つれづれプラモ製作記

マイペースで作っているプラモデルのブログです

2018年09月

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 胴体と主翼を接着した。
 人形を乗せようか、などと妄想を膨らませていたが、そんなことやってると絶対に間に合わない(10/27,28の銀翼会の展示会に間に合わせるつもり)ことがさすがのサル頭にもわかってきたので、さっさと接着した。

 でもさー、九七艦攻の翼ってきれいなカタチしてると思う。

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 こういう、分割の多い(パーツが多い)キットはみんなそうだと思うけど、丁寧に真面目に接着していかないと、必ずしわ寄せがくる。

 ひでえな。めちゃくちゃ接着下手だね。やる気がなくなってくる。上の写真みたいに、引っ張って接着したせいか。丁寧に接着してさらに若干すり合わせを要するキットのような気がします。

 あと、このキットは翼の端などがものすごく分厚い。こういうのは、私は嫌い。いただいたキットなのにこんなこと言うのは気が引けるけど。

 動翼はすべて別パーツ。これがまた、楽しいともいえるけど時間もかかる。
 いつものハセガワみたいな、一体化されたのが私にはお似合いだなと改めて思い知らされた。

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 写真がボケてて申し訳ない(カッターマットの罫線にピントが合ってしまうんだよね、笑)。
 こんなふうに分割されている。少しスキマが開いた感じなんだけど、これでいいのかな。ま、いいことにしよう。

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 下手な人が作るとガタガタになるキットです。だんだん悲しくなってくる、秋の夕暮れ。

スマートフォン
 ついにスマートフォンを買った。なるべく安く、画面の大きいのを買った。日本製にしたかったけど、値段の関係で、残念ながらチャイナ製となった。仕方ねぇ。

 長い間ガラケーを使ってきたのに、なぜ急にスマホを買うことにしたかというと、一昨年、地元のクラブの人たちがラインで連絡していると聞いたから。その時点では私はまだクラブに戻ってもなかったんだけど、仲間外れになったようで悔しかった。もうこれはスマホにするしかない。

 画面を割りそうで怖いので、装甲を施してある(透明カバー)
 とにかく私は踏み割る名人で、眼鏡なんか何個壊したかわからない。きっと踏んで壊すんだろうなあ。めっちゃ頑丈なスマホが発売されないかなあ。

中津城1

 これまで何度か中津の展示会には来ているが、一度も中津城は訪れていなかった。
 今回はようやく訪れることができてうれしい。しかし歩いてみてわかったんだけど、展示会場から目と鼻の先でした(汗 

 城の南側にあたる、内堀。ここの説明板によると、石垣の両端は直線的だが、真ん中あたりに向かってゆるやかに湾曲して(へこんで)いる。これは「輪どり」という石垣を崩れにくくする方法だという。写真でわずかに感じられるだろうか?

 あ、先日熊本城のことを書いたとき、加藤清正の石垣の耐震構造に問題があったんじゃないかとか、失礼な冗談を書いたけど、日本の石垣はちゃんと地震のことを考えて作られているそうですね。
 昔の人をバカにしちゃいけない。最近、いくつか本を読んでみてわかりました。

中津城2

 このようにお城の石垣は必ず直角に折れ曲がっている場所がある。
 これは横矢掛けといって、二方向から攻撃するための構造。

中津城

 こちらは、上の写真の石垣を内側から見たところ。

 赤矢印の部分に向かい合わせの階段があり、これを雁木といい、兵士が二方向に駆け上がることができる(そして素早く戦闘態勢をとれる)
 こういうことをちょっと知るだけで城を見るのがすごく面白くなるでしょ?

中津城3

 北側にまわる。実は天守については実在したという歴史的史料がないので、想像で作られた模擬天守と言われるものが建っている。それはそれでいいんじゃないかと私は思う。

 足がくたびれてきたので、周りを歩くことに専念した。天守には上がらなかった。石垣が見れればそれでいい。

 それにしても、この落ち着く気分は一体なんだろう。空気が違うんだよね、城の敷地に入ったとたん・・・。ほっとする。なーんか、忠興公から「よく来たね」と歓迎されてる気がする。

中津城4

 一番見たかった石垣。
 天守下の部分なんだけど、ご覧の通りはっきりと継ぎ目がわかる。向かって右側が黒田官兵衛、左側が細川忠興、二人の石垣がくっついているという、面白い眺めである。
 先に作ったのは黒田で、1587年に築城を開始、この石垣は黒田が落とした別の城から持ってきた石で作ったという(石を割るのは大変な労力なので、リユースをしたのだろう)

 その後、転封した黒田にかわり、1600年関ケ原の戦いの軍功により細川忠興がここに移り、築城の続きをした。去年の一月、大分県日出町の暘谷城を見学した記事を覚えている方もいると思うけど、忠興公が暘谷城の縄張り(設計)をしたのはその頃のことです。妹婿の城なんだよね。鷹狩と称して何度も暘谷城の工事の進み具合を見に行ったと言われてますが、実は忠興公ってば鷹狩は嫌いだったとか本には書いてある。なんじゃそれ。見え透いた口実ってやつか。

中津城6
 
 その後忠興公はいったん小倉に移り(1602年)、その後1621年に再び10年くらい中津城で過ごす。城下町の整備などをしたそうです。戦国の世から太平の世へ。その移り変わりの時代でしょうか。

 中津城の敷地は直角三角形みたいな形をしています。

中津城5

 南西側にあった、水門跡という場所の石。巨大な石を使ってる場所は大事な場所だという。

 水門っていうから、川の水をここから堀に入れていたのではなかろうか。
 写真でわかりにくいかもしれませんが、ゴジラの歯形みたいのが中央の巨大な石のカドについている。これが矢穴といって、いくつも楔を打ち込んだ跡。楔を叩いていくと石が割れるというわけ。だからこの石は元々さらに巨大だったというわけです。

中津城7

 もうひとつ、巨大な石に感動。

 こちらは内堀を出て、少し東方向に歩くと、小学校があるのですが、その塀の一部として保存されている、大手門の跡(門そのものは失われている)
 ここも城で大事な場所、大手門ということで、巨大な石が使われている(見る人に権力を見せつけるためだという)。右側の石の高さは、私の背丈(155センチ)よりも少し大きかった。

 最後にこの石垣を見ることができて、今回の石垣ツアーは大満足なものになった。
 石垣うんちく、楽しいっしょ? ぜひ貴方も楽しい石垣の世界へ!!

 というわけで、不思議と忠興公ゆかりの場所が続いています。歴史に詳しい人はご存知だと思うけど、忠興公は、めっちゃ気が短いキレッキレの男で、しかも茶人としての側面も持つ、なんかオモシロイ人←すっかり気に入ってる 

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 さて今回一番のお気に入りは、この仮面ライダー。電人座さん作品。バンダイ1/8 仮面ライダーW サイクロンジョーカー。

 鮮やかな色彩がひときわ目をひく作品でした。グリーンはクレオスのGXメタリックグリーンの上に、蛍光クリアグリーンで整えているのだそう。
 まぁそうは言ってもバンダイのキットの出来も素晴らしいのでしょうねと思い、作者にお聞きすると、プロポーションをかなり修正しているとのこと。

 キットはウエストなどが細すぎるので、少し太くしたり、手足も人間らしいカタチにしているそうです。

 だからでしょうか、まるでこの「着ぐるみ」の中に、マッチョな男が「入ってる」感じがするんですよ。あぁ~っ妄想しちゃうっ!!

 この方の作品は、数年前に博多の展示会で拝見したことがあり、今回は話が聞けてよかったです。  もう一体の仮面ライダーもスゲーかっちょ良かったですよ!!

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 kazuさん作品、バンダイ1/144 ブルーディスティニー一号機

 このポーズですよ!! 劇中にこういう場面があるのかもしれませんが、これだけ関節を曲げられるってうらやましい。どんなポーズもお好みのまま。そりゃあガンプラって楽しいだろうなあ。

 こう・・・見てると、歌舞伎みたいな気がしてくるんですよね。

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 同じ方の展示方法。狭い空間をうまく使って、自分の世界を表現しています。キャラクターの展示会ではこういうのってもう、日常茶飯事みたいにやってますね。

 私も取り入れてみたいです。
 作品自体のすばらしさもそうですが、やはり見る人に訴えかける演出も大事だと思います。

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 中津マークIIのアーチャーさん作品。バンダイ1/100 GX-9900 ガンダムX

 いかにもガンプラ!? というようなきれいな色でくっきり鮮やか。アーチャーさんはいつも筆塗りなんですよ!! 特に白にはこだわりを持ってられます。この白は心にスッと入ってくるような白。

 今回もガンプラをいろいろ見ていて思ったんですが、やはり種類がとてつもなく多く、よりどりみどりで、作れば自立するしポーズもいろいろ変えて遊べるし、置台などが各種売られていて、いよいよ面倒なときは塗装しなくても組み立ててガンダムマーカーでスミ入れすればそれなりの作品ができてしまう・・・こんな夢みたいなプラモなんです。売れないわけがない。

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 すみません、この方はFMM(福岡モデラーズミーティング)の方なんですが、お名前がわかりません。

 好きな汚しです。ガンプラでも金属は金属っぽく塗装してるのが好きだなあ。
 カッチョいいです。

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 すみません、この方もお名前がわかりません。

 背後の岩みたいなやつにガンプラを固定しているんでしょうか、こういうのヘリでもできそうだなあって思ったりして。こんなに上手くはできないだろうけど。

 何か物語の一場面なんでしょうね。印象的な空間を作り出しています。写真が少し黄色っぽく写ってしまってるのは背後が黒だからだと思います。申し訳ない。

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 FMMのなおきさん 「エンシェントダイバー」バンダイ1/144

 もしかしてキャラものでは、こういうジオラマって珍しくないのかもしれませんが、私には新鮮です。恐らく劇中のセリフ?を描いた短冊?のようなものを立てています。これがまたよくマッチしてますね。

 今回見ていて、スケールものにはもっともっと説明書きが必要だなと痛感しました。私の作品がそうでしたが、あんなのポンっと置いてるだけじゃ「何これ!?」ですよ。本気でヘリの布教をしようと思ったら、ヘリのことを書いたボードとかを作るべきだなと、激しく反省した。

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 中津マークIIのおーぐるBさん作品。バンダイ1/144 MS-04

 この方の作品は去年も見ましたが、すごくセンスがいいです。美しい色でしょ? 
 オレンジ色は難しい色だと思いますが、ウェザリングが程よくきいて、いい感じ。

 以上、厳選した作品をお送りいたしました(あくまで私目線)
 明日は中津城をちょっとだけレポです。

入口
 先週末、大分県中津市で開催された「中津模型クラブマークII」の展示会に行ってまいりました。

 入口です。
 会場は小幡記念図書館のホール。中津藩士・小幡篤次郎という地元の偉人の蔵書をもとに作られたそうです。中津藩って教育にちからを入れていたんだろうなあ。私の住んでいる日田も咸宜園という有名な私塾があったのですが、江戸時代のほうが地方の教育レベルが高かったんじゃないかと思ってしまう。経済力より教育・文化度の高いところに惹かれる私。

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 会長さんの作品。シャーマンM4A3E3 タミヤ1/35

 これがいちばん格好よかった。鉄の質感・・・迫力あるね。

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 同じく、会長さんの作品。ニチモ1/48 隼。

 ニチモの飛行機って、リベット表現がされている。何よりも塗装のヨレヨレ感とか、とても雰囲気がいいです。

 昔から食べてたスパゲティナポリタンみたいな? 最近はパスタとか言ってるけど、なーにがパスタだ、気取りやがって、あー青春時代に喫茶店で食ったナポリタンが美味かったよなぁ~なぜか目玉焼きがついてたりして・・・などと口に出すのは恥ずかしいけどみんな心の中で思ってる。

 会長さんに「これ良いですね」と言いますと、
 「お客さんに、ヒコーキがないですねぇと言われるとマズいので作りました」と、ご謙遜。

 飛行機に限りませんが、ここでもやはりスケールモデルは風前の灯であります。

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 中津マークIIのセイバーさん作品。スピットファイヤ。ハセガワ1/32

 基本に忠実というか、スピットファイアらしいスピットファイアって感じ。これ見ながら、俺こんなふうにリベットがないのが好きだなあ、と言ってる人がいた。

 昔、母の作ってくれた遠足弁当みたいな? 最近はキャラ弁とか言ってるけど、なにがキャラかい、弁当にはシャケが一切れと卵焼きに赤いウインナーだろうが!! そしてせめてもの母の愛情をこめてウサギみたいに切ったリンゴが一切れ・・・あのリンゴの甘酸っぱい味が秋の遠足の味だったなぁ~・・・などと口に出すのは恥ずかしいけどみんな心の中で思ってる。 

 心を込めて施した機銃後方に流れるウェザリングとか。飛行機モデラーの愛ですね。

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 築城模型同好会(ってまだ生きてるんでしょうか)の銀角さん作品、イタレリ1/48 F/A-18ホーネット

 尾翼のコウモリマークはデカールをもとにしてマスキング塗装されてます。
 そう言われてみればイタレリ、ダルい感じはします。しかしそのへんは塗装でカバーされてます。また、パーツが少なくてあっというまにカタチになるのが楽しかったそうです。何よりキャノピーの合いがよかったそうで、しかもご覧の通り透明度もよくてみんな「キャノピーが綺麗だね」ってほめてました。女性でいえば、「目がきれいだね」っていう感じ? キャノピーが綺麗だとずいぶん美人に見えますよね。

 銀角さん「(小さい声で)ハセガワはキャノピーの合いが悪かったりしますよね・・・」
 確かにね~それに、パーツ分割の多い最近の脂っこい外国キットなんかを作って疲れたときに、ふっとこういう「芋けんぴ」みたいなキットを食べるとほっとするんですよ。芋けんぴってのはサツマイモのお菓子ね(ぐぐッてください)

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 レベル1/48 B-1 ランサー。こちらの方はお名前もはっきり聞かずにすみません。ハッチはアルミ缶だそうです。それもこの大きさに合わせて、ビール缶じゃなくてドリンクの缶なんかだと小さくてちょうどよいとか。

 実機さながらに屋外で撮影された写真なんかも見せてもらいました。やはり外光で撮った写真は格好いい。

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 同作品。この方はウェザリングが得意とみました。
 ミサイルやラックなど小物関係、本物らしい雰囲気。すごくいい感じ。

 まわり、みんなでワイワイいいながら拝見しました。こういうライブ感が展示会の良さですよね、何よりも楽しい瞬間。

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 下松模型交流会のなおくんさん作品、タミヤ1/12 カワサキZZR1400 

 下松は「くだまつ」と読みます。山口県の防府と岩国の間くらいに位置するようです。今回の外来者は、福岡県、山口県の人が多く、周防灘モデラーと名付けました←勝手に名付けるなちゃ!!

 カワサキのバイクというと、あのライムグリーンを連想しますが、これは紺色なのでしょうか、写真でうまく色が出てなくてごめんなさい。もっと明るいスポットライトみたいのが当たるとピカピカして綺麗なんだろうなあ。洋服屋の店先に、レザーのジャケットなんかと並べて置いておくと似合いそう。
 しかし排気量1400って巨大じゃないですか? ほぼクルマ? 12年間片思いし、ようやく入手したそうです。それともう、これは土台があるのが大事。グレードが上がりますよね。高級感。

 というわけで、スケールものはこれでおしまいです。えっ? 早すぎる? すまんねーもう年だから・・・ゴホゴホ
 もちろん、私の好きな作品の美味しいところだけご紹介したんですけどね。

 明日はキャラものです。

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 大分県中津市で開催された、中津模型クラブマークIIの展示会にお邪魔してきた。なかなかの盛況でした。今回は、行きと帰りは日田HICメンバーのクルマに便乗させてもらった。

 マークIIはノンジャンルのクラブで、キャラクターものをやる人が多い。したがって今回は飛行機の作品はほとんどありませんが、楽しいイベントの様子をお伝えしたい。スケールモデラーでも、展示の仕方、色の使い方など参考になることがたくさんあると思います。


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 中津は、黒田官兵衛も一時赴任していたことで有名な中津城があります(残念ながら天守は想像で建てられたもの。実際に天守があったかどうかはわかっていない。中津の人たちの願望を表現しています、それはそれで良し)。
 今まで一度も歩いてみる時間がなかったけれど、今日は念願かなって中津城のまわりを歩くことができた。
 内堀のまわりをぐるりと歩きながら脳内BGMは
 「格子戸を くぐりぬけ 見上げる夕焼けのそらに 誰がうたうのか子守歌 わたしの城下町」
 ってベタですね・・・

 すぐ横を川が流れており、その先はもう河口、潮風が吹いている。城のまわりは静かな住宅地で歩くのが楽しい。展示会場から5分の位置。
 中津出身といえば、福沢諭吉、前野良沢をはじめ、学者や教育者がずらり。地味な地方都市ではあるけど、城下町の誇りを感じる地である。

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 こんな展示もあった。こういうの、いいね。楽しそう。

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 怪しい??作品を飾り付けしている人(汗
 一年ぶりの懐かしい方々にお会いして楽しかった。これが展示会の楽しみ。

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 拙作「タイガー二題」

 戦車が手前にあるせいか大きく見えてるけど、実際はヘリのほうがずっと大きい。
 しかしタイガーってば永遠不滅の格好よさ。どこのキットですか?と、たくさんの人に聞かれてしまったよ。ハセガワファン冥利に尽きた。ああ幸せ。

 というわけで、明日に続く。

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 九七艦攻のエンジン。左が栄で、右が光。どちらも中島製品である。なぜ中島が栄を作ることになったか、というのは吉村昭「零式戦闘機」に書いてあったんだけど、すぐ忘れる。あーダメだこりゃ。

 そういえば話がそれますが、先日読んだ本に零戦のことをゼロ戦と書いてあって、違和感を感じた。発音したらどちらも「ぜろせん」なんだけど、ゼロではなく零だと思う。零式だもんね。
 また、ほかの本に「kamikaze attack」と書いてあった。そりゃ外国ではそう言われているだろうけど、日本語の本にわざわざそんなこと書くか!? 
 などと、表記が気になるお年頃。

 ご覧のように、9気筒の光のほうが直径が大きい。だからカウリングが太くなってしまい視界が悪くなった、と「図解・軍用機シリーズ14 九七艦攻/天山」に書いてあった。
 光は良いエンジンだったようですが、パワーを大きくして、コンパクトにするためには、複列にしたほうがよかったのかな?
 この後ろにつける排気管に穴を開けた。別に穴開けなくて黒く塗装するだけでもよい気もしたけど。一応儀式的に。雰囲気がハセガワとはなんとなく違うなあと思う。

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 いつもの柔らかめの鉛板みたいなやつで、なんちゃってシートベルトを作った。資料がほとんどないので、いい加減。

 ふと思い立って、12型は操縦員を乗せてみようかと思う。
 ・・・・あっ、両方にシートベルトつけた後だった。あーあ。計画性ゼロですな。こういう無駄が多い。しかし人形乗せたりしてたらまた時間かかるなあ。これで間に合うんかなあ。

予科練

 私の父のアルバムに貼ってあった写真。昭和19年。
 「予科練へ征く先輩を囲んで」とある。父は中学二年生、先輩は三年か四年か。

 先日帰省した息子と、このアルバムを一緒に見た。

 息子「まだ15歳くらいで戦争に行ってたんだよね? 「永遠の0」に出てきた」
 私「そう、15とか16とか。たぶんこの写真の先輩もそれくらいの年齢だろうね」

 夜更け、息子と予科練の話なんかしていたら不思議な気がしてきた。生まれる時代が違っていたら予科練に入る息子を見送っていたかもしれない。そんなことをふっと思ったので、珍しく九七艦攻に搭乗員を乗せようかなと思ったんだよね。

 昭和19年だから、甲飛14か15期だろう。もう乗る飛行機がなかった時期。飛行場作りに駆り出されたのか、それとも・・・。無事郷里に帰ってきたのだろうか。

 「若い血潮の 予科練の 七つボタンは 桜に錨」 (「若鷲の歌」よく父が歌ってました)

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 Su-33と交互にこちらも作っています。どちらも焦ってるんだよね・・・こちらは来月の銀翼会に間に合わせたい。

 ごらんのとおり、片方は主翼折り畳み状態で作ろうとしている。切り離す場所はちゃんとわかりやすいモールドになっているので簡単だった。「職人気質」というノコで切り離した。

 切り離したほうが11型になる予定。翼折り畳み、キャノピー最後部を開けた状態にしようと思っている。このキットみたいな折り畳み状態を再現できるキットじゃないとわざわざ折り畳みしようとは思わないけどね。まるで48のキットかと思うような作りで、コクピットもなかなかカッチョいいでしょ? ただしどうなってるのかよくわからないので、あとはシートベルトをでっちあげるだけ。

インスト1

 なかなか面白い分割だよね。(主翼にコクピットが乗ってる)。
 なるほどなあ、よく考えたものだなあと思う。

 初めて飛行機作ったとき、コクピットを胴体の片方にくっつけて、それをさらにもう一方の胴体とくっつける・・・という段階で心が折れそうだった。あの段階で飛行機嫌いになりそうだった。
 あれは初心者には何より難しい部分だよね。今でもそうだけど(汗

 しかし、ほんとにインスト通りに上手くいくものか?
 つい疑ってしまう。悲しい女のサガよね。そんなうまくいくわけないんだもの。
 今まで、さんざん騙されてきたからね、簡単に信用できなくなってる。

空

 数日前の夕暮れ。天使の梯子。

 月曜の午後四時過ぎ、「あーだるいなぁー晩御飯どうしようかな」と思いながらゴロゴロしていると、メール着信。誰かねえ・・・ややっ、息子「今から帰る」!? 東京から今から帰るって、いったい何時になるんかい!?(汗
 結局夜中にこちらに着きましたが、そのために、昨日と今日はずっと息子とおしゃべりと、ご飯作り・・・息子となら、際限なくしゃべることがあるのが不思議。話題が尽きない。

 実は盆にも帰省したから、まだ一か月くらいしかたっていない。冬になって帰ってほしかったけど、なんか有給休暇を消化するためとか。ほかに行くとこがないんだろうけど、帰ってきてくれるのは、ま、うれしい。ただし模型も作れないのがちと寂しい←おい!!

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 全体を黒く塗装した。クレオスのウィノーブラックという黒です。GXというシリーズで、塗膜が強い、隠ぺい力が強い、というのが売り文句。クールホワイトは愛用しています。

 筋彫り? それなんのことですか? 機首の消えた筋彫りのことは考えない。

 実は、ここだけの話、これまでのところあんまり魅力的なカタチに思えなかった。普段は、最初大して乗り気でなくても、組み立ててカタチがわかってくると「おお、なかなか格好いいやん」ってなるんだけど、これは・・・なんか物足りない。

 しかしいや待てよ黒く塗ったらどうだろうと思って、黒くしたら少しはマシになった。
 やはり黒い飛行機は格好いいね。で、ここからの塗装なんですが、やはり初心貫徹!!で架空塗装してみようかな。いちかばちか。だってさーこのまま普通の塗装じゃ面白くもなんともない、一応コンテスト参加だもん。

蠅の帝国
 「蠅の帝国~軍医たちの黙示録」(帚木蓬生著/新潮文庫)

 軍医の話というと、エグい話があるんじゃないかと思って少しビビりながら読んだけど、実はそういう話はほとんどなくて、むしろ悲惨でありながらも、しみじみと味わい深い話が多かった。そこは作者の筆によるものだろうか。
 実際に軍医たちの書き残した記録(自叙伝)などを集め、小説という形で書いている。ノンフィクションにすることはできない種類の話ということ(20年をかけて世に送り出された著者のライフワーク)

 昨日の辺見じゅんさんの本はシベリア抑留でしたが、どれも「あの戦争」のひとつの姿であって、私たちが伝えていくべき事実だよね。ものすごく小さな力だけれど、モデラーも展示会で当時の飛行機を伝えていけるかなあと、そんなことを思っている。

 それにしても、どれもみな、色んな人間が出てくるけれど、日本人は頑張ったと思う。えらいよ。つまらぬ人間・責任を取らない人間ももちろんいるけど(特攻隊を送り出して「自分もあとから続く」などとほざきながらのうのうと戦後を生きた人とか)、ほとんどは信じられないような時代を懸命に生きたんだよね。どうしてそんなに頑張れたんだろう。
 尊敬の念と日本人ってすごいなという気持ちとともに・・・日本ってなんだろう、日本人って何だろう。もっともっと知りたくなる。

作業部屋

 灼熱の夏の暑さは不思議と遠のいて、それなのに体はだるい
 エアコンもつけたのに。爆買いしたキットは山のように積みあがってるのに。時間はいくらでもあるのに。
 模型作りはなんとなく面倒くさい。そう思いながら数日が過ぎた

 ふと思い立って、模型部屋に行って座ると、何故だか落ち着いた

 気のせいでしょうか
 いいえ誰でも

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 ちょっと父の病院に行ったりして、三日くらい模型から遠ざかっていた。それになんかここ三日くらい蒸し暑い。しばらく来週も暑いらしく、ウンザリする。

 でも頑張ってもう一度だけ・・・と盛ったパテにペーパーをかけてサフを吹いたところ。ハセガワの繊細な筋彫りとかそういうの、もうどうでもよくなってる(汗
 とりあえず、これでいいや。もちろん筋彫りはあとからやります。

 あとは色をどうするか決まったら一気に塗装だ!!

本
 「収容所から来た遺書」(辺見じゅん著/文春文庫)

 これはすごい本です。「悪名高き強制収容所に屈しなかった男たちのしたたかな知性と人間性を発掘した大宅賞受賞の感動の傑作」(文庫裏の説明より)

 極限状態でひとが人間性を失わずにいられる方法は何だったと思いますか。
 文章の力、言葉のちからだったんです。やっぱり文学の力ってすごいね。感じる力というか。なんだか救われる気がした。

 内容は衝撃的ではあるんだけど、やたらと涙なんか出なかった。むしろ何かその壮大な物語(もちろんノンフィクションなんだけど、物語という言葉を使いたい)に心打たれてひたすらページをめくった。(辺見じゅんさんは、あの「男たちの大和」の原作者)

 読んでいて改めて日本人であることを誇りに思った。よい本でした。

 昨日はジュンク堂と紀伊国屋書店をはしごして本を探していたら、ものすごく疲れてフラフラになった。でも喫茶店に入るのは我慢して、コンビニのコーヒーを買って「ゆふ」に乗車して、読みかけの文庫を開く。そのときの、幸せといったらないね!! 久々に、はやく続きを読みたいと切に思う本を読んだ(行きに半分読んで、帰りに残り半分を読んだ)

 「この道や 行く人なしに 秋の暮れ」(芭蕉)

 行く人がないなら、自分が行ってみようか。どこまでか、行けるところまで。

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 尾翼とカナードを装着。それとエンジン下のヒレみたいなやつも。あれはなんていうんだろう、ジェット機にはよくついてるよね。確かT-4にもあったしミラージュF.1Cにもあった。

 角度ってこれでいいのかな。不安。ま、ここはハセガワを信じることにしよう。
 例によって少し冷たいインスト娘が登場する。

 飛行機モデラー(59歳)「あのぅ・・・ここ、垂直尾翼と水平尾翼の取り付け位置がわかりにくいんですが」
 インスト娘「お前みたいな豚野郎に説明してるヒマはないんだよ!! ちゃんと読んでから質問しろよ!!」
 飛行機モデラー(59歳)「す、すみません・・・」

 叱られながらも、インストとパーツを見比べているうちに、水平尾翼上についてる小さなパーツと、垂直尾翼の後部が連結するということを発見し、うれしくなる。そうか、インストっ娘は、そう言いたかったんだな・・・・って、インストならちゃんと説明してくれよなぁ。

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 箱絵を見ると、放電策がついているようなので、作った。この写真は一体何なのか意味不明ですが(汗)、水平尾翼の翼端です、ほかには垂直尾翼と主翼端に一個ずつ。計10本のように見える。

 この部分は、穴を開けて差し込んだけど、垂直尾翼と主翼端はとても薄いので、切り欠いて埋め込むことにする。あ、あとで切りそろえるつもりだから、少し長いんですよ。

 こういう作業のほうが楽しいな。

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 もうだいたい飛行機らしくなってきた。

 大きいなあ。これで72だもん。ただ、平べったくて何かこう、物足りない。寂しすぎる。これが現用機というものか。
 機首部分は最後にもう一度だけパテを盛った。これで最後にする。

 ポリパテがいいよというメールをくれた人もいた。
 これくらいの段差の場合は、誰でもパテでやるってことなんですね。私はレドームを削ろうかと一瞬思ったんですが(そのほうが早い気がした)、レドーム削ったらカタチが変わってしまうかな?

 段差段差と書いてきたけど、いいところも書かないとね。
 いいところを見つけるのは得意なつもり。なるたけ、いいところだけ見て付き合いたい。

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