つれづれプラモ製作記

マイペースで作っているプラモデルのブログです



 頑張って完成目指す1/72ハインド(レベルだけど中身はズベズダ)

 ローターハブ部分のコードを作った。
 今回は珍しくエナメル線を使ってみた。黒いエナメル線があればいいのにね。塗装しただけだから剥がれやすい。

 本を見てそれらしくやってみたつもりだけど。あまり参考にしないでください。
 これ見よがしにのたうってるほうがカッチョいいので、デフォルメです。

 でもカッチョいいな。これだけで満足だぁ。



 さて、それでいよいよキャノピーを接着することになったが・・・。
 今頃すり合わせって無理がある。

 ・・・合うわきゃない。
 そもそもこのキャノピーのパーツは5個もあるんだよ!! いわゆる立体パズル的な?
 天気晴朗なれど難易度高し。あ、それは三笠か・・・ああー頭の痛いキット二個も同時に作るんじゃなかったよ(三笠はエッチングパーツ取りつけ中、空中線はもうほぼ諦めている)

 前席と後席のパーツはつながってないんだよ!! ありえんわー。前席後席で別々パーツなの。
 後席のほうはもう接着したけど、前席が・・・どうも左側に大きな隙間が空くので埋めてるところ。もしかしてパーツの段階で歪んでたとか!? それとも胴体の組み立てが歪んでるのか!? ま、そんな犯人捜しはいいですよ、とにかく目の前の現実をどうにかしろ自分。
 こういうのうまく作れるようになったら、「師匠」とか言われるようになるのかな・・・ならんか・・・汗

 あーあ、だめだこりゃ。
 またキャノピーがガタガタの完成品が一個できるのかと思うと悲しい。エンジンにパイピングもしたのに(涙
 



 結局ハインドの続きを作ることにした。三笠も。
 ハインドと三笠を完成させたら、次は何を作りたいか、おのずと見えてくるだろう・・・と思う。

 風邪もまだ抜けてなくて鼻づまりでなんか思考力ゼロ。でも少しでも前に進みたい。
 作業部屋に座って、さーてやるぞと触っていたら・・・あう!! ブレードとローターハブの接続部分が折れた(汗。
 久々の作業再開で「製作中のパーツを壊す」というのは“モデラーあるある”でしょうか。

 ま、こんなのどうってことないさと、真鍮線を入れて補強しようとピンバイスでぐりぐりやってたら、ピンバイスのドリル刃がボキ!!(汗 あーもう、年間に折れるドリル刃代金もバカにならない(0.3なんかは何本も買っている)。
 久々にやると手加減がわからなくなっているのだろうか。
 何事も「ご無沙汰」はよくないですね。

 ご覧の通り表側がオリーブグリーン、裏側は黒、ブレードの端は銀色・・・と、妙にオシャレな塗り分けをしなくちゃならないので、これだけで結構時間かかる。こういうのって一色ずつ塗装して乾いてからじゃないとマスキングできないから、思ったより時間がかかるよね。
 同じようにテールローターのブレードも微妙な色分けで面倒くさかった。
 ただ、このキットはメインローターのブレードは微妙な角度がつけてあるので、自分で曲げなくてすむのがいい。前回、電気ストーブで変な形に曲げてしまったことを思うと・・・・ありがたい。



 で、ここは楽しいディテールアップ部分。
 ローターブレードが三枚以上あるやつは全関節型とか言って、ローターハブにコードを這わせているのがよく見える。こういうの見つけるとモデラーはうれしくなる。よーしここは作れるぞ、とか思って。0.4ミリくらいのエナメル線です。
 さすがにこんな部分のモールドは72といっても精密な感じでカッチョいい。

 ヘリコプターはエンジンはもちろんだけれど、この回転部分の性能が非常に大事なようです。パーツが少ないほうが整備しやすいし安価・・・と本に書いてあるけどプラモと同じだね。

 そんなわけで、1/700の三笠も再びエッチング接着中。
 あと少しの辛抱だ。

 

 

 この本読んだことありますか?(「国のために死ねるか」伊藤祐靖/文春新書)

 最近特殊部隊の本を読んでいて、アマゾンでもっと面白い本はないかと探そうとしたらこの本がすぐにヒットした。去年出てたんですね、恥ずかしながら知らなかった。
 ここを見ている方の中にはすでに読んだ人も多いと思いますが・・・。

 めちゃくちゃ面白く昨晩一気に読んでしまった。
 今までモヤモヤとしていたことやモヤモヤと疑問に思ってたことがいっぺんに晴れた気分がする。気持ちいい。

 たとえば、なぜ日本人は第二次大戦で負けたとたんに天皇陛下は神ではなくなって人間になったことを受け入れられたのかと以前からずっと思ってた。私が戦前の生まれだったら「天皇陛下は神だと思って陛下のために戦ってきたのだから、そんなことが受け入れられるかコノヤロ!!」と思い続ける気がするんだけど、そんなこと言ってる人は聞いたことがない。私だけの疑問か!?と長年悩んできたけど、これ読んで私の疑問は消えたわけではないけど自分が見当違いの疑問を持っていなかったとわかった。
 
 ほかにもいろいろあるけど、なんていうのかな・・・ああー、頭がアホだからうまく書けない、すみません。
 これは海自の特殊部隊の創設者の書いた本です。出だしの北朝鮮の工作船の話とかもまるで小説か!?っていうくらい面白い(面白いというか興奮する) 1999年3月のこの事件、みなさんは知ってますか。私は知らなかった。
 しかしこの人が七年間かかって苦労してようやく特殊部隊がカタチになってきたというとき、海自は著者を艦隊部隊に異動させようとする。
 意味が分からない。それで伊藤さんは自衛隊をやめてしまう・・・あああ~もったいない!! 人材のロス。海自のノータリン(死語)!!

 私は著者より二つ年上、1962年生まれだけど、ほぼ同年代、同じような価値観で育った。恥ずかしながら私の母は「知覧とか見学に行く人の気が知れないわ、戦争に使った飛行機なんか見るのも嫌」という人だった(汗。
 ここ十数年模型を作るようになって感じていた「モヤモヤするもの」・・・自分が日本人であるということの居心地の悪さとか愛国心って言葉に対する気恥ずかしさ・・・。それがこの本を読んでいっぺんに晴れてきた。
 何かのせいにせず、自分で考えて求めていけば、少しずつ糸はほぐれていくものなんだな!!
 こんないい本を書いてくれる人もいる!!

 とにかく興味を覚えた方はネット上の書評とかは読まずに、本屋で手に取ってみてください。ほんの800円くらいだし読んでみて感想を聞かせてもらいたいな。書き込んでいただければと思います。

 次期主力製作機の選定会議が、なかなか終わらない。

 体調も悪い。先週の金曜くらいから喉が痛く「どうせまたPM2.5のせいやろ」とタカをくくっていたら本当の風邪だったようで、結局大人の遠足の次の日くらいからどんどん悪くなり、熱はないんだけど風邪薬でなんとかしのいでいる。でも風邪薬飲むと眠くなってアホ頭が余計アホになって昼間っから眠くてしょうがない。

 実は、三月に熊本で展示会がある。3/19(日) 詳しくはこちら→ モデラーズミーティングイン熊本

 私ももちろん参加しようと思うけど、何か今からひとつ作ろうかな・・作るなら大きいほうがいいよね・・・
 ハセガワ1/32のスターファイターはどうだ!! もちろんデカールは古くて使えない。ハセガワに聞いてみたら今は絶版とのこと。うーん困った。

 コクピットを見てみる。

 いつも72を見てるので、やたら巨大~!! 
 マルヨン「ご、ごめん、きららさんが触ったら大きくなっちゃった」

 っていうくらい大きい(意味不明

 だけど、このままじゃ少し寂しいかなー・・・資料はバッチリ持ってるけど、作りだしたら大変なことになりそうな気もする。

 こちらはガンプラ、ガーベラテトラ・きらら専用機。
 いくつかパーツを切り離してたところ。

 ガンプラは塗装色をどうするか前もって考えなくちゃいけない。
 パーツばらばら状態で塗装しないといけないから。結構アホ頭にはつらい。 
 ああしようかこうしようかと、これも悩み中。

 結局これかなあ。CH-47Dチヌーク レベル1/72。

 やたらとカッチョいい箱絵。だが中身はマッチボックスなのだった・・・・またかよ!!
 ほんとにもう。
 別にマッチボックスがイヤではないんだけど、だまされそうになるのがイヤだ。
 今回はランナーにちゃんとマッチボックスって書いてあったのですぐにわかりましたが。

 CH-47って単にデカイだけの「木偶の坊」かと思って、最初はあんまり好きじゃなかったけど、実は有能なんですね。
 チヌーク「まぁね、自分で言うのもなんだけど名器・・・もとい名機だね。名器はお前のほうだったな」
 きらら「いやーん、バカっ」
 チヌーク「いいじゃねぇか、同い年だし。オスプレイみたいな不時着野郎とは違うぞ」

 CH-47が運用されたのは1962年からだそうですね。
 オスプレイはハセガワから出てるのになんでチヌークは・・・ひどい扱いだ。ほんとモデラーは回転翼機を作らないんだよねえ。
 そういえば、百機目を川崎重工が納入したという→http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170118-00010000-newswitch-ind.view-002
 たまに私の頭の上を三機編隊で飛んでくれるときがあるけど、すごい迫力でうれしい。

 あと、M-102はベトナム戦争などで使われたりゅう弾砲なんだけど、この二つのアイテムで何をしようとしてるかはもうおわかりですよね? とはいえCH-47Dじゃちょっと時代が違うかな。ま、いいや。訓練ってことにすれば。
 それより問題は人形がないってことか・・・。

 とにかくどっちを向いても問題が多い。独りで会議やってても全然決まらない。

 「城のつくり方図典」(三浦正幸著/小学館)

 これはもう、めちゃくちゃ面白かった!!
 毎晩寝る前に少しずつ読んだ。全部読んでしまうのがもったいないくらいだった。

 城をどこに建てるか、から始まって縄張、普請、作事と、実際の城を作るときの工程に沿って説明されている。
 実際の城の豊富な写真なども織り交ぜながら。

 とっても楽しいです。これ一冊でニワカお城ファンになりました。
 こないだ読んだ本も面白かったけど、こちらはぐっと詳しくて深い。石垣のところは特に私の好きな部分でもあり、詳しく説明してあったのでじっくり楽しめた。で、それを読んだうえで城跡に行くと・・・先日の日出城址のように石垣だけでも何時間でも楽しめるようになるの。



 さて回天基地をあとにして、昼食を取り(地元の割烹でちらし寿司を食べたらこれがもう食べきれんくらいのてんこ盛り~すべて新鮮な魚で久しぶりにこんなおいしいもの食べて生き返った。ちなみに日出町は城下カレイと言ってすぐそばでカレイが取れるので有名。これがまたものすごく美味しい、ただし旬は五月頃)、次は日出町中心部にある日出城見学へ。

 まるで西方浄土につながっているのではないかと思うような、言葉を失うほど美しい別府湾の眺め。
 回天搭乗員に思いを馳せたあとだったので、思わず手を合わせたくなる。

 正面左端の山は高崎山、その左側が大分市、高崎山の右側は別府市という位置関係になります。
 別府湾は見事に丸い湾になっていて、まるで湖のよう。
 日出城大手門跡。
 現在は日出小学校になっている。そう、本丸に小学校が建っているのである。恐れ多い。
 城跡が学校だなんて、うらやましいなあ。

 城の平面図が書いてある。

 「築城:慶長六年(1961年)、縄張:細川忠興、城主:木下延俊」

 ええ~っ、細川忠興って有名な人やん!? 確か細川ガラシャのダンナさんでしょ!?←そこかい
 マジすか!? むしろ城主の木下延俊さんのほうをよく知らんわー。

 縄張、というのは城全体の設計図のこと。地面に縄を張ったり、模型を作ったりして設計したという。
 現在日出城は、天守以下ほとんどの土塀や櫓や門などは失われており、石垣のみが残っている。

 あ、先日滝廉太郎の「荒城の月」は豊後竹田の岡城だと書いたけれど、実は日出城だったという説もあるそうな。そもそも瀧家は日出藩の家老だそう(木下延俊さんにも仕えた、廉太郎自身は東京の生まれ)。県内のこともいろいろ知らんことが多いなあ。

 天守台だと思われる石垣。

 実際の建物がないのでツマンナイと思う人もいるかもしれないけど、私はこの状態がまた大好きなんです。
 「ない」と「在りし日」の想像が膨らむでしょ?

 「ない」ことで、逆に「もともとあったもの」の存在が強く感じられるというのは不思議な現象だと思う。
 そんなふうに感じる人とそうでない人といるかもしれないけど、人が遺跡に惹かれるのはそういうことじゃないかな。

 崩れたり失われたりすることの中に物語を感じる。

 おやっ、石垣の石がひとつ外れてる!!
 やだなあ~すぐそういうところに目が行っちゃうのはモデラーのサガでしょうか。ここうまくできてないよって、つい指摘したりして。

 細川忠興公に「お前ら嫌な性格やのう」と言われそうですね、すみません。
 ちなみに、忠興公は木下延俊さんの義理の兄にあたり、その関係から縄張をしてもらったんだろうね。また、木下延俊さんは北政所の甥にあたるのだ、これも驚き。

 石垣の内側には、裏込石という小さい石が入ってるのがわかる。去年、地震で崩れた熊本城の石垣を見に行ったら、この裏込石が大量に出ていた。小さい石と言っても、小さめの漬物石くらいのもあって、これらを運ぶのもなかなか大変だったと思う。

 穴の上の石にはゴジラの歯型みたいのがついてるけど、あれは石を割るときのノミの跡。
 石垣見てるとけっこうあちこちに残っていて面白い。
 ちなみに、石垣は当時から災害等で壊れることは当然あって、それを常に修復しながら維持してきたという。そう考えると、熊本城の被害だって驚くには値しない、つねに修復しながら保存するのは日本人の歴史なんだと言ってもいいんじゃないかな。



 内堀の様子。

 石垣は有名な穴太衆(あのうしゅう)が工事を担当(忠興公の家臣)、野面積み(のづらづみ)で、乱積み(石を不規則に並べる)と布積み(石を横に並べて横目地を通す)の中間の布目崩し積みだそうです。
 石は鹿鳴越(日出の背後の険しい山)から運んだのだという。そうだよねえ、大きな岩ってどこにでも転がってるわけじゃないもん。

 おそらく築城技術は大変な高度な技術だろうから、誰でも彼でもできるわけじゃない、縄張りの構築もそうです。
 長い実戦経験を積んだ忠興公だからこそできたんでしょう。

 ちなみに当時、忠興公は中津城にいて鷹狩と称してときどき工事の進捗を見に来ていた、と書いてありましたが、その気持ち、なんかわかる気がするなぁ!!
 自分が設計した城を満足げに眺めてる姿が目に浮かぶ。ついでに城下カレイでも食ってくか・・・みたいな?

 ウィキペディアでちょっと忠興公のことを読んだけど、激動の人生だよね。ほんと戦国時代って面白いね。魅力的な人間を輩出してる。今の時代も戦国時代を取り入れたらいいのかなあと思う。緊張感が出るよね。ボヤボヤしてたら熊本県から攻められて滅ぼされるかもしれん(汗、とか。



 復元された鬼門櫓。
 鬼門方向がカドを取ってあります。実は現在は鬼門(東北隅)に建っていない(汗
 先日の松江城作ったときに書いたけど、下見板張りという壁です。真っ黒とはいえないのがわかるでしょ? 板にスミを塗装してる感じ。石の色も参考になります。
 こうした「櫓」と言われる建物が城のカドなどに建ってるのを見たことがあると思うけど、これは当然ながら戦争に備えた施設であります。

 明治維新で城の建物は競売にかけられ、失われていったが(材木として使われたのかなあ)、鬼門櫓だけは持ち主がどうにかそのまま保存していたのを(それでもかなりぼろぼろになっていた)、2008年に日出町に寄付され8000万円以上かけて復元されている。

 櫓の中は靴を脱いで上がって見学できる。

 戦国時代にタイムスリップしたような気分になる、「突き上げ戸」
 竹の棒で板戸の下部分を「ぎぎぎー」と押して上に開く。
 板一枚だから、防御的には若干弱いけれど、簡単な仕組みで外がよく見える。

 内堀と本丸の小学校が見えた。
 美しい景色。

 石垣と私。

 お城の空間・・・空気感というのかな、すごく気持ちが落ち着くんだよね・・・大好き。
 今、「城のつくり方図典」というものすごく面白い本を読んでいるんだけど、そのおかげでニワカお城マニアと化した私、石垣ひとつ取っても「おおー、本に書いてた通りだー」等、見ていると飽きないの。

 石垣だけの日出城址で一時間以上見てましたね。よくそんなに見るとこあるなーと思うでしょうが。実はまだ立ち去りがたいくらいだったけれど、汽車の時間が迫ってきた。

 冬枯れの古城のたたずまいは実にいい感じでした。これからもまた、あちこち行きたいと思います。
 というわけで、今回の旅はここまでです。

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