さて回天基地をあとにして、昼食を取り(地元の割烹でちらし寿司を食べたらこれがもう食べきれんくらいのてんこ盛り~すべて新鮮な魚で久しぶりにこんなおいしいもの食べて生き返った。ちなみに日出町は城下カレイと言ってすぐそばでカレイが取れるので有名。これがまたものすごく美味しい、ただし旬は五月頃)、次は日出町中心部にある日出城見学へ。
まるで西方浄土につながっているのではないかと思うような、言葉を失うほど美しい別府湾の眺め。
回天搭乗員に思いを馳せたあとだったので、思わず手を合わせたくなる。
正面左端の山は高崎山、その左側が大分市、高崎山の右側は別府市という位置関係になります。
別府湾は見事に丸い湾になっていて、まるで湖のよう。
日出城大手門跡。
現在は日出小学校になっている。そう、本丸に小学校が建っているのである。恐れ多い。
城跡が学校だなんて、うらやましいなあ。
城の平面図が書いてある。
「築城:慶長六年(1961年)、縄張:細川忠興、城主:木下延俊」
ええ~っ、細川忠興って有名な人やん!? 確か細川ガラシャのダンナさんでしょ!?←そこかい
マジすか!? むしろ城主の木下延俊さんのほうをよく知らんわー。
縄張、というのは城全体の設計図のこと。地面に縄を張ったり、模型を作ったりして設計したという。
現在日出城は、天守以下ほとんどの土塀や櫓や門などは失われており、石垣のみが残っている。
あ、先日滝廉太郎の「荒城の月」は豊後竹田の岡城だと書いたけれど、実は日出城だったという説もあるそうな。そもそも瀧家は日出藩の家老だそう(木下延俊さんにも仕えた、廉太郎自身は東京の生まれ)。県内のこともいろいろ知らんことが多いなあ。
天守台だと思われる石垣。
実際の建物がないのでツマンナイと思う人もいるかもしれないけど、私はこの状態がまた大好きなんです。
「ない」と「在りし日」の想像が膨らむでしょ?
「ない」ことで、逆に「もともとあったもの」の存在が強く感じられるというのは不思議な現象だと思う。
そんなふうに感じる人とそうでない人といるかもしれないけど、人が遺跡に惹かれるのはそういうことじゃないかな。
崩れたり失われたりすることの中に物語を感じる。
おやっ、石垣の石がひとつ外れてる!!
やだなあ~すぐそういうところに目が行っちゃうのはモデラーのサガでしょうか。ここうまくできてないよって、つい指摘したりして。
細川忠興公に「お前ら嫌な性格やのう」と言われそうですね、すみません。
ちなみに、忠興公は木下延俊さんの義理の兄にあたり、その関係から縄張をしてもらったんだろうね。また、木下延俊さんは北政所の甥にあたるのだ、これも驚き。
石垣の内側には、裏込石という小さい石が入ってるのがわかる。去年、地震で崩れた熊本城の石垣を見に行ったら、この裏込石が大量に出ていた。小さい石と言っても、小さめの漬物石くらいのもあって、これらを運ぶのもなかなか大変だったと思う。
穴の上の石にはゴジラの歯型みたいのがついてるけど、あれは石を割るときのノミの跡。
石垣見てるとけっこうあちこちに残っていて面白い。
ちなみに、石垣は当時から災害等で壊れることは当然あって、それを常に修復しながら維持してきたという。そう考えると、熊本城の被害だって驚くには値しない、つねに修復しながら保存するのは日本人の歴史なんだと言ってもいいんじゃないかな。
内堀の様子。
石垣は有名な穴太衆(あのうしゅう)が工事を担当(忠興公の家臣)、野面積み(のづらづみ)で、乱積み(石を不規則に並べる)と布積み(石を横に並べて横目地を通す)の中間の布目崩し積みだそうです。
石は鹿鳴越(日出の背後の険しい山)から運んだのだという。そうだよねえ、大きな岩ってどこにでも転がってるわけじゃないもん。
おそらく築城技術は大変な高度な技術だろうから、誰でも彼でもできるわけじゃない、縄張りの構築もそうです。
長い実戦経験を積んだ忠興公だからこそできたんでしょう。
ちなみに当時、忠興公は中津城にいて鷹狩と称してときどき工事の進捗を見に来ていた、と書いてありましたが、その気持ち、なんかわかる気がするなぁ!!
自分が設計した城を満足げに眺めてる姿が目に浮かぶ。ついでに城下カレイでも食ってくか・・・みたいな?
ウィキペディアでちょっと忠興公のことを読んだけど、激動の人生だよね。ほんと戦国時代って面白いね。魅力的な人間を輩出してる。今の時代も戦国時代を取り入れたらいいのかなあと思う。緊張感が出るよね。ボヤボヤしてたら熊本県から攻められて滅ぼされるかもしれん(汗、とか。
復元された鬼門櫓。
鬼門方向がカドを取ってあります。実は現在は鬼門(東北隅)に建っていない(汗
先日の松江城作ったときに書いたけど、下見板張りという壁です。真っ黒とはいえないのがわかるでしょ? 板にスミを塗装してる感じ。石の色も参考になります。
こうした「櫓」と言われる建物が城のカドなどに建ってるのを見たことがあると思うけど、これは当然ながら戦争に備えた施設であります。
明治維新で城の建物は競売にかけられ、失われていったが(材木として使われたのかなあ)、鬼門櫓だけは持ち主がどうにかそのまま保存していたのを(それでもかなりぼろぼろになっていた)、2008年に日出町に寄付され8000万円以上かけて復元されている。
櫓の中は靴を脱いで上がって見学できる。
戦国時代にタイムスリップしたような気分になる、「突き上げ戸」
竹の棒で板戸の下部分を「ぎぎぎー」と押して上に開く。
板一枚だから、防御的には若干弱いけれど、簡単な仕組みで外がよく見える。
内堀と本丸の小学校が見えた。
美しい景色。
石垣と私。
お城の空間・・・空気感というのかな、すごく気持ちが落ち着くんだよね・・・大好き。
今、「城のつくり方図典」というものすごく面白い本を読んでいるんだけど、そのおかげでニワカお城マニアと化した私、石垣ひとつ取っても「おおー、本に書いてた通りだー」等、見ていると飽きないの。
石垣だけの日出城址で一時間以上見てましたね。よくそんなに見るとこあるなーと思うでしょうが。実はまだ立ち去りがたいくらいだったけれど、汽車の時間が迫ってきた。
冬枯れの古城のたたずまいは実にいい感じでした。これからもまた、あちこち行きたいと思います。
というわけで、今回の旅はここまでです。