「なんちゃってJMC」のレギュレーションに「旧作はご遠慮ください」と表記していたところ、「旧作というのは、ハセガワの旧キットという意味ですか」という問い合わせがお二人からありました。
そうではなくて、「あなたが以前に完成させた作品」という意味です(レギュレーションを手直ししておきました)。
ただし、未完成の作品を完成させて出すのはOKです。
俗に未完成品を「放置プレイ」などとも言いますが、最近何人かの方からは「塩漬け」という表現も聞きました。
ところで私は「粕漬け」のほうが好きですが・・・(汗
ともかく、今夜はまだ喉が痛くてお酒も飲めない長い夜ではありますし、昔作ったハセガワキットの話でも聞いてください。
毎日座って六時間、真面目にノートを取っていると背中が痛くなるし精神的に疲労困憊、月曜から金曜まで休みもないし。
ああでも、ここをお読みの方々はほとんど毎日お仕事、土曜だって休みなんかねぇよって人もいるんでしょうね、しかもどんなに疲れても毎日忘れずに拙ブログを読んでくれている奇特な方々なのですよね。毎日仕事をする、というのは別に驚くことではないように思われてますがそれがいかに過酷なことなのか、少しだけわかった気がしました。
いつも「オッサン」呼ばわりしてごめんね。
この1/48流星改は、2009年に完成したもの。
国籍マークや尾翼の白い線などは塗装です。頑張ったんだよ~
初めて作ったプラモは1999年に作ったタミヤの1/48零戦21型だけど、初めて作ったハセガワキットは72のコルセアだった、というのはこれまでに何度も書きましたね。ただし「ハセガワのキットを作ろう」と意識して買ったのは、まだその後・・・2001年のこと。
近所の模型屋が「ハセガワのキットは合いが悪いし分割が変。作るのはやめといたほうがいい。はっきり言ってきららさんには難しいよ」とさんざん言うので、「本当にそうなんだろうか」と疑いの気持ちを日々募らせていた私。
ある日たまたま店番がおじいちゃんに変わっていた日を見逃さず、こっそりこのキットを買ったのである(実はこの話はスケビのコラムにも書いた。ごめんなさい)。
作ってみると初心者である私には、どこが作りにくいのかよくわからなかった。
このコクピットがかっちょええ~!!と、すごく感動したのを覚えている。爆弾架が再現されてるのも興奮。
スケビの作例を見よう見まねで、伸ばしランナーの「配線もどき」をちょっぴりしているのが、うれし恥ずかし。
コクピットの「押し出しピン跡」が多かったけど頑張って消した。
しかしその後、いわゆる「士の字」にしてから完成までが長かった。
この写真で見ると、別に大した段差もなさそうなんだけど、合わせ目を綺麗にする技術が当時の私にはなかった。
パテのてんこ盛りでどうしようもならなくなり、そのまま放置、もう捨てたいけど捨てるのももったいないしな、周りの男共にも「作っちゃえばいいのに」と言われ、ついにアクリル塗装を全部落とし、ラッカーで塗装して大阪JMCに持って行ってハセガワの人に見てもらった(JMCに参加したわけではない)。
この間に流れた時間はじつに8年。
八年前に寝た男のことになんか覚えてもないのに、流星改のことは八年間片時も忘れたことはなかった・・・かどうかは怪しいですが、私の塩漬け話でした。
放置中の模型が五つ六つあるのは、モデラーのたしなみ。
ましてや、ちょいと箱開けて仮組してみて箱に戻した、なんてのは「塩漬け」とも言えないでしょうか。
そうではなくて、「あなたが以前に完成させた作品」という意味です(レギュレーションを手直ししておきました)。
ただし、未完成の作品を完成させて出すのはOKです。
俗に未完成品を「放置プレイ」などとも言いますが、最近何人かの方からは「塩漬け」という表現も聞きました。
ところで私は「粕漬け」のほうが好きですが・・・(汗
ともかく、今夜はまだ喉が痛くてお酒も飲めない長い夜ではありますし、昔作ったハセガワキットの話でも聞いてください。
毎日座って六時間、真面目にノートを取っていると背中が痛くなるし精神的に疲労困憊、月曜から金曜まで休みもないし。
ああでも、ここをお読みの方々はほとんど毎日お仕事、土曜だって休みなんかねぇよって人もいるんでしょうね、しかもどんなに疲れても毎日忘れずに拙ブログを読んでくれている奇特な方々なのですよね。毎日仕事をする、というのは別に驚くことではないように思われてますがそれがいかに過酷なことなのか、少しだけわかった気がしました。
いつも「オッサン」呼ばわりしてごめんね。
この1/48流星改は、2009年に完成したもの。
国籍マークや尾翼の白い線などは塗装です。頑張ったんだよ~
初めて作ったプラモは1999年に作ったタミヤの1/48零戦21型だけど、初めて作ったハセガワキットは72のコルセアだった、というのはこれまでに何度も書きましたね。ただし「ハセガワのキットを作ろう」と意識して買ったのは、まだその後・・・2001年のこと。
近所の模型屋が「ハセガワのキットは合いが悪いし分割が変。作るのはやめといたほうがいい。はっきり言ってきららさんには難しいよ」とさんざん言うので、「本当にそうなんだろうか」と疑いの気持ちを日々募らせていた私。
ある日たまたま店番がおじいちゃんに変わっていた日を見逃さず、こっそりこのキットを買ったのである(実はこの話はスケビのコラムにも書いた。ごめんなさい)。
作ってみると初心者である私には、どこが作りにくいのかよくわからなかった。
このコクピットがかっちょええ~!!と、すごく感動したのを覚えている。爆弾架が再現されてるのも興奮。
スケビの作例を見よう見まねで、伸ばしランナーの「配線もどき」をちょっぴりしているのが、うれし恥ずかし。
コクピットの「押し出しピン跡」が多かったけど頑張って消した。
しかしその後、いわゆる「士の字」にしてから完成までが長かった。
この写真で見ると、別に大した段差もなさそうなんだけど、合わせ目を綺麗にする技術が当時の私にはなかった。
パテのてんこ盛りでどうしようもならなくなり、そのまま放置、もう捨てたいけど捨てるのももったいないしな、周りの男共にも「作っちゃえばいいのに」と言われ、ついにアクリル塗装を全部落とし、ラッカーで塗装して大阪JMCに持って行ってハセガワの人に見てもらった(JMCに参加したわけではない)。
この間に流れた時間はじつに8年。
八年前に寝た男のことになんか覚えてもないのに、流星改のことは八年間片時も忘れたことはなかった・・・かどうかは怪しいですが、私の塩漬け話でした。
放置中の模型が五つ六つあるのは、モデラーのたしなみ。
ましてや、ちょいと箱開けて仮組してみて箱に戻した、なんてのは「塩漬け」とも言えないでしょうか。