さて、11月は「つれづれコンペ」の掲載や、その後体調不良などが重なり、書きたいことが書けなくて重いカタマリのようになって胸につかえてくる。苦しかった。

 さて、11月19日に、大分海軍航空隊跡地を訪れた・・・あの日から話を続ける。
 現在は航空隊跡地の一部分は大分市大洲運動公園となって、市民の憩いの場であるが、その一角にひっそりとこの記念碑が立っていた。「神風特別攻撃隊発進之地」と書かれている、おそらくこれだけが航空隊の記念碑であるらしい。私も今回初めてここを訪れた。

 昭和20年8月15日の玉音放送後に宇垣纒長官以下十一機の特攻機が発進したという話は私も一応知っていたけれど、正直「特攻隊」というだけで重い話だし、なんでまた終戦後にそんなことしたのか、しかも宇垣長官って偉い人でしょ、それがなぜ大分航空隊にいたの?意味わからんわ・・・。

 人間って、意外と自分の足元を直視するのは勇気がいることで(しかも面倒くさい)、今までまともに調べたこともなかったんだけど、大分県人で「自称飛行機モデラー」を名乗る以上、それを知らずにいていいのか。なんだかものすごく気になってきたのは自分の年齢のせいか。

 記念碑の裏に書いてある年齢を見ると、特攻時、宇垣長官は五十五歳。ほぼ私と同じ年齢だったんですね。
 なんだかなあ。「呼ばれた」ような気がしたんです。書くようにと。

 「私兵特攻」(松下竜一著/新潮社)

 私が十数年前に模型を始めたきっかけは、タミヤの1/48零戦を作ったことだったんだけど、そのとき「零戦」について調べたくなり、戦史本など買っていた頃、印象的なタイトルにひかれてこの本も購入。
 松下竜一さんは大分県の有名なノンフィクション作家である。

 だがしかし、あまりにも重そうなテーマで難しそうだし、読んでいなかった(恥・汗
 それが先月、大分航空隊跡地を見て帰宅後すぐに読んでみて・・・ああなんと興味深くドキドキするような本だったのかということがわかった。単に重い話なんかじゃない。単に悲しい話でもない。
 あの8月15日の午後四時過ぎ・・・それをさまざまな人がさまざまな視点から証言し、幾度もその光景が描かれる。

 丹念な取材で、あの日が次第に目の前に立ち上がってくる。それがもう、何とも言えずドキドキ興奮するんです。
 中津留大尉機(宇垣長官乗機)が沖縄に突入する場面などは夜中読んでいて怖くなって、布団の中に入ってもなかなか眠れなかった。

 私にとっては先日読んだ「指揮官たちの特攻」(城山三郎著)からも続いているともいえる。
 あの運命の日、そして飛行機の不時着により生き残って戦後を生きた搭乗員たちの証言がまた・・・読み応えあります。

 写真が黄色っぽく写っていてすみません、実際は白です。たまたま実家にかけてあった寺司さんの作品を最近持って帰った。こういった屋根瓦を題材にした作品で知られている。大分県の方ならご存じの人も多いと思う。
 この本の主人公が、大分市出身の版画家・寺司勝次郎さん(甲飛十三期出身)。

 テレビの鼎談に寺司さんが出演して「最後の特攻隊」について話したとき、アナウンサーの何気ない質問「どうしてもう戦争は終わったとわかっていながら・・・こんな平和が来るとわかっていて、なぜ二十二人もの若者は命を捨てようとしたのでしょう」に、こう答えている。

 「どうして、こんな平和が来ると分かるんですか。それはいまだからいえることで、昭和二十年八月十五日の時点では、日本がこれからどうなるのかは本当のところ誰にも分らなかったんですよ。(中略)毎日毎日死ぬことだけを教えられて、それだけを目標にしてきた若い彼等にとって、ある日突然訪れた終戦は殆ど意味を理解できなかったと思いますよ。私には八月十五日夕刻に長官と共に出撃した彼等の気持ちが痛い程にわかりますね。」

 少し長すぎる引用になってしまった、すみません。でもここはショックというか非常に感銘を受けた部分。
 今の価値観で当時を推し量ることはできないと、改めて思った。もっと謙虚にならなくてはと・・・。

  というわけで、飛行機モデラーが作らなくて誰が作る!? 特攻隊員の遺書とか読んで感傷的になって泣いている場合か!? それだけでわかった気になっていいんか!? やっぱりね、特攻機を作るしかないよ。

 と思ってフジミの彗星買ったけど・・・800kg爆弾がついてない。爆弾取り付けもどうやればいいかわからない(再現されていない)し、ハードル高いなー。ファインモールドの48もあるけど、そちらは作るの大変そうだし・・・汗
 あかんわー、偉そうなこと言って、もう腰が引けてる(汗