つれづれプラモ製作記

マイペースで作っているプラモデルのブログです

カテゴリ: 活字

本

 「カミカゼの幽霊 人間爆弾をつくった父」(神立尚紀著/小学館)

 読みだしたら止まらず一気読みした。副題に「父」とあるので、つまり子供から見た父の話なんだろうなと想像がつく。そういう方向から人間爆弾『桜花』を発案したと言われる大田正一に光を当てる。

 桜花を発案し、終戦から三日後に零戦に乗って東の空に消えていった(自決?)とされていた男。まさにそうした人物が歴史から忘却・・・抹殺されていこうとしている今日、光を当てた貴重な本ではないか? 私は決して戦史に詳しくないけれど、ずいぶんよく調べて書かれた本なのではないかと思う。
 私も名前くらいは知っていた大田正一特務少尉だけど、正直この人について知りたいとか魅力があるとは全く思ってなかった。でもあえてその人を書いた本が令和に出版されたということはどういうことなのか。やはり読みたくなるじゃないですか。
 
 最後のほうに出てくるお坊さんが子供の頃ハセガワの一式陸攻と桜花を作った・・・というくだりにニヤリ。このお坊さんがまたいいんだよね・・・いい味出してる。

ラガー

 昭和は遠くなりにけり。父の好きだったキリン・ラガーを。

 先日私のファミリーヒストリーをちょっと書いたけど、本当に皆それぞれ語るべき人生があるのに何も語らずに父たちは逝ってしまうんだよね。それが残念でならない。私も自分の父がどういう仕事をしていたかほとんど知らない。だいたい家では仕事の話ってしないもんね。

 一度だけ、父の行きつけのスナックに連れて行ってくれたことがあった。私が結婚を数か月後に控えた頃のこと。
 早い時間だったせいか年配のママが一人だった。「この店はね、カラオケがないんだよ」と父が自慢した。父はカラオケが嫌いな世代だった。何を話したか記憶にないけれど、何の変哲もない小さなスナックで、特別に美人のママというわけでもない。何故こんな女の店に通うのだろうか、と私は不思議に思った。今なら、もう少し女を見る目もあるだろうが、当時の私にはそれくらいしかわからなかった。

 でもまぁ、男が行きつけのスナックに連れて行ってくれるというのは、何か特別なもんですね。
 そんな思い出が宝物になり、毎年飲みながら思い出す。

単独飛行

 「単独飛行」(ロアルド・ダール/早川書房)

 短編小説の名手と呼ばれているロアルド・ダールの「少年」に続く自伝。イギリス人らしいウイットに富んだ表現、作家らしい「読ませる」書き方。素人の書いた「戦記」とは全く違うのでご注意。

 最初のほうは飛行とは関係ない話なんだけど、導入部として面白く読める。そしていよいよ「
「飛行」が始まると・・・息をもつかせぬ話の展開ですよ。日本と違って誰からも殴られないのがいい。それがいちばんほっとした。戦争というものは・・・的なことは一切書いてない。戦争の中で青春を送った人に共通する明るさというか痛快さがそこにある。今じつは紫電改のパイロットの話も読んでいるんだけど、全く同じ痛快さがある。戦争はいけないことだ、悲惨なことだ、やってはいけない、という話だけを聞いていても何も見えてこない。

 「伍長は、両手がグリースにまみれているところを見ると、エンジン調整員だった。(中略)「この新品の飛行機は」と、彼は油で汚れた手を金属の翼にのせてそっと撫でながらいった。「一機作るのに何千時間もかかっているんだ。ところでカイロで机に坐って事務をとっている阿呆どもが、おそらく二分ともたないこんな場所へ送りつけてよこした」「作戦室はどこだ?」と、わたしは聞いた。彼は滑走路の反対側の小さな木造の小屋を指さした。・・・・・」(この飛行機が何であるかは、読んでのお楽しみ)

 そして、ラスト。作家の腕が冴えわたる部分。やっぱこれですよ。ラストって、作家からのプレゼントだと思うんです。本当によかった、この本と出合えてよかった。そう思って本を閉じるときの幸せが読書の醍醐味。

資料

 というわけで、次は銀河11型いきましょうかね。え? リンクス? ま、それは置いといて。ちょっと時間が必要なんですよ。今はもう見るのも嫌。

 造形村の震電作ろうかなと思ってエンジンを少し組み立て始めたけど、何となく気分が乗らない。やっぱ銀河だよなー。この日のために、ずっと前から買っておいた本がついに陽の目をみる。丸メカもあるし。これでバッチリ。あとはキットがせめて48ならいいのにね。

パーツ

 これ見てください。ちっちゃーい、細い~。あ、そっか戦闘機だからか。いや爆撃機? 攻撃機? なんなんでしょうね。銀河って何。というか、何人乗りでしたっけ←何も知らない

 三人乗りなんだね。知らんやった。いかにも高性能っぽいじゃないですか。でもすでに時遅し、有名なわりに全然活躍してないって渡辺洋二著「日本の軍用機」は手厳しい。

キット

 ぞくぞくと送られてくる支援物資。時遅しとならぬように頑張るぞー。
 「きららに作らせてみたら面白いかも」と思う人がいるんだろうね。それで皆さん送ってくれるのでしょう。ありがたいことです。謹んで作らせていただきます。

本5

 「戦艦大和ノ最期」(吉田満著/講談社文芸文庫)読み終わった。

 実はずいぶん以前に買ったまま読んでいなかった。「タダ突入ノ機ニ全力ヲ発揮センノミ」みたいなカタカナ文章・・・漢文調というのか・・・ものすごく読みにくいけど我慢して読み始めるとそこそこ慣れてきて、時間こそかかるけれど興味深く読み終えた。筆者あとがきも必読。終戦まもなくこういう本を書いた吉田満さんはすごい人だ。たまたま艦橋勤務で艦長や長官の様子も見ていた稀有の生き残り。まさに「大和」が後世に伝えるためにこの人を生かしたのではないかと思えるような偶然ですね。米国は大和を沈没させたけれど、大和の魂までは破壊できなかったと思う。

 戦記を読むと涙が出ることが多いんだけど、今回は涙は出なかった。文章を解読するのに時間がかかるせいもある(また難しい漢字が使われているんですよ、昔の人はたくさん漢字を知ってたんだなあ)。私が興味深く感じたのは駆逐艦「冬月」による救助等、大和沈没後の話。

 ちなみに大和もみじ饅頭も美味しかったよ。そういえば先日は「やまと(ミュージアム)」に行って「みずほ(九州新幹線)」で帰ったのも面白かった。

本3

 夕立(ゆうだち)ってなんだろう、朝立ちの反対ってことかなあ、などとアホなことを書いたことがあったような気がするけど、ちょっと気になって調べてみたら面白いことがわかった。

 「新明解国語辞典」には書いてなかったけど、ふと「ベネッセ古語辞典」を引いてみたんですよ、ひょっとして古語なのかなあと。すると、おお!! もともとは、夕立つという動詞だったんですね。立つという言葉は縦と関係があり、下から上に向かって現れるというニュアンスがある、という解説があるではないですか。そういえば「風立ちぬ」と言うよね、「八雲たつ」「霞たつ」ともいう。自然現象を下から沸き起こるイメージでとらえた、昔の日本人のセンスってカッチョいいと思いませんか!? すげーよ。

 夏の夕方、入道雲が立ち上がり、にわかに雲行きが怪しくなり強い風が吹いてきたかと思うと一気に雨がどぅっと降ってくる、あの現象を「夕立つ」という動詞で表した・・・すげぇよ。夕立ってるのは誰だと思う? まるで空が生き物であるかのような表現。

 と、激しく季節外れの話ですみません。
 言葉でもモノでもカッコいいものって好きなんだよね。若いころからずっと。でも格好いいなと感じる対象は人によって違う、それもまた面白い。

 ハセガワ1/12RG400Γ「ということは朝立ちってのも、下から上に向かって現れる自然現象ってことだな、いやぁ奥が深いな日本語」
 きらら「違うでしょ!! ・・・とは言い切れないなあ、誰が言い出したか「朝立ち」・・・あ、放置しててごめんね」

 ガンマは特に失敗とかしたわけじゃないけど、普通の放置(汗、ハッブル望遠鏡は地球の塗装中、それでまぁ・・・72ムスタングを引っ張りだしてみた。それも作るんかいって? まあいいじゃないですか。カッコいいものを追求したいんだから。

正月1

 2022年が始まった。今年も拙ブログをよろしくお願いします。年末に息子が突然帰省して、あわてて「おせち」を作ったり大忙しだった。しかし大学に行くためにうちを出てから一度も正月に帰ったことがなかったので、初めての大晦日を息子と過ごせて幸せでした。「ゆく年くる年」を見ながら「一昨年の夏帰ってきたときは実は仕事がめちゃくちゃキツくてやめたいくらいだった」などという話を聞いた。そういう時期もあったのだな。何をしても「やめたい」とか「きつい」とか言ったことのない息子だったけど。二日は夜勤ということで元旦の朝あわただしく帰っていったけど、心配した天気も崩れずまずは安心。

 というわけで今日ようやく初詣に出かけると、ちょうど鳥居のところでいかにも平和なご家族に遭遇したのでシャッターを切る。大原八幡宮は日田でいちばん大きな由緒ある神社だけど(9世紀頃の創建)、まぁ都会に比べたらノンビリしたもんです。120段の階段を上ると息があがった。

正月2

 以前も書いたけれど、鳥居の近くの石段。真ん中あたりのいちばん大きい石に「奉寄進」と書いてあるのが見えるだろうか。右側には「寛政」の文字が見える、1700年代の終わりらしい。

正月3

 その石垣をよく見てみると、裏側(赤丸で囲んだあたり)は川の石らしき丸い石を積んだもので、表側(青丸)は切込接ぎ(きりこみはぎ)と言ってきれいに石と石をピッタリ合わせている。江戸時代初期の城跡を以前も紹介したけど、日田の石垣は川の丸い石を使っているものが多い。
 古い建築を見るときには、さっさと帰らずこういうところを観察すると面白いよ。昔の人の高い技術を見るのは味わい深い。

本2

 「鳥獣戯画のヒミツ」(宮川禎一著/淡交社)

 鳥獣戯画は誰がどういう意図で描かれたか、いまだ結論の出ていない絵巻物であるらしい。皆様ご存知ウサギやカエルが相撲を取ったりしているいかにもコミカルな、あの絵である。この人の解説では、月の世界から大唐西域記、そして明恵上人へと話がつながり、面白い。正しいのかどうかは私にはわからないけど。学説ってそういうものだ。

 これ読んでいたら、「昔の時代のほうが劣っていて、今のほうが進んでいるなんてことはない」とか「当時の人が「俺ら鎌倉時代のヒトなんだよなー」などと思っていたわけではない」と書いてあって、当たり前のことなんだけど、確かにそうだよね、何となく先入観で思い込んでることってあるよねと、その通りだと感じた。平安時代、鎌倉時代なんてのは現代の人が考えた区切りだろうし、技術は確かに少しずつ進歩しているけど、その時代のその時点では最先端であったわけです。現代の人が大学出てるから寺子屋で学んでいた人たちより偉いなんて考えてる奴は本当のアホだ。でもそれに近い考え方をついしてしまう。

 上に書いた石垣を見たときにもそのことを思い出した。石垣を作った人たちと私らは時空の中のどこかでダイレクトに繋がっている。違う時代に生まれただけの話、めっちゃ私とは話の合う人だったかもしれない。石に遺された文字を追いながら、そんなことを考えた。

本5

 夏は、日本人には過去のことが気になる季節である。

 読みかけの「特攻隊振武寮」(朝日文庫)を読んだ。陸軍の振武寮とは、太平洋戦争末期、福岡市にあった特攻の生き残りを集めて精神教育(という名の虐待)をする施設である。まあ、〇〇野郎が出てきますよ。そして、最後の鎮魂の旅に涙。だってね「なんであなたは生き残ってうちの息子は死んだのですか」と思うよね、親は。特攻隊って、死んだ人はもちろん無念・悲劇だけれども、生き残った人にはさらに地獄が続いているの。そういう人がどうやって戦後を生きたか、私なんぞの想像を超えている。
 ところで、海軍最後の特攻は大分飛行場から飛び立ってるんだけど、誤って鹿屋と書いているので、「それ、違うっちゃ!!」と思わず椅子から立ち上がった。しかし編集の人もに気づかないのかなあ、悲しいな。私の持っているのは第一刷なので、その後訂正されたかもしれない。

 しかし読みかけってダメですね。たいてい最初から読む羽目になる。忘れちゃうもんね・・・。

 「帝国軍人」(角川新書/戸高一成、大木毅対談)
 これメッチャ面白かった。興味深い話満載で超おすすめ。ここを読んでいる人は私なんかよりずっと戦史・戦記などには詳しいと思うので、そういう人なら更に面白いはず。この二人が出会った元軍人の話、彼らにまつわる話、作家・研究者の話も出てくるよ。
 改めて思うのは、我々は戦争体験者に直接話をきくことのできた最後の世代なんだね。

 「歴史というものは無残なもので、かつて存在した世界にあった、その無限とさえ思えるほどのドラマの中の、悲しいほど僅かな事象しか後世には伝えられないものなのだ」(戸高一成 あとがきより)

 歴史好きには胸の締め付けられるような言葉。
 ちなみになぜあの戦争が始まったか、いまだにはっきりとはわからないんだね。うーむ(ただしそういう謎について考えるのも楽しみではあるけど) そういう、これまで明るみに出なかったことが、まだ今後世に出てくる可能性もある。そのときが待ち遠しい。

本4

 先日確かこの本を紹介したような気がするけど、再掲。松江城の国宝認定・五周年記念の特別展図録で、本来は松江城限定で売られていたのでしょうが、なぜかジュンク堂大分店には置いてあった。

 松江城築城以前の松江についてなど、発掘調査をもとにした興味深い地図などもあり、松江城と松江について深く知りたい人には楽しめる一冊です。

手紙

 この本には、出版したハーベスト出版のハガキが挟まっていた。ほら、よくあるでしょ? 「今後の出版の参考にいたしますので、感想をお書きください」などと書いてあるハガキ。本を読んですごく感動したときは、あのハガキを出すようにしてるんだよ。とはいえハガキが挟まってる本ばかりではないし、滅多に送ることはないですが・・・。

 去年松江城を訪れたことなど含めて感動をしたためて送ったところ、本日ハーベスト出版の井上さん(もちろん見ず知らずの方ですが)から返事が来た。印刷の文書に手書きの文章が添えられてあり、書籍目録と編集者たちの手書きの「ハーベストだより」も入っていた。
 「早速車内の掲示板に掲示させていただきました」と書いてある。おおー、こういった感想を書いて送ったハガキは社内みんなで読んでくれているのね。

 何かと気持ちのふさぐ昨今の状況、一言添えられた言葉にも心がじんわり暖かくなって、胸がじーんとしてきた。 

本屋

 四月の終わり頃から特急が運休になってしまい、大分方面へ行くことができなかった私、ようやく金曜から九州の特急が復活したので大分に行ってきた。復旧当日いきなり雨で線路に竹が倒れ掛かってきて遅れが出たりして、やれやれ・・・これから雨の季節になるから、いつどこの鉄橋が落ちるか崖が崩れるかわかったもんではない、ということはつまり行けるときに行き本屋に行って買えるだけの本を買ってこないと、次はいつ行けるかわからない。近頃の天変地異を見るに、そのような判断を下した私は、今日はもう欲しいだけ全部本を買うことにした(ジュンク堂大分店)

 張り切って行ったけどね、結局支払ってみたら15冊しか買ってなかった。大したことないね。自分では20冊くらいはカゴにいれた気になってたんだけど。思いっきり買って15冊。なんか涙出ますね。人間が小さい。

 そのあと久しぶりにデパートに行って夏用の服を買ったけど、「これもどうですか」と勧められた洒落たカーディガンの値札を見ると29000円。ひゃー今買った本15冊合わせたより高いわ!! 洋服の値段ってどうなってんでしょうね。しかも平気で三割引きとかするし。その三割、普段ボロ儲けしてるんですね。腹立たしいったらありゃしない。化粧品とか洋服とか、どうもいまひとつ好きになれないのはそのせいです。

空

 美しい夕暮れ。六月ごろは日が長いせいか、梅雨の晴れ間の美しい夕暮れがときどき見られる。こういうのを拾った喜びに浸れるのも年齢のせいか、若いもんにはわかるまい。 

本3

 「航空機を後世に遺す」(横山晋太郎/グランプリ出版)

 著者はかかみがはら航空博物館建設推進室主幹をつとめ、開館にあわせ多くの所蔵機を集めるために奔走したエピソード(これがけっこうドキドキハラハラの連続)を中心に、航空博物館を作ることになったいきさつから、航空博物館の役割、復元の考え方など、わかりやすく記している。決して文章の達人ではないけれど味わい深い内容で、毎晩少しずつ楽しみながら読むのに最高です。

 実は、2016年に修復をおえてお披露目された飛燕を神戸に見に行ったとき、飛燕の修復の考え方、というパネルがあり「日本航空協会」と書いてあった。「文化財としての修復」という言葉が新鮮だった。ただ、飛燕は川崎重工の財産でもあると思っていたので、川崎重工は復元だけをやって機体は航空協会のものである、というのは何か納得できない気がした。しかし、文化財となれば一企業の所有物というより、未来へ残すべき遺産として博物館が所有して管理し、ほかの航空機とともに歴史の中の位置づけを行って、きちんと残して人々に公開してゆく、というのが良い方法なのかなと、この本を読んで深く考えさせられた(※表紙は飛燕だけど、特に飛燕についての話が多いわけではない)

 なぜか私は幼い頃から、遺跡や考古学に興味を持っていたので、そういう興味がここで飛行機とつながるとは思ってもみなかった。
 あ、この本は今回買った本じゃなくて前回ジュンク堂で買った本です。

セケツ

 「世界の傑作機F-105」は絶版になっているので、仕方なく通販で入手。ネットでも写真は拾えるけど、やはり活字のほうが書いてあることの信ぴょう性が高いと思う。

 リパブリック? サンダーボルト作った会社やん!! あ、だからサンダーってついてるのかぁ。たぶん。

 細部写真などもあり拾い読みしながら見ていたら、なんか変な匂いがする。いったいどこから・・・まさか、この本から変な匂いがするのかねぇと思ってくんくん嗅いでみたら、やはりそうだった。忘れもしない、軽音楽部の部室の匂い・・・長年沁みついたタバコのにおい。ずっと嗅いでたら気持ち悪くなったので、本を閉じた。参ったなこりゃ。

 誰かも言ってたけど、匂いってすごく記憶と直結してるよね。歩いていてどこからか漂う香りに、昔のことを思い出したりして。歳を重ねると思い出の量が増えるので、思い出す頻度もハンパない。そして、決して後戻りはできないってことに打ちのめされる回数もハンパない。

湖の男

 「湖の男」(創元推理文庫/アーナルデュル・インドリダソン著)

 待ちに待った文庫が出たので早速買ってきて読んだ。全部読むのがもったいないくらい・・・このアイスランドの作家の本を読むのは四冊目だけど、どれもすべて面白い。謎解きの複雑さを楽しむのではなく、物語を楽しむミステリ。はやくまた次の作品を読みたいなあ。

 今回は話の中に大学生活が出てくるので、ふっと自分の大学生活に記憶が戻っていった。一人暮らしを始めて間もない頃セールスにまんまと言いくるめられて、某宗教団体の新聞を取らされたことがあったっけ。先輩と一緒にクーリングオフに行ったけど、すごく怖かった。
 若い頃って免疫がないから、新しい思想、新しい集まりなどに簡単に引き寄せられて行く。こんな世の中間違ってる!!とかすぐに思っちゃうんだよね。いいほうに向かう場合もあるけど、相手が悪質な場合、取り返しのつかないことになっていく。

 先日読んだ別の本に「もしあのときこうなったら、その後どうなっていたか」ということをリアルに考えられる人が小説家なのだと書いてあったけど、まさにこの作家なども、そういうことをいくらでも考えられる人なんだろうなあという気がする。

 「なぜ、あのときあなたはそうしたのですか(そうしなかったのですか)」という問いかけが人を苦しめる。誰でも取り返しのつかない過去をひとつやふたつは持っている。読んだあとに残っているのは物語の中の苦しさなのか、それとも自分の記憶の中の苦しさなのか・・・。
 でもその少し切ない思い出とともに生きることも、人生の味わいなのかも。だからか読後感はけっして重くありません。

5

 シェルバC30というオートジャイロを作ってます。作ってますというか、なんとなく手慰みに触ってるたけというような。模型部屋に座る時間も惜しんで「なんちゃってJMC」の発表までの追い込みをしている。一気にしないと終わらないから。

箱絵

 そういうときに限って近所のおばあさんが亡くなって、さきほど通夜に行ってきた、明日は葬儀の手伝い。葬儀社でする葬式だから大したことはないけど、朝から昼過ぎまで拘束時間が長い。マンションなどに住んでる人はこういう近所のつきあいはないと思う、うらやましい。

 実は、明日は父の納骨に行くはずだったんだけど、県外から帰ってくる妹が「新型肺炎こわい・・・」というので、納骨は延期にした。なんか落ち着かないけどね。ここのところ色んなタイミングが合わない。二月の展示会のときは、数日前に息子からメールが来て「週末帰ろうと思うんだけど」・・・嗚呼!! なんでそういうときに限って休みを取るんかい。「ごめん、大事な展示会があるからまた次にして」と泣く泣く返事を送った。実は一昨年の夏以来、息子には会っていない。寂しいよ!! しかしこう肺炎肺炎と言われると、もう無理して帰ってこいとも言えなくなってきた。

 タイミングの合わないときは無理をするな、というのが私のモットーなので、今は目の前のことに集中したい。

新書

 「独ソ戦」(大木毅著/岩波新書)

 「これは絶滅戦争なのだ」ヒトラーがそう断言したとき、ドイツとソ連との血で血を洗う皆殺しの闘争が始まった・・・・

 さすがに読んだ後は厭戦気分になっちゃって模型作る手が止まりそうになったけど、やはり本当のことを知りたいと思いませんか? 知らずに模型作ってるのと知ったうえで作るのでは大違い。親衛隊だけが悪かった、国防軍は悪くない・・・そう思ってきたけれど、果たしてそれは正しかったか!?(知りたい人は読んでください)

 読んだあと、なんとなくドイツの人と話してみたいなあと思った、どこか通じるところがあるんじゃないかという気がした。同じ敗戦国として・・・狂気の戦争を経験した国民(の子孫)として。

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