つれづれプラモ製作記

自称飛行機モデラー・きららのプラモ製作とプラモの活動記録

意外と簡単(1/72Fw190作り比べ)

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 今朝、寝床の中でいちばんに頭に浮かんだのは、「もう四機いっぺんに作るのはやめよう、せめて二機までにしよう」ということでした。春の心地よい目覚めに似つかわしくない悩めるモデラーの朝。

 しかし、とうとう、面倒くさい冬季迷彩を塗装したよ!!(エアフィックス) 今日は私にとって記念すべき日になった。

 この冬季迷彩・・・まず下には普通のRLM74と75の迷彩で、胴体にはRLM75でモットリングも行い、ウォークウェイの黒い点線も貼っている。
 「どうせあんまり見えないから」などという言い訳は嫌いだからね。ほんと大嫌いだ。「どうせどうせどうせ・・・」っていうのは、聞きたくない。

 そして、白い冬季迷彩はエナメルにて。まるでクッキーの上に塗るアイシング(砂糖と卵の白身を混ぜたもの)みたいに、少し盛り上がってるけれども気にしない。

 こんなの私にできるかなーと思ってたけど、やってみたら意外と簡単だった。
 いやぁ~迷彩塗装って癖になるねぇ~←いきなりエラソーになる
 きっと48や32ならぜんぜん楽だろうねぇ~←いきなり上から目線

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 いちおう塗装図を参考に塗装した。何も見ないで適当に塗装するほうが難しい。

 しかし・・・ちょっと、よれよれ過ぎやん!! 筆の運び具合で個性が出ますね。つまりこれも個性ってことで片づける(汗
 筆は、ハセガワの熊野筆「ぼかし筆・長」を使った。面相筆的な先が尖ってるやつより、リアルにできたと思う。でも熊野筆はもう生産中止みたいで悔しい。

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 こっちのほうが難関だった。

 ドイツ機特有の、渦巻模様・・・デカールが新しくて貼りやすければ、デカールのほうが楽だと思った。筆で描くのはチョー難しい。
 右側のエアフィックスは根元までの渦巻で、左ハセガワのは先端だけ渦巻・・・ああ~!! 下手くそモデラーをあざ笑うがごとく、ドイツ機は変幻自在。

縮小
 ここ最近、かなり前からベストセラーになって本屋に大量に置かれているよね、私は初めて読んでみた。「君たちはどう生きるか」(岩波文庫/吉野源三郎著)

 若い読者向けに書かれた本ではあるけれど、私が読んでも面白かった。何か胸に迫る本質的なことが書かれている。ああー、私ダメだったよな・・・とか。誰しもこういう経験、全く同じではないにしても似たような悩みや事件が、かつて(そして今も)あったのではないでしょうか。

 「世間には、悪い人ではないが、弱いばかりに、自分にも他人にも余計な不幸を招いている人が決して少なくない」(おじさんのノートより)

 本当にこの世間には弱い人がたくさんいる。それだからこの世はいろんな問題が起きるんだけど、それもひっくるめて生きていかなくちゃならないのが世間というもの。まぁそれが人間らしさなのかもしれませんが・・・。

 と、他人事のように書いてますが自分がいちばん弱くてダメなんだよね。だから・・・この本を読むと涙が出てしまう。なんか最近涙が出てばかり。

男の戦い(1/72Fw190作り比べ)

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 ハセガワ新版は、少し排気管の後ろを「焼けた」感じにしてみた。吹きすぎると元も子もないので、緊張する。
 でもそういうちょっとした緊張も、いいのかもしれない。

 出来は・・・自分的には、まぁまぁかな。しかし、“自分的”以外に何があるのよ、とも思う。
 たぶん、腕組みしながらここを見ている怖~いドイツ機好きのオジサマが・・・ドイツ機好きの腕組み率は特に高いとも言われている・・・どう思ってるかなんて・・・ちょっと気になるけど・・・ま、いいや。

部屋7
 模型部屋改造計画の続き。

 観葉植物を買ってきた。
 左側がゴムの木で、右側がドラセナといいます。(実はゴムの木はすでに一年くらい前に買って他の部屋に置いていたもの)
 どちらも育てやすいと言われている品種だけど、日当たりは悪いしシンナーくさいし、劣悪な環境に順応してくれるかどうか。

 ドラセナを置いてる古びた椅子は、私が小さいころから家にあったもの。

メール
 で、こんなお洒落な模型部屋でコーヒーを飲んでいたらメールが届いた。タミヤの部品請求が届いたのだ。画面の文字が異様に大きいですか? ははは。だって見えないじゃないですか。
 ちなみに、この白い点線が貼れなくて・・・とデカールを見ながら説明したんだけど、模型屋さんも私も点線はよく見えなかった。

 ホンダジェットは四月末頃には再販されるらしいので、再度注文しておいた。Amazonに頼んだらどうですかと、ちょっぴり皮肉交じりに言われたけど、いいえアカシさんとこで買います、と答えた。
 だっていつか言ってたじゃないですか、
 「アマゾンは俺の敵だ!!」って(汗

 おおっ、男の戦いだな。

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 さあ、再度挑戦だ・・・・また失敗したらカッチョ悪いなぁと思うとドキドキする。

 見事貼りました!! 成功~!! バンザーイ!! 
 機銃も接着しました。キットのやつ。

 これがまた、タミヤが何かのマジックを使ったのかと思うくらい、ピタっとハマるのがすごい。
 自社で金型を作っているせいか。

 さてこれで明日にはこの上からクリヤを吹けるね。着々と完成に向かってこのまま行けるか!?(汗

失敗画像はまだあるよ(1/72Fw190作り比べ)

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 四機作り比べなので、脚は八本、ピトー管は四本作らなきゃならない。さすがに面倒くさい。
 左からハセガワ旧版、新版、タミヤ、エアフィックス。
 ハセガワ新版とタミヤだけ、ブレーキパイプっぽいものを這わせてみた。いつもの黒い伸ばしランナーにて。

 ハセガワ旧版とエアフィックスが変な色かもしれないけど、インスト通りの色にしたつもり。でもやっはりなんか変な気がするので、この後RLM02で塗装した(って偉そうに言ってるけど、自分で作った、“なんちゃってRLM02”です)。

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 ハセガワ新版のドルテンマン乗機は渦巻模様が描いてある。ドイツ機大好きだけど、この意味不明な渦巻模様だけは勘弁してほしい。
 一応デカール貼ってみたけど、うまく場所を決められず、動かしているうちにどんどん破れてきた。あーあ。エナメル塗料で描くしかないね。

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 同じくドルテンマン乗機の排気管のうしろに「焼けた」感じの塗装をしてみた。

 タミヤ以外は、排気管の直後のパネルが黒または焼き鉄色の塗装指示になっている。
 パネル自体がそういう色なのだろうか。

 実機写真をいくつか見てみると、確かに焼けたような変色しているものもある。
 大戦末期のドイツの機体は粗悪な燃料で煤汚れがすごかった、ということを聞いたけど、燃料からススが出てくるものなのだろうか? 日本機は粗悪な燃料だったわりに排気汚れが少ない気がするけど。

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 ハセガワ旧版のなんちゃってプリラー少佐機。

 グレーの位置がずれていたので、デカール貼ったうえから頑張って吹いてどうにかみられるようになったかな・・・と思った瞬間、間違ってマスキングテープを・・・・涙。
 ああー、確かこのバルカンクロイツはタミヤのではなかったか。
 タミヤの部品請求到着が待ち遠しい。

キレっキレ(1/72Fw190作り比べ)

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 72のフォッケウルフ四機同時製作、デカール貼り進行中。
 これはハセガワ1/72Fw190A-8の主翼、ウォークウェイの白い点線を貼ったところ。 もうキレっキレですな(汗
 切れすぎと思われるでしょうが、それはまだデカールが動かないうちに無理に動かそうとしたり、ピンセットで引っ張ったりするからでしょう。慎重で丁寧な貴方ならきっと大丈夫。

 どっちかというと、この右側のほうが下手で、左翼のほうが多少マシ。ひどいほうの写真をチョイスしてみました。先日も失敗写真でワロタ、というメールをいただいたのでリクエストにお応えして。
 タミヤの部品請求のデカールが届くのが待ち遠しい。あ、エブロのホンダジェットは残念ながら品切れとのこと。再販したら買おう。 

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 同じキットの尾翼周辺。
 ここは垂直安定板と水平尾翼にクリア塗料がこぼれたので、一度塗装を剥がして吹きなおした。
 狭い範囲でも、サフ吹いて一晩乾かして、水平尾翼は二色の迷彩、垂直安定板は下面色を吹き、とらにそれを一晩乾かしてモットリング吹付け・・・と、面倒くさいったらありゃしない。

 しかし青い帯のデカールがシワになってるのと、少し切れた部分がよくわかりますね。

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 こちらはエアフィックスのA-8。なんか筋彫りが深くて大きくてアホっぽい雰囲気ですね。私はやっぱハセガワのほうが好きだな。

 黄色い帯付近がなぜかマスキングテープに塗装を持っていかれたりして、これまた修正が厄介だった。しかもあまりきれいにできてない(汗 でも気にしない←気にしろよ

 こちらは、白い冬季迷彩にするんだけど、その前に全部デカールを貼ることにした。たぶんマーキングの上から現地で冬季迷彩しただろうから。

後方支援物資
 で、またもや後方支援。
 今作ってるものには関係ないけど。ハセガワ1/32 Fw190(旧版) 1970年

 エンジンが再現されてるらしいので、作ってみたくなった。空冷エンジンって格好いいもん。それにハセガワの昔のキットって大好きなんです。なんかオモシロい。ただ、デカールが問題・・・でもそれは塗装でなんとか・・・なるか??
 これは、箱がボロボロだったらしく、中身だけ某モデラーよりいただきました。ありがたや。

 でも、ハセガワの飛行機フォトコンテストにはこれは出せないから、困ったなあ。何作ろうかなあ・・・紫電改にしようかF-2Bにしようか。楽しく迷い中。

史跡永山城跡 災害復旧工事現場説明会

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 大分県日田市豆田町の模型屋・アカシ文具店を出てほんの数分歩いて花月川にかかる橋を渡ると、昔の代官所のあったとかいう場所の近くを過ぎ、日田林工高校(昔は甲子園にけっこう出場しているので覚えている方もあるでしょう)のそばの白い壁と堀のある場所に出る。観光客向けの駐車場にもなっている。
 ここが、月隈(つきくま)城こと史跡永山城址である(この白壁はいつ頃作られたかは知らない)。
 1601年に、小川光氏という大名が築いた城で、その後1639年に代官が着任し廃城となったと思われる。しかし、幕府(代官所)が管理していたため、荒廃するということはなかったのが幸いだった。

 ただ、天守閣をはじめ、建築物はいつのまにか失われ、現在では石垣を残すのみ。

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 ふもとは月隈公園という憩いの場になっており、城は小さな丘の上にある。

 石垣は一昨年の熊本地震で崩落。近所の人は崩れる音を聞いたとか。恐ろしかっただろうなあ。

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 例の鉄橋復旧現場からも徒歩15分くらいかな。全部私の生活圏であります。
 ただ、ここ一年以上復旧工事のため月隈城の上までは登れない状態になってたんだよね。それがもうすぐ工事が完了するというので、今日「災害復旧工事現場説明会」が行われると聞き、石垣マニアとしてはわくわくしてやってきたわけです。災害転じて福となす。めったに見られないモノを見られるんだから。

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 さて、こんな説明板も用意されていて、集まった市民は60人くらいいたかな。一日二回開催される予定で、私は午前の部に行った。説明板の後ろの青い屋根は日田林工の剣道場。
 工事は、日田の田中建設株式会社が施工、株式会社埋蔵文化財サポートシステム大分支店が施工管理。もちろん大分県からの補助金で実施している。

 受付で全員にヘルメットが配られ、A3用紙の裏表に印刷された資料を受けとる。(今回の私の文章の多くはこの資料から引用させてもらってます。あくまで私の理解で書いているので、勘違い等もあるかもしれないと思います、きちんと知りたい方は、別の資料をご自分で調べてください。)

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 文化財課の方から永山城の説明などを受け、一同ぞろぞろと登りはじめる。写真上のほうに足場が組まれているのが現場の石垣。遠くからも見えるんだけど、これまではずっとブルーシートがかかってる状態だった。

 重機を登らせるために石段が埋められているので、足元は少々歩きにくい。天気がよかったのが幸い。
 下に見える穴は、古墳時代の横穴墓。大戦中は防空壕としても使われ、また昭和の時代は近所の子供たちの遊び場にもなっていた(模型屋のアカシさん証言)。

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 登るのは10分もかからないくらいの小さな丘で、下から見えた足場の組まれた石垣のところに到着。石垣のすぐそばが崖になってるけど、ここの崖にも半分埋まった石垣が見える。
 担当の人によると、ここは9万年前の阿蘇の大噴火のときの凝灰岩の崖だそうで・・・・

 えええ~っ、阿蘇が爆発してここまで溶岩が流れてきたっちゅうことかい!? 信じられんわー。
 すごいですね、阿蘇山。スケールが違う。変なところで感動する私。

 で、この崖は切り立っているらしいんだけど、恐らく古墳時代の人が削ってそこにあの横穴を彫ったのではないかというんですよ。古墳時代の人も、なかなかやるのう。

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 ここが大手石垣と言われている部分で、大手門がこの左側にあったといわれている。左側部分の土の中にも石垣が埋まっているらしく・・・できればそれらもすべて発掘して復元してほしいものだ、と妄想が広がる。

 左隅の石などは明らかに割ってまっすぐに整形した石だけど、あとは川原石をそのまま使ったものも多く、それが特徴なのだという。もちろん、すぐ近くの花月川の石だろうね。地産地消。
 野面積みというんだと思う。味わいあるでしょ?

 この石垣の上に櫓があったのではないだろうか、という雰囲気するよね。しかし、今回発掘調査したけど、残念ながら建物の遺構は出てこなかったそうです。

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 というのも、この石垣、400年間に数回にわたって崩れて積みなおした跡があるそうで、当然櫓なんかも倒壊したでしょう・・・日本は地震多いんだなあ。

 大手石垣の上に登ったところ。これが今回の白眉で、こういう場所を見られることは普通ないんです。やったー!! って感じ。わくわくする。
 城の石垣って、表側から見える大きな石の裏に、小さい石をこんなふうに詰めるんだけど、これを裏込め石といいます。一昨年、熊本城の石垣が崩壊しているのを見学したけど、そのときも裏込め石が中から出てきているのが見えた。

 で、もともと入ってた石は丸い石でしかもけっこう乱雑に入っていて、間に土が詰まっていたそうな。そうすると水が通らなくなって石垣が崩壊しやすくなるそうです。だから今回は、こんなふうに石と石がかみ合うような形状のものを使い、また、丸い比較的大きな石(もともと裏込め石だったものの中から大きなものを選んだそう)を間に少し並べているのがおわかりでしょうか。これらは唐津城や福岡城などのやり方を参考にしているそうです。石は手を使って丁寧に詰め込まれています。こういうふうに違う大きさの石を並べることで地震などの衝撃を和らげるらしい。

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 こんなふうに、人間の手作業で細かく詰め込まれている。
 しかしこれで絶対に崩れないとは言い切れないそうで(計算することが難しいとのこと)、とにかく最善の策をとっているそうです。
 ちなみに、線路にも石を置いてあるのは、やはり衝撃を吸収するためだそうです。へぇ~すごいぞ、石!!

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 担当の人が説明してくれているところ。説明はとてもわかりやすく、上手だった。
 こちらの石垣は大手石垣ではなく、天守台(天守閣が建てられている場所)だったといわれている石垣。

 石に番号が書いてあるのは崩れた石と、その隣の石で、それらは一度取り除いて出来得る限り元通りに積みなおしたんだそうです。元あったとおりに復元するというのが基本なんだろうね。一昨年の飛燕の復元もそうだった。今回も、昔の工法で、なるべく昔のやり方で復元している。
 でもなー、昔の工法ってすごいよねぇ!! コンピューターとか機械とか何もなかったのに、どうやってそんな優れた工法を発見できたんだろう。
 石の間に小さな石を詰めているのももちろん強度のためです。

 実はこの永山城が史跡に指定されたのは、なんと一昨年の2月、熊本地震の二か月前なのである。ギリギリセーフ!?で指定され、これもまた不幸中の幸い。史跡だから今回の復元費用の予算が大分県から出たのではないかしら。
 私も含めて、何人かの熱心なオジサン共が担当者を質問攻めにしながら、ふもとに降りた。
 名残惜しかったけれど、担当者に御礼を言ってその場をあとにした。

 石垣ロマンに浸った、興味深い素晴らしい見学会だった。
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