つれづれプラモ製作記

マイペースで作っているプラモデルのブログです

カテゴリ: 実機・実物

大刀洗6

 連休第一日めは旧陸軍大刀洗飛行場跡にある福岡県の筑前町立大刀洗平和記念館に行ってきた(日田からは高速使えば30分くらい)。私は自分で運転をしないので便乗させてくれる人がいたら幸いと、連れて行ってもらう。
 ゴジラ効果で以前より来館者が多い。若い人や子供連れが来ているのが自分のことのように嬉しい。一人でも多くの人が戦争や航空技術の歴史を知ってくれたら。

大刀洗3

 震電(レプリカ)は映画「ゴジラ-1.0」で使われたもの。まわりに説明板が置いてあるせいで全体像が見渡せないのが少し残念。でも説明板もすごく大事な事が書いてあるから仕方ないのだ。

大刀洗1

 きらら「脚ながすぎー!!」
 震電「お前の足が短いんだろうが」

 すみません。

大刀洗2

 今回の発見(同行の九七氏が気づいた)。震電ではなくその横に置いてある零戦32型、右側の尾翼の昇降舵のところ、羽布張りの部分の桁がうっすら見えてる!! あーっ模型もこうなってるよね。このへんはオリジナルが残ってるのだろうか。ちなみに左側はいかにもハリボテ。というか塗装が汚い。

大刀洗4

 同じく32型の排気管。格好いいのぅ。これもオリジナルか。
 こういう細部の写真を撮っている人はほかにもいて、モデラー臭ぷんぷん。それがまた落ち着くのよねぇ。

大刀洗5

 同じく脚庫。このへんもオリジナルかな。そんなことを想像するのも楽しい。

 行くたびに思うけど、モデラーは飛行機の細部、全体、見飽きることがない。またこれまで色んな人と訪れたけど、人によって目の付け所や言うことが違うのも私としては面白い。

 今回も気が付くと三時間経過!! しゃべりすぎて喉がカラカラ、喉が枯れた。のど飴は必須か? でも見てるといろいろ語りたくなるんだもん。見飽きない。小さな博物館だけど見どころ満載。もちろん一人で訪れて静かに時を過ごすのも最高でしょう。零戦の残骸もあるよ。残骸好きにはたまらんですよ。

 楽しかった連休の話は明日に続く。

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 最近封切られたゴジラ映画の撮影に使われた震電は、大刀洗平和記念館に収蔵された震電なのだった。大刀洗は東洋一といわれた陸軍飛行場があったところ。米軍の爆撃で壊滅したが、面影を残す遺跡もわずかに残っている。

 私はここに来るのは6回目、震電見るのも三回目、でも何度見ても見飽きることはない。普段はすいてる駐車場もほぼ満車!! おおー!! うれしいなー!! 震電のためにこんなにたくさんの人が・・・いやゴジラのためか。ま、いい、何でもいいいから大戦機を一人でも多くの人が見てくれたら。

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 ぽつねんとたたずむ九七戦。ここには震電(レプリカ)と零戦32型(復元機)があるけれど、この九七戦が記念館のいちばんの古顔です。私が生まれて初めて見た大戦機がこれ。正直ポンコツの古い機体に見えた、よくこんなのに乗って戦ったよなあという衝撃を受けた。しかし今見ると、震電はよくできたレプリカ、零戦32型はなんかイマイチの復元外観、だがこちらは塗装こそ失われているが九七戦そのものじゃないか!? 「おおーよくそこわかってくれたなヨシヨシ、でも72のワシのプラモ捨てたんはお前じゃなかったか?」ハハーっ、私でございます(汗

 このプロペラのカタチもいいな。ようやく私も九七戦の格好良さのわかる年齢になったってことか。
 ちなみに、展示飛行機三機は撮影できます。ほかには赤とんぼのエンジン、別室には鹿児島錦江湾で引き揚げられた零戦21型の残骸もあり、こちらも必見。

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 二階で特別展「異端の翼 震電」開催中。何となくモデラーっぽいオジサマたちが多い(自分もその一人やろ!!) 映画製作中写真もあったけど、これは映画に興味のない私も楽しめた。
 中村泰三さん監修の計器盤を拝みました。私もそこまで計器盤に詳しくないのでわかりませんが見る人が見れば凄さがわかるのでしょう。中村さんは「日本海軍機の塗装、ソコは何色?」の著者で大戦機を修復展示している方です。この本すごく目からウロコというか、ああーそうだったのかの連続で興奮する、やや高価なのも納得。アホな本10冊買うよりこれ一冊。ちなみにミュージアムショップにもあるよ。

 模型展示会もいいけど、こういうところで展示を見ながら実機のこと模型のこと過去の歴史、あれこれ話すのはすごく楽しい!! おすすめですよ。

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 最後にお楽しみのミュージアムショップ。小さな記念館なのに結構充実してて楽しい。グッズも定番Tシャツやピンバッヂからマグカップ、ハセガワのキット、ここでしか買えない出版物もあり、規模では小さいけど呉の大和ミュージアムにも負けてない気がする。

 自分に買ったお土産の数々。右上の飛行機の絵が描かれている箱は零戦サブレ、その下は手ぬぐい、「日本の爆撃機」(光人社)はたぶん持ってる本と同じやつの改訂版だろうと思ったけど違う写真もあるかもしれないのでゲット(やはりそうだった)、その下はマウスパッド。
 掩体壕保存の寄付をしようと思ってレジの人に声をかけると「担当の者を呼びますのでお待ちください」
 教員を定年になりました的な白髪頭のオッサンが出てくるだろうと想像してたら、働き盛りの感じのよい女性、いやはや、失礼な思い込みでした、こういうのをジェンダーっていうんだろうな。
 それと以前から大刀洗町と思ってたけど、記念館は筑前町立でした。ごめんなさい。大刀洗飛行場は広大だったので、今の大刀洗町、筑前町、朝倉市にまたがっていたのですね。

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 記念館からクルマで五分くらいだろうか、保存される予定の掩体壕がある。
 現在はまだ、正面からは近づくことができず、裏側からしか見られない。でもかなり大きな構造物で、屠龍などが入ることができたのではと思われる。
 古いコンクリートが何ともいえない。あちこち石が顔を出していた。裏側に木を並べたような跡が見えるのは、木材で型を作ってその上にコンクリを乗せていったからではないかと一緒に行ったモデラーが推測する。

 古いものを残す気運が全国的に生まれている。特に戦争遺跡、産業遺跡という言葉もよく聞くようになった。心から嬉しく思う。感涙←やたらと涙もろい

日没

 うちに帰りつくと慌ただしく日没。古い資料や飛行機やコンクリートが無言なる饒舌でいろいろと語り掛けてきたもんだから、心地よい疲れを感じる。
 今回も連れて行ってくれたモデラーに感謝。私はクルマを運転しないので誰かに連れて行ってもらうしかない。ほんと無能の人なんだけど、助けてくれる人がいるのがありがたい。

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 中津は江戸時代の町割りがそのまま残っている。歴史好きにはたまらない。展示会会場(※小幡記念図書館)から3分も歩くと中津城。閑静な街並みにはあちらこちらに説明板が。なんか町の空気が日田とは全く違うんだよね。城下町と町人の街の違い。

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 こちらは昼食に行く途中に出会ったレンガ塀。古そうだ。最近レンガ塀マニアにもなりつつある。こういうの見るのが楽しくてしょうがない。

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 五分も歩くと中津歴史博物館に到着。ここに来たかったんだよ!! 石垣を堪能できる絶好のポイントでくつろげるようになっている。オーシャンビューならぬ石垣ビュー。ちなみに黒田官兵衛様の施工であります。近年は荒れ果てていたものを平成の大修理で見事蘇らせたそうだ。

 石垣をわざわざ修理するのが文化というものなんです。黒田官兵衛と細川忠興の二人がこの城を作り城下町を整え治水工事をし、やがて江戸時代になると小笠原、奥平がやはり治水や学問の奨励をして中津は高い教育と文化の街になっていく。そういった人たちがいたから今の中津があるんだよ。自分だけで生きてるわけじゃねえよ!! 石垣作った人のこと考えたことあるか? スゲー技術ですよ。展示室には江戸時代の上水道のモデルが置いてあった。スゲー技術ですよ。

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 以前も来たことがあるけど、見返すと新たな発見があるのが博物館。
 一人ゆっくりと展示を見たあとは楽しいミュージアムショップでお買い物。ここは小さな博物館ながら充実してるんですよ。
 この冊子は図録というのかな、博物館の展示物に沿って説明してあってわかりやすく勉強になる。
 大刀洗平和記念館もそうだけど、地方の小さな博物館と侮るなかれ、そこでしか買えない冊子に出会う楽しみがある。

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 自分へのお土産は、栞セット。右側の小瓶に入ってる精油を垂らすと本を読んでいる間、良い香りを楽しめます。精油は森の香り。深い森にいるような気がする。絵は春夏秋冬が描かれており、秋を表す絵は「あまご」という魚。

クッキー

 今回ミュージアムショップで買ったものをゆっくり楽しみながら、コーヒーと耶馬渓もみじクッキーを。前野良沢(解体新書を書いた人)の話に感涙。

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 柿の木の紅葉と中津の空。暑く不快な夏はようやく過ぎて、からりと晴れた秋が来てくれた。あと少しこの季節が続いてほしい。

 (※小幡記念図書館の小幡篤次郎は、中津藩士の子、漢学に優れ福澤諭吉の右腕として慶應義塾塾長などを務めた偉い人、図書館は彼の生家跡に建っている)

ライダースカフェ1

 近所の模型屋がライダーズカフェ・コルセベースの店長さんと知り合いなので、地元のクラブ員に「コンテスト参加しませんか」という話が来た。私も参加したいとは思っていたんだけど、たかがクルマで15分かそこらの距離にかかわらず連れて行ってくれる人が見つからない。
 たまたま芦屋のトミーさんが日田に来ると聞いて連れていってくれと頼み込んだ。トミーさんはもちろん今回はクルマで来たけどバイク乗りでもあるし適任。ようやく拙作を置かせてもらった。

 お客さんたちの乗ってきたバイクを眺めながら飲むコーヒーは最高!! ちょうどSRに乗ったシブいオジサマがご来店。もう~バイクもご本人も素敵~!! キャー!!
 あ、ちなみにクルマの駐車場はないのでご注意ください。

ライダースカフェ2

 飲み物にはバイク型のクッキーが一個ついているのがうれしい。こういうサービスが好き。アイスコーヒーもすごく美味しかったよ!!
 店長さんに「バイクは後ろにしか乗ったことないんですけど」と言うと「それでじゅうぶんです♪」と笑顔。キャー!!

ライダースカフェ3

 ガレージに置かれたレーサー見ながら至福の時。空冷かと思ったら油冷だそうです。オモロい。

ライダースカフェ4

 アカシ模型店に行ってトミーさんはガラスケースの作品を入れ替え。私の震電と並びました。

 きらら「コルセベース行ってきたよ!! 店長さんステキだったぁ~!!」
 模型屋「ふーん、そうですか。店長・・・ちょっとチャラい」
 きらら「チャラい? そんなことないも~ん、優しいよ~」
 模型屋「女性の店員さんがイイんですよ、いまバイクの免許取りに行ってる最中らしい」
 きらら「ふーん、女とかどうでもいいわ(冷 男の人はバイクに乗ってる女なら何でも好きなんだよねぇ」
 模型屋「・・・・・・」

 なんか雲行きが怪しくなってきた。960ヘクトパスカル。東寄りの風。次回につづく。

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 沈堕(ちんだ)発電所跡を妹と二人で訪れた(大分県豊後大野市)。

 明治42年竣工の沈堕発電所跡である。石の構造物が残っている。JR最寄り駅は豊肥線清川駅(豊肥線は大分と熊本を結ぶ)からタクシーで5分ほど。お寺が目印。お寺の前を少し降りると駐車場、トイレもある。

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 西洋風の建築は外国人の設計とか。私の父方の祖父は発電所を作ったとき電気関係の技師だったんです。すごいでしょ!? 呉で電気の勉強をしたそうです。

 祖父の仕事の跡をようやく見ることができて、感無量。祖父は戦後まもなく亡くなっており、私は会ったこともない。いったいどういう人だったのだろう。

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 大野川のほとりに建っている建築物。帰りに呼んだタクシーの運転手によると、当時コンクリートがなかったので石を砕いて固めたとか。

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 遺構の中を歩いてみた。何ともいえない気持ち。

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 沈堕の滝のよく見えるところまで登って行った。足元が濡れていて滑りそうで少し怖い。でも滝は巨大で壮観。数万年前の阿蘇山の爆発でできた地形なのだという。

 この発電所の電気は大分別府間の別大鉄道に送られ、大分県の近代化に貢献し、現代も滝の上によく見るとダムがあり発電している(滝の崩落防止工事を九州電力が行っている)。私の祖父がこの発電所を作ったなんて、すごく誇りに思う。廃墟は長く後世に残して行ってほしい。

 ようやく会えたね、おじいちゃん。

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 法事のため帰省した妹と小旅行を企てた。次は竹田市へと足を延ばす。竹田は城下町の面影を残す。ここは武家屋敷跡。

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 竹田といえば、広瀬武夫中佐のふるさと。日露戦争の英雄です。念願の広瀬神社に参拝。

 実はNHKドラマ「坂の上の雲」で知ったんだけどね。秋山真之との男の友情がカッコよかったね。息子と二人で涙した記憶がある。

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 阿南惟幾陸軍大将も竹田の出身。

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 男前ですね。

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 竹田の街並み。ほかには有名な岡城もあるんだけど(滝廉太郎の曲「荒城の月」で有名)、今回は妹と二人だったので足を延ばせませんでした。
 そのかわり、城下町の観光ルートはひととおり回ってみた。立派な歴史資料館もできていました。人口は2万人ほど、市としてはかなりコンパクトだけど、城下町の面影が良く残っていて風情がある。

 久しぶりに美味しいものを食べたり、途中立ち寄った父の実家で祖父のことや親戚の話を聞かせてもらったり、楽しい旅行となった。父の姉が戦時中、海軍さんと駆け落ちしたって話に驚き。明治から昭和にかけて、激動の歴史があったんだなぁ・・・と改めて思いを馳せる。

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 晩秋の筑前町立大刀洗平和記念館。入場料大人一人600円也。こんな小さな町にこんな立派な記念館があるなんて凄いなあと毎回思う。素晴らしい。
 私と同世代の男性が一人で立ち寄って飛行機の細部を熱心に見たり写真を撮ったりしているのを見ると、たぶんモデラーだろうなと思う。もう何となくわかるんだよね。

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 おおおー、格好ええ~!! 最近公開された震電のレプリカ。九州らしい展示物が増えた。零戦32型の隣の空間に無理やり押し込めた感じに展示してあり、一杯いっぱい感ではちきれそう。いいねぇ。

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 二階から見るのも楽しい。

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 零戦32型は以前見ているので写真はそんなに撮らなかったが、今回はつくづくコクピットの中を眺めながら物思いにふけってしまった。なんとも言えない気持ちになる。あえて復元せず、こういうボロボロになってるのも私は好き。

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 石川島製のクレーンフック。震電を作った渡辺鉄工所(九州飛行機)で使われていたそうです。渡辺鉄工所が九州飛行機と九州兵器という会社に分かれたそうです。九州兵器ってなんかカッチョいい。

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 現在は「大空に生きた若者たち 遺品が語るあのころ」という企画展をやっている(12/18まで)

 もう見てると涙が出そうになるのでヤバい。1Fに展示してある特攻隊の手紙は今回もほとんど見なかった。ごめんなさい。いつかコンタクトレンズ外して化粧もせずに行って、一時間くらい思いっきり泣いてみたい。

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 震電の脚。めっちゃ細くて長かった。むこうに零戦が写ってるところがポイントです。

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 ミュージアムショップも小さいながら充実していて、オリジナルグッズもいろいろあるよ。

 今回は零戦32型に乗っていた柳村義種少将の話に感銘を受けて(これまで三度も来たことあるのに、ちゃんとパネル読んだの初めてだった、すみません)エピソードが書いてあるという本「還ってきた紫電改」を買った。もちろんハセガワの震電も。コースターは博多織で、赤トンボと屠龍。特に屠龍がカワイイね。模型部屋のコーヒータイムのお供がまた増えた。

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 こちらの味わい深いレンガ塀は記念館の近く、憲兵隊隊舎の跡。たまたまドライバーが道を間違ってこちらに来てしまい、ここに出たとたん「ああっ!!」と叫んでしまった。最近レンガ塀の見分けが少しつくようになってきた私。昔のやつって違いますよね。この敷地のまわりにかなり残っていてレンガ塀好きはぜひ見に行ってください。中は私有地なので入れません。

 もしかして、誰かの魂がここに呼んだのかもしれない。

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 記念館の前に鎮座していたヘリ、三菱重工MH2000。国産初のヘリだったけれど、販売不振でお蔵入りになった機体らしい。もったいないなぁ。

 こじんまりした記念館ではあるけれど、気が付くと三時間近くが経過・・・飛行機の近くにいると時を忘れる。
 皆様もぜひ、行ってみてね。そして九州人なら震電を作ろうぜ!!

秋6

 季節が少し前に進んだ感じのする昨日。近所の門前の桜が紅葉していた。桜の紅葉を見たことはありますか? これぞまさに「わびさび」というような微妙なグラデーションを見せてくれる。あ、柿のもいい。

秋5

 暑い間、さすがに歩いていくのは避けていた近所の小さな城址に登る。
 
一枚の葉の紅葉。なぜ神はこのようなものを作られたのか。この世界を美しく作られたのは何のためだろうか。

秋7

 野菊が群れ咲いていた。野菊がすごく好き。この美しさに比べたら園芸用の菊なんて見る気もしない。

秋8

 この石は石垣の角のいちばん下の石なんじゃないかといつも思うんだけど。上に載っていた石が転がり落ちてひとつ残ったんじゃないかと妄想する。

土台

 展示会前なので、運ぶための箱を確保し、このドーファンは尻餅つくので土台に固定しようと思う。買ってきた板にステインを塗って乾かす。土台を固定しておくと、作品をじかに触らずに済むので安心でしょ? 特に展示会ではそうしておくとほかの人がちょっと動かしたりするときに便利なのです。他人の作品に触るって厳禁ですから。

 しかし面倒だなあ。あと何機あるんだっけ? 三年分の作品は調べてみると20個以上ある。
 11月12,13日はパトリア日田でお待ちしています。三年ぶりの展示会にぜひおいでください。

博物館

 先日、中津マーク2の展示会に行ったら必ず行きたかったのが、最近できた中津市歴史博物館。展示会の合間、小一時間くらい見学をした。展示会場(小幡記念図書館)から徒歩5分。博物館が建っている場所は三の丸。

 大分県中津市は大分県のいちばん北にあり、人口8万3千人、日田より2万人くらい多い。そして黒田官兵衛の築いた城下町である。お城のまわりの道路は当時とほぼ同じのようだ。ちなみに博物館でもらったパンフによると、展示会場の前の道路は当時の中堀です(内堀、中堀、外堀と三重になっていた)。城下町らしいどことなく気品のある界隈。

石垣

 本丸石垣。2000年から堀を掘り上げて水を入れ、石垣の大修理も行ったという。

 角から角に向かって、わずかにカーブしているのがわかるだろうか。こうすることで崩れにくいという。中津城は縄張こそ熊本城や小倉城より狭いけれども関ケ原の戦い以前に築かれた近世の城としては九州唯一である。ただし天守は模擬天守といって戦後作られた「なんちゃって天守」です。

資料

 今回特に見たかったのは、枌(へぎ)洞穴という縄文の遺跡から発掘された人骨(レプリカ) 特に母親と赤ちゃんが一緒に埋葬されていたもの。

 入口を入ってすぐのところに展示してあり、何とも言えない気持ちに包まれた。はるか昔、縄文時代に葬られた親子は母親と乳児が並んで埋葬されていた。なぜ亡くなったのか、どういう人たちだったのか、どんな暮らしをしていたのか。想像すると不思議な気分になる。人骨にしても城にしても、そんな昔のことなんかどうだっていいやんという人もいるだろうけど、私はそういうことが気になってしょうがない。

 右下の小さな冊子が少し前まで行われていた企画展のもの。上側黒いパンフ「中津城を知る」は薄いけど中身はすごく濃くて城好き石垣好きにはたまらない内容。黒田官兵衛ガイドブックも私なんかは知らないことばかりで面白かった。中津にはもともと中世以前から住んでいた豪族の城がたくさんあり、それらが今回の企画展の内容だった(官兵衛はそれらの連中をひとつひとつつぶしていったのです) 

コーヒー

 博物館に行くのが子供の頃から大好きで、こういう施設がある街こそが文化的に高度な街だと思う。ただし併設のお洒落なカフェはたまたま営業していなかった。残念。

 旅の後、余韻に浸るときがまたいいんだよね。で、ボンヤリ縄文人や黒田官兵衛様に思いを馳せたりしながらコーヒー飲んでるだけで・・・まぁ模型作るだけが模型部屋じゃないから。これでいい。心豊かな秋の一日が過ぎていく。

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 呉旅行、二日目は朝九時に大和ミュージアム前に集合!!
 昨日訪ねた模型屋ののぼさんが、今日も案内してくれる。ありがたや。

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 ミュージアム隣の渡し場から軍港クルーズにまずは出かけよう。これは参加者の発案で「以前乗ったらすごくよかった」という話。私は自衛隊の船とかあんまり興味ないしな・・・と思ってたけど、ま、いいか。
 遠足に出発するモデラー共が真ん中に写ってますね、出発まで30分あったけどペチャクチャおしゃべりしてるから、全く退屈しない。しかしよくしゃべるねぇオッサン共も。オバサン顔負け。

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 自衛隊の船なんか・・・・うぉぉぉ何、めっちゃカッチョエエやん!! このウォッシングしたような質感。 
 写真が下手くそですが、そばに見る現代の艦艇はすべて巨大でそのメカのカタマリ感がすごかった。

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 「大和のふるさと」という文字が見えるでしょうか。涙が出てきた。ここは絶対にモデラーなら行くべき場所だと思う。別にそんなに大和に興味がなくても、ここに行くと何かを感じると思うよ。

 軍港クルーズは想像以上に楽しく、潮風が涼しく(今の季節がちょうどよいのかも)、やはり海から見る艦艇は感動もの、ガイドの元海自のおじさんの話が上手くて大笑い、時間も30分少々と程よく、お勧めです。

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 さて、大和ミュージアム。実は2013年にはAFVモデラー共と来たことがあり、そのときも最高に楽しかった。中央に置かれている大和の模型のそばにずっと座っているのも良し。零戦と語り合うもよし。
 零戦62型。やっぱカウリングって茄子紺、黒ではない微妙な色だ。うーむ、カウリングはつや消しに近い半艶で、機体は半艶より少しツヤ有に近い感じにしてみようか、などと考える。
 写真上のほうから見ている人が写ってますが、こんなふうに通路が作ってあって上からも見ることができます。まるで模型みたいに。

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 栄(さかえ)三一甲型エンジン。中島製。

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 さっき巨大な艦艇を見てきたので零戦が小さく見えた。この後ミュージアムショップでお土産も買ったけど、本や冊子が少ない。最近はどこの博物館もそんな感じなのかな。ネットのせいかもしれないけど、本を買う人が少ないんだろう。でも私はそこで作ってるオリジナルの冊子などが欲しいんだけど。今回はミュージアムの公式ガイドブックを買った。もう少し大和に関する本とかあるといいなあ。

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 お昼は、ミュージアムの前の店で海自カレーを。これは元気になります。鯨カツかな? 右上の丸いのはジャガイモ丸々一個の肉じゃが(自分で食べきれず他の人に食べてもらった) 牛乳がついてるのが給食の時間を思い出した。歩き回ったせいか、余計美味しかったね。

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 さて、こちらは前日見た夜のドック。「かが」が入渠中、たぶん最後で最大の改修だそうです。ちなみに、ブロックごとにつなげていくような工事なのでものすごく作るのが早いらしい(ブロック一個つなぐのに二、三日とか)・・・わしらの模型製作のほうがずーーーーーっと遅い(汗

 風の匂い、遠く聞こえる港の音、この神秘的な情景、私は一生忘れないと思う。

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 同じ場所の昼の光景。クレーンが格好いい。

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 昔の桟橋。軌道が残っている。歴史を感じさせる古びた雰囲気がなんともいえない。ここから荷物を積んだりしていたのか。

 ほかにも、のぼさんの案内でいくつか史跡や「この世界の片隅に」に出てくる場所に連れて行ってもらったりした。このアニメがものすごく正確にその場所を描いているってことがよくわかって感動。

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 桟橋近くにあったレンガ倉庫。これも本物の昔のレンガです。
 私らは昼ご飯の後で少し眠く、少し気温も上がって暑かったので駆け足でしたが、このあたりをゆっくり歩くのもいいだろうなあという気がした。しかし、今回の目的はすべて果たし充実感がこみあけてきた。それと同時に、お別れの時間が近づいてくる。

 ちょっぴり恥ずかしいけれど、二日間も一緒に行動していると別れるときは何か切ない。

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 広島駅までクルマで送ってもらった。この道路に並行してJR呉線が走っており、行きはそちらを使った。別府湾を思い出すようなおだやかな海。左側はたぶん江田島じゃないかな。

 山は富士、海は瀬戸内、湯は別府。旅は道連れ世は情け、渡る世間はモデラーばかり。
 この旅はこれにてお終い。読んでいただきありがとうございました。

城2

 今年は銀翼会が日曜のみの開催だったので、土曜に前日入りして観光を楽しんだ。学生時代の友達とお洒落な台湾料理のランチ、そのあと小倉城内を散策。

 実は一昨年来たときは天守閣がリニューアル工事中で見ることができず、今年こそはと思っていた。そう、小倉城は我らが細川忠興公が築城したのであります。暘谷城(大分県日出町)、中津城(大分県中津市)に続き、忠興公築城シリーズ見学の第三回です。しかし人生でこんなデカイものいくつも作ったなんて男冥利だろうね。気分は最高だろうな。中津から小倉に入った1602年には37歳、いやー男盛りですね。妻ガラシャを亡くした喪失感を城づくりに向けたというのは短絡的な見方か?

 石垣は野面積み(のづらづみ)といって乱雑に積み上げたように見えるけど、それで崩れないんだからすごい技術だ。どちらかというと初期的な積み方なんだけど、それがまたワイルドでいい。忠興公もそう思ったんだろうね。いやー意見が合うねぇ、ははは。

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 石垣大好き~。でもこの写真よく見ると上のほうは石が新しいな。復元したのか? こういうの観察してるだけで飽きない。

城3

 立派な石垣(けやき門横。門そのものは失われている)。大きな石が使われている部分は大事な場所で、この門も偉い人しか通れなかったらしい。中津もそうだったけど、ここも紫川という川がすぐ近くを流れていて、自然の要害であることがわかる。

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 家臣「こたびの合戦、九州全土よりモデラー共が攻め上ってくると思われますが如何いたしましょう」
 きらら「うるさい飛行機モデラーなぞ全員まとめて蹴散らかせぃ!!」
 家臣「はは~ッ!!」(なにげに左側のカタナ持ってる人がお小姓でしょうかイケメンですね♪)

 いやーこの人形よく出来ていて、妙に緊張した。ダッチワイフ買う人の気分が少しわかった気がする←おい!! 私も、ひとつ欲しい。

 細川の後は譜代の小笠原家が小倉に入り、幕府から九州のお目付け役を命ぜられていたらしい。九州の入り口ですからね。なるほどね。

城4

 小倉といえば、小倉造兵廠も有名だよね。「あの日」小倉は天気が悪くB29は長崎に行ったという・・・小倉造兵廠の跡も、コンクリートくらいは残ってるみたいなので次回は行ってみたい。

 小倉城内には明治時代の第12師団司令部正門跡が残っている。これは素晴らしい。当時のレンガだからすごく価値がある。(参考→小倉城ブログ) 

城5

 その近くには大砲がたたずんでいた。これは学生時代に見た記憶がある←おい!! これだけ覚えてるとかどんだけ大砲好きなんじゃい私。

 りゅう弾砲らしいですね。友人はまったく興味がないので申し訳なく、このへんは駆け足でまわった。来年は一人で来てゆっくり見よう。

城6

 というわけで、城内にある庭園でお抹茶いただいてすっかり殿様気分。あ、いや、姫気分か。女子の休日を満喫いたしました(汗
 この他、お洒落なカフェも連れて行ってもらい、なんとかラテみたいな(名前が何かよく覚えられない)不思議な飲み物をステキなお兄様に給仕していただき、夢見心地。あーたまには女子になるのもいいね。

 また、この庭園の中のギャラリーでは現在、田崎草雲という幕末の絵師の展覧会が開かれている(11月末まで)。詳しくはこちら 足利藩の武士だった人で、まさに武士らしい画風というか「漢(おとこ)」らしさ100%、残念ながら駆け足で見たんだけど、もっとゆっくり見たかった。屏風絵なんかは鬼気迫る大迫力、感動したよ。富士山の絵もよかった。ぜひお近くの方は行ってみてください。

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