に興味ができて、自分にとって安らぐ場所になったというのはうれしい。

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 古めかしい信号機らしきものも、一緒に保存されている。こういう構造物はどこかシュールで好き。

酒2
 昨日は職場のミーティングで遅くなったのでできなかった、祝杯をあげた。

 「はやぶさ2」に乾杯したんだよ。昨日は、九時過ぎにネット中継で記者会見も見た。涙が出た。はやぶさ2のミッションを成功させた日本の技術者たちに乾杯。
 そして、もちろん、D51にもね。同じく日本の技術に。難しいことはわからないけど、たぶん戦艦大和やD51を作った技術とスピリットが、はやぶさにも受け継がれているに違いないから。
 テレビやネットの画像を見ながら、吉村昭先生の描いた「戦艦武蔵」や「零式戦闘機」を思い出していた。日本人の誇り。

 ひさびさに飲むワインがとっても美味しい(ようやく香りがわかるようになってきたのでお酒解禁)

謹賀新年

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 今年もまた、このバカ製作記にお越しくださいましてありがとうございます。今年もアホ話に一層の磨きをかけていきたいですがあんまり磨くのは得意じゃないので曇ったままかもしれませんが、そこは大目に見てください。

 今年も一人で大原八幡神社に参拝。楽しみにしてたおみくじは、なんと!! 大吉!! 初めてじゃないかな。「願い事・・・叶う」「待ち人・・・来る。連れがある」おおっ、誰が来てくれるんやろ!? しかも誰かを連れてきてくれるなんて(感涙←もう喜んでる

 最近気が付いたんだけど、鳥居や灯篭や狛犬など、神社に置いてある石造物には、必ず作った年月日と寄進した人の名前などが彫り付けてある。それを見て歩くのが最近の楽しみ。
 たとえば、この狛犬なんかは・・・・

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 天保四年、と読める。本当かな?←疑うなよ それ江戸時代でしょ? へええー

 この神社は創建は中世、現在の場所に移築されたのは江戸時代の初め頃、ということで、ここらでは最も古く大きな神社。だから、田舎とはいえ、参拝客であふれかえっている。そういうにぎわいは苦手なので、すぐに裏手の寂しい道に進路を取る。

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 いきなり誰もいない(汗
 ここは、ときどき来たい場所なんだけど、なんせ正月でもこんな感じ。最近多いでしょ? 一人歩きの女性が殺される・・・とか。ほんとねえ、「もののけ」はちっとも怖くないんだけど、変質者みたいのが出てくると怖い。いや実際、背中に「あたしゃ若い女じゃありません」と書いて貼って歩いたらどうかなと思うんだけど。頭のおかしな人として通報されたら余計恥ずかしいか。

 しかし、絶対何かいるよね、こういうところには。もののけ、というか、人ではない何かが。
 風が吹くと、大きな木が「ざわざわざわ~っ」とすごい音をたてる。でもそれが気持ちいいんだよね。

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 鳥居には、「一億一心」「八紘一宇」の文字が。裏をみると昭和16年か17年だった(すみません裏側の写真撮ってない)

 戦争のあったころ、戦勝祈願だろうか、神社がもてはやされたんだろうね。もう少し前に生まれたら、私もこういうところで息子の無事を祈っていたかもしれない。
 半藤一利「語り継ぐこの国のかたち」(大和書房)読みました? ひとりひとりが、何を残して、何を語り継いでいくべきか考える、それが大事なことなんじゃないかな・・・と思った次第。
 よく戦争体験者の手記やインタビューで「戦争でこんなにひどい体験をした、だから二度と戦争はしちゃいけない」という結論がありますが、じゃあ、そのためにはどうしたらいいの!? 私はそこを知りたい。国が戦争やろうよって流れになったとき、私らが「はんたーい」とか言ったって、それで戦争回避できるのか? 無理なんじゃね? というか、「はんたーい」と言える勇気があるか? すごく不安だよ。

 どうすりゃいいかよくわかんないけど、やはり地道に戦争のことを知らないといけないし、それにはまずはプラモデルなど作ってみるのが一番だと思うんだよね。ひとつのすごくわかりやすい入口として。草の根活動ですよ。展示会で歴史を解説する展示をしたりしてね。若い人はどうせわからんだろうとか、決めつけずにね・・・。

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 上り坂をあがっていって、たどりついたところには・・・すでに、お社の建物はなく、礎石のみが残って、一番奥にご神体?が祀られていた。

 なんだか現代アートみたい。不思議な空間だ。しかし・・鳥居をくぐった瞬間、神様の領域なんだなあと納得する。

 ちょっと見ると寂れた姿ですが、よく考えたら、本当の廃墟なら草ぼうぼうのはず。きちんと手入れされてるんだね。照明も置かれていて、昨晩から今朝にかけては、参拝する人もあったのだろう。

 何かが「ある」よりも、あったはずの何かが「なくなってる」状態のほうが私は好きなんです。

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 神社の入り口付近。ありふれた風景だけど、よく見ると、さまざまな石造物が見られるね。

 石垣は、きちっとした切込ハギという手法で積まれ、安永何年奉納とかいう文字が刻まれていた。江戸時代後期? 灯篭の中ほどの濃いグレーの部分は古そうな石だね。その上はコンクリートで作り直したのかな? 鳥居は、いろんな年代のものが見られたよ、江戸時代のは石で戦中のものはコンクリートかな。さまざまな石が使われてるのが面白い。
 そう思って観察してると、今まで見てたのとは違う風景に見えてくるから楽しい。

 日本は木の文化なんて言うけど、けっこう石も使われてるんだよね。ただ、湿度のせいか日本の石は苔むして湿っぽい感じがする。まあそれが風土文化ってことか。

 さて明日からは模型つくりを始めようと思います。とか言いながら、我慢できずにしちゃうかも
・・・今夜。

エアフェスタ浜松の写真(頂きもの)

浜松1

 先月、二人の素敵なモデラーから浜松エアフェスタの写真いただいていたんですが、地元の展示会の後、あれこれ書いてるうちにご紹介のタイミングを逃してました。遅くなってすみません。

 まずは前日の事前訓練飛行、こちらは、こわもておやじさんの写真。
 飛行機は飛んでる姿がいちばん・・・と、よく皆さん言われますが、こういう写真見ると本当にそう思うね。カッチョいい。AWACS。

浜松2

 こちらはブルーインパルス。

 おおー、なんか危険そうな技だ。

DSCN0005 - コピー

 で、こちらはエアフェスタ当日、嘴頼さんの写真。当日も絶好の航空祭日和だったようですね。

 三沢から来た、E-2Cの8枚ペラ換装機。空自では初めての換装機だそうです。
 こうやってみると、わずかなべこつき(というのかな)、外板のへこみがわかりますよね、この質感!! これですよ、これが実機を見に行くとさらに目の前で見られるから感動する。手触りというか。

DSCN0042 - コピー

 で、ブルーインパルスが9機で富士山隊形に日本晴れ。静岡ならでは!! 

 現在、大分県日出生台で米軍と陸自の共同訓練の最中なんだけど、放置プレイ・・・もといオスプレイが岩国から来るはずだから、うちの上を飛ばないかなあと少しだけ期待してる。でも方角違うよね、無理か。そういえば米軍の空中給油訓練中の事故もありましたね、C130はイジェクションシートなんかないんだね、かわいそう。でも海自のヘリが救助してたね。やっぱヘリコプターだ、頼りになるのは。

わたしの城下町、その2

大分1

 昨日、大分県立美術館の「海と宙の未来展」という企画展を見にいくため、大分の商店街を通って歩いていく途中・・・

 府内城(想像図のCG)を描いた垂れ幕?のようなもののそばでイベントが行われている様子。

 なんだろうと近づいてみると、グッドタイミング、「大分城址公園の未来予想図」について大分市都市計画部まちなみ企画課の人がまさに説明を始めたところ。(以下の写真はスマホで撮影。あまりうまく撮れていないのですみません)

大分4

 これ幸いと折り畳み椅子に座ると、係の人がさっと大分市の封筒に入った資料をくれた。

 お城好きにはこの資料だけでも儲けもの。各時代の絵図のコピーなど(大分市のHPにも資料は掲載されているらしいけど、やはり紙の資料はありがたい)
 大分市の中心地に位置する府内城は石垣や天守台といくつかの櫓が残っているが、一応公園とはいうものの、決して史跡として整備されているとはいいがたい。はっきり言うと、「放置」状態に見える。

 市民に対するアンケート結果がこの資料の中に書いてあったけど、なんと「府内城に訪れたことがない」という人が50%。天守も復元されていないということもあり、普通の人には「どうだっていい場所」なのだろう。私も実は「花見をする場所」くらいにしか思っていなかった。

 今後、十数年かけて、公園として整備していくという計画が書いてあった。
 うれしいことである。いつかは、資料が出てきて、それに沿って天守が復元されたら・・・と期待に胸が膨らむ。また小さくていいから資料館のようなものもできてほしい。

大分3

 で、小一時間ほど話を聞いていたら少し疲れてしまった。

 頭の中が城モードになってしまい、肝心の美術館にたどり着いたときには脳内の切り替えが困難になってしまった。プラネタリウムもあるので、改めて来ることにしよう(11/25まで開催)。連休なので人が多いのも私には疲れる理由。

 ということで、一階ロビーに展示されているものをざっと見た。
 お目当ては1/2の「しんかい」。

大分2
 HIIロケットの心臓部、LE-7
 1990年代の国産ロケットHIIの国産エンジン。手を伸ばせば届くところにある。感動。
 まさかこんなものが展示されるとは知らなかった。これ本当に本物なんですよね!?

 宇宙開発事業団(NASDA)が航空宇宙技術研究所(NAL)、三菱重工業、石川島播磨重工業と共に開発したH-IIロケットの第1段用液体ロケットエンジン・・・(ウィキペディアより)

 この一番大事な情報が説明板に書いてなくて、思わず怒りで頭がくらくらした。
 誰が作ったか、書かんかいコラ!!

 ほんとにもう。腹が立ったので、コーヒーでも飲んで心を落ち着けることにした。美術館で飲むコーヒーはおいしい。

 最近、歳のせいか、展示の方法や説明の書き方にまでツッコミいれたくなる。まったく年を取るって嫌なもんだね。だけどさあ、展示するならきちんと書くべきですよ。ほんと・・・作った人に対するリスペクトの気持ち、偉そうに言ってるけど私も模型を作るようになってから初めて知った。
 図面を引いたのは誰なのか、作ったメーカーはどこなのか。そんな視点を与えてくれた模型に今日も感謝。

中津城の石垣を歩く(2018中津マークII展示会レポ番外編)

中津城1

 これまで何度か中津の展示会には来ているが、一度も中津城は訪れていなかった。
 今回はようやく訪れることができてうれしい。しかし歩いてみてわかったんだけど、展示会場から目と鼻の先でした(汗 

 城の南側にあたる、内堀。ここの説明板によると、石垣の両端は直線的だが、真ん中あたりに向かってゆるやかに湾曲して(へこんで)いる。これは「輪どり」という石垣を崩れにくくする方法だという。写真でわずかに感じられるだろうか?

 あ、先日熊本城のことを書いたとき、加藤清正の石垣の耐震構造に問題があったんじゃないかとか、失礼な冗談を書いたけど、日本の石垣はちゃんと地震のことを考えて作られているそうですね。
 昔の人をバカにしちゃいけない。最近、いくつか本を読んでみてわかりました。

中津城2

 このようにお城の石垣は必ず直角に折れ曲がっている場所がある。
 これは横矢掛けといって、二方向から攻撃するための構造。

中津城

 こちらは、上の写真の石垣を内側から見たところ。

 赤矢印の部分に向かい合わせの階段があり、これを雁木といい、兵士が二方向に駆け上がることができる(そして素早く戦闘態勢をとれる)
 こういうことをちょっと知るだけで城を見るのがすごく面白くなるでしょ?

中津城3

 北側にまわる。実は天守については実在したという歴史的史料がないので、想像で作られた模擬天守と言われるものが建っている。それはそれでいいんじゃないかと私は思う。

 足がくたびれてきたので、周りを歩くことに専念した。天守には上がらなかった。石垣が見れればそれでいい。

 それにしても、この落ち着く気分は一体なんだろう。空気が違うんだよね、城の敷地に入ったとたん・・・。ほっとする。なーんか、忠興公から「よく来たね」と歓迎されてる気がする。

中津城4

 一番見たかった石垣。
 天守下の部分なんだけど、ご覧の通りはっきりと継ぎ目がわかる。向かって右側が黒田官兵衛、左側が細川忠興、二人の石垣がくっついているという、面白い眺めである。
 先に作ったのは黒田で、1587年に築城を開始、この石垣は黒田が落とした別の城から持ってきた石で作ったという(石を割るのは大変な労力なので、リユースをしたのだろう)

 その後、転封した黒田にかわり、1600年関ケ原の戦いの軍功により細川忠興がここに移り、築城の続きをした。去年の一月、大分県日出町の暘谷城を見学した記事を覚えている方もいると思うけど、忠興公が暘谷城の縄張り(設計)をしたのはその頃のことです。妹婿の城なんだよね。鷹狩と称して何度も暘谷城の工事の進み具合を見に行ったと言われてますが、実は忠興公ってば鷹狩は嫌いだったとか本には書いてある。なんじゃそれ。見え透いた口実ってやつか。

中津城6
 
 その後忠興公はいったん小倉に移り(1602年)、その後1621年に再び10年くらい中津城で過ごす。城下町の整備などをしたそうです。戦国の世から太平の世へ。その移り変わりの時代でしょうか。

 中津城の敷地は直角三角形みたいな形をしています。

中津城5

 南西側にあった、水門跡という場所の石。巨大な石を使ってる場所は大事な場所だという。

 水門っていうから、川の水をここから堀に入れていたのではなかろうか。
 写真でわかりにくいかもしれませんが、ゴジラの歯形みたいのが中央の巨大な石のカドについている。これが矢穴といって、いくつも楔を打ち込んだ跡。楔を叩いていくと石が割れるというわけ。だからこの石は元々さらに巨大だったというわけです。

中津城7

 もうひとつ、巨大な石に感動。

 こちらは内堀を出て、少し東方向に歩くと、小学校があるのですが、その塀の一部として保存されている、大手門の跡(門そのものは失われている)
 ここも城で大事な場所、大手門ということで、巨大な石が使われている(見る人に権力を見せつけるためだという)。右側の石の高さは、私の背丈(155センチ)よりも少し大きかった。

 最後にこの石垣を見ることができて、今回の石垣ツアーは大満足なものになった。
 石垣うんちく、楽しいっしょ? ぜひ貴方も楽しい石垣の世界へ!!

 というわけで、不思議と忠興公ゆかりの場所が続いています。歴史に詳しい人はご存知だと思うけど、忠興公は、めっちゃ気が短いキレッキレの男で、しかも茶人としての側面も持つ、なんかオモシロイ人←すっかり気に入ってる 

かえらざる橋を渡る

若戸大橋

 父の部屋(老人ホーム)を片付けに行った。片付けと言っても残しておきたいものを選り分ける作業。

 父はまだ生きているんだけど、もう病院から老人ホームに戻ることはないと思われるので、契約解除することにした(そのままにしておくと家賃だけがかかる)

 老人ホームなんて言葉、自分の両親には関係ないと思っていた。何となく、いつまでもいつまでも元気で、ある日急に亡くなるんじゃないかと、そう思っていた。でも実際のシナリオは全然違っていた。

 人生は、まわりで起きることに自分が合わせていかなくちゃならないことが多いと、ようやくこの歳になって知る。

 父の部屋のものはほとんど処分するつもりだけれど、いざとなると、処分するということはもうじき亡くなるということが前提だよね・・・そう思うと複雑な気持ちになる。
 死んだときにお棺の中に入れてあげる服を選ぶ。こんな作業、誰もしたくないですよ。長女や長男になんかなるもんじゃないね。一時間近くかけて、父の持ち物をゆっくりと見ていくと体がずっしりと疲れていた。
 箪笥の引き出しのいちばん奥から、愛用のハーモニカが出てきたときは、思わずどきりとした。

 酔っぱらっていい気持ちになったときなど、たまに父はハーモニカを吹いてくれた。
 たいてい軍歌だった。物悲しいそのメロディーが父の青春時代を象徴しているのだろうと子供心に思っていた。ハーモニカはうちにもって帰ることにしよう。それとも父に見せようか。昔を思い出すかもしれない。

 父の部屋に置いてあった写真を一枚持って帰った。若戸大橋の上で私を抱いている父。こうしてみるとモノクロの写真っていいですね。こういう思い出の写真に色はいらないね。
 1963年頃だと思う、私が二歳になる前のようだから。父は34歳。今調べてみたら若戸大橋は私と同じ1962年に完成している。できたばかりの橋を渡りに行ってみたのだろう(当時、北九州市戸畑区に住んでいた) 

 なんか今日は泣きそうになっているので、プラモの話はまた明日。

本日の鉄橋(久大線鉄橋復旧現場)

鉄橋26

 昨日、久しぶりに写真を撮りにいってみた、久大線花月川鉄橋復旧工事現場(昨年の豪雨で流れた鉄橋を架け替えている)。
 日差しは暑いけれど、風はまだ涼しい。7月14日の再開まで二か月を切った。

 ついこないだまで向かって右側の水際では重機やトラックが走り回っていたんだけど、そのへんも埋め戻されて、川幅が広がったように見える。
 両側では、依然として護岸工事が続いている。

 架橋を撤去してしまい、クレーンがいなくなってしまったのでものすごく寂しい。
 あ、ハセガワはなんで日立建機さんの重機を作ってるかというと、コマツさんには断られたそうです(コマツさんは某ラジコン関係メーカーとうまくいかなかったことがあり、再婚はもうイヤなんですって)。で、日立建機さんとはうまく話がまとまったとのこと。静岡でそんな話も聞いたなー。あと作業員セットの第二段も期待できそうです。

鉄橋27

 線路には、新しい砂利が敷かれていた。この場所から列車の通る音が絶えて久しい。

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 久々に模型部屋に座ってみた。
 静岡から帰ってきたのが先週の月曜の夕方、やれやれとパソコンを立ち上げて静岡の写真を見たりしているところに、父の施設から電話・・・悪い予感。
 「先週末から熱が出ていまして、訪問診療の先生に見ていただいたら肺炎らしいということです、明日先生の紹介で〇〇病院に入院することになりました」

 やっぱり悪い予感的中。というわけで、静岡の楽しい余韻もどこへやら。先週からまた別府に往復することになりました。
 だけど、静岡には辛くも行ってこれたわけで、そこは父に感謝しなくちゃ。あと数日ずれていたら、今年も静岡欠席になるところだった。

 ところでこれは作りかけの72ハリアー(架空塗装)を引っ張り出して再開したところ。なんかテキトーな機番を貼ろう。あとは武装てんこ盛りで完成するつもり。

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 静岡で買ってきたSWEETの1/144零戦21型、大分航空隊。

 もう二度と144は作らないって宣言してたのに(汗 だってメガネかけても何も見えないんだもん。

 それによく見たら、白いところがあちこちあって、面倒くさい塗装じゃないですか!!(杉田社長は、「こんな面白い塗装があったんだよねぇ~」ってうれしそうだった、嗚呼)。でも大分航空隊所属機だもんねえ、大分県人が作らんとねぇー。

 もちろん合わせ目も消さずにそのまま作ります。

静岡ホビーショウ一週間前の焦り

鉄橋23

 どう? 我ながらいい感じの写真が撮れたと思うんだけど。カッチョいいよね(花月川鉄橋復旧現場)
 ほかにどこも行ってないもんだから、ここの写真ばかりですみません。これは昨日(5/4)。
 吊り上げてる棒は10メートルくらいあるかな。巨大な玉掛け。

鉄橋24

 おおっ!! 川を渡ってるっ!! 結構スピードも速いっ!!

 キャタピラ自体は戦車と同じに違いない。でもきっとタイガー戦車とかはもっとゆっくりなんだろうな、重いから。

鉄橋25

 おおっ!! H2Oと書いてあるっ!! 水を撒いてるっ!!
 なんでも珍しくて興奮してしまう私。

 こちらは私の後ろ側、川上で行われている護岸工事に向かうトラックが行き来する場所(土砂を運んでいる)、砂埃が上がるからだろうか? 水を撒いている。
 クローラークレーン「お前のココから出てるのは、水じゃなさそうだな・・・フフ」
 きらら「いやっ、そんなとこ、恥ずかしい・・・・」

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 気を取り直して、うちに帰って天山(フジミ1/72)の機番を描いた。写真撮るとあまりにもひどい現実に凹む。難しい。
 デカールがないので、もう描くことにしたんだけど、難しすぎる。これは確か香取基地所属の機体。

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 一日おいて、修正したけど、大してよくなってないな。実は右舷はさらにひどい(汗。静岡から帰ってきて、落ち着いてもう一度やり直すか・・・。

 実は数日前から静岡の合同展に関するさまざまなメールのやりとりやこまごました準備に追われているんです。
 パソコンを新しくしたときに名刺作るソフトがどっかいっちゃって、仕方無いのでネットからダウンロードしてようやく一時間半くらいかけて名刺作り直して印刷終わって、やれやれと引き出し開けたら、名刺がたくさん入っていたという・・・モデラーあるある(←違うやろ あぁ疲れた。

 ようするに、早めにやっときゃいいものを、今頃やるから慌てるんだよね。
 SNSなんか見たら、岩国フレンドシップデーに行ってる人やら、家族と旅行やら、皆さんリア充生活を満喫してらっしゃるようで、ほんと憎たらしい。見てると癪に障るのであまり見ないようにしてる←おい!! 

 などと、毒づいていますが、今年の「なんちゃってJMCブース」をよろしくお願いします。静岡でお会いしましょう。今年は初めてお会いする人が7人くらいいるので楽しみです。
 ただ、去年一度お休みしてるし、今年は三日間歩いて足が痛くならないだろうかとか、人混みで頭痛がしないだろうかとか、夜眠れるだろうかとか(一昨年は夜あまり眠れなかった)。不安でしょうがない。目の下にクマ作ってる顔はあまり見られたくないけど、仕方ない。ともかく三日間、生き延びられるように祈っててください。

今日も風が(花月川鉄橋復旧工事現場だより)

鉄橋20

 朝から重機の音が聞こえるので(風向きにもよるけど、だいたい音が聞こえる距離)、GWも仕事かなと思って昼前に見に行った(去年の九州北部豪雨で流された、久大線花月川鉄橋の復旧工事。7/14の開通に向けて、いよいよ大詰め)

 今度こそ、決定的瞬間を見逃さないぞ!! という思いもむなしく・・・ああっ!! もう線路が・・・(鉄橋が流されて、柵の手前で線路が途切れていた)
 ショックのあまり茫然としながらも写真を撮っていると、通りがかった爺様が私のほうをじっと見て「もうあと少しでしょうねえ」と声をかけてきた。そして「写真撮ってるんですか」と聞かれたので、「はい、ずっと撮ってます」と答えると「そりゃいいことだね」と褒められた。

 しかし、途切れていたレールがついに繋がったのは、本当にうれしい。今夜は祝杯だな←またかよ!!

鉄橋22

 すると、大きなクレーンが動き出し、なんかいやらしい動きを始めた。
 地中深く突き刺さった棒・・・いや杭を抜くらしい。
 杭で支えられた、クレーンが乗っている部分は仮の橋で、この上に重機や資材を置いて工事をしていた。完成した鉄橋は画面右側の黒いモノ。

鉄橋21

 クローラークレーン「お前も棒を突き刺してほしいんだな? ええ?」
 きらら「い、いやっ恥ずかしい・・・」 
 クローラークレーン「ちゃんと言わないと入れてやらないぞ、フフ」

 ああーん、じっと見ていたら、また体の中が熱くなってきちゃったんです・・・。

 それはともかく、今日はものすごい風が吹いていて、体感温度が低かった。この橋のところで写真を撮る日はなぜか寒い日が多い。たぶん風が吹くと外に行きたくなるのが私の習性なのだろう。

さくらんぼ

 後ろ髪をひかれる思いで工事現場を後にし、自転車で買い物へ行く途中、若葉の美しい桜並木を走り抜ける・・・あっ、さくらんぼだ!!

 桜をめでる人は多いが、さくらんぼを見る人は果たしてこの日本にも何人いるか。
 他人の知らない美しさを見ることの喜び。

ホンダジェット
 ようやくホンダジェット(エブロ1/48)を買ってきた。
 ここにもGWに働いている人がいた(模型屋)。しかし、普段は閑古鳥の鳴いてる店内も(失礼)、今日は観光客が次から次に入ってきたりして、忙しいのだった。商売の邪魔してすまぬ←しゃべくってた奴

 ご存知のとおり、青と赤の成型色のプラが入っていて、主翼前縁やエンジン前縁用にはメッキパーツが入っている。きっと塗装せずに組み立てる人のためでしょう。

 まったくGWなんて無用の長物だね。昔から一度もうれしいと思ったことはない。小さい連休がいくつもあるほうがいい。たとえば6月に連休を一個作ってほしい。
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