つれづれプラモ製作記

自称飛行機モデラー・きららのプラモ製作とプラモの活動記録

実機・実物

冬の遠足(日出城址編)



 さて回天基地をあとにして、昼食を取り(地元の割烹でちらし寿司を食べたらこれがもう食べきれんくらいのてんこ盛り~すべて新鮮な魚で久しぶりにこんなおいしいもの食べて生き返った。ちなみに日出町は城下カレイと言ってすぐそばでカレイが取れるので有名。これがまたものすごく美味しい、ただし旬は五月頃)、次は日出町中心部にある日出城見学へ。

 まるで西方浄土につながっているのではないかと思うような、言葉を失うほど美しい別府湾の眺め。
 回天搭乗員に思いを馳せたあとだったので、思わず手を合わせたくなる。

 正面左端の山は高崎山、その左側が大分市、高崎山の右側は別府市という位置関係になります。
 別府湾は見事に丸い湾になっていて、まるで湖のよう。
 日出城大手門跡。
 現在は日出小学校になっている。そう、本丸に小学校が建っているのである。恐れ多い。
 城跡が学校だなんて、うらやましいなあ。

 城の平面図が書いてある。

 「築城:慶長六年(1961年)、縄張:細川忠興、城主:木下延俊」

 ええ~っ、細川忠興って有名な人やん!? 確か細川ガラシャのダンナさんでしょ!?←そこかい
 マジすか!? むしろ城主の木下延俊さんのほうをよく知らんわー。

 縄張、というのは城全体の設計図のこと。地面に縄を張ったり、模型を作ったりして設計したという。
 現在日出城は、天守以下ほとんどの土塀や櫓や門などは失われており、石垣のみが残っている。

 あ、先日滝廉太郎の「荒城の月」は豊後竹田の岡城だと書いたけれど、実は日出城だったという説もあるそうな。そもそも瀧家は日出藩の家老だそう(木下延俊さんにも仕えた、廉太郎自身は東京の生まれ)。県内のこともいろいろ知らんことが多いなあ。

 天守台だと思われる石垣。

 実際の建物がないのでツマンナイと思う人もいるかもしれないけど、私はこの状態がまた大好きなんです。
 「ない」と「在りし日」の想像が膨らむでしょ?

 「ない」ことで、逆に「もともとあったもの」の存在が強く感じられるというのは不思議な現象だと思う。
 そんなふうに感じる人とそうでない人といるかもしれないけど、人が遺跡に惹かれるのはそういうことじゃないかな。

 崩れたり失われたりすることの中に物語を感じる。

 おやっ、石垣の石がひとつ外れてる!!
 やだなあ~すぐそういうところに目が行っちゃうのはモデラーのサガでしょうか。ここうまくできてないよって、つい指摘したりして。

 細川忠興公に「お前ら嫌な性格やのう」と言われそうですね、すみません。
 ちなみに、忠興公は木下延俊さんの義理の兄にあたり、その関係から縄張をしてもらったんだろうね。また、木下延俊さんは北政所の甥にあたるのだ、これも驚き。

 石垣の内側には、裏込石という小さい石が入ってるのがわかる。去年、地震で崩れた熊本城の石垣を見に行ったら、この裏込石が大量に出ていた。小さい石と言っても、小さめの漬物石くらいのもあって、これらを運ぶのもなかなか大変だったと思う。

 穴の上の石にはゴジラの歯型みたいのがついてるけど、あれは石を割るときのノミの跡。
 石垣見てるとけっこうあちこちに残っていて面白い。
 ちなみに、石垣は当時から災害等で壊れることは当然あって、それを常に修復しながら維持してきたという。そう考えると、熊本城の被害だって驚くには値しない、つねに修復しながら保存するのは日本人の歴史なんだと言ってもいいんじゃないかな。



 内堀の様子。

 石垣は有名な穴太衆(あのうしゅう)が工事を担当(忠興公の家臣)、野面積み(のづらづみ)で、乱積み(石を不規則に並べる)と布積み(石を横に並べて横目地を通す)の中間の布目崩し積みだそうです。
 石は鹿鳴越(日出の背後の険しい山)から運んだのだという。そうだよねえ、大きな岩ってどこにでも転がってるわけじゃないもん。

 おそらく築城技術は大変な高度な技術だろうから、誰でも彼でもできるわけじゃない、縄張りの構築もそうです。
 長い実戦経験を積んだ忠興公だからこそできたんでしょう。

 ちなみに当時、忠興公は中津城にいて鷹狩と称してときどき工事の進捗を見に来ていた、と書いてありましたが、その気持ち、なんかわかる気がするなぁ!!
 自分が設計した城を満足げに眺めてる姿が目に浮かぶ。ついでに城下カレイでも食ってくか・・・みたいな?

 ウィキペディアでちょっと忠興公のことを読んだけど、激動の人生だよね。ほんと戦国時代って面白いね。魅力的な人間を輩出してる。今の時代も戦国時代を取り入れたらいいのかなあと思う。緊張感が出るよね。ボヤボヤしてたら熊本県から攻められて滅ぼされるかもしれん(汗、とか。



 復元された鬼門櫓。
 鬼門方向がカドを取ってあります。実は現在は鬼門(東北隅)に建っていない(汗
 先日の松江城作ったときに書いたけど、下見板張りという壁です。真っ黒とはいえないのがわかるでしょ? 板にスミを塗装してる感じ。石の色も参考になります。
 こうした「櫓」と言われる建物が城のカドなどに建ってるのを見たことがあると思うけど、これは当然ながら戦争に備えた施設であります。

 明治維新で城の建物は競売にかけられ、失われていったが(材木として使われたのかなあ)、鬼門櫓だけは持ち主がどうにかそのまま保存していたのを(それでもかなりぼろぼろになっていた)、2008年に日出町に寄付され8000万円以上かけて復元されている。

 櫓の中は靴を脱いで上がって見学できる。

 戦国時代にタイムスリップしたような気分になる、「突き上げ戸」
 竹の棒で板戸の下部分を「ぎぎぎー」と押して上に開く。
 板一枚だから、防御的には若干弱いけれど、簡単な仕組みで外がよく見える。

 内堀と本丸の小学校が見えた。
 美しい景色。

 石垣と私。

 お城の空間・・・空気感というのかな、すごく気持ちが落ち着くんだよね・・・大好き。
 今、「城のつくり方図典」というものすごく面白い本を読んでいるんだけど、そのおかげでニワカお城マニアと化した私、石垣ひとつ取っても「おおー、本に書いてた通りだー」等、見ていると飽きないの。

 石垣だけの日出城址で一時間以上見てましたね。よくそんなに見るとこあるなーと思うでしょうが。実はまだ立ち去りがたいくらいだったけれど、汽車の時間が迫ってきた。

 冬枯れの古城のたたずまいは実にいい感じでした。これからもまた、あちこち行きたいと思います。
 というわけで、今回の旅はここまでです。

冬の遠足(回天神社編)

 大分県速見郡日出(ひじ)町に、回天(旧日本軍の人間魚雷)の基地があったことは、今はもう知る人も少ないかもしれない。

 大神(おおが)訓練基地があり、回天神社とかいうものがあるそうな・・・ということを知ったのは私も模型を作るようになってから、それも数年前のことだったような気がする。もちろん戦史に詳しい人は以前からご存じだとは思いますが。

 日出町製作の立派なパンフレット。回天の歴史から基地の説明、回天のメカニズムまで、わかりやすく書いてある。
 お金かけてますねー日出町。偉いと思います。

 大分市からは高速道路を使うと30分くらい? 
 今回もモデラー共と大分駅で集合し、大人の遠足に出発する。

 神社の参道には立派な立札が立っていた。



 回天神社。回天の部品三種がご神体として奉納されている。
 大戦中から回天神社として隊員の心のよりどころであり基地の別の場所にあったが、戦後この神社(住吉神社)の境内に移されたという。

 回天にたずさわって殉職、戦死した1073柱の合祀もされている。
 元隊員とその家族が大神回天会を結成して神社を守ってきたが、今では高齢化が進み、地元の方々が守っていくことになったとのこと。
 なかなか、伝えてゆくことは大変なんですよね。たまに訪れて眺めてるだけの観光客は気楽なもんだけど。

 

 九三式酸素魚雷3型(実物)が展示されている。

 確か同じものを呉の大和ミュージアムで見た記憶があります。
 後ろに置いてあるのは、回天の1/3模型。

 「甲標的搭乗員の黒木博司中尉と仁科関夫少尉は、兵器庫に何百本と眠っていた九三式魚雷を改造して自らが操縦して体当たりする魚雷を提唱しました。「必死」を前提とする兵器は採用できないと一度は却下されましたが、二人の熱意により脱出装置のないまま、正式な兵器として採用され(以下略)」(日出町作成のパンフレットより)

 戦局悪化に伴い、魚雷を利用して作った特攻兵器ということでしょうか。
 回天は終戦までに28回の出撃をしているそうです。
 ちなみに黒木大尉は訓練中に殉職したが、事故のおきた回天の中で状況を今後の実戦に生かすために冷静に分析し記録しました。またもう一人の仁科少尉はウルシー環礁出撃で戦死しています。

 

同魚雷の二重反転ペラ部分。小さいですよね。



 説明板

 
 神社は小高い丘にあり、穏やかな別府湾に面した回天の基地を見下ろす。

 画面中央くらいに黒い物体がありますが、回天の実物大模型です。今からあそこに行ってみます。

 神社下にあった、酸素圧縮ポンプ室。防空壕みたいな穴。

 中にはコンクリート製の構築物が残っており、何とも不気味。

 中に入っていく勇気はありません(いや入らなくていいです



 立派な1/1模型。
 結構巨大で驚いた。模型では見たことがある気がするけど。やはり実物(の大きさの模型)を見ると迫力がある。

 ここの基地からは1945年8月3日に出撃がありますが、戦死した人はありません。



 上面のハッチ。カギがかかっていて見られませんが、見学できるときもあるのかも。



 回天横には魚雷調整プールというコンクリート造りの水槽があった。

 駐車場とトイレも備えてあり、小さな公園のように整備されている。
 戦跡を残していこうという心意気はうれしい。

 誰かがやらないと残っていかないよね。お金のいることだから大変でしょうけれど。
 これらの見学は無料です。回天神社にお賽銭をするくらいですね。

 私と九三式魚雷。笑ってる場合じゃないんだが。

 回天なんて、特攻機と同じく、考えるのすら嫌悪感を感じていた。
 だけど、目をそらしていっていいんだろうか。見て見ぬふりするのは恥ずかしい行為じゃないだろうか。
 歴史を知ることがまず第一で、見たことをお伝えすることが(ほんのわずかな)私の任務。と、最近思う。

 朝、私の住む盆地を出発するときは深い霧に覆われて震えていましたが、重装備でやってきた日出町はご覧の通り冬というのに素晴らしいお天気で気が抜けるほど明るい陽射し。身も心も温かくほどけていくのでありました。

 明日に続く。

秋の遠足(その2 大分航空隊跡ほか)



 さて、大人の遠足の続き、かねてより訪れてみたいと思っていた大分航空隊跡地に行く前に、護国神社のパネル展に立ち寄ることにした。クルマだとこういう寄り道も簡単にできるのがありがたい。

 JR日豊線・高城駅からもほど近い、小高い丘の上に護国神社は建っている。
 眼下、右側のグラウンドの上辺をJRの線路が通っており、戦時中この線路のすぐそばに高城発動機工場があった。

 正面に見える煙突群は新日鉄住友金属大分工場、その手前に緑地がまっすぐ横に連なっているの見えると思いますが、この緑地の左半分くらいにほぼ沿うようにして当時の大分航空隊の滑走路があった。

 当時、ここからは連日訓練に飛び立つ零戦が見えたことだろう・・・と思ってたら
 「ここからそんなもん見てたら、憲兵隊に捕まえられますわ」と同行のモデラーに叱られた(汗
 護国神社の境内。

 本殿からは神主の厳かな祝詞が聞こえ・・・ちょうど七五三のお参りに来ているかわいい後姿が見えた。息子にもこんなときがあったなあ。

 平和を享受する21世紀生まれのこども達と、このパネル展はあまりにも対照的。
 しかし、七五三の家族が参詣のあと、こちらを見学されていたのはうれしかった。
 本殿横の「言霊館」にて。



 入口においてあった、九六陸攻二三型のエンジン、三菱金星51型のプロペラ。



 裏側のディテール。結構分厚いですね。



 パネル展示。
 最後の特攻の日、宇垣長官の訓示、彗星に乗り込む、中津留大尉(操縦)と遠藤飛曹長と宇垣長官の写真・・・など。

 神立尚紀著「特攻の真意」の中からの抜粋がパネルにありましたが、「玉音放送」は国民に終戦を告げるものであり、停戦命令ではなかった、という。軍隊に停戦命令が出たのは、翌日16日の午後だった。
 私も先日「指揮官たちの特攻」を読んだときは、そりゃあもう「宇垣長官一人で特攻に行けばよかったのに」と思いましたが、よくよく考えてみると、そんな単純なものだろうか。という気がしてきた。
 七〇一空は、たまたま終戦時ここ大分航空隊に一部が派遣されてきていたんです。なぜかという第五航空艦隊司令部が鹿屋から大分に移された(宇垣長官はそういうわけで大分にいた)ことに伴って護衛のために派遣されてきていたらしい。
 つまりはそのために偶然、最後の特攻隊となったわけで・・・まさしく運命のめぐりあわせというほかない。
 しかしまあ、鹿屋にいてもその可能性はあったかもしれないが。

 現在手元に「私兵特攻」(松下竜一著)がありますので読んでみようかと思います。


 私がいちばん興味をひかれたのは、こちら。

 言霊館の前に大きな屋根をわざわざこのために築いて置かれていた巨大な鉄扉。

 さきほど説明した高城発動機工場の門扉である。
 米軍による激しい空襲を受け、多くの機銃掃射の跡が残っている。

 巨大な鉄扉と真ん中のは防音壁。

 1942年に発動機工場として生産を始めたらしいが、戦後は酒造メーカーの酒蔵として使われ、現在は取り壊され、この鉄扉のみが保存されたという。せめてこれだけでも残してもらえてよかった。

 大分航空隊をしのぶ遺構は、もうほかに残されていないから。



 機銃掃射の跡。
 弾痕を見てみたいと願っていたので、実際に本物を見るとことができてうれしかった。

 同。



 私の身長は154センチくらいですが、鉄扉の巨大さがわかりますね。

 もの言わぬ歴史の証人。巨大な鉄扉は私たちに無言で何かを伝えようとしている。

 さて次はいよいよ、以前から行ってみたいと思っていた、近くて遠い「大分航空隊跡」

 とうとう来ました。
 このあたりが滑走路跡になると思う(大分市裏川沿い)んだけど、現在では一部が大洲運動公園になっており、まあ宅地などになるよりはこういう使われ方もいいのかなあと思う。
 テニスコートがいくつもあって、いかにも平和で健康的な情景からは大分航空隊があったことを想像もできない。
 クルマを降りて歩いていくと、目に染みるような美しい紅葉。

 しかし11月とは思えない暖かい日でした。
 九七氏の持ってきた地図を頼りに、どのへんで宇垣長官が最後の訓示をしたんだろうね、などと話しながら、石碑を探す。



 ついに到着。
 芝生の広場のようなところの片隅に、ひっそりと目立たぬその石碑は建っていた。大分県人でもこれを知らぬ人は多いのでは。
 私もつい十数年前まではそうでした。興味を持ったのは模型のおかげ。

 九七氏が準備してきてくれた花を手向け、一同合掌。



 石碑の裏側。昭和五十一年建立とある。1976年。それまでは石碑すらなかったのか。
 戦後というのはむごいことをしたもんだなあ。

 でも、いまそんな批判するのは簡単だけど、実際戦後は生きていくだけでみんな精一杯だったのだと思う。
 正直、あの戦争のことなんか早く忘れて、とにかく今は頑張って働いてよい暮らしをしたい。庶民の思いはそんなところだったでしょう。
 私も過去を批判するんじゃなくて、微力ながら少しでも過去のことを伝えていかなくちゃと思う。今、堂々と過去のことを話してもいい時代になった。こんなところに何を書いても許される時代になった。そのことの幸せをかみしめる。この幸せは重いんだね、実は。



 ふと見上げれば素晴らしい青空。
 あの蒼空の果て、旅立った飛行機乗りたちのことを思う・・・

 それにしても何もかも、自然は美しく出会う人は優しく風景は平和すぎる。



 というわけで大人の遠足、ここまで昼食の時間入れても5時間くらい? ゆっくり回れる良いコースでした。
 大分県内あるいは隣県の方は日帰りドライブがてら、いかがでしょうか。

 なんだかいろいろ感動したらコーヒー飲みたくなってきたなあ、できたらアップルパイ付きがいいな・・・とは思うが、オッサン共に言い出す勇気はない、それどころか・・

 カ号氏「“紙創り”の近くだから、ちょっと寄ってみませんか」と誘惑の一言。
 「紙創り」というのはブランド名で会社は「和巧」で建築模型の製作を専門としています。特にAFVモデラーならばすでにご存じの方も多いと思うけれど、1/35などの精密な草木や1/48、1/72のシートベルト、大きなところでは格納庫やドックなどを紙をレーザー加工することにより製品化している。私もシートベルトや花は使ったことがあるよ。

 写真の中にもそういった商品が写ってますが、静岡ホビーショーにもここのところ続けて出店されているので見覚えのある人もいるのでは。

 数年前に、某モデラーにここに連れてきてもらったこともあるけど、ずいぶん久しぶり。この会社が大分航空隊跡のそばにあるというのは何かの縁かもしれない・・・というか、ここも航空隊の敷地内になるのでは!? まさに因縁を感じる。

 社長のハクション大魔王こと堀さんも気さくな良い人で、モデラー同士、話し出すと話が次から次へと止まらない。
 きらら「あっ、そろそろ行かないと汽車の時間ですぅ~(泣」

 あっというまに楽しい時間は過ぎ、去りがたい思いで和巧さんを後にし、大分駅のコンビニに駆け込んでようやく紙コップ入りのコーヒーを手に、帰りの「ゆふ」に乗り込んだのだった。

 ああ、そのコーヒーの美味しかったこと!!

秋の遠足(その1 予科練資料館)

大人の秋、といえば遠足。

 昨日(11/19)、大分駅南口に怪しいモデラー数名が集合。
 明け方には季節外れの雷と豪雨に見舞われた大分県だったが、昼近くには何のことはない、妖怪“晴れ女”(誰やそれ)の魔力のなせる技か、無理やり雨雲吹き飛ばし、さて楽しい遠足に出発だ。

 おおー、まさしく妖怪・・・じゃなくて私ですよ(汗

 今日はちゃんとお天道様の下におります。こんな汚れた手でプロペラに触って申し訳ない・・・ごめんねゼロ。
 杵築市沖にて平成元年に引き揚げられたエンジンの前にて。零戦21型と書いてあった。



 大分県大分市上野ケ丘1丁目の予科練資料館(tel 097-543-1430) 見学無料
 ご見学の際は電話でアポイントメントをとってみてください。

 館長・川野喜一さんの私設資料館でありまして、ご自分の住居の一階のスペースに予科練、特攻、海軍・陸軍とにかくいろいろな資料を展示されている(ご自分で集めたものもあるが、遺族などが全国から遺贈された品物も多い)。

 実は私、16年前にも一度訪れたことがある。そのとき75歳だった川野さんは現在91歳、もしや体調など崩してられるのでは、というより失礼ながら本当にご存命なのだろうかと疑ったりもしたが、私たちがクルマから降りると間もなく自宅から出てきて迎えてくださった。
 もちろん16年の間にお年を召されて少々耳の聞こえは悪くなっていたけれど、元艦攻乗りの名に恥じないかくしゃくとした話しぶりで、瞳は強い意志で輝いていた。
 このような人が大分県人であることに誇りを感じる。

 写真撮影自由なので、好きなように撮らせてもらった。

 海軍さんのハンモック(実物)。
 珍しい展示ではないでしょうかとのこと。
 皆さまは見たことありますか?

 一式陸攻のスピナ

 塗装の剥がれ方が面白い。



 雑多なものが並ぶ。

 中央の木刀のようなものは、軍事教練で使用されていた木製の小銃。
 戦時中旧制中学に通っていた私の父なども、こういうものを使っていたのだろうか。

 操縦者の使っていた手袋。
 今の目で見ても、上質そうな感じがするし、オシャレな感じもする。

 予科練で使用されていた航空術の教科書とノート。

 落下傘のベルトがよく観察できました。

 人形の塗装するときにお馴染みのカタチ。

 大きいほうが20ミリ、小さいのは12.7ミリの銃弾。

 さすがに20ミリは大きい。
 「20ミリじゃないと、飛行機はおてん(落ちない)」と川野さん。

 久々に聞いた大分弁だなあ。

 零式戦闘機一号受信機(本物)。

 さまざまな方から寄贈されたものが多く、けっこう本物が多い。

 そばにはモールス信号の送信機?もあり、スイッチを入れると「つーつつつつつ」という独特の音がした。
 信号が途切れたときが突入の瞬間だったと聞きます(特攻において)

 

 千人針。

 息子の出征に際して、当時の母はまわりの女性に糸の結び目をひとつずつ作ってもらってお守りにした。
 寅年の女性は自分の年の数だけ作ることができたという。(先日も書いたけど「虎は千里を行きて千里を還る」と言われ不死身の生き物だといわれたから)

 隣においてあるのは、「赤紙」です。
 若い男は兵隊に取られ、後には老人と女子供ばかりが残り、その苦労は筆舌に尽くしがたかったと思う。

 いつだったか、息子が帰省したときに
 「お母さんは、いま戦争がなくて本当によかったと思うよ、もし今戦争があったら、お前みたいのが一番に敵に突っ込んでいって一番に死んでたよ」
 「俺もそう思う(苦笑)」
 というような会話をしたことがあった。
 息子を失った母の心を思うとき・・・なんと言ってよいか、言葉がありません。

 本当に今が平和でよかった。そう思うけれど、川野さんは今の世の中に少し危機感を感じるとおっしゃっていました。
 なんとなく戦後70年が過ぎたけれど、自分たちでの意志で国の平和を守り、自分たちで選んだ道を歩いているのか。そういう自覚が日本人にあるのか。そういわれると、私には自信がありません。なんとなく、なあなあで、誰かがやってくれてるからまぁ大丈夫だろう・・・といういい加減な感覚のような気がします。

 川野さんは終戦時、木更津で流星改の偵察員でした。あと数日戦争が長引いていたら、特攻隊員として出撃していました。
 写真は第七御盾隊の西森良臣上飛曹(高知県出身)、昭和20年8月13日特攻出撃、戦死。

 出撃前、西森上飛曹から川野さんの新しい飛行服と取り換えてくれ(新しい飛行服で死にたい)と頼まれ、川野さんと飛行服を取り換えて出撃されたそうです。
 飛行服が身代わりとなり自分は生き残った、という思いが川野さんにはあるそうです。が、戦後こうして私財を投じて私設資料館で当時を伝えているのですから、西森上飛曹の魂はここに生きているともいえるでしょう。

 ご紹介はしませんが、大分航空隊ではご存じ「最後の特攻」がありました。先日も少し書きましたけど、例の中津留大尉機が宇垣長官を乗せて飛んだ8月15日の玉音放送後の特攻です。
 これについても川野さんは詳しく説明してくださいました。

 最後に、川野さんが入れてくれたお茶を恐縮しつついただき、昼食時になってしまった非礼を詫びながら、資料館をあとにしました。
 私たちの乗ったクルマを敬礼で見送ってくれた川野さんに、深く感謝を捧げたいと思います。

 というわけで、不良モデラー数名は海軍式の敬礼に色んな部分が縮こまる思いでしたが、「とりあえず腹減りましたな」というわけで、昼食に向かう。新鮮な豊後水道の魚をのっけた海鮮丼で生き返り、さて次の目的地へ。

 明日に続く。
 
 

旅の名残り(神戸の旅・異聞2)



 先日の神戸への飛燕見学旅行(川崎重工創立120周年記念展)で、図録が売りきれており、会場でお願いして送ってもらったのを首を長くして待っていたのがようやく到着。

 それがこの本「飛燕の時代」、感動的な内容でした(この本そのものは2011年のかかみがはら航空宇宙科学博物館で開催された初飛行70周年記念展の図録)。
 表紙は各務原の工場から姿を現した飛燕(川崎航空機が製作した記録映画より)で、裏表紙には飛翔する姿もあり、さらに感動的。
 これ読むと、飛燕はとても頑丈だったということがわかる。なるほど、それでB29に体当たりしたんだな。

 右側は背景が黒いのでわかりにくいけど、クールなカワサキ製コースター。これも分厚くて頑丈そうだよ。自分へのお土産です。

 で、飛燕や土井武夫について読みたくなって何かないかと自分の本棚から「戦闘機入門」(碇義朗著)を引っぱり出した。この本、面白いよぅ~!!

 ずいぶん以前に買ったままちゃんと読まずにパラパラ拾い読みするくらいだった、なんか面倒で。ところが今読むととても読みやすい。
 なぜか!?
 それは私の理解力や知識が増えたから。

 ミツビシ、ナカシマ、カワサキのそれぞれの機体(零戦、隼、飛燕)の主翼を例にとって比較した部分なんて、なるほどーって納得。
 おじさん達はこういう本を読んで薀蓄を蓄えているのだな、ふむふむ。

 右側の本も本棚のすみっこで発見。買ったまま読んでなかった(汗
 これはまたタイムリーな本でした。今度こそ読まなきゃ。

美しい飛行機(川崎重工創立120周年記念展)

 昨日から一泊二日で、小さな旅をしてきた。

 お昼過ぎ、新神戸に到着。
 ここからは地下鉄とポートライナーを乗り継ぐが、さすが都会の乗り物は便利だね、あっというまに会場に到着。あ、JR九州のsugoca(ICカード)もちゃんと使えました。便利だなー。
 途中、ポートライナーから見える港の景色が心に沁みる。幼い頃神戸に住んでいたことがあり私の故郷のひとつ。

 実は誰かと一緒に来ることも考えたが、こんなふうに自分だけの世界に没頭できるので、やはり一人で来てよかった。

 ポートライナーの駅を出るとすぐ会場入り口で、ありがたかった。

 ポートライナーというのは、モノレールのような乗り物なんだけど、なんだかやたらとガタガタ揺れて、ちょっと老朽化した遊園地の乗り物みたいで恐かった。

 さあ、いよいよ飛燕にご対面・・・・。

 あなたは実機を見たことがありますか? 現用機ではなく、復元された日本機などの実機・・・本や写真でしか知らない、あこがれの人に会うような緊張でドキドキする。

 そして腰が抜けそうな、その瞬間の衝撃。

 私がいちばんに感じたのは、美しい、美しすぎる、貴婦人のような気高さでした。



 飛燕�U型改試作17号機とH2Rニンジャ。
 川崎重工創立120周年記念展~世界最速にかけた誇り高き情熱~にて。

 美しい飛燕のフォルム。

 二時半前にはここに到着し、五時に“蛍の光”が流れて会場が締まるギリギリまで粘った。
 一枚でもいい写真が撮れるように。少しでも目に焼き付けるように。

 この写真も少し人が少なくなりかけた四時半くらいに撮った。到着した二時半頃はずっと人が多かったんだよ。
 それでも平日だったのでまだ少ないほうだったかと思う。



 第二次大戦の頃の技術を極めたメカである三式戦の改良型である�U型と、現代の最新鋭のバイクが並んで展示されている情景に胸が熱くなる。
 素晴らしい。
 そしてこういった展示に興味を持つきっかけを作ってくれたプラモデルに改めて感謝する。

 川崎重工のスタッフに質問したんだけど、実はこの機体は日本航空協会の所有であり川崎重工が所有しているわけではなく、今回「同協会の依頼にて復元させていただいた」という表現をされていた。また、経済産業省の「近代化産業遺産群」に認定もされている。

 今回の復元に対する考え方が会場のパネルに書いてありましたが(日本航空協会)、この機体が戦闘機としての役目を終えた時点(終戦時)を復元の基準としたそうです。そういうことから、戦後に付け加えられたものや塗装は取り除いてゆき、よりオリジナルな状態を保つように考えられているそうです。
 日の丸や敵味方識別帯は今回の展示会のために付け加えられたシールだとのこと。



 復元についても実機についても、私はたいした知識があるわけではない。
 でも、この機体はとても美しい復元がされていると感じる。

 キャノピーの美しさが特に目を引いた。
 また、外板はあまりベコベコしていないが、ジュラルミンの質感が非常に印象に残る。



 うーん、やはり上反角はけっこうあるなあ・・・かっこいい。

 この機体II型はみなさんご存じだと思うけど、I型と主翼は同じで、エンジンが違うので胴体がかなり大きさ太さなど違う。
 最初の印象は美しい、でもよく見るとなかなかマッチョな感じがする。力強い。
 H2Rを従えて威風堂々、日本人の誇りをそのまま表現しているような・・・。

 川崎重工のスタッフに「力強い感じですね」と言うと「そう言っていただけるとうれしいです」とニッコリされていた。

 また、某模型メーカーが取材に来ていたそうで、どこのメーカーですかと聞くと「自分は応対していないのでわからないのですが・・・今回機首のカタチなどはっきりわかった部分があると思います、この形を元にキットが作られたら大変うれしいです!!」と言われていました。
 ううむ、どこのメーカーでしょうね。楽しみにしておきましょう。

 エンジン。ハ140発動機。この機体のもの(実物)

 DB603過給機。実物

 アンモナイトみたいだなー。

 ハ140過給機。今回復元にあたって、川崎重工が作ったモックアップ。




 計器盤。実物。
 足りないものなどはオリジナルの計器をいろいろなところから集めたそうです。

 脚庫。

 ラジエーターは取り外して、中身は展示してあった。ラジエーターの前のモノはなんだろう?



 来場者はざっと見たところ8割以上が男性で、会場に漂う空気はまさしく・・・飛行機模型の展示会にそっくり。
 妙にホッとくつろぐ私。これでコーヒーでも飲めたらなあ。飲まず食わず、座るところもなく(そういうのあると、居座ったりする人がいるからかもね)ちょいストイックな会場だった。

 で、見てると面白かったのが、飛行機の写真撮ってる人とバイクの写真撮ってる人は微妙に違うんだよね。
 バイクの写真撮ってる人は実際にバイクに乗って来ている人も多く(いわゆるバイク乗りの服装なのですぐわかる)、息子連れてる人も多かった。気持ちはわかるなあ。世界最速のバイクを息子に見せたいって気持ち。で、スマホで写真撮ってる。

 それに対して飛行機のディテールを熱心に撮影してるオジサマ方は、高そうな一眼レフでパシャ!!とかやってるんですよ。
 オッサン二人連れでやってきて「ああだこうだ」と薀蓄合戦やってる人も多く見られました。



 実は、もしかして会場で一人くらい知り合いに会うんじゃないかと思ってたんだけど・・・
 いましたよ。それも会場に入ってすぐのところでバッタリ。

 大阪レディバードクラブの会長でした。飛行機の生き字引のような方で、ここでお会いするのにピッタリの人。

 で、これ幸いとシャッター押していただきました。「きららさん、ちょっとブリっ子ですね(笑)」と言われてしまいました・・・・汗
 だってぇ~飛燕の前だからぁ~(意味不明

 素晴らしい会場を後にし、夕暮れの三宮の街を歩いていると、足ががくがくした。全ての集中力を使い果たした感じ、でも疲れているはずなのにエネルギーをチャージしたような、とても幸福でとても満たされた感覚。

 やはり来てよかった。

 旅はもう少し明日に続く。

 

岩国基地の写真(頂き物)



 岩国基地にて。変形中?のオスプレイ。 

 悔しいなあ・・・毎年毎年、五月の連休は岩国のフレンドシップデーですが、一度も行ったことがない。
 やはり来年こそは、ちゃんと計画して行くべきか。静岡ホビーショーの直前だし、ものすごく人出が多いらしいし、どうしても二の足踏んでしまうんだよね。

 などとぐちゃぐちゃ言ってないで、男らしく岩国突撃した方からお土産画像頂きました。

 ちなみにオスプレイはチヌークより音が静かだったそうです。ほほーそうなのね!!

 (どちらの写真も銀翼会の毛利さん撮影、2016年5月5日 岩国基地)

 海兵隊のお兄様たち。

 バックに写ってるのは水をくむポンプだそうです。
 さすがー、気が利くなあ。飛行機もイイけど、こういう写真送ってくれるのがさすが私のことわかってる。うれしいな。

 私が行ったら、膝に乗せてもらえるかなぁ~あ、やっぱ来年行ってみよう。

 さて、静岡の準備が佳境に入ってきた。まだまだやることいっぱいあって全然終わらなくて焦ってます。
 看板作り直したり名札作ったり当番表作ったりいろいろ考えたり・・・

 いよいよあと一週間。




 

或る列車の女

 両親を訪ねて別府出張してきた。

 一人で行くときは列車の旅で楽しいが、今回は余震が続いている最中なので多少緊張感がある。
 駅に行くと、ありゃ何か珍しいものが停車している。


 大分-日田間を走っている、「或る列車」という観光列車で、この中で酒池肉林・・・もといスイーツ食べ放題!?らしい(よくわかんないけど)

 「ゆふ」が来るまでホームで写真を撮っていると、乗務員(多分、そばに停車していた普通列車の運転士だと思う)が話しかけてきた。
 「これねぇ、こっちの(普通列車を見ながら)と同じ車両なんですよ」
 へええー、そうなんですか、改装してるだけなんですか
 「そうです、もちろん中身も全部ですけどね」
 やはり水戸岡さんのデザインなんですか
 「そうです・・・」まだいろいろ言いたいことがありそうだ。 

 金ピカな雰囲気は、太閤秀吉の「黄金の茶室」もかくや!? と思わせる。正直あんまり好きなデザインじゃないけど。

 「ななつ星(九州を横断する豪華クルーズトレイン)なんてのは、たった七両で新幹線三十両分の値段ですからねぇ・・・」
 えええー。そうなんですか。ななつ星はうちの近所通るんで音がよく聞こえるんですけど、普通の列車と音が違うんです、なぜでしょうか。
 「それは・・・普通はディーゼル車輛ってひとつの車両ごとにエンジンがついてるんです、ほらあの部分アミみたいのが見えるでしょう? ななつ星は一番前だけにエンジンがついてて引っ張ってるからかもしれませんね、ブルートレインと同じで」
 へええ。そうなんですか。えーっ、ディーゼルって全部の車両にエンジンついてるんですか。

 なるほど、それであの独特のずんずんずんずん・・・っていう音がするのかな。
 話の途中で残念ながら乗務時間が迫ってきたのか、行ってしまったけれど、楽しい話が聞けた。まぁ~そりゃ~現場の社員にとっては観光列車だのクルーズトレインだのがお金かけて話題集めをして、それでどれだけ見合った利益を生んでるんだ、JR九州は自分たちが支えてるんだぞという、そういう気持ちがあるのかもしれませんが。

 それにしても幸先のいいスタートだなあ、私がオタク顔してたから話しかけてくれたのかなあ、それともやっぱり美女だからかしら、フフフ・・・なんて一人ニヤケながら考えた。

 一人で夕方まで時間があったので、海(別府湾)を見ながらお茶飲んだ。

 ふだん山の中に住んでいると海を見ると心がほっとする。潮風もいい。
 実は、私が湯布院を通り過ぎた直後、けっこう大きな余震があり、由布院駅の窓ガラスが割れたり一時久大線はストップしたらしい。ふう~間一髪。あの日田駅で会った運転士のご加護かもしれない。

 帰りに見た由布岳。

 手前の家はブルーシートが置いてありますが、途中地震で瓦が落ちてシートをかけている家がたくさんあった。

 それにしても瓦ってどうよ、と今回の地震で感じましたが(台風などでも飛びやすい)、日本の風景といえば瓦屋根だしね。こういう言い方は不謹慎かもしれないけど、瓦屋さんは儲かるわけだしね。壊れやすいけどそれを作り直すのが日本の文化のような気もする。

 あ、写真の真ん中あたりに写ってるのは汽車の中の電灯です。
 由布岳は「豊後富士」とも言われる美しい山で・・・頂上が二つに分かれてるじゃねぇか、どこが富士だよと言われそうですが、豊後の人は富士山なんか見たことなかったんですよ多分。
 姿の美しい山なので富士と言わせてください。それにあの二つに分かれてるところを、指先でこう・・・なぞって見たくなるでしょ? ふふ。

 というわけで、どうにか任務完了。しかしめっちゃ疲れた。
 模型仲間と二日間くらい狭い空間にいてもちっとも疲れないのに、妹と半日いただけでぐったり疲れるのはなぜだろう。価値観とかものの感じ方の違う人と一緒にいると疲れるね(もちろん妹もそう感じているだろうね)。

 とにかく早くうちに帰って鍾馗作りたい・・・と、何度も思った。


 



  

大刀洗で涙する(零戦三二型と九七戦と)

 大刀洗平和記念館(福岡県筑前町)へ。訪れるのは二度目。

 ゼロ氏(56歳・飛行機モデラー)から、「大刀洗記念館に行くんだけど、クルマにもう一人乗れますからどうですか」とお誘いを受け、それならと便乗させてもらった。私の住んでいるところからも近いんですが、クルマじゃないと行きにくい場所なんだよね。


 ミュージアムショップ。
 「零戦せんべい」などのお菓子や「世界の傑作機」なども置いてあり、Tシャツはなかなかセンスもいいし、何と言っても我らがハセガワのキットがありますよ!! ここでしか買えない「大刀洗コンボ」(実はハセガワ通販でも取り扱ってるけど、できたらここで買いたい)。

 これは帰りがけの楽しみにとっておいて。零戦との再会を楽しむとしよう。


 ここの零戦は、タラワで発見された三菱製三二型。世界でここにしかない一機で貴重です。

 ただし、復元はイマイチ(後ろ半分がハリボテ感満載、エンジンは入ってるけどなんか奥に引っ込んでたし)、いちおう零戦は零戦だと思う。
 ちなみに、この記念館の中で、零戦だけは撮影可ということもあり、ゆっくりじっくり楽しませてもらった。

 今回のきらら的発見。

 こんなとこに穴あったっけ!?

 初めて気が付いた。
 空気取り入れ口だそうです。


 脚庫その1。
 
 脚庫その2。

 最近は、72のキットでもこの引き込み用の部品が再現されてたりするよね。

 脚庫その3。

 きらら「はいっちゃったぁ~ん、ゼロごめんねぇ~」
 三二型「いいよ~ん♪」

 なんだか妙に安心できる場所でした←おい!!
 それはともかく、零戦の大きさがどれくらいかお分かりいただけるかと思います。

 やっぱ格好いいなあ・・・・

 ここには日本に唯一残存する飛行機がもう一機ありまして、それは九七戦です(写真は、栄エンジン、九七戦は撮影禁止)

 福岡県雁ノ巣で引き揚げられた機体で、復元はされているけれど塗装はされていません(錆び止め塗料を全体に塗られている)。
 この機体を操縦した二人の操縦者について書いてあり読んでみると
 「第105振武隊は特攻出撃命令を受け、昭和20年4月3日佐藤伍長は満州から知覧に向けて飛ぶが途中の経由地朝鮮で、渡辺少尉に引き渡され内地を目指す。しかし途中事故で博多湾に不時着。渡辺少尉は助かったものの8日後には知覧から出撃し散華。その後佐藤伍長も知覧から出撃するも一命を取り留め終戦を迎えた・・・」 こういう「永遠の0」みたいな話は無数にあったんだろうね。

 『・・・知覧で操縦をおぼへ、知覧をとびたって終りにならうとは、明日はいよいよ出撃です。花々しく戦います。花々しく戦って必ず必ず敵艦を屠ります。皆様ご安心下さい。私の心はいま日本晴れです。お母さん おばあさん お父さん おぢいさん 皆様 さよなら 四月三十日二十一時三十分』(渡辺少尉、出撃前の手紙)

 老兵・九七戦は戦争末期に若い搭乗員を乗せて特攻機として使われたんですね。言葉になりません。

 さて現在「戦後70周年記念展」が二階にて開催中、去年熊本県で発見された流星改の風防(ただし第五風防が欠損)を展示してあった。実はゼロ氏以下、今回モデラーどものお目当てはその風防であり、まさに眼福でした。

 写真を撮れないのでご紹介できず残念。流星改の風防を作ってる会社が熊本にあったというのも驚き。


 福岡エアロレプリカクラブなどの方々のソリッドモデルが数多く展示してあった。

 1/20の飛龍。いいですねえ。

 実は陸軍大刀洗飛行場からは、この飛龍に「さくら弾」という爆弾をセットした特攻機が出撃している。
 
 当然ながら特攻隊員の写真、遺書なども飾られ、20歳や18歳などという年齢に涙、美しい筆跡に涙。

 記念館の前には、甘木鉄道大刀洗駅がありまして、その駅舎には以前から私設博物館のようなものがあり、屋根の上にはなんとT-33が展示してある。

 なんかシュールな風景というか、昭和の物干し台的な場所に展示してあって、面白い。

 T-33もいいなあ。

 古い飛行機と悲しい話を見て少ししんみりした気分に、空に浮かぶ翼が気持ちいい。

 でも実は、小林照彦大尉がT-33で殉職しているんだよね。まあそんなことを言えばキリがないか。


 美しいジェット機の曲線美。


 ようやく買えた大刀洗コンボ。ハセガワ1/72 九七戦と零戦三二型(絵葉書は別売り)、前回来たときはお金が足りなくて買えなかったんだよね(実話)。

 九七戦の尾翼に描かれた大刀洗のマークは、松本零士氏の父上のデザインだとか。
 三二型はあんまり格好いいと思わないけど、作らなくっちゃね。

 売店のお姉さんが、「こういうの作られるんですか」と驚きながら、キットの横に置かれた作例を指さしつつ「ほら九七戦にパイロットが載ってるんですよ、小さいでしょ、すごいでしょう」と教えてくれた。たまにはパイロットも塗装しようか。

MRJ初飛行(頂き物写真)



 本日(2015年11月11日)、小牧に出かけた嘴頼特派員より写真が届きましたのでご紹介。

 飛行機モデラーにとっては歴史的な日になりました。
 YS-11以来の国産旅客機が日本の空を飛んだのですから。

 美しい飛行機です。(以下MRJの写真は嘴頼さん撮影)



 この角度もいいなあ。涙出てきちゃうね。
 空も青く澄み渡って、素晴らしいコンディション。

 よかったね嘴頼さん。写真ありがとうございます。
 ネットにはMRJの写真はあふれているけれど、浜松松風会の嘴頼さんの写真が見られるのは拙ブログだけだよ!!
 これはすごいことです。
 MRJもすごいけど、同じ趣味を楽しみ、今ここにこうして同じ画像を見ていることは、ひとつの奇跡だと思う。

 大分合同新聞夕刊。

 記事読みつつ、またもや感涙。



 私の生まれた年、1962年から53年。
 生きててよかった!! 

 あとはハセガワがキットを出してくれるのを待つだけだな・・・・


 というわけで明るいうちから祝杯(毎晩飲んでるけど・汗)
 地元・老松酒造の純米酒・山水。やっぱ日本酒は純米酒、プラモは飛行機だな。

 温めてもそのままでも。喉をすーっと通っていく。「ぎんなん」を炒って。旨いです。
 ああ、生きててよかった!!

 じつは今日はほかにもうれしいことがあった。
 就職した息子から送金があったのだ。
 今まではこちらから送金するほうだったのが、息子からお金が送ってきた。

 息子もMRJも、ようやく大空に離陸したというところだろうか。
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