つれづれプラモ製作記

マイペースで作っているプラモデルのブログです

2018年04月

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 完成三機目は、ハセガワ旧版。Fw190A-5 1943年5月。ヨゼフ・プリラー少佐乗機。

 なんか機首回りがずんぐりしてて、全体にずんぐりに見える。
 あと、写真撮ってから気が付いたんだけど、プロペラ根元の銀色が見えません(涙 一応銀色に塗装したんだけど、スピナの中に入ってしまってる。ああーカッチョ悪い~。

 タブは昇降舵だけに再現されてて、補助翼と方向舵にはないんだけど、補助翼にはついてたかもしれない。私が削り落とした可能性あり←おい!!
 タブはプラ板で作るとよかったかもしれない。ウォークウェイの白線もないし、全体的に寂しくなってしまった。

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 左側は、キャノピーもきれいだし、まあまあ見られるね。こちらからだけ鑑賞することにしよう。

 ご覧の通り、キャノピーは透明に見えるところだけを一体化して再現している(風防と一体化) これ、パーツをみるとショボい気がするけど、実は私みたいな下手くそにはありがたい分割だったりして・・・汗 すごく接着が簡単にできるから。エアフィックスみたいに、風防とキャノピーに段差ができたりする心配もない。

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 機番13と排気管後ろのカラスの羽みたいなマーキングはタミヤのデカール。字体が違うけど、まあ全体の怪しい雰囲気に合ってていいかも。

 モットリングというのは慣れないと難しい。現在私は0.2ミリのハンドピースで吹いてるからきっとうまくできるだろう・・・というのは甘かった。問題は塗料の濃さにあったようで、ちょうどよい濃さを見つけた頃には塗装が終わっていた(汗 素人は小さい機体から作ってだんだん大きいやつを・・・と考えるけど、実は32から初めて徐々に小さいものを作るのがいいかもしれない。32のモットリングなら絶対うまくいくに違いない。たぶん。

 あ、今気が付いたけど(汗、キャノピー下部にスジボリしたほうがよかったな。今からしようっと。
 尾翼上の尖ってる部分が折れてます(汗

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 増槽はこんなふうに、つるんつるん状態で可愛い。エアフィックスの増槽を付けることも一瞬考えたけど、増槽だけ今風だと変だよね。
 機首の冷却ファンはシリンダーと一緒にモールドされている。こういうのも、作るときに楽といえば楽。尾輪が最初から胴体についてるのもそう。主脚の折り畳みのためのステーというかほかのキットは全部別パーツで接着するのが多少コツがいるけれど、これは主脚に最初からくっついているのですごく簡単でありがたい。カタチ自体も完璧とはいえないだろうけど、なかなか繊細です。
 また増槽の懸架装置部分も増槽にモールドされているという大胆なパーツ割で、本当にパーツが少ない。だから、このキットだけは作ってるうちにどんどん箱の中身が無くなっていく。実に爽快。

 この旧版は1975年発売、私は中学二年生くらいかな。この世にこのようなキットが存在することすら知らなかった。当時200円だったらしいけど、私は中古品屋で1200円で買った。アホですか? なぜわざわざこんな古いの作るんか、って? それは皆さま方が昔作ったキットを私も作りたいから。過去にさかのぼることはできないけれど、過去のキットを作ることによって、その時間を共有している気分になれるから。模型作ってていちばん悔しいのはそこなんです。私はその時代には作ってなかったから。

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 主翼には20ミリ機銃が四門、そのうち外側の弾倉カバーはついてなかったので、プラバンで作ったので少し怪しいカタチ。

 塗装の色は同じなんだけど、このキットだけ下地を白にしてみた(他のは黒) すると全然発色が違うんだよ!! 白のほうが優しい感じになる。黒はどぎつい。

 また、このキットは茶色で若干ウォッシングに近いことを施し、ツヤ消しに近い半ツヤにしてみた。プロペラがツヤありすぎかな。

写真
 モデルアート臨時増刊「WWII ドイツ空軍のエクスパルテン」(平成12年刊)より。

 ずーっと昔に買ったけど、読んだだけで作った気になってた(汗
 この機体。こんなふうに、写真だとほとんどの機体は艶消しに見えますね。今回は、四機いっぺんだったし、グラデーションもつけず、塗装は簡単に塗っただけなのが、ちょっと心残り。

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 どこかのメーカーが48でこの機体とクルマをセットにして出してましたね(汗

 クルマの時代がぜんぜん違うので違和感だけど、ミニカー持ってたら並べられて楽しいよね。
 どうでもいいけど、このクルマ大きすぎません? Fw190は9メートルくらいなんだけど、その半分くらいあるよ。

 四機同時ということもあり、かなりいい加減な作り方になってしまったのが反省点。昔のキットを体験できた、ということが収穫です。
 さて最後のハセガワ新版は部品請求のキャノピーパーツが届いたら完成する。

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 Fw190作り比べ、完成第二段はエアフィックスです。Fw190F-8 1945年ハンガリー

 F-8は戦闘爆撃機型というやつで、爆弾を積んでいる。
 箱絵もこの冬季迷彩の機体だし、そりゃもう、これ塗装するしかねぇだろ!! って感じですよ。攻めるモデリングで行こうぜ。

 ほんと最初はできるかどうか自信なかった。でもやってみたら・・・意外とすんなりできた。
 赤い機首も派手だし、じつに模型映えする。

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 ラッカーで普通通りの塗装をしてから、エナメルの白で一気に描いていった。
 モットリングも真面目にしている。モットリングしなくてもわからないよ、と言ってくれる人もいたけど、実際やってみると、微妙な色の変化というか、情報量が増して、やはりモットリングはあったほうがいいなと思った。というのも、白を塗装したあとではグラデーションとか何もできないから。
 しかし迷彩塗装は頭使いますね。

 今回は、通常の迷彩吹いてからツヤありクリヤ吹いて、デカール貼って、ツヤを整えるクリヤを吹いて、エナメルで白いウネウネ模様を描いて、最後にややマットなアクリルクリヤ吹いて・・・そのたびに乾かすのに一日くらい置くから、けっこうな日数がかかる。

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 スミ入れを最後にしたんだけど、これは失敗だったかもしれない。
 先にしておけばよかった。ふき取るのが難しいし(エナメル溶剤て拭くと、白も取れてしまいそうになる)スミ入れすると白い線が途切れたようになるので、72だとオーバースケールになる気がする。48ならこういうのもありかもしれないけど。

 機銃とピトー管は真鍮パイプで作っている。爆弾の色はマットのほうがよかったかなあ。中央に大きなヤツと両翼に50kg爆弾を二個ずつ搭載している。真ん中のは250kgだろうか。インストに書いてないのでよくわからない。

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 前回のタミヤとこれは足掛けが再現されてるけど、タミヤのほうが数段精密感がある。そういうところまで手を抜かないのが日本人の仕事なのかな。
 胴体に生えてる短いアンテナは四機とも真鍮線で作った。アンテナがある機体とないのとありそうだけど、そんなの知ったこっちゃない(汗 空中線を張らないので、せめてこれくらいはアクセントがほしくて。

 白い塗装が文字の上などにもう少しかかっているほうが、リアルだったかも。

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 お気づきのように、キャノピー左側が曇っているところがあるし、風防とキャノピーが段差がものすごくできてるし、とにかく見苦しい。ハセガワ新型と同じ、恐らくクリヤがマスキングテープを伝って入り込んでくっついたんだと思う。クリヤって固まってしまうと頑固なんですね。こすってもこすっても、全然とれやしねぇ。部品請求もできないし、そもそもキャノピー自体ガッチリ接着されてて取れない(汗 もうええわ。キャノピーには目をつぶってください。

 派手な迷彩でよかったなとつくづく思う。中高年になると、派手な花模様の洋服を着てるオバチャンがよくいるけど、あれと同じね。体型が崩れたのを花模様でごまかすという。迷彩塗装は大変だけど、アラを隠せる効果もあるな。

 脚カバーは東部戦線の泥がつまるので、下半分を取り除いています。戦争の激化と戦地の苦労などが感じられる機体だよね、こういうのがまたモデラー心をくすぐる。

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 脚庫の中、穴が開いたようになって向こう側が見えているの、わかりますか。
 実機もこうなっているようです(資料「エアロディテール6フォッケウルフ/大日本絵画」)
 さすが新しいキット。脚庫の色は、多分インストが間違ってたんだろうね。RLM74に指定されてたのをそのまま塗装してしまった。

 プロペラはツヤありにしてるけど、インストはマットにしてあるね、実機もそうだったんだと思う。72だと、マットも沈んでしまいそうだしツヤありすぎてもオモチャっぽくなるし。匙加減が難しい。

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 何はともあれ、これで完成。

 掌に戦闘機を置いて、自分だけの勝利を祝う。いろいろダメな部分もあるけど、ま、いいじゃんいいじゃん。(次からはやはりキャノピーは最後に接着しよう)

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 四機同時製作もようやくゴールインしたので、完成画像を一日一機ずつ公開します(ただしハセガワ新版は部品請求中) 思ったより時間がかかってしまったけど、私にしては飽きずに楽しんで作れたと思う。

 まずはタミヤ1/72Fw190A-3。1942年、第二戦闘航空団第三飛行隊司令官 ハンス・ハーン大尉乗機。

 自分解釈で作ったRLM74,75で迷彩を塗装し、エナメルの黒(白を少し混入してるけど)で墨入れ。何も特別なことはしていない。

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 機銃はキットのパーツ、ピトー管だけ真鍮パイプで自作。
 今回は、プロペラ回転はどれも潔くあきらめて、とにかく完成だけを目指した(とかなんとかいって、結局面倒くさいだけですが)
 何か妙に水平尾翼が左右非対称に見えるけど、たぶんカメラのせいだと思う。目でみたらきれいに見えるんだけど。

 破れて部品請求したウォークウェイの白線も無事貼れて、めでたしめでたし。
 やはりこの白い点線はなくっちゃね。
 72は簡単という人もいるけど、迷彩なんかも手間は48と変わらないから、結局大変な気がする。

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 ハンス・ハーン大尉はドイツのエクスパルテンの一人。しかも司令官だからダブルシェブロン(っていうんだよね?)が胴体に描かれていて、じつにカッチョいいね!!
 このマーキングで、タミヤの48を初心者の頃作ったことがある。初心者が見ても格好いいなと思うようなマーキングだった。
 
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 塗料が盛大に吹き込んでいたキャノピーはリムーバーで拭いて、再度ハセガワのポリマーで磨いておいたけど、よく見るとまだ塗料が残ってる・・・ダメじゃん私。こういういい加減さが、モデラー向きじゃないね、つくづく。

 翼端灯は小さいので塗装しなかった。アンテナ線も思い切って(←単に面倒なだけ・汗)省略。
 排気で焼けた感じを塗装したけど、中途半端だったかな。

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 下から見ると、迫力あるね!!
 A-4型までとA-5以降の大きな違いは、機首の長さ。だからA-3は少し機首が短いです。

 でも、機首下面が黄色いところとか、なにげにドイツ機の塗装ってカッチョいいんだよね、ツボを心得てるというか。
 プロペラとスピナーのダークグリーンってのもまた・・・憎い。黒じゃないんだよ、ダークグリーンなの。くくぅ~!!
 おまけにタブが赤で、塗分けチョー面倒くさいけど、いいアクセントにもなるっていうのがまた・・・モデラー心を知っているかのような塗装ですな。もしかしてドイツ人もオタクの人が多いのかな。

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 しかし、写真撮ったあとよく見たら、脚の角度が変だった(汗 もう一度やり直さないと。やれやれ。いつまでたっても脚の接着が苦手。これがなければなあ。

 タミヤの脚はこんな感じです。脚カバーの裏がなかなかいい感じ。

 私が下手なせいか、カチッと決まる、というところまではいかなかった。脚の角度とキャノピーのすり合わせがいつまでたっても苦手なんだよね。

 しかしまあ、とりあえず完成してうれしい。完成画像は明日に続く。

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 さて、いよいよ一気に脚を接着。四機分ですよ、なかなか壮観でしょ。

 しかし一度に四機作るなんて正気の沙汰ではない。つくづく後悔したね。いくら私がアホとはいえ、もう二度と四機いっぺんに相手にするのはやめよう、と心に誓った。
 もっと一人ずつ、心を込めて、じっくりしっとりお付き合いしたい。ハイ次の人、みたいなのはやっぱり私には向いてない。

 そういえば、娼婦って、つい今まで、誰か別の男としてたわけですよね、そういう女とすぐにやるのって嫌じゃないですかとある男性に聞いたことがある。答えは「全然気にならない」でした。それ聞いたとき、やはり男って別次元の生物だなと思った。私は、つい今まで他の女を触ってた男とエッチするなんて、絶対に嫌だね。気持ち悪い。

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 1/72のフォッケウルフFw190作り比べもいよいよ大詰め、マスキングを剥がしていく。
 私にとっては、毎度いちばん怖い瞬間である。

 まずいちばん先に脚もつけた、おりこうさんキットのタミヤを剥がしてみると・・・
 ああっ!! 何じゃこりゃ~!! 盛大に飛び散ってる。もう笑うしかない。
 ま、いいよ、取り外してきれいにすれば済むことだから。こういう失敗は、まだまだ笑う余裕がある。

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 お次は、ハセガワA-8、こちらは悲しい報告をしなければなりません。

 なんか変な液体のようなものが張り付いており(表面にザラザラと付着していた)、リムーバーでもシンナーでも取れない。クリアが固まったものなのか。ダメ元でツールクリーナーでこすったら、プラが溶けていよいよザラザラになった。
 ご覧の通り、ドンピシャといえるくらい合いのいいキャノピーなのに。こういうときに限って、変な失敗するし。少々落ち込む。

 ということで、部品請求です・・・。

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 こちらは、ハセガワ旧版A-5。プリラー少佐乗機ですが、もちろん13の字体は違ってます。でも気にしない。というか、気にならない。バルカンクロイツが少し欠けてるように見えるけど、気にしない。キャノピーの後部にこちらも少し変な液体が張り付いてるけど、気にしない。

 まぁそういういろいろ小さいことは気にせず(小さいことなのか!?)、少し離れてみてみると、なかなかカッチョいいです。13という数字は不吉かもしれないけど、だからこそ逆に洒落ている。

 さて、エアフィックスはというと、まだクリアを吹いてないのでマスキングを剥がしていない。ひゃー、怖いなー。
 まぁ、次回(いろんな意味で)ご期待ください。

鉄橋8
 本日朝刊(大分合同新聞)。
 久大線全線復旧の文字が目に飛び込んできた。7/14を信じていいんですね!?
 去年は7月6日でしたっけ、大雨が降ったのは。今年は降らないことを祈るのみ。

 というわけで、現場を見に行ってみよう。

鉄橋9

 新聞に写真が載ってたけど、一応自分の目で見ないとね。

 新聞の解説によると、これまでの五本の橋脚を二本にして、流れを阻害する割合を1/3にした。またレールはロングレールと言われるものになるとのこと(騒音低減のため)。
 確かになーたったこれだけの橋脚で大丈夫だとはねえ。今までのやつを覚えているから、これはかなり間があいてる気がする。

鉄橋10

 で、工事やってるのと反対の上流側では最近こんな工事が進行中。
 黒田の軍勢に備えるための陣地作り・・・かと思ったよ。川幅を狭くしたら余計水が激しく流れそうな気がするんだけど、大丈夫なのだろうか。一体なにをしているのか私にはさっぱりわかりません。

中の島公園

 ここをご覧の方々も花見はしたかもしれませんが、私も今年は地元のクラブに返り咲いたおかげで。10年ぶりかなあ。

 もちろん花見は先週末で、今日はもう誰もいない。でもこういう寂しさが私は好き。あえてにぎやかな当日は写真撮っていない。
 外で飲むビールは最高に美味しかった。そして、風が吹くたびに舞い散る桜。

 悔しいけれど、私のいない8年の間に新しいメンバーも増えて、ますます良いクラブになっていた。もちろんバーベキューを指揮するのは、“シェフ”ヤナピー軍曹、それを支えるのは二等兵、途中で肉が足りなくなると、オートバイ部隊の若い者が即座に唐揚げを買い出しに行くなど、連携が見事なのであった。ほんと私は「タダ乗り野郎」で申し訳ない気分。これからは真面目にクラブのために働かねば、とは思ってみたが、ビールを飲んでいるとすべてはもうどうでもいいような気がしてくるのだった。
 Yさん「男からみるとね、女の人ってのはもうだいたい全部、イイ♪わけです。でも男に対しては厳しいけどね(笑」
 私「あ、私もそうですよ、女にはメチャ点が辛いけどね、男の人はまあだいたいイイですよ・・・」
 Yさん「えっ、それちょっと女の人が言うと問題ありませんか!?(汗・笑」
 私「うーん、そういえばそうかー・・・まぁでもそうじゃないとこういう趣味できませんよ、たはは」

日隈城2

 今回は、久々に会ったKさんの案内で、日隈城(亀山公園)も見てきた。花見をしていた公園のすぐ近くなので。
 もちろんKさんはクラブのモデラーで、城については素人ではありますが、自分で資料を集めたり現地で観察したりして、独自の推論をたてていました。推論が正しいかどうか、もちろん私にはわからないけれど、日隈城はいまだ考古学的な調査は行われたことがないようなので、誰も本当のことは知らないと言ってよいのではないかと思う。
 自分の調べたことをもとに推論を立て、あれこれ考えてみる。スケールモデル製作にもちょっと通じるね。

日隈城1

 城というのは要塞であるから、最初は山のてっぺんに築かれたり、その後も海や川のそばなどに築かれることが多かった。自然の要害ってやつである。さらに、ここは敷地の中に大きな岩が多く、崖みたいになっている部分も多い。地形をうまく利用した城に見える。築城するには立地条件がかなり大事だったのではなかろうか、それを見抜く力がすごいよねと、Kさんと話した。

 さて、先日から石垣の写真ばかりですみません。というか、土木工事マニアか!? しかしあと少し辛抱して、中央をよくご覧ください。
 石が手前から奥にまっすぐに並んでいるでしょ? 手前はかなり土に埋もれているけれど、奥に行くにしたがって・・・ほら、見えてきませんか。これは石垣だったのではないか!! 落ち葉と土がものすごく堆積しているけど。
 私の知識では、これが築城したときの石垣かどうかもわかりませんが、なんとなくそうなんじゃないかなって感じがして・・・そう考えるだけでもわくわくする。

 こんなふうにあちこち探してみると、埋もれた石垣があちこちにみられるの!! 最近何度も来ては探し回ってたりして。掘り返してみたらきっと石垣が姿を現すんだろうなあ・・・掘ってみたいなあ!!

藪椿2

 藪椿。

 野山を歩くと、こんな椿に出会ったことはありませんか。一重で小ぶりの花がじつに清楚で、いいでしょ。古来よりお茶人が好む花です。

 写真撮っていたら、散歩のじい様が「何の写真を撮っているのか」と聞いてきた。「椿の写真撮ってるんです」と答えると(さすがに石垣の写真とは言えなかった) 「椿ね・・・もうすぐすると、ヘビが出てくるよ。で、冬が近くなると皮を脱ぐから皮が木の枝に引っかかってるよ」と説明してくれた。
 げげーっ、ヘビっ!? これからの季節は気をつけなくちゃ。石垣にはヘビに棲んでると思って間違いないよね。じい様に感謝して山を下りた。

 そういえば、「亀山(きざん)」の名前のもとになった昔話・・・その昔、この近くの寺に参詣する見慣れぬ老爺がいたが、実は亀の化身であったと・・・あのじい様もそうだったのかもしれない。

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