大人の秋、といえば遠足。

 昨日(11/19)、大分駅南口に怪しいモデラー数名が集合。
 明け方には季節外れの雷と豪雨に見舞われた大分県だったが、昼近くには何のことはない、妖怪“晴れ女”(誰やそれ)の魔力のなせる技か、無理やり雨雲吹き飛ばし、さて楽しい遠足に出発だ。

 おおー、まさしく妖怪・・・じゃなくて私ですよ(汗

 今日はちゃんとお天道様の下におります。こんな汚れた手でプロペラに触って申し訳ない・・・ごめんねゼロ。
 杵築市沖にて平成元年に引き揚げられたエンジンの前にて。零戦21型と書いてあった。



 大分県大分市上野ケ丘1丁目の予科練資料館(tel 097-543-1430) 見学無料
 ご見学の際は電話でアポイントメントをとってみてください。

 館長・川野喜一さんの私設資料館でありまして、ご自分の住居の一階のスペースに予科練、特攻、海軍・陸軍とにかくいろいろな資料を展示されている(ご自分で集めたものもあるが、遺族などが全国から遺贈された品物も多い)。

 実は私、16年前にも一度訪れたことがある。そのとき75歳だった川野さんは現在91歳、もしや体調など崩してられるのでは、というより失礼ながら本当にご存命なのだろうかと疑ったりもしたが、私たちがクルマから降りると間もなく自宅から出てきて迎えてくださった。
 もちろん16年の間にお年を召されて少々耳の聞こえは悪くなっていたけれど、元艦攻乗りの名に恥じないかくしゃくとした話しぶりで、瞳は強い意志で輝いていた。
 このような人が大分県人であることに誇りを感じる。

 写真撮影自由なので、好きなように撮らせてもらった。

 海軍さんのハンモック(実物)。
 珍しい展示ではないでしょうかとのこと。
 皆さまは見たことありますか?

 一式陸攻のスピナ

 塗装の剥がれ方が面白い。



 雑多なものが並ぶ。

 中央の木刀のようなものは、軍事教練で使用されていた木製の小銃。
 戦時中旧制中学に通っていた私の父なども、こういうものを使っていたのだろうか。

 操縦者の使っていた手袋。
 今の目で見ても、上質そうな感じがするし、オシャレな感じもする。

 予科練で使用されていた航空術の教科書とノート。

 落下傘のベルトがよく観察できました。

 人形の塗装するときにお馴染みのカタチ。

 大きいほうが20ミリ、小さいのは12.7ミリの銃弾。

 さすがに20ミリは大きい。
 「20ミリじゃないと、飛行機はおてん(落ちない)」と川野さん。

 久々に聞いた大分弁だなあ。

 零式戦闘機一号受信機(本物)。

 さまざまな方から寄贈されたものが多く、けっこう本物が多い。

 そばにはモールス信号の送信機?もあり、スイッチを入れると「つーつつつつつ」という独特の音がした。
 信号が途切れたときが突入の瞬間だったと聞きます(特攻において)

 

 千人針。

 息子の出征に際して、当時の母はまわりの女性に糸の結び目をひとつずつ作ってもらってお守りにした。
 寅年の女性は自分の年の数だけ作ることができたという。(先日も書いたけど「虎は千里を行きて千里を還る」と言われ不死身の生き物だといわれたから)

 隣においてあるのは、「赤紙」です。
 若い男は兵隊に取られ、後には老人と女子供ばかりが残り、その苦労は筆舌に尽くしがたかったと思う。

 いつだったか、息子が帰省したときに
 「お母さんは、いま戦争がなくて本当によかったと思うよ、もし今戦争があったら、お前みたいのが一番に敵に突っ込んでいって一番に死んでたよ」
 「俺もそう思う(苦笑)」
 というような会話をしたことがあった。
 息子を失った母の心を思うとき・・・なんと言ってよいか、言葉がありません。

 本当に今が平和でよかった。そう思うけれど、川野さんは今の世の中に少し危機感を感じるとおっしゃっていました。
 なんとなく戦後70年が過ぎたけれど、自分たちでの意志で国の平和を守り、自分たちで選んだ道を歩いているのか。そういう自覚が日本人にあるのか。そういわれると、私には自信がありません。なんとなく、なあなあで、誰かがやってくれてるからまぁ大丈夫だろう・・・といういい加減な感覚のような気がします。

 川野さんは終戦時、木更津で流星改の偵察員でした。あと数日戦争が長引いていたら、特攻隊員として出撃していました。
 写真は第七御盾隊の西森良臣上飛曹(高知県出身)、昭和20年8月13日特攻出撃、戦死。

 出撃前、西森上飛曹から川野さんの新しい飛行服と取り換えてくれ(新しい飛行服で死にたい)と頼まれ、川野さんと飛行服を取り換えて出撃されたそうです。
 飛行服が身代わりとなり自分は生き残った、という思いが川野さんにはあるそうです。が、戦後こうして私財を投じて私設資料館で当時を伝えているのですから、西森上飛曹の魂はここに生きているともいえるでしょう。

 ご紹介はしませんが、大分航空隊ではご存じ「最後の特攻」がありました。先日も少し書きましたけど、例の中津留大尉機が宇垣長官を乗せて飛んだ8月15日の玉音放送後の特攻です。
 これについても川野さんは詳しく説明してくださいました。

 最後に、川野さんが入れてくれたお茶を恐縮しつついただき、昼食時になってしまった非礼を詫びながら、資料館をあとにしました。
 私たちの乗ったクルマを敬礼で見送ってくれた川野さんに、深く感謝を捧げたいと思います。

 というわけで、不良モデラー数名は海軍式の敬礼に色んな部分が縮こまる思いでしたが、「とりあえず腹減りましたな」というわけで、昼食に向かう。新鮮な豊後水道の魚をのっけた海鮮丼で生き返り、さて次の目的地へ。

 明日に続く。