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 さて、話は先週の土曜日の朝にさかのぼる。朝九時に私を迎えにきてくれたのは、忙しい主催者でもあるくりさん。
 今日はこれから往復六時間近い運転をしてもらい、念願の松江城を見に行くのだ。

 こちらは、北西からの眺め(乾櫓跡から)、ここからの眺めもなかなか良し。
 天守の入母屋屋根がよくわかる。この巨大な屋根のうえに望楼が乗っているものを望楼型とよび、いわゆる天守と言われるもののいわば“初期型”である。このカタチを初めて作ったのが織田信長なのである。

 城内は散りゆく桜が美しかった。

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 到着したのはすでに昼近く、とりあえず念願の出雲そばをいただき、すっかり満足して、搦手(からめて)虎口(こぐち)から入る。散る桜が美しい。なんともいえずのんびりした、春の午後。右手に堀があって、船頭さんの乗っている小さな舟が周遊していた。

 搦手とは裏口のことで虎口とは曲輪(くるわ。〇の丸とかいうやつね)の入り口のこと。虎口には門があり、たいていは軍事的理由から折れ曲がっている(矢を射かけたりするため)。

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 馬洗池。

 水道のない時代は、水のあるところは大事な場所だっただろう。城内にはもちろん井戸が何か所かあった。

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 歩いていくと、おおっ、天守が見えてきた!! 興奮する。

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 夢にまで見た天守にご対面。城の規模としては、こじんまりしているし、天守の建物もコンパクトではある。しかし・・・黒くてカッチョいい。 

 この黒い板を張っているのは下見板張りと言って、質実剛健な雰囲気がするけど実際白漆喰よりも持ちがよくてコストがかからないそうです。

 天守の前にひとつ櫓がくっついていて、鉄の入り口が開いているのがおわかりだと思う。
 これを付け櫓といって、入口の部分であります。天守の建物は巨大な天守台という石の土台の上に載っているので、一階部分はかなり上、つまり入口入ったところは地下(実際は地上)ということになる。

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 付け櫓入口。あまりの喜びに、石垣にスリスリする私。とにかくうれしい。

 ここから靴を脱いで中に入る。陽気なおじさんが入口に座っていて、観光客に靴を入れる袋を配っていた。写真撮影は自由ですよ、とも。

 中に入ると、井戸があった。籠城のときに備えているのだろう。

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 突き上げ戸。窓はこれだけだから、内部はさぞかし暗かっただろうなあ。
 四角い穴に戸をつけたようなものが三個並んでいるけど、たぶん矢狭間とか鉄砲狭間とかいうものだと思う。

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 突き上げ戸から外を見る。いい感じの眺め。

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 後藤又兵衛所用と伝えられる甲冑。

 後藤又兵衛は豊臣秀頼に仕えた武将で、大阪夏の陣で戦死したが、後藤家の親戚にあたる松江藩士の家にこの甲冑が伝えられたという。
 甲冑にはまったく詳しくないけど、実にシブいですね。戦国時代の甲冑は、恐らく戦場で実際に使われただろうから、汗と血がしみ込んでいるのではないか・・・そう思うと余計にね。

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 内部は、5階建てになっていて、階段はどれも激しく急こう配。当然、敵が楽に上がって来られないようになってるわけだが、観光客も転がり落ちそうで難儀する(おまけに人がたくさん通ってるからつるつるになっている)。

 松江城は現存天守(数年前に国宝に指定)であり、当時のまま(床など摩耗の激しいところは部分的には張りなおしたりしてるところもあるかもしれないが少なくとも柱や梁は当時のまま)で、味気ないコンクリートの復元天守なんかと違って、魂がこもっている感じがして、厳かな気分になる。

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 最上階に登ると、窓のない吹き抜けの望楼であり、宍道湖が見渡せる。いやー絶景哉。

 たまたま数日前にノートルダム寺院で火災が発生したけれど、松江城でも内部に耐震?工事がされているようだった(工事資材が隅に置いてあった) 地震や火災が、今や文化財の最大の敵である。

 国宝に指定されてるおかげで、天守内部には変な張り紙やわけのわからん展示物がないのも城好きにはうれしい(前出の甲冑みたいな本当に大切な展示だけあって、それがまたうれしい)

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 帰りは、逆に大手門に下る。
 途中、二の門跡。木の標識の下にある大きな礎石、これの上に門が建っていたんですね。

 残念ながら門はない。大手門も失われている。資料が出てきたら復元されるという。うーん、資料が出てくることを祈ろう。
 ただ、門がなければないで、想像できるから私はそれでもいいんです。礎石フェチというか。

プラモ

 帰り際に土産屋で童友社の松江城をゲット。冬バージョンの箱絵はここにしかないと聞いてたから。一度作ったけど、今度はもっと上手く作れそうな気がする。

 さて、旅行記はもう少し続く。