まさかもう年末年始休みに入ってるとかいう方も・・・いるのでしょうね。ノンビリした年末の日曜日だから昨日の続きの話でも。

 今朝は八時から仕事(と言っても1時間だけど)だったので六時半に起きて、寝ぼけたまま着替えしながら「昨日の事は夢だったんだろうか?」と思って枕元を見ると「紫電改」と「零戦」の箱があったので、やっぱり夢じゃなかったんだな・・・ボンヤリ喜びに浸った。

 気になるのはこの零戦はいつごろ発売されたか? ということ。
 まずは、今年ゆーぼうさんから頂いた、1973年版ハセガワカタログを開く。これにはすでに掲載されている。ということは、1973年以前に発売されたということになる。
 で、偶然持っている(古本屋で買ったのか誰かに頂いたのか忘れてしまった)1972年2月号の航空ファンを開く。

 新製品紹介のコーナーにイキナリ発見~!!

 この前のページにはエアフィックス1/24のBf109Eが二ページに渡って紹介されていて、こちらの零戦はわりと地味な紹介である。ちなみに右側のページはタミヤの疾風(1/48) 確か48の零戦21型や雷電なんかもこの時代なのでは。48の大戦機を作るのはタミヤのほうが早かったのでしょうか。

 この紹介文の中に「第二風防の天井に縦のわくがついているのは良い」と書いてあるけど、縦の「わく」って・・・えっ、昔はそれがついてなかったの? 当時はそんなものだったんだねー。

 それと、カウリングにスジ彫がないことを残念だと書いてあるけど・・・私もカウリング見て「ノッペラボー」なのでびっくり。一発抜き(いやーん)というのかな? カウリングはまるごと成型してあるんだけど、当時はスライド金型ではなかったからスジ彫りができなかったのでは? と推理してみた。違うかなあ。
 そのかわりエンジンの再現が素晴らしい、と褒めている。どうなのでしょうか、なんかドキドキしてきたぞ。作ってみてのお楽しみだ。
 実はタミヤの52型(もちろん32)も持っているので楽しい作り比べができそう。

 掲載されていたハセガワの広告。

 こんな飛行艇知らないなー。今ではもう絶版なのかな? 展示会でも見たことがないような気がする。当時は飛行艇とか水上機とか人気があったようですね。私と同年代の方々は今でも好きみたいだけど。
 それにしても、当時はものすごくたくさんのメーカーがあったんだね!! それに飛行機ってモノグラム、レベル、エアフィックスなどなど、外国のメーカーのが半分以上を占めている感じ。そういうメーカーがむしろ主流で、日本のメーカーはそれを追いかけていたような感じだったのかな?

 ついでに、こちらはモデルアート1973年8月号。残念ながらハセガワの新製品作例はこの号には載っていない。

 ただ、水中翼船(トミーアクションモデル)とかホバークラフト(ナカムラ)のキットがあって、驚き。
 水中翼船は60年代の終わりに乗ったことがあるよ。瀬戸内海の家島に行くときだったと思う。ホバークラフトは、大分市から国東空港まで、つい最近まで運航していた。
 プラモデルは時代を映しているのですね。

 裏表紙の広告。

 32のコメートは700円。ちなみにモデルアートは330円。当時の330円はやはり子供には高かっただろうな。

 私も作った1/32のムスタングを読者が投稿していた。北海道の長谷川公義さんて方の作品。

 モノクロ写真だからわかりにくいですが、銀塗装がいい感じです。チェッカー模様も塗装しているように見える。
 今でこそ安くていい塗料があるけど、当時の銀色ってどうだったんだろう。苦労して塗装してたんだろうなあ。

 キットのことならハセガワの人に聞いてみれば?と思うかもしれませんが、1972年といえば長谷川専務でもまだ13歳、中坊真っ盛り。商品の特徴とかラインナップのことは知っていても、そのキットが発売された当時のこと・・・どういう経緯で開発したか、誰が木型を作ったか、金型代はどれくらいでどんな苦労があって、売れ行きはどうだったか・・・を知っている人は、もうハゼカワの中にも少ないのでは、と邪推します。

 そういえば、女性の友人に60年代や70年代初頭のキットがまだ売られていて、じゅうぶん作って楽しめるんだよと話したら「ええええーーーっ」と驚いていた。
 確かに、ほかのモノだととっくの昔にリニューアルされてるのかもしれない。
 人間だって、まだ硬くて食べられない木の実だったような少女が、熟しすぎて枝から落ちて怪しい芳香を放つ中年になっているのですから。


 (「Does It Relly Happen?(夢の出来事)」/イエス) 最近じゃあ、プログレなんてもうないんだろうなあ・・・プログレって、プログレッシブロックの略です。久しぶりに思い出したよ、そんな言葉。