つれづれプラモ製作記

自称飛行機モデラー・きららのプラモ製作とプラモの活動記録

活字

落ちてました(汗



 実は、落ちてました。あ? 今はもう落ちるとか言わないのかな? ネットに繋がらない・・・なんてありえないのかな?
 ワイファイとかあるからね今は。でも私はガラケーなのでパソコンでしかネットをしない。

 実は16,17と別府に行って帰ってきたらネットが繋がらなくなっていた(auひかり)。
 幸い日曜日でもサポート電話は繋がるので、すぐに電話して機器を送ってもらい、無事再開。

 で、ネットできない間は模型を作っていた。
 先日買ってマイペットによる洗浄を済ませておいた、トランぺッターのドーファンを作り始めた。
 これがもう、どんどん進む。パーツが少ないこともあるけど、このままいけば、いい感じに完成するかも。なーんて気が早いか。

 たまにはネットを強制切断させるのもいいかもしれない。

 待機中のハインド。あとはテールローターブレードにスミ入れするくらいで完成なんだけど・・・。

 この暑い日にスミ入れなんかできるかよ!! 冗談じゃねぇ!!
 っていうくらい暑かった。ほんとこれからの季節が思いやられるなあ。

 母の状態はそんなにいいわけではないけれど、小康状態というか・・・あまり話さなくなってきたので全体的には弱っていってるんだろうけど、もういろいろ言ってても私は私の人生があるしな、と開き直りつつある。数日おきに別府に行くのは当分変わらない。

 久々に本屋に行った。というか、ここ数か月は本屋に行っても背表紙がいまひとつ目に入ってこなかった。
 ようやく少し見えてきた感じ。脳のはたらきって不思議だ。自分が受け入れられる状態にないと、何を見ても入ってこないんだね。
 昨日はホビーのコーナーの雑誌を見ていたら、この雑誌の「静岡ホビーショー2017」出品モデル、という文字が目についた。

 模型雑誌ではない雑誌に静岡ホビーショーが掲載されてるんだなあと思って買ってみた。
 いわゆるコアなモデラーは関係ないかもしれないけど、そこまで行ってない人には十分な静岡レポートだと思った。
 こうやって客観的にみると、プラモデルもなかなか楽しそうなホビーやん!!

 ハセガワの三笠が載ってる!!(1/700のフルハルモデル) 設計した納本さんが取材されてる!!
 飛行機模型はタミヤのF-14が大きく掲載されてるけど、エリア88シリーズもちゃんと見開きで掲載されてますよ。てことは、読者層は私たちくらいなかのか。

 もちろんネットで情報としては知ってることばかりなのに、なぜ紙の媒体になるとこんなに存在感があるのだろう。
 紙に印刷されている、ということは特別なことなんだね。グーテンベルク万歳 

 ところで私のブログ、広告がなくなったのはお気づきですか? 広告が邪魔なので有料プランにグレードアップしたんです。ちょっとすっきりしたでしょ。 

機銃掃射

 「彗星夜襲隊」(光人社NF文庫/渡辺洋二著) 夢中になって読みました。

 美濃部少佐の芙蓉部隊について、渡辺洋二さんの熱い思いがほとばしる。隊をどうやって編成したかから始まって、その戦いの終焉までを克明に書いている。
 さて、そもそもなぜ彗星を使ったのか。

 部員はちょっと言いにくそうに代案を出す。
 「『彗星』の1P(ワンピー)なら相当ある。誰も使いたがらない機材だが」(※1Pとは熱田三二型エンジンAE1Pの略で彗星一二型のこと、同書より)


 さらに美濃部少佐は、実際に愛知航空機まで行って実際に使える機材なのかを技師に尋ねるシーン。

 技師「誰が飛べない飛行機を作りますか!!」
 少佐「それなら整備と保守を教えていただきたい。あなたの言われるとおりにやりますから」


 ほかの部隊から「使えない」と言われた機材を智慧と工夫で使いこなし・・・って、そもそもこのへんからして心躍る話じゃないですか。

 飛べない飛行機なんてあるはずがない、問題はそれを飛ばす人間や作戦にある。
 芙蓉部隊は特攻作戦をとらずに、できうる限り有効な手を次から次に繰り出していった。しかし決して指揮官の美濃部少佐は特攻を否定していたわけではないという。ただ、安易に特攻を選ぶ前にやることがあるだろう!?っていうのが美濃部少佐の考え方だったのだと思う。

 やれることを最後までやる・・・元気の出る本です。


 一昨日から二泊三日で母の見舞い。帰省してきた妹も一緒に主治医の話を聞いた。

 「実はもう、とっくに死んでいてもおかしくない状態なんですよね」と言われて愕然とする。
 それでもまだ意識もあり、会話もできる。だから余計つらい。

 このまま点滴を続けるか、それともはずして、自然に命をまっとうさせるか。
 妹と私で選択してよいことなのだろうか。神様はどう考えているのだろう。
 もう少し様子をみつつ、できれば母が自分の家という気持ちにすでになっている老人ホームに帰って静かに見送りたい。

 妹とは葬儀の段取りなども相談する。
 まだ生きてるんだけどね。でももう考えないといけない。こういうの、経験した人はわかると思うけど、けっこう辛い。

 夜は妹と居酒屋で飲む。で、最後は考え方が衝突して大激論。あああ。
 妹から見ると私はウヨクらしい。やれやれ。 
 彼女のしゃべりがグラマンの機銃掃射だとすると、私は時代遅れのレンガ投げ。まったく勝ち目はない。
 最近は少し退避行動がとれるようになってきたけど、なかなか難しい。たいがい撃墜される。

 あーあ。モデラー共と飲んだり話したりしたいなあ。最近誰とも飲んでない。オッサン濃度がどんどん薄くなって息苦しい。

 

活字のちから(「ハセガワコンプリートワークス」その他)

 「ハセガワコンプリートワークス」(大日本絵画)
 ようやく、待ちに待った本が出ました。ハセガワファン必見です。

 ハセガワ三代の歴史を竹縄昌さんが丁寧な取材をされて詳しく書かれている。(※竹縄さんはスケビの「夢見る翼」「勝人がゆく」などの連載でおなじみ。もともと産経新聞の記者で、ベレンコ中尉の事件の取材をきっかけに飛行機の魅力に出会ったといつか話してくれた。)。
 後半はハセガワキットが網羅されていて(さすがに限定キットはのぞく)、定番のキットに関しては何が何年に発売されたかがすべてわかる。勝人社長編では、モデルグラフィックスのインタビュー記事の一部が抜粋されている。あれはとてもいいインタビューだったんだよね、本当のこというとスケビにも掲載してほしかったくらい。

 2008年頃でしたか、JMCに行って勝人社長(当時常務)と話していると「親父とは全っ然、話なんかしたこともないんですよ!!」といきなり反抗期の中学生みたいなことを言われるので、ハラハラしました(「親父」すぐそばにいるのに、聞こえるやん!!)が、なんでこんなこというんだろうなと思う反面、私の父なんかも同年代、昭和ヒトケタの親父は自分のこどもと対等に話しかけるようなことはなく、特に表向きの顔は厳しい。あくまで親と子は上下関係・・・勝重社長は武士のような威厳と気品を感じさせる風貌、私なんかは近寄りがたい雰囲気で(会話したことはありません)、ただ、息子(勝人社長)を通して見えてくる人柄をなんとなく感じるのみでした。
 「でも・・・(私の)仕事のやり方は、親父に似てますね」と勝人社長がふっと、つぶやいていたのは忘れられません。
 越えようとしても越えられない親父の背中。こういうの感じるのは男だけなのかな・・・。

 ・・・というような話はこの本にも掲載されてないので書いてみました。

 ついでに、私のこれまで読んで面白いなと思った「プラモデルに関する本」を改めてご紹介。

 「HASEGAWA Since1941 飛行機プラモの世界」(イカロス出版 2004年5月発売)

 ハセガワファンなら上記の本とあわせて読みたい。勝重社長のインタビューをはじめ、戸部さん(ハセガワの見本を作っている)や久保山さん(48アパッチや32ドーラなどを設計)が登場するのでモデラー的には興味深い。綺麗な完成品写真もイイですよ。

 で、ハセガワだけじゃなくてプラモデルの世界をもう少し深く知りたくなった人にはこちら。

 「静岡模型全史」(文藝春秋/2011年刊) ちと値段は張るけど一家に一冊、これで静岡の模型業界通になれる。
 これも竹縄さんがほとんどすべて取材執筆をされている。静岡の模型業界50人のインタビューで構成されていて、有名な人はほとんど載っている。模型業界年表(巻末)、静岡模型三社の詳しい紹介などもありがたい。
 静岡ホビーショー50周年記念として刊行された。

 2011年のホビーショーで、勝人社長(当時は専務)が合同展のブースにふらりと現れて「はい、これ読んでね」とイキナリ手渡してくれたのがこの本だった。
 いや・・・うれしいけど(汗・・・・重いっしょ!? 私九州まで帰らなくちゃならないんですけど(汗 でもせっかく手渡してくれた記念の本だから、宅急便なんかにせずに頑張って手に持って帰りましたよ。

 「日本最初のプラモデル」(アスキー新書/竹縄昌著)

 プラモデルの「プロジェクトX」。私ほんとこういう話が好きなんだよなあ。
 黎明期のプラモデルを作った男たちの話である(マルサンを中心に)。高度成長期、プラモデルの栄光と苦難の歴史・・・そしてそれは私たちの世代(昭和30年代前後に生まれた者)の物語でもある。

 最後、倒産したマルサンの金型を童友社が引き取っていく場面に涙。

 忘れちゃいけない、模型屋と模型雑誌。「日本プラモデル興亡史」(井田博/文春文庫)

 小倉で模型屋を営んでいた井田博さんが「モデルアート」を創刊したのはご存じでしょうか。
 ここを読んでいる方は知ってる人のほうが多いかな・・・展示会などではたいてい「昔のモデルアートに載ってた作例が云々」って話をよく聞きます。それらがどれだけ当時の模型少年たちの心をつかんでいたか、想像に難くない。

 この本もプラモデル黎明期からプラプレーンコンテスト、現代にいたるまでの歴史が語られているが、こちらは模型メーカーではなく販売したり雑誌を作った人の視点なのがまた面白い。同じことを違う視点から読むのってわくわくする。

 というわけで、これはもうほとんどの人が読んでますよね? 「田宮模型の仕事」(文春文庫)

 「模型づくりの楽しさとは実物の背景にある物語をそれぞれの人が新たに読み解くことにある」

 特にタミヤのプラモデルが産声をあげた頃の話は何度読んでも面白い。感動する。

 この本は田宮俊作さんがご自分で書かれているのもすごい。なかなか物書きとしても上手いです(失礼。
 だから好きなように書いているとこもあるとは思うけど。
 俊作様はB型なんだよね。人の心をつかむのが上手い。これは素晴らしい天性の才能だと思う。私もつかまれた一人。

 それに対して勝人社長には、私なんぞでも「頑張ってね!!」って言いたくなるようなところがある。A型なんだよ、一生懸命してるのが痛々しいというか。ほっておけない。
 メーカーとか模型業界なんかどうだっていいという人もいるとは思うけど、人生折り返し点を過ぎると、こういった本がやけに心にしみる。

何はともあれ飛燕(スケビ2017三月号)

 戦いすんで、日は暮れて。

 昨日の夕暮れ、黄金色に輝く西の空。
 冬の夕暮れは美しいね、信じられないような色に輝く。

 次の瞬間、フッと太陽が山の端に消えていく。あんなふうにして、人の命も消えてゆくものなのだろうか、などと思ってしまう。
 お願いだから、もう一度顔を見せてくれよと思うけれど、もう帰っては来ない。
 でも、だからこそ価値があるんだね、この瞬間は一度だけだから。

 そろそろかな、と模型屋へ行くと彗星43型が届いていた。そうなんです、フジミのなんちゃって43型はやめて、やはりファインモールドの彗星を作ることにしたの。中津留大尉に申し訳が立たないもん。
 模型屋さんはオシャレな帽子をかぶっていたので、ほめようかなと一瞬思ったけど、男が帽子を被りはじめるときって、もしかして、もしかするとだからね、そのことには触れないでおいた。私って優しいなぁ。
 ハセガワの新製品「二式大艇」の箱を拝ませてもらう。「いやー、今後リニューアルが続くんじゃないですかね期待できますね」と意味深に何度もうなづく模型屋。

 ひとまず、今年もなんちゃってJMCが結果発表まで無事終了したので、ひとり祝杯をあげる。

 去年の秋口から体調が悪くて、実はあんまりお酒を飲んでいない。だからぐい?みに二杯も飲むと気持ちよくなってくる。

 旨いお酒です。大分県の酒、鷹が来ると書いて、たかぎや、と読む。
 飛行機モデラー御用達にしたい名前でしょ。鷹ですよ、鷹。

 スケビ最新号が届いた。その中の川崎重工飛燕復元チームの冨田さんの話が熱い!! 感動した!!

 もちろん、私は去年神戸に飛燕を見てきたからかもしれないけど、なぜH2Rと一緒に展示していたのか・・・その理由も再確認できた。

 P-3Cって川崎重工が作ってたの? 知りませんでした←おい!!

 そんなわけで、今回はこの話を読むだけでも価値があるので、ぜひ買って読んでみてください。
 内容をここに書くとスケビが売れなくなるのでこれ以上は書きません。

 あとは読んでのお楽しみ。
 

読んでスッキリ「国のために死ねるか」

 この本読んだことありますか?(「国のために死ねるか」伊藤祐靖/文春新書)

 最近特殊部隊の本を読んでいて、アマゾンでもっと面白い本はないかと探そうとしたらこの本がすぐにヒットした。去年出てたんですね、恥ずかしながら知らなかった。
 ここを見ている方の中にはすでに読んだ人も多いと思いますが・・・。

 めちゃくちゃ面白く昨晩一気に読んでしまった。
 今までモヤモヤとしていたことやモヤモヤと疑問に思ってたことがいっぺんに晴れた気分がする。気持ちいい。

 たとえば、なぜ日本人は第二次大戦で負けたとたんに天皇陛下は神ではなくなって人間になったことを受け入れられたのかと以前からずっと思ってた。私が戦前の生まれだったら「天皇陛下は神だと思って陛下のために戦ってきたのだから、そんなことが受け入れられるかコノヤロ!!」と思い続ける気がするんだけど、そんなこと言ってる人は聞いたことがない。私だけの疑問か!?と長年悩んできたけど、これ読んで私の疑問は消えたわけではないけど自分が見当違いの疑問を持っていなかったとわかった。
 
 ほかにもいろいろあるけど、なんていうのかな・・・ああー、頭がアホだからうまく書けない、すみません。
 これは海自の特殊部隊の創設者の書いた本です。出だしの北朝鮮の工作船の話とかもまるで小説か!?っていうくらい面白い(面白いというか興奮する) 1999年3月のこの事件、みなさんは知ってますか。私は知らなかった。
 しかしこの人が七年間かかって苦労してようやく特殊部隊がカタチになってきたというとき、海自は著者を艦隊部隊に異動させようとする。
 意味が分からない。それで伊藤さんは自衛隊をやめてしまう・・・あああ~もったいない!! 人材のロス。海自のノータリン(死語)!!

 私は著者より二つ年上、1962年生まれだけど、ほぼ同年代、同じような価値観で育った。恥ずかしながら私の母は「知覧とか見学に行く人の気が知れないわ、戦争に使った飛行機なんか見るのも嫌」という人だった(汗。
 ここ十数年模型を作るようになって感じていた「モヤモヤするもの」・・・自分が日本人であるということの居心地の悪さとか愛国心って言葉に対する気恥ずかしさ・・・。それがこの本を読んでいっぺんに晴れてきた。
 何かのせいにせず、自分で考えて求めていけば、少しずつ糸はほぐれていくものなんだな!!
 こんないい本を書いてくれる人もいる!!

 とにかく興味を覚えた方はネット上の書評とかは読まずに、本屋で手に取ってみてください。ほんの800円くらいだし読んでみて感想を聞かせてもらいたいな。書き込んでいただければと思います。

独り会議なのに決まらない

 次期主力製作機の選定会議が、なかなか終わらない。

 体調も悪い。先週の金曜くらいから喉が痛く「どうせまたPM2.5のせいやろ」とタカをくくっていたら本当の風邪だったようで、結局大人の遠足の次の日くらいからどんどん悪くなり、熱はないんだけど風邪薬でなんとかしのいでいる。でも風邪薬飲むと眠くなってアホ頭が余計アホになって昼間っから眠くてしょうがない。

 実は、三月に熊本で展示会がある。3/19(日) 詳しくはこちら→ モデラーズミーティングイン熊本

 私ももちろん参加しようと思うけど、何か今からひとつ作ろうかな・・作るなら大きいほうがいいよね・・・
 ハセガワ1/32のスターファイターはどうだ!! もちろんデカールは古くて使えない。ハセガワに聞いてみたら今は絶版とのこと。うーん困った。

 コクピットを見てみる。

 いつも72を見てるので、やたら巨大~!! 
 マルヨン「ご、ごめん、きららさんが触ったら大きくなっちゃった」

 っていうくらい大きい(意味不明

 だけど、このままじゃ少し寂しいかなー・・・資料はバッチリ持ってるけど、作りだしたら大変なことになりそうな気もする。

 こちらはガンプラ、ガーベラテトラ・きらら専用機。
 いくつかパーツを切り離してたところ。

 ガンプラは塗装色をどうするか前もって考えなくちゃいけない。
 パーツばらばら状態で塗装しないといけないから。結構アホ頭にはつらい。 
 ああしようかこうしようかと、これも悩み中。

 結局これかなあ。CH-47Dチヌーク レベル1/72。

 やたらとカッチョいい箱絵。だが中身はマッチボックスなのだった・・・・またかよ!!
 ほんとにもう。
 別にマッチボックスがイヤではないんだけど、だまされそうになるのがイヤだ。
 今回はランナーにちゃんとマッチボックスって書いてあったのですぐにわかりましたが。

 CH-47って単にデカイだけの「木偶の坊」かと思って、最初はあんまり好きじゃなかったけど、実は有能なんですね。
 チヌーク「まぁね、自分で言うのもなんだけど名器・・・もとい名機だね。名器はお前のほうだったな」
 きらら「いやーん、バカっ」
 チヌーク「いいじゃねぇか、同い年だし。オスプレイみたいな不時着野郎とは違うぞ」

 CH-47が運用されたのは1962年からだそうですね。
 オスプレイはハセガワから出てるのになんでチヌークは・・・ひどい扱いだ。ほんとモデラーは回転翼機を作らないんだよねえ。
 そういえば、百機目を川崎重工が納入したという→http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170118-00010000-newswitch-ind.view-002
 たまに私の頭の上を三機編隊で飛んでくれるときがあるけど、すごい迫力でうれしい。

 あと、M-102はベトナム戦争などで使われたりゅう弾砲なんだけど、この二つのアイテムで何をしようとしてるかはもうおわかりですよね? とはいえCH-47Dじゃちょっと時代が違うかな。ま、いいや。訓練ってことにすれば。
 それより問題は人形がないってことか・・・。

 とにかくどっちを向いても問題が多い。独りで会議やってても全然決まらない。

 「城のつくり方図典」(三浦正幸著/小学館)

 これはもう、めちゃくちゃ面白かった!!
 毎晩寝る前に少しずつ読んだ。全部読んでしまうのがもったいないくらいだった。

 城をどこに建てるか、から始まって縄張、普請、作事と、実際の城を作るときの工程に沿って説明されている。
 実際の城の豊富な写真なども織り交ぜながら。

 とっても楽しいです。これ一冊でニワカお城ファンになりました。
 こないだ読んだ本も面白かったけど、こちらはぐっと詳しくて深い。石垣のところは特に私の好きな部分でもあり、詳しく説明してあったのでじっくり楽しめた。で、それを読んだうえで城跡に行くと・・・先日の日出城址のように石垣だけでも何時間でも楽しめるようになるの。

あの運命の日(「私兵特攻」)

 さて、11月は「つれづれコンペ」の掲載や、その後体調不良などが重なり、書きたいことが書けなくて重いカタマリのようになって胸につかえてくる。苦しかった。

 さて、11月19日に、大分海軍航空隊跡地を訪れた・・・あの日から話を続ける。
 現在は航空隊跡地の一部分は大分市大洲運動公園となって、市民の憩いの場であるが、その一角にひっそりとこの記念碑が立っていた。「神風特別攻撃隊発進之地」と書かれている、おそらくこれだけが航空隊の記念碑であるらしい。私も今回初めてここを訪れた。

 昭和20年8月15日の玉音放送後に宇垣纒長官以下十一機の特攻機が発進したという話は私も一応知っていたけれど、正直「特攻隊」というだけで重い話だし、なんでまた終戦後にそんなことしたのか、しかも宇垣長官って偉い人でしょ、それがなぜ大分航空隊にいたの?意味わからんわ・・・。

 人間って、意外と自分の足元を直視するのは勇気がいることで(しかも面倒くさい)、今までまともに調べたこともなかったんだけど、大分県人で「自称飛行機モデラー」を名乗る以上、それを知らずにいていいのか。なんだかものすごく気になってきたのは自分の年齢のせいか。

 記念碑の裏に書いてある年齢を見ると、特攻時、宇垣長官は五十五歳。ほぼ私と同じ年齢だったんですね。
 なんだかなあ。「呼ばれた」ような気がしたんです。書くようにと。

 「私兵特攻」(松下竜一著/新潮社)

 私が十数年前に模型を始めたきっかけは、タミヤの1/48零戦を作ったことだったんだけど、そのとき「零戦」について調べたくなり、戦史本など買っていた頃、印象的なタイトルにひかれてこの本も購入。
 松下竜一さんは大分県の有名なノンフィクション作家である。

 だがしかし、あまりにも重そうなテーマで難しそうだし、読んでいなかった(恥・汗
 それが先月、大分航空隊跡地を見て帰宅後すぐに読んでみて・・・ああなんと興味深くドキドキするような本だったのかということがわかった。単に重い話なんかじゃない。単に悲しい話でもない。
 あの8月15日の午後四時過ぎ・・・それをさまざまな人がさまざまな視点から証言し、幾度もその光景が描かれる。

 丹念な取材で、あの日が次第に目の前に立ち上がってくる。それがもう、何とも言えずドキドキ興奮するんです。
 中津留大尉機(宇垣長官乗機)が沖縄に突入する場面などは夜中読んでいて怖くなって、布団の中に入ってもなかなか眠れなかった。

 私にとっては先日読んだ「指揮官たちの特攻」(城山三郎著)からも続いているともいえる。
 あの運命の日、そして飛行機の不時着により生き残って戦後を生きた搭乗員たちの証言がまた・・・読み応えあります。

 写真が黄色っぽく写っていてすみません、実際は白です。たまたま実家にかけてあった寺司さんの作品を最近持って帰った。こういった屋根瓦を題材にした作品で知られている。大分県の方ならご存じの人も多いと思う。
 この本の主人公が、大分市出身の版画家・寺司勝次郎さん(甲飛十三期出身)。

 テレビの鼎談に寺司さんが出演して「最後の特攻隊」について話したとき、アナウンサーの何気ない質問「どうしてもう戦争は終わったとわかっていながら・・・こんな平和が来るとわかっていて、なぜ二十二人もの若者は命を捨てようとしたのでしょう」に、こう答えている。

 「どうして、こんな平和が来ると分かるんですか。それはいまだからいえることで、昭和二十年八月十五日の時点では、日本がこれからどうなるのかは本当のところ誰にも分らなかったんですよ。(中略)毎日毎日死ぬことだけを教えられて、それだけを目標にしてきた若い彼等にとって、ある日突然訪れた終戦は殆ど意味を理解できなかったと思いますよ。私には八月十五日夕刻に長官と共に出撃した彼等の気持ちが痛い程にわかりますね。」

 少し長すぎる引用になってしまった、すみません。でもここはショックというか非常に感銘を受けた部分。
 今の価値観で当時を推し量ることはできないと、改めて思った。もっと謙虚にならなくてはと・・・。

  というわけで、飛行機モデラーが作らなくて誰が作る!? 特攻隊員の遺書とか読んで感傷的になって泣いている場合か!? それだけでわかった気になっていいんか!? やっぱりね、特攻機を作るしかないよ。

 と思ってフジミの彗星買ったけど・・・800kg爆弾がついてない。爆弾取り付けもどうやればいいかわからない(再現されていない)し、ハードル高いなー。ファインモールドの48もあるけど、そちらは作るの大変そうだし・・・汗
 あかんわー、偉そうなこと言って、もう腰が引けてる(汗

また夏が来て

 「指揮官たちの特攻」(城山三郎/新潮文庫) ようやく読んだ。興味深い本でした。
 みなさんご存じ、初めての特攻として有名な関行男大尉と、最後の特攻隊(大分航空隊から発進した)の中津留達雄大尉の二人を描くドキュメント(この二人以外にも魅力的な人物が数多く出てくる)。

 中津留大尉って大分県津久見市の方だったんですね(そんなことも知らなかった・恥)
 大分航空隊の跡に行きたいとずっと思ってるんだけどなかなかそれすら実現できていない。
 もう少し涼しくなったら行こうと思っている。

 内容はご紹介するまでもないけど、改めて城山作品を読んで、この人の文体は好きじゃないんだなと気が付いた。でもそれは好みの問題なので、書いている内容の素晴らしさとは関係ない。

 一言、放言を付けくわえるとしたら、宇垣長官は一人で死んでほしかった。死場はいくらでもあったと思う。中津留大尉以下、将来のある部下を死なせてほしくなかった。
 きっと世の中にはそういう上司に「(色んな意味で)殺されている」有能な部下がいるんでしょうね。本当に悔しい。

 放言を書いたほうがいい、と百田尚樹が書いていたので、私も今後ますます暴言放言を誰はばかることなく吐きまくりでいきたい。よっしゃ~!!

 昨晩は某所で飲んでいた。
 日本酒は冷たくしたり温かくしたり、その温度も実にさまざま、奥が深い。冷たくしたのを飲んだけど、冷たいともうあまりにも飲みやすくどんどん飲むので危険である。

 そりゃもう、特攻の本を読んだあとは日本酒でしょ。

 私、本当に特攻隊(という考え方)は心底嫌いです。だから読むのもものすごく辛いんだけど知らなくちゃいけないことだから無理して読む。
 列車の中で読んでいたら涙がでてきて困った。

 普段、一匹狼(女だけどね)を気取ってみたりしてるけど、やっぱり楽しい連中と一緒に飲むのは楽しい。

 この世界で出会った模型とモデラー共に乾杯。

 時は巡り また夏が来て
 あの日と同じ 流れの岸
 瀬音ゆかしき 杜の都
 あのひとは もういない (青葉城恋唄/さとう宗幸)


 なぜかこんな歌を思い出してしまった。
 夏という季節には何かノスタルジアを感じる。ふと思い出すのは「あの夏の日」だったりする。

 日本人だからだろうか? 八月は特に、いろいろと思うことが多い。
 だから、夏は楽しいはずなのになぜか寂しい。



 

私はそうは思わない

 昨日から面白い本に夢中になっていたので二日間更新できませんでした。訪問いただいた方々には申し訳ない。

 面白かったよ。「文系の壁」(PHP新書/養老孟司氏の対談集)
 少し前に出ている本なのですでに読まれた方もいるでしょう。

 私は言うまでもなく自分を文系のヒトだと思ってますが、文系のヒトって理系の人から見ると一体どうなのか。興味しんしん。
 母校は文系だけの大学だったので、学生時代も理系のヒトとはほとんど交流なかった。ロックやってたことがあるので、工学系の大学のバンドとは交流あったけど(汗、音楽の話しかしないしね。
 熱い期待をこめてページをめくる。

 最初の森博嗣氏(確か小説を一杯書いてますよね、本屋に置いてあるのは見たことがあるけど読んだことはない)との対話がいちばん刺激的で、文系のヒトにとっては腹立たしいこともいっぱい出てくるけど、「人を怒らせる」というのも活字にとっては大事なファクターなのでそれを楽しみつつ「気持ちよく怒りながら」読むと楽しい。

 面白い部分はたくさんあったけど、たとえば森氏が語る、
 「こちらが何かについて説明したとき、文系の人は「わからない」と言うけれど、それは「説明された意味がわからない」という意味ではなくて、「わかっているのだけれど、賛成できない」という意味なんですよね」というくだり(原文のままではない)。

 これは痛いところを突かれて気持ちいいくらいだった←おい!!
 確かにそういう言い方をすることがあるような気がする。相手の意見を全否定、シャットアウトする言い方ですよね。それじゃあ議論にならないよね。

 で、そこを読んでいるとき私は愛読書「徒然草」の中の一説を思い出した。

 「お互い言いたいことを話してみる中には「なるほど」と聞く価値のあるように思えることから、少々意見の違う人とは「私はそうは思わない」と時には議論し、「そういうわけだから、こうなのだ」などと大いに語り合えば、非常に精神的にも充実すると思うのだが・・・」(第12段、ちなみに私の意訳です、これが絶対正しいという解釈ではありません)

 この段の初めに、「おなじ心ならん人と」と書いてあり、「同じような心を持つ人と」という意味ですが、この「心」というのは単に気持ちというより精神(ベネッセ古語辞典)もしくは考え方というか・・・
 上記の文章のあとには、「自分とは考え方が違う人とはこういった話はできない」と嘆いている。
 吉田兼好が理系だったかはわからないけれど、それに近い思考のできる人だったのだろう。

 日本人はなかなか「私はそうは思わない」って言えないよね。だからきちんと議論でできないんだけど、議論するって難しい。言葉でコミュニケーションするのは本当に難しい。迷路ですよ。
 拙ブログのコメントやメール、お会いしたときの話などを聞くと、私の書いたものも時々全く違う方向に解釈してる人がいますが、がっかりすると同時に、いや待てよ、その人が読んでどう思うかは自由だから、私の意図とは違う解釈してもらうのも面白いのかなと思う。

 「文系の壁」に戻って、前述の森氏は「社会や人間などあやふやでとらえようがないものを、どうして文系の人は理屈で解釈してわかったような気になれるのか不思議でなりません」と言っている。
 ここ読んで、ああー河合隼雄先生が生きていたら、対談してほしかったなぁと思った。

 


  

手紙の、ちから

 少ないけど、模型の資料は作業部屋に置いている。

 本って、中身も読むけど背表紙も「読む」んだよね。背表紙も色々なことを語るんだよ。
 だから奥が深い。

 本屋に行って本を眺めているだけでも、何か色々得るものがあるのはそういうことなんだろうね。

 一番下の段がAFV。あとは飛行機。大して持ってないでしょ。

 写真とはあまり関係ないけど、両親にかわって書いた寒中見舞いは今日すべて投函した。老人ホームに入居したこと、今後もう年賀状を書けない状態であり、これまでお世話になりました、ということを書いたんです。
 わりと最近、手紙を書く機会が多かったんだけど、つくづく郵便ってすごいよね。

 小さな紙切れに書いた文字が、たったの52円とか82円で、まぁ例えば「静岡県焼津市八楠3-1-2」の模型メーカーにも届いたりするわけです。「すみません、デカールをお願いします。モデラーから頂いた古いキットだったので黄ばんでいたんです」・・・・って部品請求かい!! 頂いたキット云々って書く必要あるのかい!! とかツッコミ入れたくなるかもしれませんが、受け取る相手は機械ではなく人間ですから、やはり何か説明したくなる。  

 今はメールで事足りることが多いけど、だからこそ「ここ一番」ってときは手紙が効果的とも言える。 

 そんなことを考えながら宛名を書いた。相手の声が聞こえる電話もすごいけど、下手な字でも心を込めて一文字ずつ書いた手紙、必死に文章を組み立てながら、どうすれば想いが伝わるか言葉を選んで書いた手紙。

 メモとか書きなぐるような文字ではなくて、考えて書くのってすごい集中力もいるんだよね。でも書いているとパソコンでモノを書いているときとは別の部分(脳の)が覚醒するような気がしてきた。

 それと、今年は喪中の方に、寒中見舞いを書いてみた。
 実は去年、私自身が喪中だったんだけど、ただ一人、あるモデラーが寒中見舞いをくれたんです。

 おおっ、かっちょええ~!! 大人の男って感じ~!! それに年賀状が一枚も来なくて寂しい正月だったので、その唯一届いた寒中見舞いのうれしかったこと。
 というわけで、今年は真似して書いてみた。

 そんなふうに、模型仲間から色々と教わることは多い。
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