つれづれプラモ製作記

マイペースで作っているプラモデルのブログです

2013年04月

 今年のハセガワJMCが中止になったそうです。

 公式HPよりも先に、JMC会員にまずお知らせの手紙が行ったようで、そこがハセガワらしいなあと思いました。
 私は4回、JMC会場に見学に行きましたが、まだ参加したことはありません。
 今年こそは・・・と思ってキットを買っておいたのに!!

 実は、今年は岩国航空祭(フレンドシップデー)も宿の予約までしていたのですが、中止ということで諦めました。
 飛行機モデラーならホンモノの米軍見なくちゃ、とは長い間思ってましたが、その混み具合などを聞くと二の足を踏んでたのが正直な話(人の多いところ苦手なんだよね)。
 これからますます年齢も重ねていくし、もういよいよ行くのがしんどくなりそうです。

 ←初めて作ったハセガワ製品(1/72 F4U 1999年ごろ) 残念ながらこの写真しか残っていない。現物も捨ててしまった(涙

 2007年の12月、初めてJMC大阪会場へ行ったのはスケビのコラムを書き始めた頃でした。JMC見学に行くんですがとローガン梅本さんに言うと「それなら長谷川常務(※当時)にJMCについて話聞いて書いてみろ」と勝手に私に250キロ爆弾をくくりつけ、片道燃料で送り出してしまったのです。
 当時の私はハセガワのキットなんか三個くらいしか作ったことがなくて(汗)、飛燕・・・いや、隼でB29に体当たりしろって言うようなもんでした。もう決死の体当たり攻撃。

 しかし、あのときがないと、今はないわけで、本当に懐かしい。私にとってのJMC体験はそこから始まったのでした。何となくハセガワにご縁ができたのもそのとき以来です。

 実は、JMCについての話を専務に伺ったとき、半分以上はオフレコで色々と面白い話を聞いたのですが・・・それは雑誌には書けずに悔しかった。
 今後のJMCはどうなるかわからないけれど、みんなで焼津に押しかけて行ってハセガワの人とお酒を飲んで話をするくらいのことはしてもいいような気がする。

 とかなんとか、腱鞘炎もまだ怪しくて夜になると少し痛かったりするのですが、少しずつ模型も作っています。
 模型作りそのものはそんなに指には負担にならないみたいで、一番負担になるのは塗料瓶のフタを開けるとき・・・くくぅ~なんでどれもこれも固まっているんだよ!!

 えーと、イタレリのAH-1Tなんですが、どこまで写真を公開したか、もう忘れてしまった(汗
 大したことはやってませんが、コクピットを少しだけ作りました。
 結局前席のコンソールは中に納まらなくて捨てましたが(汗)、シートベルト作るだけでも格好よくなるね。
 オモリも入れました(板鉛)。ヘリは尾部が重いもんね(実際に尻もちつくかどうかはわかんないけど)
 

 

 

 

 中四国AFVの会のレポートを長い間読んでいただき、ありがとうございました。
 腱鞘炎のため、若干書くのに手間取りました。昨日は右手が痛い気がしたので少し休んでいました。だましだまし、行くしかないようです。

 まずは、フランクザッパさんから頂いた写真(フランクザッパさん、画像加工ごめんね)。
 来年の中四国AFVの会はなんと高知で開催されるそうです!!

 聞いた瞬間、ちょっと高知までは行けないよなぁ幾らなんでも無理ですよ・・・と思ってたのだ、
 フランクザッパさんに「来年は高知で旨い酒を飲みましょう」と言われ、「こりゃ、行かねば」←単純すぎる

 皆様も是非、カツオ食べに行きましょう。

 こちらは、土居さん編集の「MMWS」の表紙掲載作品。

 作者ご本人も来ていました。
 AFVの会が終わったあと、「会場を締めます~」と主催者にせきたてられるギリギリまで、この作品をずっと眺めていました。

 人形や車輛はもちろんですが、ジャングルの樹木や地面まで実にリアルに作られていて、360度、ぐるっと見ていると本当に飽きないんです。木立の中にはテナガザル?のような猿もいました。楽しい。

 この最後尾に乗って煙草を吸ってる人は黒人兵なんだけど、この人ものすごく格好いいんですよね。見惚れていたら、おっ、なんか向こう側にもイイ男・・・金子さん発見~

 さて土居曹長とは、今回も懇親会などでお話させてもらいましたが、
 「やっぱり、ボクは雑誌作るの好きだ!!」と語ってくれました。
 「しかし九州人はなんで飲むとあんなに声がデカイんでしょう」と私が言うと
 「南に行くほど声がデカくなるよね」と同意してくれました。

 私の腱鞘炎のことも心配してくれて
 「ハセガワのホーネット作ったら腱鞘炎になったんです。なーんちゃって」と私が冗談のつもりで言いますと、
 「ハセガワのプラは硬いからね、それはあるかもしれない」と真顔で心配してくれました。すみません。

 同作品。中心部分の密度感がすごい。

 「MMWS」は現在第二弾を鋭意制作中だそうですが、ゲストの作っている新しい雑誌や本などの情報が得られるのもAFVの会の良さ。
 金子さんが制作中のタミヤのインストについての本の紹介もありました。こちらも面白そう。

 タミヤの田宮会長とは、去年10月に銀翼会と九州AFVの会に続いてお会いできました(TSAMさん撮影)
 この写真で見ると、なんか視線がアヤシイ。

 こんにちは、と挨拶もそこそこに、
 「今ねぇ、模型メーカーはどこも大変なんですよ」と言われるので、少し驚きましたが、もしかして私が行きつけのスナックのママに似てたのかもしれない。
 そこで私がおしぼりでも渡しながら「田宮さんも大変なのねぇ」とか言えばもっと秘密が聞き出せたのかも(汗。

 大和ミュージアムの前にて。(けんけんさん撮影)
 ヤマタクさんが何かものすごく面白い話をして柴田さんたちを笑わせているのに全く気付かず、陸奥のスクリューに夢中な私(汗
 基本的に、こういうところに行くと、自分の世界にはいっちゃうんですよね。
 せっかく滅多に会えない方々と一緒に行ったのに・・・

 陸奥は、謎の死をとげた戦艦なんですよね。このスクリューに聞いたら真実がわかるかもしれない。
 フネの生涯をひもとくと、あたかも一人の人間の生涯を見るような気がする。特に戦艦なんて劇的だよね・・・

 フネを擬人化して主人公にした話を書いても面白いかも。
 大和ミュージアム見聞記で私の撮影していた日章旗ですが、あれは長門のもので、長門は原爆実験に使われて沈没したとのことです。
 この話は金子さんに聞いたのですが、何ともやるせない思いでいっぱいになりました。

 さて、福山から二週間たつのになかなか話が終わりません。

 帰りは呉から広島駅に送ってもらいました。
 東に帰る人と西に帰る人と新幹線乗り場でふたつに別れる。いつものように、「それじゃ、また」と、男共との別れは本当にあっけない。

 でも今回は、「来月、静岡で!!」と言う言葉が追加されているので、寂しさが少しだけ軽くなった気がした。
 それでも三日間行動を共にした人もいるんだよね。心の中では寂しくて泣けてきちゃう。

 九州新幹線に一人で乗り込むと、再び「一人旅の人」に戻る。
 大和ミュージアムの余韻に浸りながら。

 日田駅。午後九時頃到着。

 二両編成の普通列車(もちろんディーゼル)を終点の日田で降りる人はほんの数人。静かな暗闇が待っていた。

 さあ、それでは、今回の旅はこれでお終い。またどこかでお会いしましょう。



 そういえば大和ミュージアムに零戦があるとは誰かが言ってたような気がしたが、不覚にも対面するまですっかり忘れていた!! いかん、心の準備ができてない!!

 何気なく展示室に入ると、そこには零戦63型が待っていた・・・・あぅ!!不意打ち。

 誰かがぽつりと「52型と63型ってどこが違うんかなぁ」
 私「えーとえーと(汗)、まずこの機銃が片側にふたつついてるってことでしょうか・・・それと、爆弾を吊るせるようになってることと、63の3ってことは、エンジンが違うんじゃないかなと・・・」
 しどろもどろでつぶやいていると、AFVモデラーご一行はさっさと次の展示品のほうへ。
 まっ、待ってくれよぅ~抜き打ちテストがあるとは思ってたなかったんだよぅ、予習してくるの忘れてたんだよぅ~

 ここをご覧の方は飛行機モデラーが多いと思いますが、52型と63型はどこが違うのかスラスラと答えられる人は何パーセントいるでしょうか。えっ、そんなのみんな知ってる?(汗

 そういえばこの機体・・・いつか宿敵・あべさんが作ってたなぁ。ハセガワの1/48のやつ。でもあべさんのはスピナーが赤かったような。なんでこんなこと覚えてるんだろう。宿敵なのに。悔しい。

 エンジン、栄三一甲。

 説明文によるとやはり減速ギヤケースに「サカエ」と浮彫してあるそうだ(ここからは見えないけど)、鹿屋の零戦もそうだったもんね。エンジン作り込む人は、ぜひ再現してみよう。



 おおー、機銃だー弾倉がついてるとかっちょええねー。

 ちなみに、13ミリ機銃追加や爆弾懸架装置は、52型丙からの装備らしいです。
 63型は、エンジンが換装されカウリングがさらに太くなったことと、スピナーが長くなっていること、爆弾懸架装置が主翼埋め込み式になっていることが、52型との違いかなあ・・・(「エアロディテール」/大日本絵画より)
 初号機昭和20年五月完成らしいので、どれだけ実戦に使われたのだろうか。

 飛行機モデラーが大好きな照準器。

 何度見てもきれいな形してると思う。

 あーん、みんなどんどん先に行っちゃうんだからぁ~ちょっと待ってくれよぅ~(涙

 でも、AFVモデラーと零戦。いいショットでしょ。

 排気管。こうやって一本だけ取り出してみると面白い。
 こんな形をしているのだね。

 知りませんでした。

 この機体は琵琶湖に沈んでいるところを引き揚げられ、嵐山博物館というところにしばらく置いておかれた機体のようです。

 美しかった21型から、どんどんエンジン換装したり無理矢理爆弾積んだりして、本当に痛々しいとも言えますね。
 今、つくづく写真を眺めながらそんなことを思っています。

 それにしても、復元機だからなのかよくわかりませんが、零戦って外板ベコベコしてるよね。
 ベコベコっていうと少し大げさだけど、少なくとも平らではない。
 今度は、この感じを再現しないといけないなあ。でも72じゃ無理か。48でもうまくやらないと「よれよれ」になっちゃうかな。

 上からも見られるようになっているのはいいですね。
 こういう大物の場合、下から見上げるのとは全然違うし、大きさがすごくつかみやすい。

 普段見てるモデラーの目線。

 展示室全景。

 残念ながら、展示機のまわりにはチェーンが張り巡らされていて近づけなかったんですが、私一人だったら乗り越えただろうな。
 でも、引率の先生・・・金子さんやヤマタクさんに叱られそうだったので、やめた。みんなに迷惑かけちゃうもんね。

 ご覧のとおり、魚雷とか回天とか色々な展示物もあり、正直言って、この展示室だけで私は一時間くらいいてもいいなあという感じでした。
 本当に、しばらく零戦のそばにいたかった。

 やっぱり実物には、何物にもかえがたい良さがあるよね・・・。

 さて、おぢさん達のあとを必死で追いかけていくと、何か子ども向け?のような楽しい実験コーナーのようなもので遊んでいるぞ!!

 「船をつくる技術」を簡単に学べるコーナーで、一応子どもでもわかるようになってますが、もちろん大人も楽しい。
 たっぴんさんが、フェリー操縦に挑戦してました。

 上手に呉港に接岸しましたよ。
 もちろん、「指導教官」(定年後と思しき年齢の方でボランティアかと思われる)がそばで指示してくれるんですけど・・・

 ほかにも色々楽しい体験ができるようになっていて(伝声管のモデルとか。ここで「愛してるよ」とか告白するのもお勧め)、大和ミュージアムってデートスポットとしてもいいなあと思いました。
 が、そういえば誰かが「家内を大和ミュージアムに連れていったらめっちゃ不評だった」と言ってたなぁ。

 私なら例えば、飛行機モデラー(53歳)と一緒に平日の人の少ないときに行って、52型と63型の違いをゆっくりと教えてもらいながら零戦のそばで、チューしたり・・・きゃー(赤面)、そういうのいいなー。外を散歩しながらでもいいし←おい

 三階には、ちょうど「てつのくじら館」が見渡せる気持ちのいいデッキかあります。

 きらら397甲型と、AFVモデラーのめんめん。
 どことなく寂しそうな気配が漂っているのは、遠足も終わりに近づいてきたから。
 
 おうちに帰りたくないよー、お友達と別れたくないよー!!
 そんな気分なんです。

 レポートもほとんどお終いですが、おまけ画像がありますので、明日をお楽しみに。 

 「てつのくじら館」(時間が足りなかったので、ここは見学していません)

 さて、AFVの会もいい天気だったけれど、翌日月曜日も模型の神様がニッコリ微笑むさらに上天気、今回の大人の遠足は「呉の大和ミュージアム」へ(毎回、AFVの会主催者メンバーがどこかに連れて行ってくれたりするのだ)。
 九時に集合して、だらだらとファミレスへ向かい朝ごはんを食べる。朝っぱらからミリタリーな話題で話のタネは尽きない・・・が、ここで注意しとかないとお尻に根が生えちゃうので、くりさんが「さぁみんな出発するよ!!」と号令をかける。
 ヤレヤレそれでは行きましょうか、よっこらしょと立ち上がりクルマ四台を連ねての遠足の始まり始まり~
 途中、あれ、○○さんのクルマが来ないなぁ~携帯に電話してみようか、でも○○さんの電話番号知らんしなぁ~・・・って(汗
 どんだけユルイんですか。でもこのゆるさがいいんだよ。 心も体も弛緩しまくり、誰も私らをせかす人はいない。頭の上には気持ちのいい風が吹いている。

 高速のサービスエリアで休憩をとったとき、ふと。青空を眺めながら、誰かが言ってた。
 「普段もねぇ、仕事のときこんな天気だと、どっか行っちゃいたいなぁって思うことあるよ、ハハハ」
 誰しも、そんな気分のときってあるんだね。
 私は、モデラーとは休日にお会いすることしかないので、普段どんな顔して仕事してんのか想像もつかないけど。みんな「キリっ」としてるんだろうなあ。さぞかし。

 ところで私、昔から男の人がクルマをバックさせてるとこに魅力を感じるんですが、先日テレビでも言ってたけど大抵の女性はそう感じるらしい。
 だから、女性にもてたい人は、どんどんクルマをバックさせるといいよ。

 陸奥の41センチ主砲身。室蘭にて製造されたそうです。

 砲身そのものより、この付け根部分に感じちゃった。

 スクリューと私。
 見た瞬間興奮してすぐにチェーンを乗り越え、スクリューを触る私を見て、おぢさん達は苦笑。さすがオトナ、チェーンを乗り越えるなどという違法行為?をする人はいない。

 戦艦陸奥のスクリューです。
 1/700のは、ちっちゃ~いパーツだよね。
 本物はこんなに大きいんです(私は身長155センチ)。
 シマシマ模様がついているのが綺麗。ハマグリの模様みたいだね。

 なぜスクリューは金色なのでしょう。それは、使用されている金属が金色だからだそうです。

 これはイカリ? これもデカイなー、すげぇ・・・なんかオブジェみたいで素敵ですね・・・

 びっくりして写真ばかり撮ってる私を後目にみんなどんどんミュージアムの入り口に入っていく・・・あっ、置いて行かないでぇ~

 ミュージアム入口。

 今回は企画展「海軍記録画 後期展」をしていました。これもなかなか見応えあったよ。
 入館料は800円でした(常設展とのセット)。

 入るとすぐに巨大な1/10大和が鎮座しています。

 私は見た瞬間涙が出そうになったら恥ずかしいなと思ったけど、トイレに行ったりしてるうちにおぢさん達とはぐれそうになって、あわてて追いかけたりして、涙の出るヒマがなかった(汗

 でも、本当に大きいよね。見応えがあります。木甲板が美しい。

 大和としずかにご対面。

 静かに心の中で合掌。

 石坂浩二さん寄贈の日章旗。

 写真を撮っている私が写り込んでいます。

 三階から
の眺め。
 まるで模型を見下ろすような錯覚に襲われる。連想するのは1/350くらいかなあ。

 三階テラスより。

 中央付近に見える、グリーンの船の手前に見える小さな船「きんせい」は駐車場からも見えるのでちょっと気になったんですが、うちに帰ってから調べてみたら「水中翼船」でした。
 昔、子供の頃、瀬戸内海に浮かぶ家島諸島に家族旅行に行ったときに乗った記憶があります。すいちゅうよくせん、ってこういう字を書くんですねぇ。
 そして、オレンジと黄色のツートンカラーのは「しんかい」だそうです。初代のやつなのかなぁ・・・

 大和ミュージアムの三階にはCG映像のシアターがあり、大和建造の技術が紹介されています。後世に役立った大和建造の技術って、なんだかよくわかんないけど、すごい!!って感じでした。

 さて、もりだくさんの大和ミュージアム見学記、明日は後編に続きます。

 私のくろがね四起三型(ハセガワ1/48)

 今回は、最近作ったこのキットを持って行きました。
 ソフトスキンだし、48なのですごくちっちゃいですが、最近は戦車の完成品がないので仕方ありません。

 でも、この小さなくろがね四起が小さな春の嵐を呼ぶことになるとは・・・・

 さて、中四国AFVの会も終了し、いよいよ懇親会です。
 今年は、田宮会長も同席され、盛り上がりも最高潮。
 何と、良い子のAFVモデラーのみんなには、会長からの素晴らしいプレゼントも用意されていました。
 48のタイガー1後期型、ティラン5、48のシュトルモビクを全員で山分けです。そして、タミヤオリジナルのワイン。

 私は、会長からは少し離れた席に座っていたのですが、ふと目が合うと唐突に
 「ハセガワのくろがね四起なんか作らなくていいから、タミヤのを作りなさい!!」と大きな声で言われるではありませんか。
 なんとなんと。
 これはどうしたことか・・・と、私は会長のそばに行きました。

 きらら「実は私、もともとプラモデルはタミヤのキットから作ったんです、48の零戦21型、ワイルドキャット、スピットファイヤ、コルセア・・・」
 田宮会長「あのねぇ~ハセガワのくろがね四起なんか作らなくていいから、タミヤのを作りなさい!!」←私の話を全然聞いてない

 どうしたんでしょう、まるで駄々っ子みたいに、同じことを繰り返す会長。

 俊作様と私(会場にて。TSAMさん撮影)

 田宮会長「ウチは京都に現存する車輛を取材して作ったんだよ。ハセガワは図面だけで作ったけどね。だいたいねー、あれは窓を開けて機銃を撃つようなクルマじゃないんだよ」

 ええっ!! そうなんですか!? 本当なの!? 悔しいけれど、今ここで確かめるすべはありません。

 ハセガワ賞。そう、私のくろがね四起は「ハセガワ賞」をいただいてしまったんです(汗
 ありがとうございました(ツール三点とハセガワエプロン)。

 というわけで、帰宅して早速ハセガワに聞いてみました。
 「図面と写真、それから石川県にある自動車博物館で「4型」を取材しています。(ハセガワのは3型です)「4型」には、窓が開く金具があるのですが、戦争当時の写真では、その金具が「3型」にも見えるそうです。」

 という回答でした。

 1/48 タイガーI後期型 の中身。

 別に田宮会長を断罪しようなどとは思いません、誰でも思い違いはあるものですし、ましてや美女を目の前にしたら・・・えっ、美女って私のことですよ・・・いいじゃん自己申告で(汗)、どんな男も「オレっちのが一番」って言いたくなる気持ちはわかります。
 でも、やっぱりものごとは双方の言い分を聞かないとわからないものだなあと思いました。
 たまたま私はハセガワに聞いたからよかったものの、普通なら「田宮会長のいうことなら間違いないだろう」と信じてしまうでしょうね。

 名誉挽回、「くろがね四起」ったらこんなイイ男に嫉妬されて、ほんと罪なヤツですね。 

 作品レポートは昨日までで終わり・・・えっ、もう終わり!? まだ行ってないのにぃ~途中でやめたらイヤ~ん、バカっ!! という人もあるとは思いますが、次のプレイ、もとい、昼食をはさんでお楽しみゲストトークの時間です。
 AFVの会は日曜日一日だけなのでスケジュールいっぱいで忙しいのだ。

 中四国は名物司会者・けんけんさんによる楽しい司会が売り物で、「本業の人かと思った。オレ、けんけんさんが模型作るって聞いたときショック受けたもん」(山田卓司さん談)とまで言われることも。
 毎回ゲストが多数来場されますが、今年は田宮会長がいらっしゃったので特に豪華な顔ぶれとなりました。

 もちろんトークのテーマは「MM世代、MMを大いに語る」です。
 実は私、新兵器「ボイスレコーダー」を導入、録音させてもらったので、帰宅後ウイスキーを飲みつつゆっくりと会場の様子を楽しむことができました。
 久々に頑張ってテープ起こしをしたので、内容を一部お送りいたします。

 司会「タミヤミリタリーミニチュアシリーズ(以下MMと記す)は1968年スタートで、今年はMM45周年だそうです。私は47歳なんで、2歳のときにMMが始まったことになります。というわけで、まずは俊作会長にMM発売のきっかけを教えていただけますか」

 田宮俊作会長「当時はモーターライズじゃないと売れない時代だったんですね。でも小さい車輛はモーターで動かせないのでどうしようかなと。
 それじゃあ、動かなくても人形置いて情景作って写真撮れば模型の楽しみになるよと。当時35ミリカメラが大流行したんですよね。日本ならではの普及です。ちなみにイギリスなんかはそんなに普及してなかった」

 司会「なるほど、そうですか・・・では今日おいでのゲストの方々にも、MMとの出会いを話していただきましょう」

 金子辰也さん「僕は1953年生まれなんで、五歳のとき(1958年)に日本最初のプラモデルが誕生しました。初めて作ったプラモデルはマルサンですね。飛行機をよく作っていたのですが、すぐにピトー管が取れちゃったりして壊れやすいけど戦車はそういうことがないということで、だんだん情景ものを作るようになっていきました。子どもには潜在的に情景という概念はあると思うんです。たとえば砂場で山作ってトンネル掘るのも情景だし、積み木で家を作って橋をかけてというのも情景です。で、大人が遊べる情景をタミヤさんが出してるわけで、砂場や積み木からすーっと入っていけるものだと思います」

 鈴木邦宏さん(ファインモールド社長)「僕は1958年生まれですから、まさにプラモデル誕生の年ですね。初めて買ったMMは歩兵セット100円でした、戦車兵セット80円というのもありましたね。当時ニットーさんのコンバット7が、絵は格好いいんだけど中身はゲロゲロでがっくりくるんだけど、MMはすごい良くできてる。シュビムワーゲンが200円、6ポンド砲が出るって時は大砲ってどんなのだろうとわくわくした。会長にお世辞言うつもりはないけどMMの申し子です。タミヤのMMなかったらファインモールドはないんですよ。タミヤニュースは3号からずっと買ってました」

 土居雅博さん「ボクは1961年生まれですので、61式戦車と同い年です。プラモより先に開隊祭のときに乗せてもらったんですよね。装填手ハッチだと思いますけどグラウンドを一周したのが戦車に目覚めた瞬間です。MMとの出会いは1971年に二号戦車が発売されたとき、すごいドキドキして買って帰ったんです。作ってそれで終わりじゃなくて、遊べるものでした。それがMMにハマったきっかけです。ボクもタミヤとMMに出会ったことで人生が決まっちゃいましたね。会長には責任取ってもらわないと」(会場爆笑)

 柴田和久さん「1962年生まれなんで、タミヤのミリタリーモデルが出た頃ですね。子供の頃はプラモが普通にある生活でした。どこにでも売ってるし、友達の家に行くと三号戦車のジオラマが置いてあって、それ見たときにトリコになってしまいましたね。たぶん1972年、四年生のとき、一番多感な時にね。当時、色んなメーカーからミリタリーモデルが出てたけど、子供心にタミヤの一人勝ちっていう印象でした。インストにも軍装とか戦史とか書いてあって、それから社員が作ってたと思うんだけどジオラマの写真も良かったですねぇ」

 山田卓司さん「(1959年生まれ)僕はわりとキャラクターものから卒業するのが遅くて、ミリタリーものにハマッたのは中学の頃ですね。タミヤのキットで初めて買ったのはアポロ1号でした。でも自発的にMM入ったクチじゃないんですよ。友達が「タイガーが格好いい!!」とか言うからオレもそういうの作るようにならないとダメだなと。タミヤの「情景を作ろう」のキャンペーンが始まって、自分で手を入れられるとこに惹かれていった。MMの歩みがそのまま僕の模型の歩みでした。当時ケッテンクラートとか知らなかったですからね、タミヤニュースの裏に何か変な絵が描いてあって、バイクなのか戦車なのかわかんないっていう」

 司会「確かにそうでしたね。当時はタミヤニュースで知りましたよね。で、そういうアイテム選びというのは俊作会長がなさってたんですか」
 田宮会長「・・・は? すみません聞いてませんでした(汗」(会場爆笑)

 司会「MMのアイテム決めは俊作会長がされてたのかと」
 田宮会長「それは取材しやすい場所にある車輛ですね。たとえばケッテンクラートとかシュビムワーゲンはどこの国の博物館でもあるわけです」
 司会「そういえば「田宮模型の仕事」の中にもアバディーン行かれたときの話がありましたね」
 田宮会長「雑誌にあまり出ていない戦車がゴロゴロあるでしょう? もう、(頭が)おかしくなっちゃうんですね」(会場爆笑)
 田宮会長「目の前にそういう戦車が全部あるから、もうシャッター押せなくなっちゃう。インストの説明文なんかはわざと難しい言葉で書きましたね。そのほうが子どもって興奮するし、完成したときのヨロコビもあるんです」
 写真は表彰式のときですが、トークのときはこれ以上の混み具合でした、

 司会「最後にMMの展望をお願いします」
 田宮会長「僕がタミヤで一番秘密を漏らす男で有名ですから(会場爆笑)、ホビーショーに出すものは、一○式(会場拍手)、1/32コルセア、ウォーターラインはヨークタウンを救助に行った駆逐艦ですね。あのね坂井三郎さんにお会いしたとき「寝るときパンツはかないんですよ」と言うんです。「冷却器をあっためちゃダメじゃないですか」って」(会場苦笑)

 司会「あのぅ会長、話締めていいですか? パンツで話を締めるとは思いませんでしたが(会場爆笑)、ここにいる皆さん、MMに人生かえられたクチだと思うんで、会長には責任とってこれからもMM続けて行ってほしいと思います。楽しいラインナップを期待しております」(会場拍手)


 私も、最前列で最初から最後まで漏らさず聞き、さらに家に帰って録音を聞くというのは初めての経験でした。大いにくつろぎながら、楽しんで聞くことができました。
 話は、パチッ!コンテストや、会長の海外取材の話、模型に理解のない家族の笑い話からロンメル・ジューコフなどという懐かしいネーミングの話、しまいにはなぜか坂井三郎さんのエビソードにまで及び、一時間半の間会場は笑いに包まれました。
 しかし、なんで「冷却器」の話になったのかなあ・・・謎。いきなり話が急降下したときには驚きましたが、まぁそれもオマケってことなのでしょう。九州人だったらもう少しウケたかも。

 この後、来場者による投票とゲスト賞の表彰式があり、まだまだ楽しい一日は続くのだった・・・

 さていよいよ、田宮会長攻略戦の模様は明日以降にお送りします。刮目して待て!!
 (腱鞘炎がまだ痛いので、あまり長い間タイピングできないのです)

 第13回 中四国AFVの会のレポートの続き。中四国に行くのはこれで四度目です。

 トランペッター1/35 SU-152

 頓挫し、遺棄された車輛。大きな弾痕が戦いを物語る。
 こういう「死んだ」車輛っていうのは、好き好きがわかれるとは思います。私は好きです。

 子どもの頃から遺跡を見ると胸がドキドキする子供でした。
 草むした礎石とか、石垣とか。かつてここにどんな人が住んでいたのだろう、ここで一体何があったのだろう・・・。そんなことを思う子供でした。もちろん化石も大好き。

 お城でも天守閣より石垣が好きです。
 こういうのを作るひともそういう感覚なのかなあ・・・。

 おおっ、フィンランドものを作ってる人がいる。

 タミヤ1/35 BT-42 汚しはエナメルだとのこと。

 今年の静岡ホビーショー、フィン空クラブブースに置いていただけることになりましたので、お楽しみに。

 ドラゴン1/35 「砂漠の三号戦車」

 砂漠の日差しの強さと乾燥した空気を感じさせる塗装。

 同作品。

 AFVモデラーって勝手気ままに適当に作ってるかと思いきや←失礼な発言
 こんなふうに、資料の中の車体を再現してるひともいます。片方だけとれたフェンダーがかっちょええね。荷物はかなり自作しています。

 いわばジャズみたいなものですね。
 インプロヴィゼイションの部分が多いので、めちゃくちゃテキトーに演奏してるように聞こえるけど、実はそうではない。
 でも、そのテキトー感、ゆるゆる感、ハチャメチャ感がないとジャズらしくない。グルーヴとかいうやつ・・・言葉にならないあの感じ・・・

 戦車も上手いひとが作るとグルーヴィになるってことでしょうか。

 トランペッター1/35 T-62(近代改修仕様)

 スラッシュアーマーとコメントに書いてあるのが、この柵みたいなヤツでしょうか。
 何か異様な迫力を感じます。
 それと、こういう単色の塗装って難しいと思う、よく工夫してるなぁ~って感心してしまう。見ていて楽しい。

 噂のガルパン。タミヤ1/35 四号D型?

 私は萌えには全然興味ないのですが、やっぱりやるからには、これくらいわかりやすいのがいいかなって思う。
 いや、ちょっとね、ドーナツとケーキに目がいっちやったんですよ。つい。

 三号戦車。

 これ実は私のチョイスではなくて、おじさま方の人気の高かった作品。
 もちろん私だって、上手だな格好いいなとは思うけれども、このズタボロのヨレヨレの戦車に親近感を抱くのはやはり身も心もオッサンでなくてばだめかもしれない。

 所詮私には遠い世界なのかも・・・
 聞いてみたことはありませんが、やっぱ戦車模型に己を投影してるんじゃないかと思うんですけどね。まぁそんなこと聞くのも野暮か。

 おやっ。こんな殺風景な戦場に不似合いな、美しい人・・・まさに掃き溜めに鶴とはこのことでしょうか。

 周りの男共の視線が笑えるでしょ。

 モデラーズフリマのプラ子さんが来場してたんです。おじさま方の戦意高揚に一役かっていました。
 

 4/14に福山にて開催されました中四国AFVの会のレポートをお送りしています。撮影はすべて私です。
 ここの展示会は名前を書かない方式なので私も作者の名前はあえて書いていません。また、会場にて投票およびゲストによる賞が決まりましたが、この中にも受賞作があります。でもあえて書いていません。後日、公式ページやアーマーモデリングにて発表されると思うのでそちらをご覧ください。

 マケット1/35 T-37A

 この乗員二人の面構えがいいねぇ。
 マケットだということは、それなりに作るのは大変だったのでしょうか。
 私はキットのことを何も知らないのでわかりませんが・・・
 綺麗に塗装してあります。

 今回のきらら的ビネット賞。

 ファインモールド他、1/35。タイトルは「扉」

 ドイツ兵、日本兵、米兵、それぞれのビネットは何か意味深で、それぞれ色んな想像ができます。
 こういうの大好き。

 同作品。

 日本兵の部分は、天井に白いプラバンが使用してあり、明りが透けるようになっている(でないと真っ暗になるでしょう)
 
 幻想的なシーンです。木の根っこが好き。

 タミヤ1/48 クロムウェルと歩兵。

 私のヨンパチ賞です。というか、タミヤ製品の宣伝!!と言ってもいいくらい、雰囲気のいい仕上がりだと思います。
 こんなの見たら思わず作ってみたくなるよね。

 クロムウェルなんてそんなに好きでもないけれど、これ見るとかっちょよく見えるもん。
 48や72の飛行機作ってると、何となく35は大きすぎるように見えちゃうんですが、48はちょうどいいんです。でもAFV業界ではマイナーなのかしら。残念です。

 ほぼモノクロと言ってよいようなジオラマ。

 泥まみれの凄惨な戦場を、あえて目をそらさず真正面に描いたジオラマ。なかなかできないことだと思います。
 倒れている兵士もいる。傷ついた兵士も・・・

 同作品。

 えてして、こういうシーンには「ポイントとして赤い色を持ってくる」などの演出をしがちですが、この人はそれをしていない。
 さりげなく、そこがすごい。

 今回は38(t)とその派生型がたくさん展示されてました。

 くくぅ~!! 38(t)大好きなのに、肝心なときに作品が完成せず・・・だめだね私。

 トライスター 1/35 38(t)E
 当然ながら綺麗に履帯をつないでいるなー。

 ちょっと目を引く女の子。

 スクラッチだそうです。/12「The Machinegun girl & beautiful flag -tokyo 1946-」
 もちろん架空設定ですが、なんだか小気味のいい作品。彼女、いい顔してるよね。

 ドラゴン1/35 「太平洋のM4シャーマン」

 錆び、そして砲塔にぐるりとつけた履帯。
 戦車ってば、こういう錆びた感じ、汚れた感じ、ボコボコにされた感じが哀愁系でいいんだよね・・・

 お疲れ様。ですよね。作った人も見てる人も、お疲れ様。

 土居雅博氏が激写中。

 土居さんは新しい本「MMWS」(イカロス出版)を作ったばかりで、すでに「2」を制作中だとのこと。
 月曜日、「遠足」に出かけるノンキな私たちをあとにして、「締切が・・・」とつぶやきながら東京へ帰って行ってしまったのだった(汗
 今月発売のスケビのスカイレーダーの作例に、さりげなく寄稿しているのをお気づきだろうか。

 ところで土居さんは三号戦車が大好きなのだという。


 さて、コメント欄でも助言いただきましたが、腱鞘炎は病院で見ていただきました(整骨院)。
 やはり、早めの受診が大事だと言われました。幸い、そんなにひどい状態ではないそうですが、しばらく細かい作業はドクターストップ(汗
 と言いますのも左指は、親指だけでなく、人差し指、小指までどんどん痛くなってきた。
 正直いって、プラモ作りとかよりも、パソコンがいちばんよくない気がします。
 展示会レポートもノンビリと進んでいきますので、すみません。

 何かコメント、補足などありましたら書き込んでいただければ幸いです。間違いなどあるかもしれません。
 
 
 

  

 先週は気温が低い日が多かったためか、腱鞘炎、目の痛みとそれに伴うわずかな頭痛など体調は若干不安なまま家を出たが、新幹線を見ると元気になる私。

 さくらさくら~今回は九州新幹線ですよ。ああ、ほんとに新幹線大好きなんだよなー。

 小倉で友人とランチしたあと、いよいよ福山へ。
 この車中でちょっと素敵な出会いがあったのですが、その話はまた後日。

 さあ、いよいよ二年ぶりの福山。

 殿様もびっくり、お城の石垣すれすれを電車が走行するの図。
 なんとも絶景ですね。

 駅からホテルはすぐ近くなのに、くりさんが「帰省してくる娘を迎えにきたお父さん」みたいな風情でわざわざ出迎えてくださいました。
 私も、久しぶりに帰った故郷でホッとしたような気分。

 くりさんは私を送り届けると、あたふたと搬入に。忙しいところ、お世話になりました。

 午後五時。

 何となくわくわくする時間。
 ホテルに着いて、ひとりになる時間。
 最高です。

 頭痛薬を飲み、少し横になったあと、七時少し前に歩いて会場へ。

 未完成チームのメンバーが準備をしています。
 私も微力ながらお手伝い。単に邪魔してただけかも(汗。

 この後、九時すぎから前夜祭に参加させてもらいました。
 三日間お酒を飲んでいなかったので、その美味しさといったら。そして、瀬戸内の海の幸は本当に体の中から癒してくれる。

 いつもテレビの番組でアホ的出演者が大口開けて貪り食う姿を見て悔しい思いをしているけれど、今夜は私が食べてやるのだ。どうだザマミロ。しかしどこをどう通ったかわかんないくらい美味しかったですね、目玉までしゃぶりつくしました。ノドグロの一夜干し。

 さて、ぐっすり眠って一夜明け、気分も爽快、もう頭痛薬も必要ない。

 会場に着くと、開場したばかりというのにすでにエントリーは長蛇の列。
 これはちょっと今日はすごそうだな・・・・

 写真ではそれほど込み合ってる感じもしませんが、とにかくこの後、どんどん人が増えてきて「九州AFVの会状態(※注)」に。

 山田卓司さん、土居さん、金子さんといったゲスト陣と挨拶をかわしたり、ちえみさんご一家、マッキさん、とおしゅうさん、わださかさん、たっぴんさんまで、とにかく知ってる人が次から次に・・・

 ※「九州AFVの会状態」・・・九州AFVの会の会場は手狭で毎年作品とAFVモデラーで息もできぬほどのすし詰め状態。それでなくても暑苦しい九州人がすれ違いざまにお尻とお尻が触れ合う「お尻合い」状態があちこちで展開される。

 というわけで、実は今回は人との出会い、おしゃべり、そしてタミヤ会長攻略戦(謎)で忙しく、写真は本当に好きな作品のみにしぼって撮りました。

 あくまでAFV素人の「感覚的に好き」という選び方なのでお許しください。また、このAFVの会ではエントリー作品は作者のお名前を書いていません(それが逆に緊張感がある)、拙レポートもあえてお名前は書いていません。

 まずは、ピンク色の土台が目を引いた今回のきらら的「土台賞」です。M109 A6 タミヤ1/35
 厳流会の会長と二人で拝見して楽しませてもらったんですが、ピンク色がこんなに似合うとは。意外でした。
 砂漠の地面や車体によく似合っています。
 土台、車輛ともに絵画的な塗装法と言いましょうか。
 日頃飛行機モデルばかり見ている目にはすごく新鮮です。

 同作品。

 砲身を支える部分・・・何というんでしょうか、その部分はスクラッチされています(キットのパーツが気に入らなかったのでしょう)。
 地面の黒い部分は日陰の表現なんですね。砂漠の強烈な日差しが感じられます。

 続いては、今回の「きらら賞」です!!

 「極楽鳥」~ガダルカナル 1942年10月某日~ ドラゴン1/35

 一番奥の兵隊が見上げる先に極楽鳥が・・・
 息を殺して進む場面に、一瞬動きが出た瞬間。


 同作品。

 上空から見ると、こんなふうに見えます。
 地面や植物を植えたりするのは、構図などはもちろん、プラモ作りそのものとは違う技術やセンスが必要な気がします。

 車輛のことは知らなくても楽しめる要素が多いのがAFVの強みかなぁ・・・
 ジオラマを拝見するのがいつも楽しみです。

 明日に続く。



 お兄様二人もクルマに乗り込み、楽しいドライブ♪の始まりです。どうにか、福山まで行けそうです。
 窓ガラスがこんなふうに開くクルマって痛快だよね。いいなあ~
 ワイパーがホコリをふき取った跡を扇型にマスキングしてつけました。

 機関銃を構えている人の顔が上向き過ぎてますね。
 あと、ナンバープレートというか、後部のライトもついてないんだけど、実は指が腱鞘炎になりまして・・・汗
 不完全だけど、もうこれで完成ということにします。ぐずぐず触っていると指が痛くなりそうだし、下手したら壊したりしそうだし。

 もうあちこち不調だらけで嫌になっちゃう。

 何度見ても小さくって可愛いでしょ。

 私の掌にもすっぽりと入ります。

 くろがね四起(3型)(インストより)
 全長355cm エンジン空冷2気筒 排気量1399cc 

 4WDなんだよ、すっげー!! 四綸起動とは四輪駆動のことだそうです。
 でもなー、2WDと4WDってどう違うんだっけ←おい!!

 まぁ、でも、いいじゃん、これはこれで。

 私は人形を乗せたかったので、オープントップにしましたけど、もちろん屋根つきにも作れます。屋根があるとまた全然感じが違います。

 操縦席もなかなかいい雰囲気でしょー。

 全体はクレオスのラッカー塗装で、幌や人形の服などはアクリルガッシュです。
 車体にはエナメルでスミ入れしました。そして、半ツヤクリアをかけているので、けっこうツヤがあります。
 実車は汚れていて艶消しだったかもしれませんが、私は小さい縮尺の場合ツヤ消しにすると沈んだ雰囲気になるので、ツヤが少しあるほうが好きなんです。
 これって、ファッションも少し通じるところがあるような気がします。

 背の小さい人は、地味な服を着ると目立たなくてパッとしないでしょ。どこかに綺麗な色を持ってくるとかしないと。
 逆に大きい人は、地味な服やシンプルな服を着ててもサマになるし、格好よかったりする。もちろんコーディネートとかによるし、いちがいに言えませんけど。

 後部座席に積んだ三八式歩兵銃が、かっちょええ~でしょ?

 手がちゃんとフィットしてないとか、実はハンドルがちゃんと装着されていないとか、そういうところには大胆に目をつぶって、格好いいところだけみてくださいまし。

 裏側はこんなふうになってます。

 私の塗装は手抜きですが、繊細な雰囲気なんですよーということをお見せしたくて。
 そもそもキットが繊細だと、私が作ってもそれなりに見えるってことです、見てるとよくわかるでしょ?

 せっかく設計した人が頑張ってるんだからねぇ。そういうのわかってあげないと・・・とか、最近多少は思うのです。
 でも、設計した人がどこを頑張ったか、というのはまだまだ私にはわからないのが辛いです。
 そういうところまでわかるようになると、もっともっとプラモは楽しくなるんだろうなあ。

 このキットはジオラマで使う脇役的なものだという感じがするかもしれないけど、単体で作ってもかなり楽しかった。
 全然違う色で塗装して並べてみたらお洒落なんだろうけどね。たとえば、彼氏がカーモデラーだったら、ピカピカのを一台作ってもらうといいかも。はぁ~←なぜかここでタメイキ。
 自分で作ったこの色は、若干黄色みが強すぎたかもしれない。日本陸軍色というのが、いまいちわかってなくて。あ、ちなみにタイヤ色も自分で作った色です。こういうとこは、やっぱ譲れないんだよね。

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