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 元旦と三日にも、無人の神社に行ったんだけど、今日はお守りとおみくじのある神社へ出かけた。幸いもう参拝者も少ない。参拝前に手を洗うところには「そうめん流し」みたいな竹が置いてあり、竹には小さな穴がいくつか開けてあって、そこから滴る水で手を洗うようになっていた。感染症対策だけどなんだか風流。

 無事お守りを買っておみくじを引いて、さらに隣にある神社ふたつに参った。どちらも無人で、元旦朝早く詣でる人はいるのだろうけど、今頃来る人は皆無。建物自体も失われて「廃墟感」ハンパねぇ。でもこういうところが好きなんです。人の気配は無く、神の気配だけがある。
 石の舞台みたいになってるのが元々お社の建物があった部分。写真左端にご神体が置いてあって、そのすぐ前まで行ってお賽銭を置かないといけないんだけど、こんなところまで入っていいのか恐れ多い。

酒2

 うちに帰ると、年賀状が数枚来ていた。その中に喪中葉書があり、今頃?といぶかしく思いながら手に取ると、「〇〇の妻です」と書いてある。あぁ、いつも静岡で会う、あの人・・・えっ!? と思いながら慌てて文面をたどる。夫〇〇は昨年八月に永眠・・・亡くなっていたんだ知らなかった・・・。

 しかし実は私もそんなにご本人のことは知らない。ブログを見て私を知って、趣味で行くチノやriatのエアショーの映像を編集したDVDを静岡で頂いたことが何度かあった。合同展の人混みでふっと現れ、「いつもブログ見てますよ」とほほえむとDVDを手渡してそのまま立ち去られるくらいの、わずかな時間(でもそれを静岡の奇跡と私は思っている)

 奥様によると、ファイルに知人からのメールをまとめてあり私のメールもご覧になったらしい、もらったメールをまとめてあるなんて几帳面な彼らしい(終活のためだったのか)。丁寧な文字で書かれた文面を読んでいると、涙がどんどん溢れて止まらなくなった。

本1

 悲しいというより、寂しい。とても寂しい。

 先日、クリスマスイブに読むため買っておいた本。「わすれられないおくりもの」(スーザン・バーレイ著/評論社)
 有名な本で、きっと泣けるだろうなと思って期待してたんだけど、残念ながら「いい話だな」とは思ったけど涙は出なかった。でも今日わかったよ。

 亡くなった人がくれたもの。それは目に見えないもの。亡くなったあとで初めてわかるもの。悲しいけれど、やっぱり人に出会うっていいものだね。