作品レポートは昨日までで終わり・・・えっ、もう終わり!? まだ行ってないのにぃ~途中でやめたらイヤ~ん、バカっ!! という人もあるとは思いますが、次のプレイ、もとい、昼食をはさんでお楽しみゲストトークの時間です。
 AFVの会は日曜日一日だけなのでスケジュールいっぱいで忙しいのだ。

 中四国は名物司会者・けんけんさんによる楽しい司会が売り物で、「本業の人かと思った。オレ、けんけんさんが模型作るって聞いたときショック受けたもん」(山田卓司さん談)とまで言われることも。
 毎回ゲストが多数来場されますが、今年は田宮会長がいらっしゃったので特に豪華な顔ぶれとなりました。

 もちろんトークのテーマは「MM世代、MMを大いに語る」です。
 実は私、新兵器「ボイスレコーダー」を導入、録音させてもらったので、帰宅後ウイスキーを飲みつつゆっくりと会場の様子を楽しむことができました。
 久々に頑張ってテープ起こしをしたので、内容を一部お送りいたします。

 司会「タミヤミリタリーミニチュアシリーズ(以下MMと記す)は1968年スタートで、今年はMM45周年だそうです。私は47歳なんで、2歳のときにMMが始まったことになります。というわけで、まずは俊作会長にMM発売のきっかけを教えていただけますか」

 田宮俊作会長「当時はモーターライズじゃないと売れない時代だったんですね。でも小さい車輛はモーターで動かせないのでどうしようかなと。
 それじゃあ、動かなくても人形置いて情景作って写真撮れば模型の楽しみになるよと。当時35ミリカメラが大流行したんですよね。日本ならではの普及です。ちなみにイギリスなんかはそんなに普及してなかった」

 司会「なるほど、そうですか・・・では今日おいでのゲストの方々にも、MMとの出会いを話していただきましょう」

 金子辰也さん「僕は1953年生まれなんで、五歳のとき(1958年)に日本最初のプラモデルが誕生しました。初めて作ったプラモデルはマルサンですね。飛行機をよく作っていたのですが、すぐにピトー管が取れちゃったりして壊れやすいけど戦車はそういうことがないということで、だんだん情景ものを作るようになっていきました。子どもには潜在的に情景という概念はあると思うんです。たとえば砂場で山作ってトンネル掘るのも情景だし、積み木で家を作って橋をかけてというのも情景です。で、大人が遊べる情景をタミヤさんが出してるわけで、砂場や積み木からすーっと入っていけるものだと思います」

 鈴木邦宏さん(ファインモールド社長)「僕は1958年生まれですから、まさにプラモデル誕生の年ですね。初めて買ったMMは歩兵セット100円でした、戦車兵セット80円というのもありましたね。当時ニットーさんのコンバット7が、絵は格好いいんだけど中身はゲロゲロでがっくりくるんだけど、MMはすごい良くできてる。シュビムワーゲンが200円、6ポンド砲が出るって時は大砲ってどんなのだろうとわくわくした。会長にお世辞言うつもりはないけどMMの申し子です。タミヤのMMなかったらファインモールドはないんですよ。タミヤニュースは3号からずっと買ってました」

 土居雅博さん「ボクは1961年生まれですので、61式戦車と同い年です。プラモより先に開隊祭のときに乗せてもらったんですよね。装填手ハッチだと思いますけどグラウンドを一周したのが戦車に目覚めた瞬間です。MMとの出会いは1971年に二号戦車が発売されたとき、すごいドキドキして買って帰ったんです。作ってそれで終わりじゃなくて、遊べるものでした。それがMMにハマったきっかけです。ボクもタミヤとMMに出会ったことで人生が決まっちゃいましたね。会長には責任取ってもらわないと」(会場爆笑)

 柴田和久さん「1962年生まれなんで、タミヤのミリタリーモデルが出た頃ですね。子供の頃はプラモが普通にある生活でした。どこにでも売ってるし、友達の家に行くと三号戦車のジオラマが置いてあって、それ見たときにトリコになってしまいましたね。たぶん1972年、四年生のとき、一番多感な時にね。当時、色んなメーカーからミリタリーモデルが出てたけど、子供心にタミヤの一人勝ちっていう印象でした。インストにも軍装とか戦史とか書いてあって、それから社員が作ってたと思うんだけどジオラマの写真も良かったですねぇ」

 山田卓司さん「(1959年生まれ)僕はわりとキャラクターものから卒業するのが遅くて、ミリタリーものにハマッたのは中学の頃ですね。タミヤのキットで初めて買ったのはアポロ1号でした。でも自発的にMM入ったクチじゃないんですよ。友達が「タイガーが格好いい!!」とか言うからオレもそういうの作るようにならないとダメだなと。タミヤの「情景を作ろう」のキャンペーンが始まって、自分で手を入れられるとこに惹かれていった。MMの歩みがそのまま僕の模型の歩みでした。当時ケッテンクラートとか知らなかったですからね、タミヤニュースの裏に何か変な絵が描いてあって、バイクなのか戦車なのかわかんないっていう」

 司会「確かにそうでしたね。当時はタミヤニュースで知りましたよね。で、そういうアイテム選びというのは俊作会長がなさってたんですか」
 田宮会長「・・・は? すみません聞いてませんでした(汗」(会場爆笑)

 司会「MMのアイテム決めは俊作会長がされてたのかと」
 田宮会長「それは取材しやすい場所にある車輛ですね。たとえばケッテンクラートとかシュビムワーゲンはどこの国の博物館でもあるわけです」
 司会「そういえば「田宮模型の仕事」の中にもアバディーン行かれたときの話がありましたね」
 田宮会長「雑誌にあまり出ていない戦車がゴロゴロあるでしょう? もう、(頭が)おかしくなっちゃうんですね」(会場爆笑)
 田宮会長「目の前にそういう戦車が全部あるから、もうシャッター押せなくなっちゃう。インストの説明文なんかはわざと難しい言葉で書きましたね。そのほうが子どもって興奮するし、完成したときのヨロコビもあるんです」
 写真は表彰式のときですが、トークのときはこれ以上の混み具合でした、

 司会「最後にMMの展望をお願いします」
 田宮会長「僕がタミヤで一番秘密を漏らす男で有名ですから(会場爆笑)、ホビーショーに出すものは、一○式(会場拍手)、1/32コルセア、ウォーターラインはヨークタウンを救助に行った駆逐艦ですね。あのね坂井三郎さんにお会いしたとき「寝るときパンツはかないんですよ」と言うんです。「冷却器をあっためちゃダメじゃないですか」って」(会場苦笑)

 司会「あのぅ会長、話締めていいですか? パンツで話を締めるとは思いませんでしたが(会場爆笑)、ここにいる皆さん、MMに人生かえられたクチだと思うんで、会長には責任とってこれからもMM続けて行ってほしいと思います。楽しいラインナップを期待しております」(会場拍手)


 私も、最前列で最初から最後まで漏らさず聞き、さらに家に帰って録音を聞くというのは初めての経験でした。大いにくつろぎながら、楽しんで聞くことができました。
 話は、パチッ!コンテストや、会長の海外取材の話、模型に理解のない家族の笑い話からロンメル・ジューコフなどという懐かしいネーミングの話、しまいにはなぜか坂井三郎さんのエビソードにまで及び、一時間半の間会場は笑いに包まれました。
 しかし、なんで「冷却器」の話になったのかなあ・・・謎。いきなり話が急降下したときには驚きましたが、まぁそれもオマケってことなのでしょう。九州人だったらもう少しウケたかも。

 この後、来場者による投票とゲスト賞の表彰式があり、まだまだ楽しい一日は続くのだった・・・

 さていよいよ、田宮会長攻略戦の模様は明日以降にお送りします。刮目して待て!!
 (腱鞘炎がまだ痛いので、あまり長い間タイピングできないのです)