つれづれプラモ製作記

マイペースで作っているプラモデルのブログです

2017年04月

 ファインモールド1/48彗星に付属の人形を作っている。前回の続きで、エナメル塗料で陰影をつけているところ。

 少し乾いた段階で、エナメル溶剤を含ませた筆でぼかしていく。ブレンディングとかいうんだと思うけど、これがいまいち上手くいかない。顔色もなんかパッとしない。たっぴんさんのお手本に比較したら、泣きたくなるくらい下手だけど、「まあそのうちいつか上手くできるさ」と無理矢理自分を説得しながら先に進む。

 服や靴みたいなモノは「まあこんな色もアリよね」という曖昧さが許されるけど、皮膚の色は「生きた人間」に見えないとアウトである。
 やはり油彩じゃないと綺麗な肌にならないかなあ。あ、でも塗料のせいじゃなくて、私の色のつくり方が下手なだけかもしれませんが。

 顔なんてほんの5ミリ四方くらいのスペースに影やハイライトを入れていくと、どんどん表情が変わっていく!!
 面白くもあり、しかし難しい。
 腕の日の丸はデカール。

 男の背中。

 写真は緑色がかった色に写ってしまってるけど、実際はもう少赤みがかった色です。
 35は塗りやすいけど誤魔化しがきかず、72は小さすぎて面倒くさい。その点48はちょうどいい大きさなのかも。

 遠目にはそこそこいけてる感じがする←自己評価最大甘味
 これからもちょっとトライしていこうかな。というのも、ここのところ戦史を読んでいるので人間にも興味が出てきたんだよね。

 「雲の墓標」読みましたよ。阿川弘之さんの文章を楽しませてもらいました。
 でも、最近は戦記を読んでいるせいか、やはり文学は「フィクションの世界」という気がして客観的に味わってしまう。
 戦史を知らなければ泣けたと思うけれど、もう私はこういう美しい文学では涙は出なくなっている。こないだの芙蓉部隊の本では涙したのに。

 学徒動員の予備学生である主人公の日記の形を取っていて、心の動きがその言葉遣いや文章の乱れなどに表れるのがリアル。宇佐航空隊が出てくるのも大分県人にはうれしい。
 雲の墓標、とは何を意味するのか、主人公は最終的にどうなるのかは想像がつくけれど、その結末はやはり悲しい。



 キット付属の人形を塗装中。

 この人形は最初から人間のカタチになってるやつ。
 組み立てなくていいから楽です。モールドもものすごく深いので素人には塗装しやすい。

 今回は、AFVモデラーのたっぴんさんに教わった塗装方法でやってます。

 まず下地処理としてサフを吹き、その上からタミヤアクリルの白を吹きます。なんで白を吹くかというと塗装の乗りと発色が良くなるそうです。もちろんパーティングラインを消すなど、プラそのものを平滑にしておくのはもちろんのこと(私はそのへんいい加減だけど)。

 写真はタミヤアクリルで基本塗装したところ。
 飛行服の茶色が、ちょっと赤が強すぎたかな。実際はもっと色褪せたようなベージュがかった色だったような。
 ブーツは黒じゃなくてグレーで塗装。



 その上から、エナメル塗料で明暗を付けていく。
 この段階でウォッシングみたいにして茶色をシブい色にかえてみた。
 たっぴんさんは、顔などの皮膚は油彩を使うそうですが、私はエナメルで塗装した。独特の透明感というか鮮やかな皮膚の色は油彩じゃないと難しいみたいね。油彩は持ってるので、次は使おうかな。

 顔の横幅が広過ぎる気がするし、服のシワがいくらなんでもそれはないやろ的に深いけど、それを修正するほどの腕もないのでそのまま作る。
 でもまあ、いい感じになってきたでしょ!?
 自分ではかなり悦に入ってる。
 あともう少し手を入れて、腕の日の丸やゴーグルの色など足していけばそれなりにイイ男になる予定。

 夜遅く、小さな人形を塗装していて、ふっと我にかえると、その小ささに改めて気づく。
 でも、楽しさに大きさは関係ない。
 大きいものほど楽しいってわけじゃない。
 集中すればするほど、その世界に深く入ってゆき、幸福度が増していく気がする。


   特攻の花散りしきて春ぞ往く (宇垣纒中将「戦藻録 昭和15年5月11日」より)

 今年はまともに桜も見ないうちに、いつのまにか散っていたなぁ。

 「彗星夜襲隊」(光人社NF文庫/渡辺洋二著) 夢中になって読みました。

 美濃部少佐の芙蓉部隊について、渡辺洋二さんの熱い思いがほとばしる。隊をどうやって編成したかから始まって、その戦いの終焉までを克明に書いている。
 さて、そもそもなぜ彗星を使ったのか。

 部員はちょっと言いにくそうに代案を出す。
 「『彗星』の1P(ワンピー)なら相当ある。誰も使いたがらない機材だが」(※1Pとは熱田三二型エンジンAE1Pの略で彗星一二型のこと、同書より)


 さらに美濃部少佐は、実際に愛知航空機まで行って実際に使える機材なのかを技師に尋ねるシーン。

 技師「誰が飛べない飛行機を作りますか!!」
 少佐「それなら整備と保守を教えていただきたい。あなたの言われるとおりにやりますから」


 ほかの部隊から「使えない」と言われた機材を智慧と工夫で使いこなし・・・って、そもそもこのへんからして心躍る話じゃないですか。

 飛べない飛行機なんてあるはずがない、問題はそれを飛ばす人間や作戦にある。
 芙蓉部隊は特攻作戦をとらずに、できうる限り有効な手を次から次に繰り出していった。しかし決して指揮官の美濃部少佐は特攻を否定していたわけではないという。ただ、安易に特攻を選ぶ前にやることがあるだろう!?っていうのが美濃部少佐の考え方だったのだと思う。

 やれることを最後までやる・・・元気の出る本です。


 一昨日から二泊三日で母の見舞い。帰省してきた妹も一緒に主治医の話を聞いた。

 「実はもう、とっくに死んでいてもおかしくない状態なんですよね」と言われて愕然とする。
 それでもまだ意識もあり、会話もできる。だから余計つらい。

 このまま点滴を続けるか、それともはずして、自然に命をまっとうさせるか。
 妹と私で選択してよいことなのだろうか。神様はどう考えているのだろう。
 もう少し様子をみつつ、できれば母が自分の家という気持ちにすでになっている老人ホームに帰って静かに見送りたい。

 妹とは葬儀の段取りなども相談する。
 まだ生きてるんだけどね。でももう考えないといけない。こういうの、経験した人はわかると思うけど、けっこう辛い。

 夜は妹と居酒屋で飲む。で、最後は考え方が衝突して大激論。あああ。
 妹から見ると私はウヨクらしい。やれやれ。 
 彼女のしゃべりがグラマンの機銃掃射だとすると、私は時代遅れのレンガ投げ。まったく勝ち目はない。
 最近は少し退避行動がとれるようになってきたけど、なかなか難しい。たいがい撃墜される。

 あーあ。モデラー共と飲んだり話したりしたいなあ。最近誰とも飲んでない。オッサン濃度がどんどん薄くなって息苦しい。

 



 駐機していた彗星の後ろから西日が当たっていたはずである。ということで、そういう感じに塗装していってるつもり。
 ああー、やっぱキャノピーが完璧にズレてる。こうやって写真に撮って何度も見るのもいやになるな。

 私の持っている「私兵特攻」(松下竜一著/新潮社)によると、昭和20年8月15日の午後四時過ぎ(実際は五時近かった)、その時刻に大分海軍航空基地を離陸した11機の彗星がどの方向に向かって離陸したかが書いてある。
 当時、不発弾の場所を示す赤旗だらけの飛行場の赤旗を避けるようにして、北西に向かった直線約1000メートルが辛うじて離陸可能な滑走路であったという。

 ということは、ほとんど前方から西日が当たってることになる・・・・って、ああっ、逆方向から当たってるような塗装にしてしまってた。あーもう、どっちが前か後ろかいつも間違える←おい!!
 いかんいかん、後ろからじゃなくて前から西日が当たってたんだよね。やれやれ。

 海軍機はいわゆる「青々とした濃緑色」なんだろうけれど、私は色褪せたグリーンじゃないといやなんです。
 この大きさに凝縮したとき、たんにベタッと濃緑色に塗装するだけじゃ面白くない。もっとたくさんのいろいろな色を重ねていきたい。

 「八百キロ爆弾の重量だけでもこの穴だらけの滑走路で揚がるだろうかという不安があって、二村は三人乗りの一番機が砂塵を巻き上げて滑走路を疾走して行く様を、眼を凝らして見守った。フワッと別府湾をかすめるようにして一番機が浮揚した・・・」(同書より)

 ところで、「帽振れ」ってありますよね、あれは黙って振っていたって知ってました?
 海軍では、黙って見送るというしきたりだったそうです(「遥かなる宇佐海軍航空隊」(今戸公徳著/光人社NF文庫)より)

 戦場写真集などで写真はよく見るけれど、沈黙のうちに帽子を振っていたのか、エンジンの音だけがごうごうと聞こえていたのかと思うと、また何とも言えない気分になる。



 やり直したけど・・・あんまり変わってないか。いちばん後ろのほうが少し右側にズレてる。

 徒労感、疲労感にガックリくる。
 もういいや。見なかったことにしてください。

 下手なんだよなあ。いつまでたっても。

 「ちょっとだけよ」の、ハインドE。

 キャノピーのすり合わせが、これまた超へたくそで汚いけど、これもいい加減完成させたい。なぜかハインドのキットがあと二個増えてしまったし(汗 ここで停滞してるわけにいかん、というわけでデカール貼り始めた。

 虎模様が勇ましいでしょ? なんせ寅年ですからね私。虎アイテムは外せません。
 デカールはハセガワのよりは若干厚い感じかなあ。もうちょい薄くてもいいんじゃないかな。なーんて、いやだなあ、そこらのうるさいオッサンみたいになってるね私ったら。

 そういやー、昨日は別府でいかにも女子が好きそうな可愛いパン屋さんに行って一人ランチしたんだけど、何か妙に落ち着かなかった。味そのものはよかったんですが・・・外に出てふと「やっぱ昼は蕎麦屋か寿司屋でビール飲んだほうがいいな」と一瞬考えてしまった・・・ってやっぱオッサンやわ。


  Oh Lord tell me that I'm wrong
 I've wanted her so long
 little Robin's gone
 Oh Lord tell me I'm not right
 I wanted her tonight
 Little Robin's gone 

 神よ、教えてください、俺が悪かったのか
 ずっと俺だけのものでいてほしかったのに
 あいつは行ってしまった
 神よ、俺は間違ってたんだろうか
 今夜も、こんなにあいつを欲しいと思う
 もういないのに (“Blue Robin”/PARIS)


 昔聴いた曲がふっと頭によみがえってくるのはなぜなのか、自分でもよくわからない。
 「Big Towne 2061/PARIS」の一曲目。元フリートウッドマックのボブウェルチのバンドで、レッドツェッペリンを都会的にしたようなサウンドでめちゃくちゃカッチョいい。でもこの曲は悲しい。

 実はよみがえってきたのは「1 in ten」のほうなんだけど、CDを買って聞いてみたら一曲目で、うわーこりゃたまりません。この旋律、このシンバル。涙が出そうになった。
 こういう歌詞は、若いころは何とも思わなかったんだけど、今はもう、切々と心に響く。切なすぎる。

 悲しい、あるいは哀しい、ということが本当にわかるにはいろいろ人生経験を積まないといけないんだね。
 Blue Robin というのは、かなしきロビンとでもいう感じだろうか。人生はいつもブルー。悲しきすり合わせ。
 
 



 やっぱりハミ出してるのが気になったので剥がして、やり直し。

 キャノピーの透明パーツは一番先頭の第一風防のみが別で、あとは全部くっついている。
 このほうが初心者なんかは楽といえば楽なんだけど、すり合わせを考えると少し別になってるほうがいいような気がする。

 あと、この一体化した透明パーツを切ることを躊躇したのは、第二は後ろにずらして開けるのは当然として、第四風防は前に開けるようになってるようなんだよね。つまり、第三風防のところで、第二、第四風防すべてが重なるの。
 こりゃちょっと相当に薄く削らないと難しいのではないか!?と思ってやめた。

 あの8月15日の特攻前の写真みたいに、すべて開いてる状態を作りたかったんだけどね・・・ほかのディテールアップパーツなんかいらないから、この透明パーツを薄くしてバラバラのやつ作ってほしい。なーんて、どっかのワガママ言いたい放題オヤジ的なこと言い出したね。あたしも所詮ただのオッサンモデラーか。
 でもほんと、たまに思うよ。透明パーツの金型っていったいいくらするんだろう。500万円くらい? せいぜいそんなものかも。だったらこんなとこにグチャグチャ書いてないで、「じゃ、このお金で風防作って頂戴」なーんてポンと出してあげたら格好いいんだろうなぁ!! そういうのを本当の女って言うんだよね。でもできない。勇気ない。



 再びプラ用接着剤で接着し一晩置いて、木工用ボンドを隙間に詰め込んでまた一晩。
 こういう足踏みが辛い。

 時間の限られる日曜モデラーの方々は時間配分をもっとよく考えて作ってるんだろうな。いつも思うけど模型製作はけっこう段取りが大事だよね。
 私は時間配分考えずに、つい他のキットに手を付けて余計泥沼にはまる。

 とはいえ、少し反省したもんね、ずいぶんご無沙汰だったけどレベルのハインドEのキャノピーすり合わせを再開。プラバンはさんだりしてみたら、まあまあいい線いったと思う。
 正直楽しい工程じゃないけど、これも避けて通れぬ道。キャノピーのすり合わせ。これがもっとうまくなれば、どんなキットも作れるようになりそう(ハインドの製作記はまた別に書きます)。

 さて、一昨日、別府からの帰り、いつものように「特急ゆふ」に乗って本を読みふけっていた。
 「次の停車駅は天ヶ瀬」というアナウンスを聞いて「そろそろトイレに行っておこうか」と思い立ち上がって後ろに向かって歩こうとした瞬間、「あれ!! 私だけ!?」
 先頭車輛・四号車の乗客は私一人だった。

 確か湯布院までは四人くらいは乗ってたよな、湯布院でみんな降りてしまって誰も乗ってこなかったのか・・・ということは湯布院から1時間くらい、私、一人だったんだ・・・・。
 トイレに行きながらそのことに気づいた瞬間、何か背筋がぞーっとしてきて、怖くなってきた。

 というのも、久大線沿線って駅のまわりこそ少し明かりがあるけれど、途中ほとんど真っ暗。一体どこを走ってるのかまったくわからなくなる。トイレから帰るときがまた余計に怖かった。私の座席に「かおなし」が座ってたらどうしよう!! 先頭車輛だから運転士はいるけど、もしかして「のっぺらぼう」かもしれない!!

 ようやく日田についたときにはホッとした。天ヶ瀬から日田までの15分間の長かったこと。
 もしも全然違う世界に到着したらどうしようかと思ったよ。

 

 



 はい、尾灯のできあがりー。
 いつもクリア化を忘れるんだよね。初めて自作した気がする。



 いつもキャノピーは最後に接着するんだけど、今回は接着しておいてから塗装することにしてみた。
 右側はまあまあなんだけど、ちょっと塗装してから左側見たら・・・ありゃ、だいぶんズレてるのがよくわかる・・・許容範囲とか言ってたけど、やっぱ許容できないか!?
 もう少しぎゅっと押し付けて接着すればよかったかも。あるいはやはり胴体側を削ったほうがよかったか。最近どんどん手抜きになってる気がする。ま、ファインモールドのせいってことにしとこう←おい!!



 上面の色を塗装始めた。様子を見ながらいろいろな色で塗装していく。こういうのを格好よく言うと「情報量を増やす」とか言うんだよね。ただしいい感じになるかどうか全く見通しはたっていない。青っぽいグリーンが嫌いなのでまた海軍機らしからぬ色になっていくかも。

 この一か月あまり、一日あるいは二日置きくらいに別府へ行くので、往復四時間の車中は得難い読書タイムとなっている。

 きらら「あのさー、キトウってどういう意味か知ってた?」
 彗星四三型「何だって? キトウ? ふふふ・・・それはピストン運動に関係するモノだな」
 きらら「ああーもう違うってば。すぐにそっちに話持っていくんだから」
 彗星四三型「えっ? シリンダー(気筒)の話だろ? なんの話だと思ったんだよ(にやにや」
 きらら「もう~バカっ!! そうじゃなくて帰投だってば。帰港投錨って意味なんだってね。帰るはわかるとしても、なんで「投げる」なんだろうって確かに不思議だったのよね」
 彗星四三型「そうだ。ということは地上基地には帰投できないことになる・・・ははぁ、さては渡辺洋二さんの本を読んだな?」

 帰投には単にリターントゥベース以外の意味があったんですね。カッチョいいね。
 
 



 で、少し磨いてみましたが、あんまり綺麗じゃねぇな(汗
 実は左翼はかなり綺麗にできてます。やり直すか・・・と一瞬思ったけど、まあいいや。中津留大尉は優しいから許してくれるだろう←おい!!

 この宇垣長官特攻機の操縦は大分県出身の中津留大尉でした。上司にしたい男ナンバー1、みたいな人だったらしいです。
 悲しい歴史ではあるけれど、大分県人だったというところが誇らしくもあり、また因縁を感じる。



 というわけで上面塗装をするためのマスキングをした。

 あっ、ここ尾灯だよね? 翼端灯作ったんだからここもクリア化だよね? できるよね? 
 あーあ、なんで先に気が付かないのかなあ。
 と、お尻をガリガリ削ってクリアパーツのカケラを差し込む。痛そう。

 えっ? 垂直尾翼の付け根が汚いって?・・・そこはまぁ大人の対応で見て見ぬふりお願いします(汗)


 咲いた花なら 散るのは覚悟
 見事散りましょ 国のため  (同期の桜) 


 母のこと、実家の解体のこと、いずれも気持ちの沈むことばかり。桜を見ていてふっと胸に浮かんだのはこの歌だった。
 軍歌は嫌いな人も多いかもしれませんが、私には懐かしい。父が働き盛りの頃、飲んで気持ちよくなるとよく歌っていた。ハモニカを吹くこともあった。昭和四年生まれの父は当然、軍国少年だったのだろう。

 母の病室を見舞った帰り、父の入所している施設にも立ち寄った。
 デイサービスでほかの老人に交じって座っていた父は私を見つけると笑顔で迎えてくれるが、私が誰なのか名前などはもうわからない。話しかけると「うん、うん」とうなずくだけ。
 しばらくして私が「帰るからね」と立ち上がり、部屋から出ようとして振り返ると、うつむいている父の姿があった。けっして私を見ようとしないのは、やはり寂しいのだろうか。おそらく施設にいるのは父も寂しいのだろうけれど、それをどうすることもできないのも事実で、その父の胸のうちを思うと一層切なく悲しくなるのだった。



 主脚のブレーキパイプはいつものように伸ばしランナー。
 この大きさなら金属線のほうが質感としても良いのでは?と思うかもしれませんが、私はプラ用接着剤で接着できるほうが扱いやすくて好き。

 いつものようにハセガワのボイジャーのランナー(黒いので)を伸ばしたやつ。このランナーが無くなったらどうしよう。意外と黒いランナーって見当たらない。レベルのを伸ばしたら裂けてしまってうまくいかなかった。

 これをこんなふうに少しずつ曲げる。



 写真がいまいち鮮明でなくてすみません。

 実機写真見ながら接着し、部分的に銀色のところを塗装した。この写真の機体が果たして当時の状況そのままかどうかわからないけど、とりあえずアクセントになるので。



 で、翼端灯はガシガシ削ってどうにかツライチに近くなった。まだ少しはみ出てるか!?
 こうすると綺麗な翼端灯になるんだよねー。特に飛燕なんかはとても大きいので、やる効果が大きい。彗星はそんなに大きくないけど。それでも満足感大。

 This can't be love because I feel so well
 No songs,no sorrows,no sighs
 (中略)
 My heart dose not stand still
 Just hear it beat
 This is too sweet to be love

 これって恋? なんだか素敵な気分だから
 とりあえず、悩みも悲しみもため息もない

 でもとにかく心はじっとしていない
 とりあえず、ドキドキしてる
 これって、恋と呼ぶにはなんだか心地良すぎるの (This can't be love/Nat King Cole)


 心地よすぎても恋と思えない、でも辛すぎるともう続けられない・・・じゃどうすりゃいいんですか。
 どんな恋がいいんですか。っていうか、それって恋ですか?・・・・

 とってもしゃれた、これぞジャズ!!って感じの曲
 私はパットモランカルテットで聴いてます(ボーカルが女性なのでおすすめ)。
 いつものように意訳ですので、間違ってるかも。でも朝出がけに、この曲聴くと元気になる。

 恋にしろ、自分の好きなものは意外なくらい言葉にするのは難しい。なんで恋をするの、なんで模型を作るの・・・・
 そんな質問には答えられないよね。



 
 彗星四三型の続き。
 依然として二日置きくらいに母の病院通いが続いているので結構忙しいけど、そのかわり家にいるときは模型作れてうれしい・・・ということに気がついた。「普通の生活」のなんと素晴らしいことよ。

 きらら「はぁ~つかれた!!」
 彗星四三型「突かれた!? 誰に突かれたんか!? ええ?? 三笠か!? ハインドか!? ハリアーIIか!?」
 きらら「うぁぁ~思い出させんでよ・・・もう忘れてたのに。特にハリアー(汗」

 さて爆弾などに色を塗りました。800kg爆弾はニュートラルグレー(あ、まだ塗り分けが残ってた)、推進ロケットは軍艦色。
 あ、実は合わせ目とかきれいに消えてないところあるんだけど、写真には写らないようにしてる(汗

 脚はこれからブレーキパイプを這わせます。
 定番工作のピトー管はキットのパーツを参考にして、0.8ミリの真鍮パイプに0.5ミリの真鍮線を差し込んで再現。



 忘れそうになっていた翼端灯を作る。最近は透明パーツになってるキットが多いけれど、これは透明化されていない。けど、こういうパーツは飛ばしてなくす可能性もあるし、むしろ自分で作るほうが確実かもね、と、やせ我慢だ。

 赤と青の透明ランナーがどこかにあったはず・・・と押し入れの中をごそごそ。こういうときはガンプラが頼り。
 息子の在庫がほんの十個くらい残っているのを箱を開けて探してみたら、接着剤やニッパと一緒に作りかけが入ってるのとかいろいろあった。
 いつの日かオッサンになったら、こういうの発見して「俺も昔こういうの作ってたよなあ・・・」とか感慨にふけるのだろうか。そう思うと、あまりまじまじ見ていてはいけない気がして、そそくさと箱を閉めた。

 すべてのパーツが透明の手つかずキットがあり、そこから赤と青のパーツを拝借。悪い母だ。

 こんなふうに翼端にくっつけて整形して磨けばきれいな翼端灯ができあがるはず。ずいぶん前に飛燕作ったときにやったから、今回もできると思う。

 終戦後の特攻に対する思い入れは深いけど、模型製作はかなり浅く(汗、とにかくまず第一に完成を目指していきます。

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