今回展示会に訪問することを会長のGENさんに伝えると
「それでは陸軍第17師団の史跡を見学に行きませんか」とお誘いを受けた。
第17師団については何も知識がないけれど、古いものが大好きなので迷うことなくその「市内観光ツアー」を申し込んだ。
けんけんさんの運転で、ガイド役のGENさん、ツアー客は鈴木社長(何故かガイドより詳しい)以下五名(クルマの定員いっぱい)。
二時間弱の楽しい見学、ありがとうございました。
写真は岡山偕行社(運動公園内)。将校の会合や軍装品の販売所として使われた建物。
NHKのドラマ「坂の上の雲」に出てきたような青年将校が、颯爽と出入りしている姿が目に浮かぶ。
1904年の日露戦争後、日本の軍備増強のため創設された師団のひとつが現岡山市内の第17師団。
第一次世界大戦後に国際的軍備縮小の流れで、17師団は廃止、この岡山駐屯地は第33旅団司令部その他が置かれここから南方や大陸に出征していったそうです(GENさんに頂いた資料より) ざっくりした説明ですみません。
鈴木社長「コーヒーでも飲んで行こうよ」
怪しい一行がオタク話に花を咲かせながらドヤドヤと一階の喫茶室に入ろうとすると、何と貸切で結婚披露宴のまっただ中。美しい花嫁さんを拝んでしまいました。人生の大切な瞬間に申し訳ない。
コーヒーは飲めなくてちょっぴり残念だったけど、幸せを分けてもらえたかな。
それでも無理に頼み込んで二階部分だけ見学させてもらった。
こちらも興味深い場所だった。
GENさん「長い間何の気なしに通っていた狭いカーブだったんだけど、この壁は引き込み線からの積み下ろし資材を隠すための目隠し壁だったそうです」
一同「確かにそう言われてみると、すごく高いなあ」
まるで刑務所の壁みたいでしょ。
これは裏側に入ってみたところ。
私の大きさ(身長155センチ)に比較して、壁の高さがおわかりかと思う。
岡山大学構内に残る、レンガの建物。
さすが国立大学、構内も広くていいなあ。
現在も大学の施設として使用されている。
ツタの色を見て「紙創りのエッチングを作るときグリーン一色に塗装したらいかんですねぇ」
「いやぁ~ジオラマの参考になるなあ」「映画のセットみたい」と一同写真を撮りまくる。
ここ数日急に冷えてきたけど、この日は11月とは思えない暖かい穏やかな日。
騎兵第二十一連隊将校集会所。現在地域の公会堂として使用されている。
昔の建物というのは趣がありますね。
写真は掲載しませんが岡山大学構内に今でも厩が残っています(馬もいたよ!! 山のような馬糞も!!)
同建物の基礎部分についている星のマーク。
AFVの人達は、乗り物だけじゃなくて建物にも興味を持っている人が多く(ジオラマを作るからだろう)、そこが楽しい。
私もAFVのジオラマに触れるようになってから建物にいっそう興味が出てきた。
そもそも古い建物や城は好きだけど。
GENさんが用意してくれていた資料。
これを渡されたときは、本当にうれしかった。
飾り気のない、いかにも男の人のもてなし。心尽くしとはこういうことを言うのだと思う。
現在という時間の中に、そこだけ時間の止まったような場所。古い建物などを見て私たちが感じる不思議な感覚とか感動は、そういう時間を超えたものが目の前にあるからではないだろうか。
限られた時間の中で貴重な見学人数の中に私を入れていただき感激。忘れられない小旅行となった。
今回、もうひとつ心に残ったのは、会場で見た作品「飛燕」。
と言っても、もう作者は亡くなられた方で、なんと陸軍のパイロット・・・!!
オスプレイの世界の戦闘機エース6「日本陸軍航空隊のエース」に載っている・・・梶並進軍曹、その人なのである!!
エースパイロットじゃありませんか。それもニューギニアでサンダーボルトと空戦して29個被弾したとか書いてある。
「タマのあたるとき、嫌な音がするそうですよ」
そう話してくれたのは、この作品を現在所蔵されている松山モデラーズクラブのGちゃんさん。
Gちゃんさんは、あるとき思い立って(すでにその頃、若いとはいえない年齢だった)飛行機の免許を取ったというからそれだけでもすごいことなんだけど、そのときの教官が何とこの梶並軍曹だったそうです。
これもまた模型の神様のお引き合わせなのでしょう。
実は、会場でひときわ上手い迷彩が目についたので、「これは上手いなあ」と思ってたんだけど、そんな梶並軍曹はモデラーでもあったとは!!
まさに、大胆にして細心な人だったのでしょう。亡くなったときに奥様が作品はほとんど処分されてしまったそうです・・・ですが、「もう(教官を)引退しようか」と思っていた梶並さんに「もう一度だけこの方(Gちゃん)に教えてあげて」と言われたのも奥様だったとか。
最後の訓練生、それがGちゃんさんだったんですね。
もうそのへんで私、何となくヤバイ感じになってきて、特攻の直援をしたことがある、とか、ニューギニアでの戦闘の話とか、特攻の毎年の慰霊祭で開聞岳の近くを低空飛行して花束を落とす(恐らく海面に)役目を長い間されたとか・・・・そんな話を次から次に聞いていると、開聞岳って聞いたあたりでとうとう涙があふれてきた。
イカン。泣いてる場合じゃねぇよ!!
こんな貴重な作品を拝見できただけでも、身に余る大変な幸運なのに。
実に鬼気迫る、迫真の飛燕でした。
梶並軍曹の話は半日くらいじっくり聞きたかったです。
GENさんの見学ツアーの途中で誰かがふとつぶやいた。
「もし模型をやっていなかったら、今日こうしてご一緒することもなかったよね」
人は強く求めればそれに出会うようになっているのではないだろうか。求めて求めてひたすら歩いていけば、きっと出会うに違いない。
それではまた、どこか別の場所で、お会いしましょう。
(写真は、主催者から頂いたファインモールドのシートベルト)
最後までレポートを読んでいただきありがとうございました。
「それでは陸軍第17師団の史跡を見学に行きませんか」とお誘いを受けた。
第17師団については何も知識がないけれど、古いものが大好きなので迷うことなくその「市内観光ツアー」を申し込んだ。
けんけんさんの運転で、ガイド役のGENさん、ツアー客は鈴木社長(何故かガイドより詳しい)以下五名(クルマの定員いっぱい)。
二時間弱の楽しい見学、ありがとうございました。
写真は岡山偕行社(運動公園内)。将校の会合や軍装品の販売所として使われた建物。
NHKのドラマ「坂の上の雲」に出てきたような青年将校が、颯爽と出入りしている姿が目に浮かぶ。
1904年の日露戦争後、日本の軍備増強のため創設された師団のひとつが現岡山市内の第17師団。
第一次世界大戦後に国際的軍備縮小の流れで、17師団は廃止、この岡山駐屯地は第33旅団司令部その他が置かれここから南方や大陸に出征していったそうです(GENさんに頂いた資料より) ざっくりした説明ですみません。
鈴木社長「コーヒーでも飲んで行こうよ」
怪しい一行がオタク話に花を咲かせながらドヤドヤと一階の喫茶室に入ろうとすると、何と貸切で結婚披露宴のまっただ中。美しい花嫁さんを拝んでしまいました。人生の大切な瞬間に申し訳ない。
コーヒーは飲めなくてちょっぴり残念だったけど、幸せを分けてもらえたかな。
それでも無理に頼み込んで二階部分だけ見学させてもらった。
こちらも興味深い場所だった。
GENさん「長い間何の気なしに通っていた狭いカーブだったんだけど、この壁は引き込み線からの積み下ろし資材を隠すための目隠し壁だったそうです」
一同「確かにそう言われてみると、すごく高いなあ」
まるで刑務所の壁みたいでしょ。
これは裏側に入ってみたところ。
私の大きさ(身長155センチ)に比較して、壁の高さがおわかりかと思う。
岡山大学構内に残る、レンガの建物。
さすが国立大学、構内も広くていいなあ。
現在も大学の施設として使用されている。
ツタの色を見て「紙創りのエッチングを作るときグリーン一色に塗装したらいかんですねぇ」
「いやぁ~ジオラマの参考になるなあ」「映画のセットみたい」と一同写真を撮りまくる。
ここ数日急に冷えてきたけど、この日は11月とは思えない暖かい穏やかな日。
騎兵第二十一連隊将校集会所。現在地域の公会堂として使用されている。
昔の建物というのは趣がありますね。
写真は掲載しませんが岡山大学構内に今でも厩が残っています(馬もいたよ!! 山のような馬糞も!!)
同建物の基礎部分についている星のマーク。
AFVの人達は、乗り物だけじゃなくて建物にも興味を持っている人が多く(ジオラマを作るからだろう)、そこが楽しい。
私もAFVのジオラマに触れるようになってから建物にいっそう興味が出てきた。
そもそも古い建物や城は好きだけど。
GENさんが用意してくれていた資料。
これを渡されたときは、本当にうれしかった。
飾り気のない、いかにも男の人のもてなし。心尽くしとはこういうことを言うのだと思う。
現在という時間の中に、そこだけ時間の止まったような場所。古い建物などを見て私たちが感じる不思議な感覚とか感動は、そういう時間を超えたものが目の前にあるからではないだろうか。
限られた時間の中で貴重な見学人数の中に私を入れていただき感激。忘れられない小旅行となった。
今回、もうひとつ心に残ったのは、会場で見た作品「飛燕」。
と言っても、もう作者は亡くなられた方で、なんと陸軍のパイロット・・・!!
オスプレイの世界の戦闘機エース6「日本陸軍航空隊のエース」に載っている・・・梶並進軍曹、その人なのである!!
エースパイロットじゃありませんか。それもニューギニアでサンダーボルトと空戦して29個被弾したとか書いてある。
「タマのあたるとき、嫌な音がするそうですよ」
そう話してくれたのは、この作品を現在所蔵されている松山モデラーズクラブのGちゃんさん。
Gちゃんさんは、あるとき思い立って(すでにその頃、若いとはいえない年齢だった)飛行機の免許を取ったというからそれだけでもすごいことなんだけど、そのときの教官が何とこの梶並軍曹だったそうです。
これもまた模型の神様のお引き合わせなのでしょう。
実は、会場でひときわ上手い迷彩が目についたので、「これは上手いなあ」と思ってたんだけど、そんな梶並軍曹はモデラーでもあったとは!!
まさに、大胆にして細心な人だったのでしょう。亡くなったときに奥様が作品はほとんど処分されてしまったそうです・・・ですが、「もう(教官を)引退しようか」と思っていた梶並さんに「もう一度だけこの方(Gちゃん)に教えてあげて」と言われたのも奥様だったとか。
最後の訓練生、それがGちゃんさんだったんですね。
もうそのへんで私、何となくヤバイ感じになってきて、特攻の直援をしたことがある、とか、ニューギニアでの戦闘の話とか、特攻の毎年の慰霊祭で開聞岳の近くを低空飛行して花束を落とす(恐らく海面に)役目を長い間されたとか・・・・そんな話を次から次に聞いていると、開聞岳って聞いたあたりでとうとう涙があふれてきた。
イカン。泣いてる場合じゃねぇよ!!
こんな貴重な作品を拝見できただけでも、身に余る大変な幸運なのに。
実に鬼気迫る、迫真の飛燕でした。
梶並軍曹の話は半日くらいじっくり聞きたかったです。
GENさんの見学ツアーの途中で誰かがふとつぶやいた。
「もし模型をやっていなかったら、今日こうしてご一緒することもなかったよね」
人は強く求めればそれに出会うようになっているのではないだろうか。求めて求めてひたすら歩いていけば、きっと出会うに違いない。
それではまた、どこか別の場所で、お会いしましょう。
(写真は、主催者から頂いたファインモールドのシートベルト)
最後までレポートを読んでいただきありがとうございました。