つれづれプラモ製作記

マイペースで作っているプラモデルのブログです



 はい、尾灯のできあがりー。
 いつもクリア化を忘れるんだよね。初めて自作した気がする。



 いつもキャノピーは最後に接着するんだけど、今回は接着しておいてから塗装することにしてみた。
 右側はまあまあなんだけど、ちょっと塗装してから左側見たら・・・ありゃ、だいぶんズレてるのがよくわかる・・・許容範囲とか言ってたけど、やっぱ許容できないか!?
 もう少しぎゅっと押し付けて接着すればよかったかも。あるいはやはり胴体側を削ったほうがよかったか。最近どんどん手抜きになってる気がする。ま、ファインモールドのせいってことにしとこう←おい!!



 上面の色を塗装始めた。様子を見ながらいろいろな色で塗装していく。こういうのを格好よく言うと「情報量を増やす」とか言うんだよね。ただしいい感じになるかどうか全く見通しはたっていない。青っぽいグリーンが嫌いなのでまた海軍機らしからぬ色になっていくかも。

 この一か月あまり、一日あるいは二日置きくらいに別府へ行くので、往復四時間の車中は得難い読書タイムとなっている。

 きらら「あのさー、キトウってどういう意味か知ってた?」
 彗星四三型「何だって? キトウ? ふふふ・・・それはピストン運動に関係するモノだな」
 きらら「ああーもう違うってば。すぐにそっちに話持っていくんだから」
 彗星四三型「えっ? シリンダー(気筒)の話だろ? なんの話だと思ったんだよ(にやにや」
 きらら「もう~バカっ!! そうじゃなくて帰投だってば。帰港投錨って意味なんだってね。帰るはわかるとしても、なんで「投げる」なんだろうって確かに不思議だったのよね」
 彗星四三型「そうだ。ということは地上基地には帰投できないことになる・・・ははぁ、さては渡辺洋二さんの本を読んだな?」

 帰投には単にリターントゥベース以外の意味があったんですね。カッチョいいね。
 
 



 で、少し磨いてみましたが、あんまり綺麗じゃねぇな(汗
 実は左翼はかなり綺麗にできてます。やり直すか・・・と一瞬思ったけど、まあいいや。中津留大尉は優しいから許してくれるだろう←おい!!

 この宇垣長官特攻機の操縦は大分県出身の中津留大尉でした。上司にしたい男ナンバー1、みたいな人だったらしいです。
 悲しい歴史ではあるけれど、大分県人だったというところが誇らしくもあり、また因縁を感じる。



 というわけで上面塗装をするためのマスキングをした。

 あっ、ここ尾灯だよね? 翼端灯作ったんだからここもクリア化だよね? できるよね? 
 あーあ、なんで先に気が付かないのかなあ。
 と、お尻をガリガリ削ってクリアパーツのカケラを差し込む。痛そう。

 えっ? 垂直尾翼の付け根が汚いって?・・・そこはまぁ大人の対応で見て見ぬふりお願いします(汗)


 咲いた花なら 散るのは覚悟
 見事散りましょ 国のため  (同期の桜) 


 母のこと、実家の解体のこと、いずれも気持ちの沈むことばかり。桜を見ていてふっと胸に浮かんだのはこの歌だった。
 軍歌は嫌いな人も多いかもしれませんが、私には懐かしい。父が働き盛りの頃、飲んで気持ちよくなるとよく歌っていた。ハモニカを吹くこともあった。昭和四年生まれの父は当然、軍国少年だったのだろう。

 母の病室を見舞った帰り、父の入所している施設にも立ち寄った。
 デイサービスでほかの老人に交じって座っていた父は私を見つけると笑顔で迎えてくれるが、私が誰なのか名前などはもうわからない。話しかけると「うん、うん」とうなずくだけ。
 しばらくして私が「帰るからね」と立ち上がり、部屋から出ようとして振り返ると、うつむいている父の姿があった。けっして私を見ようとしないのは、やはり寂しいのだろうか。おそらく施設にいるのは父も寂しいのだろうけれど、それをどうすることもできないのも事実で、その父の胸のうちを思うと一層切なく悲しくなるのだった。



 主脚のブレーキパイプはいつものように伸ばしランナー。
 この大きさなら金属線のほうが質感としても良いのでは?と思うかもしれませんが、私はプラ用接着剤で接着できるほうが扱いやすくて好き。

 いつものようにハセガワのボイジャーのランナー(黒いので)を伸ばしたやつ。このランナーが無くなったらどうしよう。意外と黒いランナーって見当たらない。レベルのを伸ばしたら裂けてしまってうまくいかなかった。

 これをこんなふうに少しずつ曲げる。



 写真がいまいち鮮明でなくてすみません。

 実機写真見ながら接着し、部分的に銀色のところを塗装した。この写真の機体が果たして当時の状況そのままかどうかわからないけど、とりあえずアクセントになるので。



 で、翼端灯はガシガシ削ってどうにかツライチに近くなった。まだ少しはみ出てるか!?
 こうすると綺麗な翼端灯になるんだよねー。特に飛燕なんかはとても大きいので、やる効果が大きい。彗星はそんなに大きくないけど。それでも満足感大。

 This can't be love because I feel so well
 No songs,no sorrows,no sighs
 (中略)
 My heart dose not stand still
 Just hear it beat
 This is too sweet to be love

 これって恋? なんだか素敵な気分だから
 とりあえず、悩みも悲しみもため息もない

 でもとにかく心はじっとしていない
 とりあえず、ドキドキしてる
 これって、恋と呼ぶにはなんだか心地良すぎるの (This can't be love/Nat King Cole)


 心地よすぎても恋と思えない、でも辛すぎるともう続けられない・・・じゃどうすりゃいいんですか。
 どんな恋がいいんですか。っていうか、それって恋ですか?・・・・

 とってもしゃれた、これぞジャズ!!って感じの曲
 私はパットモランカルテットで聴いてます(ボーカルが女性なのでおすすめ)。
 いつものように意訳ですので、間違ってるかも。でも朝出がけに、この曲聴くと元気になる。

 恋にしろ、自分の好きなものは意外なくらい言葉にするのは難しい。なんで恋をするの、なんで模型を作るの・・・・
 そんな質問には答えられないよね。



 
 彗星四三型の続き。
 依然として二日置きくらいに母の病院通いが続いているので結構忙しいけど、そのかわり家にいるときは模型作れてうれしい・・・ということに気がついた。「普通の生活」のなんと素晴らしいことよ。

 きらら「はぁ~つかれた!!」
 彗星四三型「突かれた!? 誰に突かれたんか!? ええ?? 三笠か!? ハインドか!? ハリアーIIか!?」
 きらら「うぁぁ~思い出させんでよ・・・もう忘れてたのに。特にハリアー(汗」

 さて爆弾などに色を塗りました。800kg爆弾はニュートラルグレー(あ、まだ塗り分けが残ってた)、推進ロケットは軍艦色。
 あ、実は合わせ目とかきれいに消えてないところあるんだけど、写真には写らないようにしてる(汗

 脚はこれからブレーキパイプを這わせます。
 定番工作のピトー管はキットのパーツを参考にして、0.8ミリの真鍮パイプに0.5ミリの真鍮線を差し込んで再現。



 忘れそうになっていた翼端灯を作る。最近は透明パーツになってるキットが多いけれど、これは透明化されていない。けど、こういうパーツは飛ばしてなくす可能性もあるし、むしろ自分で作るほうが確実かもね、と、やせ我慢だ。

 赤と青の透明ランナーがどこかにあったはず・・・と押し入れの中をごそごそ。こういうときはガンプラが頼り。
 息子の在庫がほんの十個くらい残っているのを箱を開けて探してみたら、接着剤やニッパと一緒に作りかけが入ってるのとかいろいろあった。
 いつの日かオッサンになったら、こういうの発見して「俺も昔こういうの作ってたよなあ・・・」とか感慨にふけるのだろうか。そう思うと、あまりまじまじ見ていてはいけない気がして、そそくさと箱を閉めた。

 すべてのパーツが透明の手つかずキットがあり、そこから赤と青のパーツを拝借。悪い母だ。

 こんなふうに翼端にくっつけて整形して磨けばきれいな翼端灯ができあがるはず。ずいぶん前に飛燕作ったときにやったから、今回もできると思う。

 終戦後の特攻に対する思い入れは深いけど、模型製作はかなり浅く(汗、とにかくまず第一に完成を目指していきます。



 脚や爆弾などを作っておかねば。整形したりするのが案外面倒なんだよね。

 爆弾はなんと800kg爆弾。戦闘機は250kg爆弾までだよね? さすが艦爆、力持ち。
 いやほんと、男の人が重いものを「ひょい」と持つのはいつ見てもびっくりするし、ホレますね。

 脚カバーはキットがすでに端の部分を削ったような感じになってるんだけど、それをさらに削って薄くした。
 実機みると脚カバーってペラペラなので、その感じに少しでも近づけたい。
 小さい爆弾みたいのは推進用ロケット。写真でこの機体を見ると、推進用ロケットがついてるかどうか定かではないんだけど、まあよく見えないってことにしよう←おい!!



 日の丸と敵味方識別帯をマスキングして裏側の明灰白色を塗装。
 裏側はリベット打ってないのでなんとなく寂しい。

 日の丸まわりの赤い色がなかなか隠ぺいされないので少し焦る。先に黒でも吹けばよかったのかな
 今回は先に銀色は塗装せず、剥がれはあとから筆で描くことにしている。というのも、この機体はそんなに派手に剥がれていない気がするので。

 以前もご紹介した「私兵特攻」(新潮社)で知ったんだけど、1845年8月15日にこの彗星以下11機のほかに、8月16日に三機の一式陸攻も大分飛行場から飛び立っているんだよね(うち二機未帰還)。終戦後の出撃だったから特攻とも戦死とも扱われず(後日、戦死と認定)、歴史の闇に葬り去られている(ほとんどの乗員の名前は不明だという)。無念と言わずしてなんと言おう。なんかこの一式陸攻も作りたくなってきた。

 特攻のことを知れば知るほどその理不尽さ、その悲しさに胸がふさがるけれども、こういう機体がキット化されてるのが何より私たちの幸せってことかもしれないよね。同時に人間の営みの恐ろしいまでの理不尽さというかわけのわからなさ・・・吉村昭氏はそういう人間の不条理な営みを「武蔵」という戦艦を通じて描いたと書いていましたが、ほんとにそうだと思う。

 そしてそれこそが「戦争」というものが人を惹きつけてやまない理由なんだろうね。変な言い方だけど、私達は「戦争」が好きなんだよね。

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