大分県速見郡日出(ひじ)町に、回天(旧日本軍の人間魚雷)の基地があったことは、今はもう知る人も少ないかもしれない。

 大神(おおが)訓練基地があり、回天神社とかいうものがあるそうな・・・ということを知ったのは私も模型を作るようになってから、それも数年前のことだったような気がする。もちろん戦史に詳しい人は以前からご存じだとは思いますが。

 日出町製作の立派なパンフレット。回天の歴史から基地の説明、回天のメカニズムまで、わかりやすく書いてある。
 お金かけてますねー日出町。偉いと思います。

 大分市からは高速道路を使うと30分くらい? 
 今回もモデラー共と大分駅で集合し、大人の遠足に出発する。

 神社の参道には立派な立札が立っていた。



 回天神社。回天の部品三種がご神体として奉納されている。
 大戦中から回天神社として隊員の心のよりどころであり基地の別の場所にあったが、戦後この神社(住吉神社)の境内に移されたという。

 回天にたずさわって殉職、戦死した1073柱の合祀もされている。
 元隊員とその家族が大神回天会を結成して神社を守ってきたが、今では高齢化が進み、地元の方々が守っていくことになったとのこと。
 なかなか、伝えてゆくことは大変なんですよね。たまに訪れて眺めてるだけの観光客は気楽なもんだけど。

 

 九三式酸素魚雷3型(実物)が展示されている。

 確か同じものを呉の大和ミュージアムで見た記憶があります。
 後ろに置いてあるのは、回天の1/3模型。

 「甲標的搭乗員の黒木博司中尉と仁科関夫少尉は、兵器庫に何百本と眠っていた九三式魚雷を改造して自らが操縦して体当たりする魚雷を提唱しました。「必死」を前提とする兵器は採用できないと一度は却下されましたが、二人の熱意により脱出装置のないまま、正式な兵器として採用され(以下略)」(日出町作成のパンフレットより)

 戦局悪化に伴い、魚雷を利用して作った特攻兵器ということでしょうか。
 回天は終戦までに28回の出撃をしているそうです。
 ちなみに黒木大尉は訓練中に殉職したが、事故のおきた回天の中で状況を今後の実戦に生かすために冷静に分析し記録しました。またもう一人の仁科少尉はウルシー環礁出撃で戦死しています。

 

同魚雷の二重反転ペラ部分。小さいですよね。



 説明板

 
 神社は小高い丘にあり、穏やかな別府湾に面した回天の基地を見下ろす。

 画面中央くらいに黒い物体がありますが、回天の実物大模型です。今からあそこに行ってみます。

 神社下にあった、酸素圧縮ポンプ室。防空壕みたいな穴。

 中にはコンクリート製の構築物が残っており、何とも不気味。

 中に入っていく勇気はありません(いや入らなくていいです



 立派な1/1模型。
 結構巨大で驚いた。模型では見たことがある気がするけど。やはり実物(の大きさの模型)を見ると迫力がある。

 ここの基地からは1945年8月3日に出撃がありますが、戦死した人はありません。



 上面のハッチ。カギがかかっていて見られませんが、見学できるときもあるのかも。



 回天横には魚雷調整プールというコンクリート造りの水槽があった。

 駐車場とトイレも備えてあり、小さな公園のように整備されている。
 戦跡を残していこうという心意気はうれしい。

 誰かがやらないと残っていかないよね。お金のいることだから大変でしょうけれど。
 これらの見学は無料です。回天神社にお賽銭をするくらいですね。

 私と九三式魚雷。笑ってる場合じゃないんだが。

 回天なんて、特攻機と同じく、考えるのすら嫌悪感を感じていた。
 だけど、目をそらしていっていいんだろうか。見て見ぬふりするのは恥ずかしい行為じゃないだろうか。
 歴史を知ることがまず第一で、見たことをお伝えすることが(ほんのわずかな)私の任務。と、最近思う。

 朝、私の住む盆地を出発するときは深い霧に覆われて震えていましたが、重装備でやってきた日出町はご覧の通り冬というのに素晴らしいお天気で気が抜けるほど明るい陽射し。身も心も温かくほどけていくのでありました。

 明日に続く。