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 相変わらずわけのわからん画像だけど、四機同時製作なので許してください。

 黄色い帯や黄色い機首や黄色い方向舵などをどうにか塗装し、下面色を吹いた。
 こうしている間にも、スピナ一個と風防一個が紛失、スピナは作業机下のブラックホールから、風防はフワフワのセーターの袖口に付着した状態で発見された。

 フワフワの毛足の長いセーターとか着て作業したらいかんねー。普段は作業着(裏側フリースの薄汚れた普段着)を着てるんだけど、昨日はつい着替えるのが面倒で・・・。

 ごらんのとおり、下地黒の三機と、下地白(ハセガワの旧版)のものとは、同じ色を吹いているのに全く違う色のように見える。すごいなあ。
 ドイツ機の下面色は「ライトブルー」とか「ライトグレー」とか書かれている。ブルーとグレーじゃぜんぜん違うやん!! どっちなのよ!?
 私の解釈は、零戦の明灰白色にほんの少しブルーが混ざったような色。自分で適当に作った。

 頭がこんがらがるので、ダイソーの小さなホワイトボードを買ってきた。で、それにメモすることにした。わお!! 便利だ。

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 天山も、脚だけでも接着しようかと思う。

 先日モデラー連中に見せたら、「思ったよりひどくないですね」と言われて意を強くした私、このまま突き進んでいくことにした。機番はデカールにするかフリーハンドにするか。なんとなく手書きでもできそうな気がする。エナメルで少しずつ描くかも。もちろん特攻機である。

小さい画像
 夕刊を読んでいたら、「俳人・金子兜太さん死去」という記事があり、略歴を読むと「太平洋戦争中、トラック島に海軍主計中尉として配属・・・」というくだりがあり、あれっ、どこかで読んだなと思って本棚からこの本を取り出すと、やはりそうだった。金子兜太さんとのインタビュー部分を読み直す。
 いつかもご紹介したけど、本当に興味深い本なのでおすすめ。梯さんのインタビューがとても上手です。出すぎず引っ込みすぎず、うまく相手の話を引き出している。
 トラック島での飢餓に瀕したまさに極限状態。ここをお読みの方は戦史に詳しい人が多いから知ってると思うけど、大戦末期、トラック島に要塞を作るため送り込まれた工員と将校たちは米軍の攻撃目標からははずれ、日本軍からも置き去りにされ、見捨てられる。そんなときに金子さんは島で句会をしていたというんだから、驚かされる。人は、そんな極限状態でどんな句をよむのか。いや逆にせめてそういうことをして心をなぐさめるのか。

 私が金子さんをすごいなあと思うのは、そういう体験をへて、戦後は平和活動をしているということです。口で平和を語るのは誰でもできる、でも行動するのはものすごく大変なことだと思う。「戦争は二度とやってはいけない」とか言う言葉を聞いても私には空虚な気がする。そのために何かしないと意味がない。
 まあそんなこと偉そうに書いてる私も平和活動なんかやってませんが、平和に感謝しながら大戦機を作っている。今夜は西に向かって手を合わせて、ひとりお酒を飲みました。